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(回答先: 回答 投稿者 匿名希望 日時 2002 年 8 月 31 日 05:57:44)
>その上で貴殿は「資本の論理」をまかり通らせる結果あらわ
>になっている矛盾点を突き、このような社会はおかしい、と
>問題提起しておられると受けとめました。
まあそれもあるんですけれどね、むしろ私はここでは「構造
改革」なるものの目指している理想とそこに至るまでの方法の
妥当性とか正当性を問題にしているわけですよ。
今までの日本社会は1930年代後半以来、国家による国民
経済への強い介入というものを特徴のひとつとしてきているわ
けです。とくに戦後のある時期からは失業率を最低限に抑える
こととか景気の急激な低落を防ぐこととかは経済政策の基本姿
勢になっているのですよね。
そのこと自体はいくら財政の累積赤字を増やそうと、日本国
の社会全体の基本姿勢でもあったわけですからそれをもって失
政とは言えないと思うのですよ。国家財政は企業の財務や家計
とは全く性質も目的も異なるものです。日本社会の未来の力量
を信じて借金を増やしていくことも一時的にはやむをえなかっ
たと思います。
「政府紙幣の使用やインフレは容認せざるを得ない。」とお
っしゃられるのであれば、今後は日本経済の安定性を頼りに大
胆な財政再建と景気対策を打ち出すことができるのでしょうか
ら我々としては一安心です。
しかし、そうやって国家財政の特殊性を活かした経済政策を
せっかく行うというのに、まだ古い発想に縛られたけち臭い緊
縮財政、弱者切り捨て、国民への負担増、早急な不良債権処理
、特殊法人の縮小廃止・分割民営化という景気に悪影響を与え
るようなことをしてその政策効果を減少させ、かつ日本社会の
選択してきた道を否定するのはどういうことなのでしょうか。
また、そうした「構造改革」の目指すものが「自由市場競争
」を通じて実現されることになっている「経済効率」とか「不
断の刷新」とかいったものに重きをおいた社会であることは明
らかに思われるのです。そういった社会が理想的であるとする
のはアメリカニズムの影響を強く受けた資本主義原理主義者と
か経済力・生産力至上主義者だけであって、誰もが無条件に賛
成できる未来像ではないのです。
私は何も自由資本主義を否定して今とは別の経済体制に移行
するべきだと言っているわけではありません。今までの日本社
会が持っていた資本主義の野放しや行き過ぎを抑える伝統的工
夫をあまり深く考えずに敵視し撤廃することはそれ自体愚かで
あるし、何かのイデオロギーの色眼鏡をつけた結果である疑い
があるということを言っているのです。
さらに、あなたの持っている「未来の日本に関するプラン」
というものが、ありきたりの経済効率性とか不断の挑戦的刷新
による経済的・技術的先進性とかいうものに大きな価値を置く
ものであるのなら、それは必ずしも日本人の福利とか日本文明
の本来の可能性というものに結びつくものではないとも言いた
いのです。
私個人としては旧ソ連の試みや中・近世の小規模な家内製工
業も十分に研究して、人間が「科学技術」や「経済」や「資本
・利潤追求」に振り回され支配されるような世の中から世界を
抜け出させる試みのほうが、はるかに未来的で人間の福利や文
明の発展に結びつくものだと思います。