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あっしらさん、ごく子供のように聞きたいことがあるんです。
1.お金の力と、お金の力を増やすようにお金を使う(嘘かも)知恵が生まれる“お金の仕組み”はどこから生まれるのですか。
2.お金の力を増やすようにお金を使う知恵は、学問でとらえられているのですか。(それが嘘なら、嘘の学問ですが)
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基盤となる疑問は下記のとおりです。
お金の力を増やすようにお金を使う事がいいことだと皆言って世の中がその方向にいくと元気になるようです。そうじゃないと
皆元気を出しません。なぜなんだろう。お金という道具を使わないと元気に生きられないのだろうか…。
お金が無くても素晴らしい生き方をしている人たちは地球上にいっぱいいるのに。
そうであれば、お金にあまり頼らないで素晴らしい生活や環境を協働で創れそうなものなのに…。何か騙されていないのかな。
お金の力というのは、多分購買力と言われるものなのでしょうが、同時に何かを贈るか押し付ける心理的な力を印象します。
猫や馬にお金を見せても動かないのに、人間に見せると動くのは不思議です。山羊などお札を食べてしまいます。
“それ”はどこから、どうして生まれるんだろう。
その生まれと死の恐怖は連係してしまっていないのだろうか。(←現況資本主義を動かしている“リスク”概念につながるはず)
…………………
とりとめの無い“基盤”で申し訳ないのですが、これは世界の経済機制の無意識の根底で働いている価値観の曝露と再認識へと
つながるものではないかと想います。(そういう事を考えてしまっているのです)
武力に依拠するアメリカの、アングロサクソン文化系+ユダヤ系価値観で駆動しているらしい世界経済(現況私見)は、自然を支配
しきれるという幻想など、『特有の原理的幻想』に下支えされているように感じるのです。
近代経済機構が、一見人間くさい価値何とは分離した機構性を持っているにせよ、それを動かしているものは猫や馬ではなく
(猿でありうるが・笑)人間そのものですよね。すると、現況の“彼ら”あるいは、利巧馬鹿兇人執事達の価値観が染め上げている
機構性によって動いていると想うのです。それは世界的に同一とは言いかねる価値観。普遍というには嘘が多い。
人間のもつ世界観は幻想であることによって、それとして認識されうるという考え方をしていますが、その幻想のいろどりによって
人間は元気を出したり、出さなかったりします。今、地球上の地域に住む人々はグローバリズムの経済には元気を出さないどころか反対して闘争しています。
もう地球上の状況に対して「もうその幻想は無効だよ」とカウンターを当ててくる幻想が生まれるころではないかと感じています。