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(回答先: 自分の主張に有利な面だけしか見ようとしないのは誤った考え方でしょう。 投稿者 考察者K 日時 2009 年 1 月 12 日 17:13:46)
世の中に殺したいほど憎い相手がいる人はどれくらいでしょうかとのお訊ねですが、年間の殺人件数約2000件よりはるかに多くの人と言っておきましょう。正確な数は不明ですがこういう言い方がふさわしいでしょう。 今は死刑の犯罪抑止力の議論をしているのです。そこに無期懲役の話が出てくるのは論点がずれています。 これまで議論してきて今現在も議論しているのは死刑に犯罪抑止力があるかどうかの議論であり、刑罰に抑止力があるかどうかではありません。 万引きと殺人の違いが分かりませんか? 万引きに対する心理的ブレーキは殺人に比べたらはるかに小さいと言っているのです。事実、万引きの発生件数は殺人件数よりはるかに多いのはご存知の通りです。 万引きしたら死刑という制度ができれば万引きは激減します。その意味で死刑には犯罪抑止効果があります。しかしそれをそのまま殺人に当てはめることはできません。先に述べた通り、人を殺すことには元来強い心理的ブレーキが働くからです。そうした強い心理的ブレーキが働く行為には死刑制度の有無が及ぼす影響力は万引きの場合と比べてはるかに小さいと考えます。私がこう言うと、小さいといっても1人でも犯行を思いとどまれば死刑には犯罪抑止効果がある、と反論されるかもしれません。しかし私は厳密な数値の判定をしているつもりはありません。死刑という究極の刑罰を存続させるためには犯罪統計上明らかな抑止効果が認められなければ制度の重大性から言って廃止すべきでしょう。 国民の多くが1人を殺しただけでは死刑にならないことを知っていると思います。その意味で死刑制度に1人の殺人に対する抑止効果はゼロだといっているのです。無期懲役になりたくないからやらないという無期懲役刑の犯罪抑止効果の議論をしているのではありません。 既に死刑を廃止した国について、データを厳密に精査する必要がある、とのご意見ですが、厳密なデータは入手できていません。だからといって無意味だということにはなりません。その点については前に私が書いたことなので繰り返しません。実際上実施することができない条件を要求して何の意味があるのでしょうか。Kさんが後半で書かれていることは極端論です。議論を極端な方向に持って行き、相手に完璧を求め、できないなら相手が間違っているという論法です。 そのような議論には関わりたくありません。 |