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(回答先: 犯罪の動機の研究が進めば社会の問題に突き当たるでしょう。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2009 年 1 月 12 日 21:04:49)
お二人とは修復不可能となるかも知れませんがあえて書きましょう。
現象の外に立つと言う事がどんな事か。
ピンボールの、玉が一個の人生、ピンが社会や他人、低得点が普通なのでその場合が普通人生、高得点が異例なのでその場合が犯罪とします。
その時、玉の入口(生)と出口(死)が変更出来ない条件としてあります。
高得点(犯罪)にならないようにピンボールの玉がどのように変化するかを極めた所で、ピンがある以上不規則に変化し、その過程の個々の軌道は事後にしか判らず、事前には類似パターン予測すら出せません。
ピンボールの入口と出口は判っています。
そこの間を高得点にならないよう理想的なピンの配置(ピン間の距離を離す)を考え、その実施のために動く事が先(自己ピンを抜いても困らぬ自給自足の準備)。
それは盤面から離れた上空から俯瞰すると判りますが、実施者がそのピン自身として立脚するしかない内は自分というピンだけは抜けないのです。従って隣のピンにも模範を示せません。
そうして結局全てのピンは残り、更に過密に増えて行き、得点(犯罪)率はアップして行く。
> それはマズイのであくまで犯罪者個人の問題として処理しようとしていると思います。
曰く、「どんなに逆境であっても我慢して真面目に一生を終える人間もいる。だから、人間は心の持ちようであり、犯罪を犯す人間は心に問題があるのでしょう。」
しかし、問題はそのような心がいかにして形成されたのかです。
その通りであります。おっと思いましたが...
>死刑囚と対話をする事で何かが分かるのではないかと私は思っております。
横道に逸れてしまいました。
>国家権力にとってこれほど嫌な事は無いでしょう。
勧善懲悪の思想を揺さぶる事になるのだから。
そうですが、上の横道に逸れてしまえば彼らは安心するのです。
真の社会病理の変革にはならないからです。
死刑制度に限らずトータルな社会病理の最終的な根源への焦点を絞り、そのための照準を定める事です。
人の一生は短く、力も限られているのです。
そんな中で途中で途切れている階段を上っても必ず戻るしかありません。
そんな往復運動をしているだけでも給料を戴ける研究者がいるのも内在する病理です。
そして時間切れ。そして歴史は繰り返す。
ゴールまで続く階段を現象の外からまずは俯瞰することです。
犯罪に当て嵌めるなら、その臨床心理学は途中で途切れた階段です。