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Re: 助けてもらったことのある側として言えること
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投稿者 一般人 日時 2004 年 4 月 30 日 19:42:22:KiF51qjtbPpJo
 

(回答先: Re: 助けてもらったことのある側として言えること 投稿者 swanslab 日時 2004 年 4 月 29 日 01:49:38)

swanslab さん、こんにちは。

自分は、質の高い論人でもありませんが、不思議に思ったのでレスします。


>この話題は、私にとっては別段遠い世界の物語ではないので、
>ちょっと嫌な感じですね。
>知ったかぶっていろいろ語ろうとする人がたくさんいるのか
>と思うとね。
>はやく流れてほしいと願うばかりです。

人質事件や自己責任の問題に、なんらかの発言をしているのに、「私にとっては別段遠い世界の物語ではない」の場合は、わざわざレスまでして、議論を揶揄するのは勝手な話のような気がしますが。他の話題では、swanslab さんも「知ったかぶっていろいろ語ろうとする人」の一人ではないのですか?

仮に、swanslab さんが今回の「人質事件や自己責任」に直接 関わる人間だったなら、何も知らない癖にと「知っている人」と「知らない人」に差別もしくは区別して対話を断ち切ってしまうのですか?それなら投稿はおろかレスすらする必要もない。

山の話は、自分も山に分け入る機会のある身で、登山家連中の心情も分からないではないが、別なかたちで山に関わる人間や何も知らない人間に対して、非常に内輪的で、自分達外の価値観を許容しない場面に出くわすことも多い。

結果、チョモランマに残すゴミが一番多いのが、日本の登山隊だったり、日本におけるアルピニズムの思想性が西洋の物まねから成長せず、「人間の体感的身体性とノスタルジーの共同幻想」の良い部分より、悪い部分を助長しているように思える。だからといってなんでも話せばいいということでもなく、不粋なものからプロテクトする必要も、できるかぎり認めたい気もする。

環境や立場、身体的条件、価値観の違いが、対話を難しくするのだと思いますが、難しいからこそ、議論の可能性があるのではないでしょうか?

私は基本的に日本であろうが海外であろうが、森林限界以上の高所に登ることはない、それでも、森林限界以上の立ち入らない部分に登山家以外の社会性がないとは思わない。「メールなら・・・」とか、「流れてほしい」とかうそぶくレスをするくらいなら
「ちょっと嫌な感じ」を乗り越えて具体的で積極的な否定を語ってくれるべきだと思う。それが新しい理解を生むのだと思うのですが。

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