現在地 HOME > 掲示板 > 議論17 > 451.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 96年福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為をどう評価します? 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 28 日 18:38:30)
大変興味深い「具体例」ですので簡潔に私見を述べさせていただきます。
結論:見殺しを責め立てることはできない
論拠:個々人の価値基準が異なる以上、責める方も擁護する方も「ワガママ」でしかない
この実例を通してあっしらさんが問われていることは
「究極の自己犠牲による他者救済」はあり得るのか
であると推察しております。
・人道的観点
・生存してはいるが極めて衰弱しているという事実
・自らが衰弱しているという認識
・人生における主要目的達成が目の前にあるという状況
・単独で帰還したとしても生還できない可能性
以上を鑑みますと
人道的観点を重視し、自己の目的を放棄して救出・帰還しようとしても
全滅の可能性が高いだけと判断しても不思議ではありません。
他人のために自己が犠牲になることよりも、自分の目的のために
命を落とす方を優先するという価値判断は、極限の状況に置かれたなら
尚更生存本能が理性を凌駕する故誰もとやかく言うことはできないと考えます。
がそれも「しかたがない」派の価値基準であり「ワガママ」です
(私が同じ状況下にあったら少し違いますが一般論を申し上げております)
それに対し責任論を持ち出す方は、極限状況でも真に「利他的」な行動を
なさる自信がおありなのでしょう。それ以上の言及は致しませんが
そうした価値基準に基づく「ワガママ」です。
「どちらが絶対的に正しい」と断言できるはずがありません。
よって、間違ってはいないという結論になります。