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(回答先: やっぱり、助けるでしょうね 投稿者 真相ハンターK 日時 2004 年 4 月 28 日 23:13:47)
僕は、以前海外の山(といってもヒマラヤ程ではないので、シェルパなどはいない)
に登っていたことがあったが、早朝3時頃、途中(七合目位)で防寒具の不備から、
体に震えが来て止まらなくなってしまったことがある。
その時、僕の様子を察した隊長が登山暦の長い仲間の1人に、僕に同行して下山する
ように促した。その仲間は、快く応じてくれて、僕は無事下山し、凍死せずに済んだ。
当然彼も、金もかけ準備も万端に整えて、登頂を楽しみに来たにも関わらず・・・。
投資を渋って不十分な防寒具で山に入った僕のケチくささや自己管理の悪さが、この「本来なら恥ずべき」事態の原因だったのは間違いない。
確かに登頂できなかったのは残念ではあった。
しかし、僕は、この日の登山は思い出深い、大きな財産になった。
同行してくれた仲間は、迷惑がるどころか、
ーいいんだ。こういうのも楽しいんだよ。山に入れば、お互い様なんだ。まだ機会はあるんだし、僕は以前ここに登頂したこともあるからね。むしろ失敗から学ぶことが、大事なんだー
と、本当に何事もなかったかのように、笑って言ってくれた。
この登山クラブのミーティングで、会長が言っていたことがある。
「この登山隊が最も名誉にしていることは、80年以上の歴史の何千人もの登山者の中で、過去にたった一人しか遭難者が出ていないことだ。それでも、チョモランマやモンブランやマッキンリーなど、数々の山への登頂に成功してきた。
それは、どんな時も決して無理をせず、着実で的確なトレーニングを積み重ね、何より隊員同士がサポートをし合いながら、全員登頂することを第一の目標としてきたからだ。山を征服したいと思うのではなく、山を愛する仲間同士であればいい」。
山の醍醐味は、人同士の助け合いだと、つくづく思った。
僕にとっては、やむをえずの下山という「挫折」体験は、
結局降りかけた山の途中で見た満天の星空とともに、爽
やかで懐かしい旅の追憶となった。
その後の自分の人生の力になり続ける契機にさえなった。
勿論その後、更に高い山の登頂に成功した時も、仲間の有難さをつくづく感じた。
人と助け合った記憶は、その他にも挙げればきりがないほどあるが、そのひとつひとつにどんな失敗がついていたとしても、掛け替えのない財産だ。
もちろん、見捨てられたり冷たくあしらわれた経験も、いやという程あるのだが、
ほんの僅かでも、本当に助けられる体験をするということの中には、過去の幾多の恨み
つらみも一瞬で消し飛んでしまう程のパワーを持つこともあると思う。
少なくとも、僕についてはそうだ。
同じ失敗や危機が、忘れたい傷になるか、思い出深い転機になるかは、その時どう人が
関わってくれたかに尽きるのではないか。
敢えてインド人シェルパを見捨てた日本人についての是非のコメントはしない。
というより、是非に関わる判断力を、自分は持たない。そもそもチョモランマ級の
山になど昇ったことはないし(富士山より高い山ならあるが)。
ただ、上の自分の体験から言えることは、日本人隊員が登頂の成功と引き換えに失っ
たものは、とても大きいもの、勿体無いもののような気がする、
ということだけだ。