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(回答先: そのような議論には関わりたくありません。 投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 1 月 12 日 18:42:10)
>ダイナモさん どうもです。
単に視野狭窄の舞台を設定して、自分に不利な材料を覆い隠そうとしるのは、正当なことではありません。
死刑制度を語る上には、他の刑罰との比較、刑罰そのものの犯罪抑止力を総合的に考えなければならなくなるのです。
積み上がった積み木の上にある「死刑」は、下積みになっている積み木を無視しても良いとは言えません。下積みされた積み木が無ければ、その物体が単独で「空中に浮かんでいることはできない」からです。
もちろん、これは比喩的表現ですが、この程度の理屈すら分かりませんか?
まあ、全ての背景を切り捨てて、死刑に抑止力があるか?ないか?ということなら、最初から言っていますが、「死刑になりたくない」という気持ちが人にあるのなら、抑止力はあるのです。
よっぽどの変人さん以外は、死刑という制度があることを知り、「死刑にはなりたくない」と考え、死刑になるようなリスクへの道は回避しようと考えると思うのが、妥当な推理です。
1人の殺人では死刑にならず、そのことは多くの国民が知っていることという主張から、紛れを求めているようですが、1人の殺人は、そこできれいさっぱり後腐れなく終われるとは限らないでしょう。
仮に、「殺したい奴を殺せればそれで良い」という人がいて、1人の殺人では死刑にならないと殺してしまったとして、「そこで、潔く自首する人が100%」ならば、あるいはダイナモさんの主張は正しいといえるかもしれません。
しかし、たいていの人は、その後も自首しようとはせず、今までと同様に暮らそうとするのです。
誰も、好きこのんで、死刑へ近づこうとは思わない。
仮に、その人が、2人殺せば死刑だろうと考えていれば、死刑への2段階段の1段目に好きこのんでは登ろうとはしないし、1人目を殺す時、目撃者でも現れれば、予定が狂って、一気に死刑ラインに達してしまう可能性もあるし、今日、殺すほど憎い奴がいるのに、これからの人生に「殺したい奴」が出てこないとは限らない。
誰も、麻雀で、好きこのんで、相手にリーチをしてもらいたいとは思わないでしょう。
同じことです。
もちろん、こんな風にハッキリと意識して考える人は、ほとんどいないでしょう。
倫理意識とか「宗教観」とか「知識」と様々な要因が混ざり合って、殺人という行為の抑止力になるわけでしょう。
しかし、その中で、かなりのウェイトを占めるのが「犯罪という行動に対する「刑罰のリスク」であり、死刑という刑罰が待っていると思えば、相当な抑止力になるのは当然でしょう。
それとも、ダイナモさんは「是非、死刑になってみたい」と思いますか?
誰だって、死刑にだけはなりたくないと思うのです。
一般の人は、大金を積み上げられても、死刑になる可能性のある仕事を請け負おうとは思わないでしょう。
これだけでも、死刑は「大金を得るという行動」すらも強い抑止力を持っていると論証できるのです。
死刑に絞るのなら、もう、遠の昔に詰んでいます。