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(回答先: 『人を愛することができない人間は、革命を行うことができない』 (金正日) 投稿者 書記長 日時 2002 年 8 月 30 日 19:42:20)
私は次の点を示したつもりです。
・市場原理と競争原理(貴殿流に言う「資本の論理」でもひとまずは可)を主軸とした社会でなければ活力を維持することはできない。
・あくまでも補完的な形ではあるが、それだけでは解決しえない問題に対処するために別の論理を伴った部分を併せ持つ必要がある。さしあたっては8:2という数字を示すが、これが絶対ではない。ただ、後者が5を超える事はありえない。
・政府紙幣の使用やインフレは容認せざるを得ない。しかし、それは上記のような社会を建設すること及び現状のヌカルミを清算するためのコストとしてであり、社会構造の改革に反対し、現状を保守するためのものではない。
これらの点は貴殿に明確に伝わっていると思われ、その上で貴殿は「資本の論理」をまかり通らせる結果あらわになっている矛盾点を突き、このような社会はおかしい、と問題提起しておられると受けとめました。
しかし、貴殿のご主張を突き詰めると、資本主義社会の原理否定に逢着します。これに取って替わる明確な体制が存在しない以上、そのような主張が大勢を占めて来ると、必ずその社会は不幸な方向へ走り始めます。問題が存在するのは事実だし、それを無視して良いというのではありませんが、あくまでも本筋を踏み外さないことが肝要です。貴殿のおっしゃるように、市場主義にはイデオロギーとしての性格があることを認めても良いですが、少なくともこれを超えるイデオロギーは存在しない、という点は無視し得ません(政体としての民主主義を超えるイデオロギーがないことと対を成しています)。
構造改革などまっぴら御免、改革は景気の良い時やってくれ、というご意見は一見まともな本音のように聞こえますが、金輪際景気が良くなる事などなかったらどうするのですか?90年代的な景気回復は、対策を打つたびにあるでしょう。その後息切れしてまた沈んで行きます。所得減税も公共投資も効果なかったですね。同じ事を国家財政をさらに痛めつけながら、00年代も進めてゆくのか、という問題です。