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(回答先: 死刑が嫌だから人を殺さない。そうでしょうか? 投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 1 月 11 日 22:00:29)
>ダイナモさん どうもです。
人間の行動には、いくつかの思考が混ざり合って、総合的な結果としての判断で「行動」に至るのです。
正義感が、犯罪を思いとどまらせるというのは、その中の一つの要素でしかありません。
それを拡大し、それだけが行動原理と主張されるなら、それは詭弁と言えるでしょう。
現実的として「良心の呵責」で殺人を思いとどまるのと、「死刑が怖い」ので思いとどまる比率は問題ではなく、死刑が怖いと思うのなら、行動の一つの要因として組み込まれるという「理論」が成立しているでしょう。
その上で、法による罰則が「ない」と決まっている戦争においては、人はたやすく敵兵を殺せるのも事実です。
これを、考えれば、法による罰則のブレーキはあると推理できるでしょう。
この場合には、命令に従わなければ「罰則」がされるから(=国家の強制)だと、主張されても意味はありません。
この事実は「他人の命」よりは「自分への罰則」の方が行動原理として「優位に立っている」という、大多数の人の行動原理の現れであることは明白だからです。
さらに言えば、現代人の多くの人は、法の網をかいくぐろうとします。
条文として罰則条項がなければ平然と行為の実行をする人もいます。
このことも、良心の呵責よりも、罰則の有無の方が抑止力として効果があることを意味しています。
「死刑が嫌だから人を殺さない」は、行動原理の全てではないかもしれません。
それは、個別の事例によっても、殺人犯の人間性によっても様々でしょうが、全ての事例で、その要素が全くないということは考えられません。
多分ですが、ある特定の日を設定し、その日に行った殺人事件については「罪を問うことはない」という事にしたら、日本全体では、ある程度の殺人事件が発生すると考えています。
多分ですが、日頃、人から恨まれるようなことをしていて、それを認識している人は、ボディガードでも雇って、家に籠もるでしょう。
そんなことには絶対に自信がないと言い切れますか?
言い切れなければ、刑罰は抑止力を持ち、人が恐れる刑罰の度合いによって抑止効果も高まるということだとの推理は妥当と言うことになるでしょう。