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(回答先: 『釈迦に説法』+『焼け石に水』 投稿者 書記長 日時 2002 年 9 月 04 日 19:20:08)
>国が国民から借りた借金がどうして「国
家破産」に結びつくのかということである。
その国の借金は究極的には全体としての国民の借金であるか
ら、累積債務を国民の経済生活・財産に大きな影響を与える思
い切った政策によって処理するのは当たり前である。
つまり、そうした思い切った経済政策を行えるだけの社会の
安定性とか国民が自らの社会システムを集団で維持する決意が
ある限り、国の累積債務が致命傷になることはないはずである
正しくその通りです。日本国は破産などしません。思い切った「処理」をするための社会に対する口実が必要なだけです。一度本当の地獄を見ないとそういう環境にはならないでしょう。処理の仕方はデフォルト、大増税、政府紙幣の導入など色々とありますが、最も「表面的な」影響が小さいものにすることになります。思い切った「処理」をするのは早ければ早いほど小さな被害で済みます。
>私には今財政危機を騒ぎ立てて構造改革を行い国民意識から
も実体経済からも景気を冷やそうとする動きが正当なものであ
るとはどうしても思われない。
そうであれば、景気刺激のためにさらなる財政出動なり減税をしなければなりませんね。そのいずれか、あるいは両方で日本経済が立ち直るなら同意します。しかし、そうではありません。社会のあらゆる構造を作り直し、身の丈にあった変動の少ない経済に引き戻さねばなりません。日本の累積財政赤字問題は、構造としては米国の経常赤字問題と相似です。ファイナンスされる間は問題ない。利払いにより歳出構造が大きく制限されること、ひいては、ファイナンスそのものが困難になることが問題なのです。
>今までの日本政治の経済運営が自然に行き着く先は、そのよ
うな「社会の安定性」と「国民の実力」と「目に見える国富」
と「社会を維持するための公益志向の集団的決断」による財政
問題の処理である。
上記の文章では、これまでの日本の政策とこの先にある財政問題の処理を何の矛盾もなくスムーズに繋がるものとして把握しておられますが、これは明らかに誤っています。これまでの政策は衆愚政治のなれの果てとしての財政赤字の肥大化と破綻なのであり、これを処理することはその過去の政策の否定なのです。インフレの形であれ、財産額の直接の減少であれ、富裕層を中心に甚大な被害を避けて通れないものです。これだけの大規模な処理をする以上、その後は同じ過ちを繰り返してはなりません。現実を後追いする形で、ケインズ経済学は完全に捨て去られ新たな経済学理論が打ちたてられる事になるでしょう。
>金とか通貨システムは社会運営の道具や決まりごとに
過ぎず、社会の利害のためには何とでもしてもよいということ
を理解していないところから来るものだと思う。
金が社会をコントロールするのではなくて社会が金をコント
ロールするのである。
理屈の上ではその通りです。しかし、前提として経済というもののメカニズムを知悉しておく必要があります。そしてそのメカニズムを知れば知るほど、財政赤字を放置し、従来型の財政支出をさらに増大させ、いざとなったらそのツケを大胆に「処理」することが如何に無謀なことかが分かります。貧しい事そのものが人々を不幸にするのではありません。豊かな地位から貧しさへ転落することが不幸なのです。二度と激動の苦渋を体験しないためにこれから先の(比較的規模の小さい)激動を経験するのだ、という覚悟が必要でしょう。
>改革の方向性が正しかったと思うのは匿名希望さんが自由市
場競争主義者だからであって、旧ソ連諸国の現実としては未だ
に決着がついた話ではありません。ソ連のころより国民経済の
規模が縮小し、生活レベルも低い国がほとんど(全部だと思い
ます)でしょう。他国産業との市場競争に太刀打ちできる産業
など少ないでしょうし、事業提携という形で外国資本に国内資
源の利権や企業の経営権を分け与えたり、経済を外資にコント
ロールされたりしているはずです。
上記に述べられた混乱は社会主義システムから抜け出すためのコストです。もう少し巧妙な方法はあり得たでしょうが(例えば中国などはもっとうまく行っている)、当時のロシアの状況を考えるとやむを得なかった面があります。仮に今の混乱と災難を経験しないために社会主義国であり続けたらどうなっていたでしょうか。当時ですら国がもたないところにまで追いこまれていたわけですから、結果は言うまでもありません。経済システムとして社会主義・共産主義はうまく機能しないのです。このことは必ずしも社会主義的要素を自由主義経済に取り入れることを否定しないのは言うまでもありません。社会主義的政策や組織のあり方は別の観点と論理から我々の社会にもその存在が是認されるべきものです。
>ヨーロッパ社会・共産主義には伝統的に「平等」が理想・目
標とされています。私はそういう平等主義を計画経済とか統制
経済とかの社会主義の他の要素から排除できれば、社会・共産
主義も理想的なものになるのではないかと言っているのです。
経済システムとしての社会・共産主義がなぜ破綻したかを振り返ってみる必要があります。大きくひとことで言えば、経済を全般に渡って統制したり計画したりすることなど不可能だったからです。需給の調整は価格メカニズムに頼る以外にないことがはっきりと分かりました。ノルマという言葉はロシア語ですが、このノルマに従ってどれだけ膨大な無駄と非効率が再生産されていったことか。「平等」主義がイノベーションのためのインセンティブを阻害した面は勿論あるのですが、平等主義さえなければ良いシステムだったかというと、そうではありません。理性を至上とし、社会はコントロール可能であるとする啓蒙主義に端を発する共産主義システムは、経済運営のメイン・エンジンとしては完全に葬られたのです。