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(回答先: 96年福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為をどう評価します? 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 28 日 18:38:30)
はじめまして
この事件、とんと記憶に無く 小石一つで判定が変わるような微妙さですが、下記条件設定すれば判りやすいかと思います。
条件設定
(1)仮に、現場が全世界あて生放送されており又それが既知事項であったら、見捨てるという行動がとれたか?
(2)仮に、遭難者がインド人でなく、日本人3人だったなら、見捨てる行動がとれたか?
上記条件下では 見捨てる行動は困難で 助ける方向に動いた可能性が高い。理由は、目撃者(witness)の存在である。結果的にシェルパの存在があり、全世界にバレてしまったわけだが、見捨てた時点での判断として、誰も他に目撃者がいないということで、自分たちの慾を優先させたに他ならない。
見捨てた時点での心理状況
(A)助けたい気持はあるが、頂上まであと少し、これが一生に一回のチャンスかもしれない。後で自慢もできないよ。
(B)自分たちで精一杯だ。どうやって助けろというのだ。悪くすれば道連れだ。
(C)彼らが遭難したのは、彼らの失敗だ。お互いプロなんだから、自分で責任とってよ。
(D)見捨てても誰も見てないし、シェルパが少し気になるが、万一バレても話はインド止まりだろう。日本人だったらちょっとヤバかったかも。日本に話が漏れたら大変だし。
以上、感情的には許せない気分ですが、非を問うても上記(B)をメインとする反論に反駁できない可能性が高く、有罪とはならないと思います。それでも倫理的にはトラウマを引きずることになると思いますが、実際はどうだったのでしょうか?