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(回答先: 96年福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為をどう評価します? 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 28 日 18:38:30)
皆さん、レスありがとうございます。
個々にレスを付けたい(付けるべき)という思いもありますが、ここでのお礼で代えさせていただきます。
(皆さんのお考えを読ませていただき、ほっとすると同時に暖かい気持ちになりました)
このケースを『私物化される世界』で取り上げた著者ジャン・シグレールさんの意図は後ほど引用させていただきます。
その前に私の見解を書き込みさせていただきます。
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スレッドの書き込みで「福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為は後に国際的な論争を引き起こしましたが、是非のいずれでもあっても「カス」と言うことはできない価値観に基づく選択の問題だと思っています」と書いたように、このケースをどう評価するかはとても難しいと思っている。
結論:福岡チョモランマ登山隊の「見殺し」行為は是認できる。
理由:チョモランマ北壁ルート登頂という、膨大な準備をかけ命賭けで挑んだ行為の真っ只中で遭遇した出来事であり、遭難していたインド人も同じ立場の登山家たちだと見て「見殺し」したとしても倫理的に法的にも誤りではないと考えるからである。
(遭難者がインド・チベット国境警察隊に属しているとはわからなかっただろうし、わかったとしても登頂をめざす登山家としてそこにいると思うのは自然だ。そして、遭難者がインド・チベット国境警察隊に属しているとわかった上での経緯ても結論は変わらない)
重川英介さんと花田博志さんは、ベースキャンプ周辺や日本で危難に陥っている人に遭遇したら、日頃鍛えた体力と知力を駆使して、他の人なら尻ごみするかもしれないケースでも助けようとする人たちなのかもしれない。
重川英介さんと花田博志さんは、自分たちが「見殺し」にしたインド人たちと立場が逆になったとしても、救ってもらえたらうれしいとすがる気持ちを持つとしても、「見殺し」されたからといって非難したり怨んだりすることはないはずである。
もちろん、インド人たちを実際に救出できたかどうかは別として、チョモランマ登頂を断念し、酸素ボンベの中身や食べ物を遭難者たちと分かち合い遭難者たちの体力が回復する道を選択することはできる。
(自分たちが帰還できる条件を確保した上で分け与えても遭難者たちが可能な助力を得ても下山できないことがわかったら、そこで「見殺し」にすることはやむをえないというより、そうすべきだと思う)
しかし、難関とされる世界最高峰チョモランマの北壁ルート登頂を目的とした事業に挑んでいる人達にそれを求めるのは、経営者(資本家)に競争関係にある他の会社の危難を救えと言うに等しい筋違いの要求だと思える。
(このケースで日本人登山家を倫理で非難するのなら、企業が、生き残りを賭けて競争を続け、他の企業の破綻に喜ばないとしても知らぬ顔をしている“日常”も非難しなければ筋が通らないことになる)
登山家は、頂上近くで遭難者に出会ったことで断念するくらいなら、端からチョモランマ北壁ルート登頂に目指さないように思える。
(キャリア志向なのかキャリアに価値を感じないかという違いで、世の中の見え方や出来事に対する感じ方が違うということをイメージしてもらってもいい)
このケースは、日本人登山家をサポートしたネパール人シェルパと日本人登山家の価値観の違いを際立たせているとも思う。
シェルパは、難関を克服する満足感や最高峰を極める喜び、そして、それらで得られる名誉とはほぼ無縁で、お金を稼ぐ目的=仕事として同行していたはずだ。すでに何度か北壁ルートでの登頂も経験しているだろう(名誉を得られる登山家よりも重い荷をかついで..)。
言いかえれば、自分や家族が生きるために高度8500メートルまで登ってきた人たちだ。だから、生きようとしている人として、「置き去りにされたインド人のすがるような眼差しを忘れることができなかった」し、置き去りにした日本人登山家を“告発”もしたのだろう。
日本政府は、「イラク3邦人人質事件」で、「テロには屈しない」という政治的価値観を尊重して3人を実質的に見殺しにした。
そのような政府の態度に抗して、人質の家族は「自衛隊の撤退も考慮しろ」と政府に訴えた。それを、“家族のとんでもない言動”として非難したり罵倒する人もいた。
私は、「テロに屈しても、人質を助けるためには...」という人も「テロに屈するべきではない」という人もカスだとは思わない。しかし、「テロに屈しても、人質を助けるためには...」という家族を、そのような言動をしたからといってバッシングしたひとはカスだと思っている。
そして、「テロに屈しない」はいいとしても、その裏で可能な人質解放策を講じなかったとしか思えないのみならず、人質家族バッシングを誘導した日本政府=小泉政権=連立与党の連中は最大のカスだと断ずる。
私は端からチョモラマン登頂をめざさない人間だが、社会が、「インド人たちを実際に救出できたかどうかは別として、チョモランマ登頂を断念し、酸素ボンベの中身や食べ物を遭難者たちと分かち合い遭難者たちの体力が回復する道を選択する」ものであってほしいと思っている。
おいそれとはそうできないたいへんなことだとはよくわかっているつもりだが、どうしてもチョモラマン北壁ルート登頂を達成したのならチャレンジし直せばいいじゃないかと思うし、それに価値を認める人が多いのなら断念した登山家たち人がチャレンジし直せるような世界であって欲しいと思っている。