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(回答先: 96年福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為をどう評価します? 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 28 日 18:38:30)
暖衣飽食安全なところにいる者には答えを言う資格などはない。
答えを言えるのは当事者の隊員が自分自身の内心で言うだけだ。誰にも答えなどいう資格はない。
夏の槍ヶ岳とか富士山に登ったくらいの経験しかないが、自然の大きさの中では人間の存在のちっぽけな事くらいは実感できた。
極限状態の中で判断する、出来る、のは当事者だけであり、その判断の当否を決められるのも当事者だけだ。
>メンバーのうち誰もその生存者に食べ物や酸素を与えなかった。言葉は交
>わされなかった。ただ視線だけが交わされた。
発見した瞬間に、当事者の間で経験上から、暗黙の内に、救助活動をすれば二重遭難になると判断されたものと思う。「ただ視線だけが交わされた。」と言うのは分る気がする。食べ物や酸素を与えたり、言葉を交わした瞬間以降、もう見捨てて通り過ぎることは出来なくなっただろう。
※それにしても、あっしらさんの
>「見殺し」行為
と言う表題の立て方はいかにも意地が悪い。誘導設問だな。客観的に見て助けられる可能性がないのなら、それはもう「見殺し」ではないからだ。