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(回答先: 私の見解 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 30 日 17:21:19)
あっしらさん、どうもです。
細かなすれ違いから不毛な展開を誘導した事をまずお詫びします。
仕切り直しさせていただきます。
>このケースをどう評価するかはとても難しいと思っている。
こういうケースを評価する、ということ自体にある種の品位のなさ、やじ馬根性を感じてしまうのですが、そこからもし、何か有用な価値が生み出されるのであれば、目的の崇高さによって、手段の下劣さは相殺されると考えてお付き合いさせて頂いておりました。
>もちろん、インド人たちを実際に救出できたかどうかは別として、チョモランマ登頂を断念し、酸素ボンベの>中身や食べ物を遭難者たちと分かち合い遭難者たちの体力が回復する道を選択することはできる。
>(自分たちが帰還できる条件を確保した上で分け与えても遭難者たちが可能な助力を得ても下山できないこと>がわかったら、そこで「見殺し」にすることはやむをえないというより、そうすべきだと思う)
この「そうすべき」に強烈な違和感を感じます。
>しかし、難関とされる世界最高峰チョモランマの北壁ルート登頂を目的とした事業に挑んでいる人達にそれを>求めるのは、経営者(資本家)に競争関係にある他の会社の危難を救えと言うに等しい筋違いの要求だと思え>る。
このたとえも的外れが甚だしい、と感じます。
金儲け、生きるための資を稼ぐ行為。とただ山に登りたいというやむにやまれぬ衝動を現実化する行為とをイコールで結ぶのは、人間性への冒涜であると思うからです。
>登山家は、頂上近くで遭難者に出会ったことで断念するくらいなら、端からチョモランマ北壁ルート登頂に目>指さないように思える。
>(キャリア志向なのかキャリアに価値を感じないかという違いで、世の中の見え方や出来事に対する感じ方が>違うということをイメージしてもらってもいい)
これも全く同意できない見方です。(大きなお世話というのが登山家の本音でしょう。)
>このケースは、日本人登山家をサポートしたネパール人シェルパと日本人登山家の価値観の違いを際立たせて>いるとも思う。
ここも日本人とネパール人という区分は外すべきで、仕事でやっているのか、そうでないかの違いのみにしぼるべきです。
>日本政府は、3人を実質的に見殺しにした。・・・
>家族を、そのような言動をしたからといってバッシングしたひとはカスだと思っている。
>そして、「テロに屈しない」はいいとしても、その裏で可能な人質解放策を講じなかったとしか思えないのみ>ならず、人質家族バッシングを誘導した日本政府=小泉政権=連立与党の連中は最大のカスだと断ずる。
まったくもってその通り、カスなどという可愛らしい言葉ではいい足りない思いです。
>私は端からチョモラマン登頂をめざさない人間だが、社会が、「インド人たちを実際に救出できたかどうかは>別として、チョモランマ登頂を断念し、酸素ボンベの中身や食べ物を遭難者たちと分かち合い遭難者たちの体>力が回復する道を選択する」ものであってほしいと思っている。
>おいそれとはそうできないたいへんなことだとはよくわかっているつもりだが、どうしてもチョモラマン北壁>ルート登頂を達成したのならチャレンジし直せばいいじゃないかと思うし、それに価値を認める人が多いのな>ら断念した登山家たち人がチャレンジし直せるような世界であって欲しいと思っている。
この部分が最大の引っかかりです。
「社会が、世界が、・・・このようなものであって欲しい。」
「・・・」の中身がいかなるものであっても私は受け入れないのですが、今はそれは主張しません。
「そのような理想社会を実現するための方法、手段が提示されない限り、それは単なるプロパガンダに過ぎない。」とおっしゃったのは貴殿ではなかったでしょうか。
で、この繋がりが私にはよく見えないのですが、ご紹介のジグレール氏の主張が、その方法、手段なのでしょうか?
>これは、グローバル化した資本の略奪者たちが日頃経験する具体的な状況を彷彿とさせる談話である。・・
>帝国をつねに拡大すること、これらの至上命題が完全にモラルの欠けた行動を要求する。
>・・・支配者の強欲はその取り巻きたちにも伝染して、彼らの脳を汚染している。今日では、多くのボスたち>が嬉々として自分の企業を食い物にしている。彼らの行動はまるで百年戦争時代の追いはぎ強盗のようだ。
この学者氏の見解を、貴殿は支持しておられるのでしょうか?
私は支持出来ません。
この学者氏の見解は、「帝国の支配構造」という巨大な問題を多国籍企業の社長どものモラルの低下などという極端に小さな問題に矮小化し、問題を隠ぺいするものである。と考えます。
この巨大な問題について、私と貴殿が「・・・と悪魔崇拝の片割れ」のスレッドのなかで議論を戦わせている最中に、貴殿が新たに「福岡隊の見殺し・・・」のスレッドを立てられ、二日間の沈黙の後、「私の見解」を発表されたという経過をご勘案ください。
私としては、裏切られたという思いです。
長々と書き連ねましたが、一言でいえば、貴殿の出された結論があまりにも「つまんない」ということでも有ります。