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(回答先: ロマンティックジャパン(1):日本列島文明(?)の背景から 投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 4 月 21 日 22:04:06)
すみちゃん、こんにちは。
このスレの基調となる大事な総論なので、私も「選択と集中」でいきます。
(各論にはいつでも好きなとき、好きな場所で戻っていいことにしましょう。)
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今後、普通の書店にある本に書いてありそうなことは無視し、
徹底して主観にこだわります。
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御意。そのためにこの場は存在します。
それにしても、すみちゃんは博覧強記ですなぁ。平田篤胤とは面白い。
あの変な瓢箪みたいな図の趣旨がやっとよくわかりました(笑)。
この御仁、キーとなる人物ですね。大本もこの辺を水源にしている節があるし、
オカルトネタや神代文字ネタも好きだったし・・・
さて、核心です。
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普通の現代人はこれを馬鹿にすると思うんだけど、
私は
「こうあってほしい日本」
だったと考えれば良いのではないかと思うのです。
それに、この時代の人の徳性は今よりも本当に高かったのではないかと思わずに
いられません。
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「やまとことば」による完成された高度文明が、
漢字導入前にあったということに違いない。
その高度文明のレベルは、漢字導入以降徐々に低下していく。
まさに「文明は退化する」という決定的な証拠が万葉集(じゃないのかな)。
そのような高度文明から見て、やまとことばを「採譜」する文字はあったと考えるのが
自然だと思います。
(中略)
上の「高度文明」は、たぶん現代でも我々の周りに、
「ありふれた古くさいもの」
「しかしなぜか捨てられないもの」
「理由はよくわからないが、みんなやっていること」
の中に残滓として残っているに違いない。
そのような伝承があるのか?
「古事記」はかなり苦しいという印象があります。
言葉がやまとことばとなんか違うし。
私たちの現代の伝承とあまり関係ないみたい。
これこそ焚書の産物じゃないのか?
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おおむね同意します。
これから「与えるくに」で心地よく過ごすには、夜郎自大に見える矜持も必要です。
問題は、仰るように「文明は退化する」のだとしたら、なにゆえ、
「この時代の人の徳性は今よりも本当に高かった」かです。
「徳性」数値が、
起源(10)→上代(9)→古代(7)→・・・→江戸(4)
→明治(2)→・・・平成(0)
というように右肩下がりになりますかね?
あるいは、生き延びた地下水脈(ディアスポーラ的精神)だけが
奇跡的に高止まりを維持した?
どうも納得できません。すみちゃんの
「そのような伝承があるのか?「古事記」はかなり苦しいという印象があります。」
への回答は、日本語に託して既に書いているつもりです。
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「日本語ってのは不思議な言葉で、漢字のオブラート(意味)をまとうことで
外来(概念輸入・消化)へ対応しつつ、
その裏に古代そのまま(和語)を保存してたりする。
俗に言う音読み訓読みですね。
さらにその上、カタカナとアルファベットがあるんで、遊べるし、こなせるしで
何でもござれです。言語自体が「ディアスポーラ」っぽい。
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私が言いたかったのは、神話的感性(やまとことば)は漢字(記紀神話)の
オブラートにくるまれて、その核心は保存されている、ということです。
(私が新しい貨幣の「幻視」を得たのも古事記からです。)
この手のわかりにくい手法は、太古から連綿と引き継がれている
民族の叡智ではないかな。
漢字は外圧への見事な対応に見える。概念を輸入していると見せて、
内へ取り込み、別物に消化してしまうためのトリックでは?
島嶼列島ならではのサバイバル。
岸田秀的に言い直すと、日本は「したたかな手弱女」に見えます。
ただで強姦されたわけじゃありません。
進んでカラダを開いて相手を油断させ、隙を見て反撃に出ます。
反撃の材料(エキス)は、ちゃんとオブラートの中にしまわれている。
このような知恵の結晶がこの国土に本来漂っている和わす空気であり、
ものづくりの力であり、庶民の素の表情ですよ。
とくに、ものづくりは基幹。
テクノロジーとはイデオロギーを和わす手段であり、
製品には精神が結晶されている。
見事な伝承形式といえます。
おそらく「高度文明」は3つの方式で伝承されてきたのでしょう。
1.「古事記」「日本書紀」「万葉集」その他の表の古典(韜晦・偽装技法)
2.焚書はあったかもしれないが、散逸した文献や人の伝承を通じて
古史古伝や秘伝、密教的伝授(日本的カバラ)、修験道、神社の謂書
(本来の「延喜式」?)など(隠遁拡散技法)
3.ひとそのもの
この意味で、全編やまとことばで貫かれている「ホツマツタヱ」は
今後とくに重視すべき資料でしょうね。
補足:
如往さんやマルハナバチさんとの「共同幻想論」スレを読みましたが、
すみちゃんの見解にいちばん共感できました。
でも、古事記の検討を打ち切るには早すぎる(笑)。
津田左右吉史観って苦手ですね。
私にとって吉本は敬して遠ざけたい「津田病患者」のひとりです。
「観念の専制遺構」というような言葉づかいそのものに、
ここでやろうとしていることにそぐわない「からごころ(?)」を感じます(笑)。
思わせぶりだけど、その割りに実が少ない。
吉本が観念の上塗りで日本に「掘っ立て小屋」を建てようとする姿は、
圧倒的な外圧への窮余の対策として「擬似一神教」を打ちたてた
明治の元勲たちを彷彿とさせます。
「解体」後の後遺症を考えた上での「不届き行為」なんでしょうか(笑)?
物事の一面を強調するあまり、すべてを為政者側の制作・改竄とみなすような
津田の反体制イデオロギーは、人々の弱みに取り入って思考を呪縛し、
必要以上の悲観を蔓延させます。現代社会でも、この阿修羅でも。
征服や改竄の事実がかりにあったにしろ、いま我々が好きにしゃべれ、
うまいものをくえ、多くのよき人々に恵まれている事実を踏まえましょう。
それに感謝しながら、オブラートの中にしまわれている清々何ものかを
見つけだし、それを使わせていただく試みのほうが、私の趣味に合います。
追伸:ノイズとメロディのお話
先ほど、雑談のぷち熟女さんの下へ私信を入れました。
古事記のようにオブラートにくるんで。
しらがあたま山がそうくるなら、こっちも伝統継承だ(笑)。
その内容と、昼休みに私が記録しておいた情報を踏まえてサイトウォッチ
すれば、雨後の竹の子たちの発生源が見切れるはず。
すみちゃん先刻ご承知のごとく、ただ無視すればよい。
純粋ゆえに相手にすると逆効果になる。
相手はそれを利用する愚弄さと狡猾さだけで生きているみたい。
よほど不安なんでしょう。
議論内容とはかかわりなく中心を討つ。単純な戦術です。
(現に私を挑発して来ない。)
ここ一週間の動きではっきり分かりました。
ターゲットの"彼"はどうしていいか迷っているはずです。
とにかく"彼"を救い上げましょう。
対抗して遊ぶか否かも含めて相談できるといいんですが。