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(回答先: 理論といってもいろいろ考えられます。最終的には事実を見て結論を出すべきでしょう。 投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 1 月 11 日 13:00:52)
>ダイナモさん どうもです。
小泉行革は間違いだったと言われていますが、日本で郵政国営化の復活は、まだ、国民新党ですら提案していませんよね。
国民新党と民主党で提出した「株式凍結」も廃案になりました。
死刑制度の復活がされないという一面だけを見て、抑止力がないと決め付けるのは「本当に正しい意見」だと思われていますか?
死刑廃止国の中には「国民世論」に逆らって導入した国もあると聞いています。
そんな国には「死刑相当犯罪が増加しても死刑復活などには向かわない」でしょう。
基本的には、現在は世界的な視野で「思想の綱引き」の状況です。
自分の価値観(=死刑廃止が正しい)という価値観を、内政干渉にも関わらず、平気で日本に押しつけてくる状況があることがそれを如実に物語っています。
そんな状況下で、いったん死刑廃止をした国が、簡単に宗旨替えなど行えませんよね。
廃止国の自国民に対するマスコミの大本営発表データすらも「疑うべき」くらいの状況です。
その上で、Kの主張した理論は間違っていますか?
理論上では、どの程度の割合かは別にして、抑止効果はあるはずなのです。
少なくとも、死刑を嫌悪している人がいて、世界的に「特別な刑」とされていて、廃止論もあるくらいですから、「特別視」されているのですよ。
それなのに、死刑相当の犯罪を犯す時には、「全ての人が、死刑への嫌悪感・特別視を忘れる」のですか?
もちろん、異常心理状況になっているでしょうから、忘れる人もいるでしょう。
ゴルゴ13ではないですが、死ということを「特別視しない」という人もいるでしょう。
しかし、「死刑への嫌悪感・特別視を忘れない人が、少しでもいるのなら、実際の行動への抑止比率はどうであっても、抑止力は働いた。」ということになります。
ただし、ブレーキを踏んでも間に合わない事故があるように、必ず、悲劇が回避できるとも言い切れません。
で、ブレーキが結果論として効かなかったとしても、ブレーキは不要という意見は不当ですよね?
良く考えてください。