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(回答先: 『競争は罪である』(ジョンDロックフェラー ) 投稿者 書記長 日時 2002 年 9 月 01 日 15:51:11)
争点が明確になってきて喜ばしい限りです。
最大の相違点は、貴殿が(長くとれば戦前から連綿と続く)これまでの日本政府の経済政策をそれなりに評価し、今後もその方向を多少の修正を施しながら運用すればやっていけると信じておられる点、英米流の競争原理や市場主義を主軸に据え構造改革を推進することは誤っていると考え、資本主義社会以外にも範を求める余地があるのではないかとされるです。
正直に心情を吐露すれば、貴殿の理想とされる社会のあり方に魅力を感じないわけではありません。私流に言えば貴殿の市場至上主義に対する批判は「民衆を激動をから守るシステム」ということだと思います。これまでの日本のあり方を基底としながら、他時代の知恵を取り入れ、調和と安定を旨とした漸進主義が本当にうまく機能するならばこれは理想の姿です。私も別の視点からその理想を追求しようとしているとも言えます。
問題は、貴殿のお考えのような過去の政策の延長では決してうまくいかない点にあり、その理由は大きく三つ挙げられると思います。
ひとつは、過去の日本が西欧流の市場主義とは決別した上で高い成長を果たしたというのは幻想だということです。一見そのように見える日本社会の特殊性も垣間見えはしますが、冷静に戦後の日本経済史を眺めると、日本の成長を支えたのは世界で最も競争力の優れた産業が存在していたからだと分かります。ひいては、そのような高い競争力を現出させる社会的な条件が「たまたま」整っていたのだと言う事です。こういう条件が無くなると、日本は衰退への道を歩み始めます。競争原理や市場原理を度外視して日本が成功したのではなく、今や高い競争力を発揮できる社会的基盤が喪失され始めている以上、これを取り戻す動きを開始するのは当然と言えます。
二点目は、諸外国との関係を前提として日本の繁栄が確保されるという現実です。ひとり日本のことのみを考えて政治や行政の舵取りを行えば良いのであれば、貴殿の手法で貴殿の唱える理想に近づく方法もあるのかも知れません。しかし、現実は各国家間のメガ・コンペティションなのです。他国が様々な条件整備や社会変革を躊躇することなく進める中、日本のみが別の論理で国家運営に当った場合、落伍を免れません。国民のために良かれと思って推し進めたそうした社会実験も失敗してみれば無残なものです。旧社会主義圏に豊富に実例が見られます。
最後の点は、仮に政府紙幣の導入を実行せざるを得なくなった場合、その時点で一旦それまでの日本は滅亡したのだ、と考えねばならぬほどのインパクトがあるということです。この政策は、現行の管理通貨制度の否定であり放棄ですから、金融・財政面から見た日本はここで歴史の大きな断層を迎えるのです。混乱の規模からして、導入総額は何十兆円ではなく、何百兆円になります。時の政権も当然ながら吹っ飛びます。仕掛けるタイミングが遅くならなければ、それでも中南米のある国のような壊滅状態にはなりませんが、相当の混乱やインフレの昂進は必至です。ここまでの激動を経験させておいて、これまでの日本の政策延長もへったくれもあったものではありません。日本の過去の経済政策や財政運営が決定的に誤っていたという烙印を永遠に刻まれるのです。