現在地 HOME > 掲示板 > 議論17 > 410.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
真相ハンターKさんとのやり取りのなかで、「イラク邦人3名人質事件」の家族の言動を、内容ではなく言動そのものに対し非難(罵倒)した人たちを「カス」と呼びました。
かすかな記憶したなかった話でしたが、現在読んでいる『私物化される世界』のなかに、96年福岡チョモランマ登山隊がチョモランマ(エベレスト)北壁ルートで登頂に挑んだときに起きた「見殺し」行為が取り上げられていました。
(『私物化される世界』(阪急コミュニケーションズ:ジャン・シグレール著:渡辺一男訳:本体2800円)は読了後に推奨書籍として紹介したいと思っている)
福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為は後に国際的な論争を引き起こしましたが、是非のいずれでもあっても「カス」と言うことはできない価値観に基づく選択の問題だと思っています。
多くの方に、福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為は是か非か、そう選択した理由を投稿していただければと思っています。
ワガママで恐縮ですが、持論は保留にさせていただきます。
福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為に関する事実情報や議論情報をお持ちの方はそれも紹介していただければと思います。
【福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為の概要1】
『私物化される世界』が取り上げた「見殺し」行為の内容を転載する。
P.90〜91
「 一九九六年五月十一日の明け方、二人の日本人登山家と三人のシェルパがエヴェレスト北壁の岩棚の下にかろうじて設営されたキャンプを後にした。彼らは高度八三〇〇メートルに達していた。彼らの目的は、北壁経由でエヴェレストの頂上(八八四八メートル)に立つことだった。五四八メートルの高度差と一五〇〇メートルの距離を克服するのに、下山も含めて最大で九時間と見積もられていた。それはぎりぎりの計算に基づいていた。
生還しようと思えば、暗くならないうちにふたたび第三キャンプに戻らなければならない。条件はひどくきびしい。嵐が起きた。全員が登攀にとりかかった。高度八五〇〇メートルの絶壁の上に岩鼻が張り出している。その雪の中、登攀ルートのすぐ数センチ脇に、一人のインド人登山家が倒れているのに一行は気づいた。負傷し、力は萎えて、すでに半ば凍死しかかっていた。しかし、彼はまだ話すことはできた。二人の日本人は立ち止まることなく、登攀を続けた。午前も遅くなって、高度八六三〇メートルの地点で一行はいったん停止した。垂直に切り立った壁、水に覆われた三〇メートルの高さの岩が阻んでいる。そこで彼らは酸素ボンベを交換し、少し食物を摂った。
ふと右手に目をやった日本人の一人は、そこにさらに二人のインド人を発見する。一人は横たわっていて、死んでいた。もう一人は雪の上にしゃがみこんでいる。生きている。
日本隊は登攀を続けた。メンバーのうち誰もその生存者に食べ物や酸素を与えなかった。言葉は交わされなかった。ただ視線だけが交わされた。
三時間半後、五人の登攀者は超人的な努力の末にエヴェレストの頂上に達した。
谷へ戻ってから、ネパール人シェルパは語っている。彼らはショックを受けた。高山への探検では、公海上の船長がそうであるように、リーダーに決定権がある。他の者たちは指示に従う。しかし、シェルパたちは置き去りにされたインド人のすがるような眼差しを忘れることができなかった。
インドと日本で議論の応酬があった。新聞はこの事件を大見出しで報じ、インドでも日本でも日本の登山家たちの行動がきびしく批判された。
このような事情を受けて、二人の日本人登山家は弁明のために記者会見を開いた。探検のスポークスマン、二十一歳の重川英介はこう説明する。「私たちは自力で頂上に登るのです。登攀のためにあらゆる努力を傾けます。疲労困憊していて、助けることができなかった。八〇〇〇メートルのかなたでモラルを発揮することは不可能です」」
【福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為の概要2】
1996年平成8年5月11日、福岡チョモランマ登山隊(隊長:矢田康史)の花田博志と重川英介、シェルパ3名が、チョモランマ(エベレスト、8848m)に登頂(インド・チベット国境警察隊を救助しなかったため、その後、論争となる)
http://www.ameame.com/dic/dic-his/his-06.HTM