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(回答先: タブーではなく「話にならない愚論」だから出てこられなかったのでしょう。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 4 月 19 日 07:14:16)
考察者kさん、こんにちは、横レスに失礼します。
時には観点が接近することがあるものだと感じ、幾許か複雑な気持ちになっています。
さて、昭和天皇が国体維持を条件に天皇主権から国民主権への政体変更を受け入れたという、謂ってみれば主権の放棄を受けて成立したのが日本国憲法であり、法文の構成上は帝国憲法にある法源が多く用いられているといった側面を有しています。これを天皇の自らの手なる無血開城の結果と捉えるべきか、革命(八月革命説)の産物とみるべきか、判断は分れるところですが、何れにしても政変があったと見るべきでしょう。天皇家は必ずしも歴史の表舞台にとどまることを好しとはしていないと想いますし、寧ろ長い歴史の中で身を保つための知恵を自然と身に着けて来た結果が戦後への対応にも象徴されていると考えています。
マッカーサーと昭和天皇の会談の全容は未だに開示されていませんので、実際にマッカーサーの要望(要求)の強度が如何ほどであったのか推測の域を出ませんが、当時の東久邇宮首相や幣原首相が自ら進んで改憲を上奏しようとしていたとは考えられません。それよりも、昭和天皇がマッカーサーの提示した条件を呑んだ結果として、それが上諭(口頭のものを含む)されていなければ内閣府も最終的に改憲(当初は条件交渉に近いものだった。)に向けて憲法問題調査会等を発動することすらも出来得なかったでしょう。したがって、GHQ側からの圧力による強要によって自由意志がなかったというよりも、議員達は天皇の意向を忖度して審議を進めることを了としていたと観る方が妥当だと考えます。
また、主権の空白期間の問題については、一聯の改定手続きが履行され日本国憲法が成立したことで結果から見ても、憲法制定権力は暫定的にGHQに預託され憲法審議の間には国会に移管されていたと見做すことが可能でしょう。単なる講和条約締結のための条件整備の意味にとどまらず、新憲法の遵守は条約の履行を担保することにもなっていたはずです。さらにその後も改変については発議されずに今日まで至っているのですから、現行憲法の受容は国民の意思によって再決定されていると考えても問題はないでしょう。今回の改憲派の目的は表向きには講和条約憲法として有効と力説することでこの辺の事情を覆い隠そうとするものではないでしょうか。
以上を以って私は日本国憲法の有効性の有無に関しては既に政治的決着がついていると考える次第です。
また、会いましょう。