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(回答先: ある種の強い念を感じます。 投稿者 オリハル 日時 2003 年 11 月 26 日 02:18:28)
オリハルさん,こんばんは.
今頂いたばかりのメールを私がまじめに受け取り,かつ真剣に考えようとしていることをこ
の対話を進める前提として確認して頂きたいと思います.さもないとそれはまったく非生産
的なものになってしまうばかりでなく,有害なものに堕するおそれすらあると思いますので.
> 先日、11/23(日)の09:00頃、私の夢に多分、きゃべ爺さんが出て来ました。夢の中では、十菱麟さん(
http://www5a.biglobe.ne.jp/~oneness/)として出てきました。何か、とても強いストレス(想念的な圧迫)を私は感じていま> した(また、もう一つ知ったのは、きゃべ爺さんの「近く」にいる人は、ある意味、「大変かも知れない」という点でした)。
私はもちろん十菱麟さんという方をまったく存じ上げてませんが,夢の中の登場人物がしば
しば代役を使って登場するということは(フロイトも指摘するように)あると思いますので,オリ
ハルさんご自身がそう感じているとしたら,素直にそれを受け入れましょう.ただ,私が今十
菱さんに関する情報を得たとしても十全なものを得られるわけもなく,むしろそれは,ノイズと
して作用するおそれの方が高いと思われるので,上のリンクにアクセスすることは控えます.
『「近く」にいる人は、ある意味、「大変かも知れない」』という点に関してもう少し説明して頂け
ないでしょうか?私は若いころには周りから,私と一緒にいるととても疲れると言われてまし
たので,(最近はあまり聞きませんが)そのような意味でならば自覚があります...
> なぜ、こんなことをタイプしたかと言いますと、その想念の圧迫が、日曜日に夢を見て、そのストレス感で焦燥するように目が覚
> めた時以来、日増しに高まってくるので、もし、その源がきゃべ爺さんであるならば、「そろそろ止めてほしい」と言いたいからで
> す。もし、きゃべ爺さんでなければ、すみませんでした。その種のストレス感は、私が以前、十菱さんと共に車に乗って走っている
> 時にも感じていたことを思い起こしました。
「日増しに」ということは,これが見過ごすことのできない意味をもつものであることを示唆す
るものですが,それだけでは,単なる妄想である可能性も拭い切れません.「そろそろ止め
てほしい」というのが,私からオリハルさんに対する何らかの種類の攻撃,あるいは単に「念」
を集中するというようなことでもいいのですが,であるとしたら,そのような「こと」はまったくあ
りませんので,(もしあれば)そのような観念は拭い去って頂きたいと思います.
> 他にも、きゃべ爺さんはジャイアント馬*さんとお知り合いなのだとか。そういう(多分)きゃべ爺さん(私には十菱さんとして
> 表われました)からの言葉もありました。
これは多分容易に解読できると思います.オリハルさんは多分読み過ごしておられるのだ
ろうと思いますが,きゃべ爺=馬場英治ということを比較的最近どこかの板に書いてます
ので,それを読み飛ばしてその断片のみが(下意識に)記憶されているのだと思います.
> もし、この念の圧迫がきゃべ爺さんからであった場合、その原因は何かと考えてみた所、私が「嘘をついていない」との主張が、きゃべ爺さんの中では定まらない事が原因で、その種の攻撃?が私にやって来るのかも知れません。もし、そうだと仮定して、私は何度も自分のホームページ上で、神に誓って嘘が存在しないと述べてきましたので「神に誓う」以上のことは私にはできないと言うほかありません。聖書には「汝、みだりに神に誓いを立ててはいけない」とありましたので、公開されている私のホームページの中の複数箇所にある神への近いの言葉・断言を目にしていただくしかありません。
その懸念はまったく不要なのでご安心ください.私自身,どれほどの期間であったかよく覚
えてませんが,まったく「嘘をつかない」ようにして暮した時期があります.オリハルさんは,
「意図的に嘘をつかない」としていますが,私の場合は「しゃべったことが時間の推移ととも
に虚偽に変わってしまうことも禁ずる」ようなはるかに厳しい条件を課していました.このとき
には,軽い冗談に含まれるウソや,誇張して話すことを含め,あらゆる虚偽を避けてました
ので,この戒律を守ることと普通の日常生活を両立させることはほとんど実現不能なレベル
です.この当時私は私の生涯でも空前絶後の「高み」におりましたので,そのようなことがあ
ったのですが,その意味でオリハルさんの心がけているピュアネスの質はよく理解できます.
ひとつ考えられるのは,オリハルさんがこの間自分のホームページのリンクを示されたとき,
「少し恥ずかしいけれど」と言われていたことです.オリハルさんのページで「固有名詞」が
出てくるストーリイには確かに私でも附いてゆきかねるところがあり,その辺りに対してご自
身が「恥ずかしい」という感情を抱かれるというのも理解できます.ただ私はそのようなある
種の恥部を含む自分の内面に生起した事柄を,観察によって得られた事実として客観視し,
それを厳密な正確さで記述・提示している姿勢にむしろ共感を覚えます.
このような「恥ずかしさ」は多分比較的最近になって経験されておられることと思いますが,
それがストレスの種になっている可能性はあるような気もします.このような要素をフィルタ
リングした上でなお,何かしら汲み取るべき要素が残ることがあるとすれば,是非お聞きし
たいのでお寄せ下さるようお願い致します.私の方にもいささか思い当たる節がないわけで
はありませんが,先入観念を与えることになり兼ねませんので,ここでは伏せておきます.