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国体は仮構であったが故に霧散する運命にあったと思量します。
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投稿者 如往 日時 2007 年 4 月 21 日 00:45:51: yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: Re: 一点だけ。 国体は変更されてますよ。 投稿者 Kotetu 日時 2007 年 4 月 20 日 13:50:53)


 Kotetuさん、レスをありがとうございます。


 法哲学的には帝国憲法は国体を体現化したものではなく、その逆で国体という仮構を構築・維持するための工法及び管理法であったと捉えることができると考えています。明治維新以前に国体と云った理念的国家観が為政者達の意識に十全に形成されていたかというと甚だ怪しいものですが、しかし明治期に至り対外政策上も国家像を明確にしていく必要に迫られて、当時のドイツ憲法を取り入れて制定されたのが帝国憲法です。
 多分、ここ憲法板上の遣り取りからも推察していただけると想っていますが、そもそも私は国体なるものを認めておりませんので、敗戦を契機にして国民主権が天皇主権に取って代わることによって立憲君主制(天皇親政)の根幹部分が否定され、その上に日本国憲法が打建てられたものと認識しています。

 >憲法論議で言えば、(旧)帝国憲法第一条と日本国憲法第一条の大きな差であります。したがって、貴説は誤りです。

 両憲法の第一条を比較対照するならば、天皇主権⇒国民主権となり、明らかに政体の変更があったと見て取れます。取り巻きの臣下が殊更に仮構(国体)を言挙げするのに比べて昭和天皇自身は仮構に関する観念が希薄であったためなのか、主権の放棄が仮構の瓦解にまで繋がることをあまり理解してはいなかったようにも見受けられます。
 それはさて置き、明治憲法が欽定憲法であっても立憲主義憲法の性格を有していたことから、改正の場合には旧憲法に条文として存在するものを法源にしなければならないのは法理論上も極自然な所作であったと考えています。一例として、明治憲法にあって罪刑法定主義の理念に関係する法源の相当な部分が日本国憲法にも引き継がれています。

 inosisi80氏が国体論を基盤にして論を展開しようとしていることは明らかであり、おそらくそこから出でることはないと想われます。国体論はイデオロギーに関わることであり、意識的に深く立ち入らないようにしていますので、Kotetuさんとって満足のゆくレスになったかどうか心配しています。

 また、会いましょう。

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