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(回答先: やっぱり生きた男の方があたくしは好き。 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 4 月 27 日 19:41:18)
「テロルの現象学」に絡めて、あっしらの論述の根本的問題点の簡単な考察を。
あっしらの陰謀論等の論述も基本的には「観念の自己運動」であり、他者が入り込む余地がありません。色々な仮定(世界権力)を置いて、これをロジックを立てて演繹していく、というやり方です。
様々な仮定というか、前提がアプリオリ過ぎる、という批判は以前からしていますが、あっしらは「インサイダー情報に基づかないジェネラルインフォメーションをベースに推論していくのが、オレのやり方だ」と反論していました。まあ、ジャーナリストでない立場の人間としては、そう言うしかないでしょうが。
まあ、推論の仕方も、コンピュータゲームのストーリー書きのように、「軽過ぎる」という批判もしましたが、この投稿は削除されたのだったかな。例えば、最近、あっしらが論じているテーマに即して言えば、サドル師が「シーア派ラディカリスト」なのか、「米国やイスラエルのエージェントなのか」という話は本当は「天と地」ほどの違いがあるのに、推論の都合で「二者択一」みたいに軽く扱う。ゼロサムゲームです。これでは、現実の分析にはならず、架空戦記小説みたいな「シュミレーションの面白さ」を楽しむレベルになってしまいます。いくら、あっしらでも、国際問題を「シュミレーションの楽しさ」を楽しむ素材に使っているとは思いませんが、こういう点に無自覚なようです。まあ、自称、「ソフトハウスかソリューション会社の社長」ですので、どこかで、コンピュータゲーム作りにかかわったことがあるのかも知れませんが。
「観念の自己運動」のリアクションとして、多くの別HNを使って、「ひとりよがりではないよ」ということを証明したい衝動に駆られるのでしょう。しかし、「自作自演」なら、いくら多くのHNを使っても「他者性」は生じません。
「観念の自己運動」については、別途、詳述しますが、要するにヘーゲル主義です。ヘーゲルは観念の自己運動だけで、世界の歴史を全て述べましたが、もちろんアジアや第三世界は、ほとんど無視されています。
竹中さんがシンパシーを感じていた革マル派の教組、黒田寛一は、ヘーゲルによってマルクスを読み替えた梯明秀の強い影響で「ヘーゲルとマルクス」という著述をものしました。物質の自己運動で宇宙の始まりから、社会主義世界革命の必然性までを説明してみせた、という誇大妄想的著作です。
こういうヘーゲル主義著作の著者は(ヘーゲル自身はそうではありませんでしたが)、他者憎悪がつのるようで、他党派批判を重ねるうちに、悪口雑言がエスカレートして、いわゆる「内ゲバ」をもたらしました。
前にも書いたように思いますが、あっしらには、何となくこの黒田氏との類似性を感じます。他者憎悪、自己絶対化、エキセントリシティなどです。まあ、一時の「投稿禁止」の連発には、権力掌握初期のスターリンのようなイメージもありましたが。