★阿修羅♪ > 憲法1 > 308.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Re: 日々雑感、歴史を見る感性 投稿者 まとはずれのおせっかい 日時 2007 年 4 月 22 日 14:09:01)
こんにちは。
離れたところに書かれてるから気づかなかったです。
>inosisi80氏が憲法の形成過程の非合理を説明するば、するほど、細部にこだわればこだわるほど、「真実」 から離れていく印象をうける、
>最後まで付き合う忍耐力はかけているが。。。
合理的な反論はできないということを言っているのですね。
だけど心情的には納得がいかない。と。
別にいいですよ。
「日本国憲法」が好きか嫌いかの話をしているのではなくて、合憲かどうかということと、事実の中に有効をささえる事実が存在したのかどうか、
それに着目してのべているだけだから、まあ、貴殿の印象でっもなんでも述べてもらっていいけど、有効か無効かという効力論にはならないだけです。
>数学の証明問題で、「公式、定理」を無視して「緻密に」論理展開する姿に似ている。
>詭弁ではないつもりだ。
昭和20年〜昭和27年の国家行為を、帝国憲法13条上の行為つまり力と力を背景にした最大の双方行為たる戦争の延長たる講和行為として捉え
「日本国憲法」の出現を講和の要素としてみる見方の方がものの見方、本筋からはずれていないでしょう。
>ひとつの国家システムが、国民に多大なる人的、財的 及び精神的損害を与えたという歴史的事実、それの認識、それらを捨象したどんな高尚な
>理論に付き合う気にはなれない。
>わたしの論理が飛躍しているとの指摘を受けたが、上記のような「原初的な感覚」は、私にとっては、思考の原点となすものだ、自分の話を語
>る背景のキャンバスのようなものだ。この種の感覚なしに、どんな思考も画餅にしかすぎぬと思っている。
一国の憲法は憲法の手順に乗っ取り改正されなければなりません。私はなんにも、高尚なことなどいってません。
<国民に多大なる人的、財的 及び精神的損害を与えたという歴史的事実>これらは戦闘の結果ですから、次にくる国家間の営みは、完全な戦争の
終結です。つまり講和です。講和はそういう現実の<国民に多大なる人的、財的 及び精神的損害を与えたという歴史的事実>から多大な影響を
受けるながら行うものです。貴殿の言うとおりです。「日本国憲法」が双方行為たる戦争の産物として生まれたのです、それを認めなさいと貴殿は
私に言っているのでしょう?それなら講和条約有効論(新無効論)でいいはずじゃあないですか?意見の一致をみましたね。
相手のある行為の結果、それの延長(戦争の延長)として「日本国憲法」が生まれているならそれは講和の要素でしょう。
それだと貴殿は不服ですか?「日本国憲法」をいろんな思いも含めて日本人が戦争末期に受容したんでしょう?講和による受容でしょ。
帝国憲法の講和大権が(改正という擬装を施しながら)その下位に「日本国憲法」を受容したことになります。
>この憲法の細かい生成過程の勉強はしていないことは告白する。
>何十年前の知識と、今まで生きてきた、そして思考した「経験」で書いている。
>すこし想像力を働かしてほしい。
>不滅の神州、万世一系の天皇支配の終焉。
>役員更迭、会社倒産、政権崩壊、新内閣組閣どころの話ではない。
>それは、国民に対しても、倫理的な支配権の喪失、無条件降伏を意味している。
>支配を形成する全価値体系の崩壊を意味する。
って、日本軍は無条件降伏しましたが、ポツダム宣言という条件を受諾したのも帝国憲法体制(13条講和大権)だし、降伏文書もそう、(「日本国
憲法」もそう)、サンフランシスコ講和条約だって帝国憲法の規定する我が国が受諾しているのです。
貴殿の書いているのは、日本の内側から発生してきた物事ではなく、外国人による戦争講和を強力に自らの都合のいいように進めるための占領という
