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(回答先: そうですか。それでは議論は終わりにします。 投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 1 月 12 日 19:59:14)
ダイナモさんの意見の中で唯一、客観的に有効なものは、「死刑廃止導入国が死刑制度ありに戻らない」というものだけで、後は、自分の主観の強弁に過ぎません。
Kの意見は、主観とその裏付けとなる出来事や、推理の理論考証をできるだけ示してあります。
唯一の客観性を持つ「判断材料」は、数値データではなく、死刑が復活していないということの「恣意的解釈でしかなく」
判断材料としては不適切です。
実際問題として、この事は、日本政府が国民が間違った道だと騒ぎ始めた郵政民営化を簡単には逆流させないでしょうという事例を示して、解説済みです。
そもそも、数値データが公開されていないのは「どうしてなのか?」という事は考えないのでしょうか?
自分に都合の悪い考えは、全て切り捨て、恣意的解釈をするのでは、どうにもなりません。
実際には、国がその気になれば、死刑相当の犯罪係数などのデータなどいくらでも操作できるでしょう。
ともかく、死刑の実績より、死刑代替え刑の数を減らせば良いだけでしょう。
捜査段階で射殺しても、裁判段階で「死刑代替え刑」にせず、違う刑にすれば良いだけです。
国民世論の反対を押し切って死刑廃止をした国なら、国民に失政と批判されないために、その程度のことはするかもしれません。
少なくとも、国民の世論を押し切って導入した国や、他の国に導入を求めた国では、多少の悪いデータが出ても、簡単に死刑を復活などできないと思うのが妥当でしょう。
本格的にデータとして意味を持つのは、死刑廃止に踏み切った国の政権交代が行われでもしない限りは「短期的には判断材料にはならない」でしょう。
一度政権という権力が決断したことを、そう簡単には逆戻りなどしないと思うのが妥当なのに、逆戻りしないから、数値データも精査せずに、死刑に抑止力がないと思うのが妥当と主張して、相手が納得しなければ、捨て台詞では、どうなのですかね?
自分自身が恥ずかしいのではないでしょうかね?