行為、これも、A が B に仕掛ける行為です。したがってここでも貴殿は双方行為を描写しているのです。
戦争相手国から与えられた環境の変革やこれから予測される損得を想定して各種の決断をしたり、価値体系の一部(通常の憲法律)を犠牲にしてでも、
その非独立体制から脱却をするために条件整備をしようと構え、妥協を含めて実行にうつすのは、それは結局、国家の単独行為(憲法の立法行為)で
はなく双方行為(講和条件の締結)です。
>今後起こりうる、北朝鮮の崩壊を想像するとわかりやすいのではないだろうか。
>原爆を二個落とされ、東京だって一日で、十万ちかい非戦闘員の死亡者を出している。
>それが、単なる「気持がわかりますが」とするなら、これが「非国民」思想でなくてなんであろう(今は「反日」?というのか)。
だから、双方行為なんでしょ。
A が B に強要を仕掛けた行為に屈服して妥協し B が判断して「日本国憲法」を出現させたことによって独立回復の条件が一歩前進したんでしょ。
なら、「日本国憲法」は国家間の産物です。
「日本国憲法」が当事者双方の意思の合意の産物であることの証拠は山ほどあります。
それを国家の単独行為の産物であるかのように語る方が、<数学の証明問題で、「公式、定理」を無視して「緻密に」論理展開する姿に似ている>
>新憲法が、過去の責任をうやむやにした?
>問題は日本人の行動様式、集団無責任性、もっと深いところにある。
>それらが、「過去の否定の曖昧」につながったとおもう。このあたりは如往氏の
>各種投稿が参考になる。
>当時の人たちが、過去から開放された日本人の開放感を語っている。
>貴殿に総理大臣になってもらいたいという、市井の人たちからマッカーサー宛てにファンレターが多数舞い込んだそうだ、今手元にないが、袖井林二郎、
>「マッカーサーの2000日」(中公)に詳しい。
>戦時下での抑制から開放され、その開放感を享受したのは、「一部の人」たちでないはずだ。「多くの国民」である。なぜ団塊の世代が生まれたか考え
>れば、わかると思う。
>私は、国民の視点から見て、八月以前以降、価値の「連続性」を見出すのは、無理があると思う。いまさら、日本憲法の無効を説くところ、「牽強付会」、
>「我田引水」をみる。
何回言ったら、わかるんだろ。「日本国憲法」の実効性があってもいいよといってます。私は新無効論(=新有効論)なんですから。
貴殿がマッカーサーを持ち出すように、日本人は当時、国家をあげてマッカーサーを大将とする敵軍と戦争講和をやっていたんでしょう。
戦争期間中の戦闘体制の国家と戦争期間中の被占領下講和段階の国家とは価値観の転換もあって当然でしょう。それを開放感と感じる人がいてもいいでし
ょう。でもそれらは、すべて占領軍という相手が作り出した環境です。
その環境の一要素として法秩序についても「日本国憲法」を日本人が受容したんでしょう。だから講和条約なんです。
>ベストセラーに、「歴史もの」は多い。日本人は歴史好き、タミフル同様、新しいものに飛びついてくれるので、出版社にとってはドル箱である。
>多少、刺激のある内容、タイトルでないと、「ヒット」にならぬのは理解できる。
>過去、多数のベストセラーの歴史刊行物、出版市場に現れ、そして消えていった。
>しかし、その種の出版物のいくばくが歴史の試練の耐えて、古典として定着したのだろう。
>仕舞いに、どこにでもいそうな善良な「横丁の国家主義者」が、気に入らぬものを
>「非国民」のレッテル張りをはり、日本を破滅に追い込んだ共犯者であったという歴史の事実をわすれてはならない、皆、そうならぬよう心がけたいものである。
>自分の思うところを、書いたまでだ。
>ついでだが、人を馬鹿にしたような論調に、書き手の「弱さ」を見るのは私だけだろうか?
貴殿はどこかのだれかに馬鹿したようなことを書かれたの?つらいね。