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(回答先: ロマンティックジャパン(2):日本列島に流れるartアールとテクネー 投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 4 月 22 日 21:13:48)
すみちゃん、こんばんは。
(スレがちらかっててビックリしたでしょ?)
すみちゃんの「技術」(「アール」と「テクネー」)を請けて、
日本的文脈の中で私なりに展開してみます。
これは同時に、「ことば」と「おかね」のうち、
「ことば」論議への導入に使えればいいな、と考えます。
☆「技術」の中の「こと」と「もの」
私の言った「テクノロジー」と、すみちゃんの「(広義の)技術」は
ほぼ等号で結べます。
現代の日本についての世界共通のイメージは「ハイテクの国」ですが、
ここにはある種の揶揄と嫉妬がこめられています。
西洋世界では、テクノロジーとは、イデオロギー(法や哲学)や
その発展形たるサイエンスのワンランク下に位置する、
知の応用形態と見なされます。
これらを「国家」のアナロジーで表現すれば、
哲学や物理学は「ステート」で最上位に格付けられ、
テクノロジーはもっと卑近な「ネーション」または「カントリー」の
レベルに格付けられます。
私が前回「テクノロジーはイデオロギーを和わす手段」と言った
背景には、このように抽象(観念)体系を最上と見なす一神教的な
思考様式への違和感がこめられています。
なぜ現代日本がテクノロジーに活路を見出したか?
私見では、日本が本来「言挙げせぬ」(本居宣長)くにだからです。
明治以降、列強への対抗政策として擬似一神教化を施しながらも、
日本人の底流には、魂や心の領域をイデオロギー化(言挙げ)することへの
相当な違和感が潜在しており、敗戦をきっかけとして弾けたように見えます。
エコノミックアニマルと蔑まれつつ、ハイテク製品で経済大国化した日本。
ようやく自分たちの魂や心を「もの」として発現させる活路を見出した
よろこびがなければ、ここまで猛然と成長できるはずがありません。
私たちは、最終製品に気遣いや付加価値をこめると同時に、
ものづくりの工程や気構えそのものに喜びを見出す民族なのです。
(なんとか「道」とか、なんとか「精神」はみなこの表れ。)
西洋ならイデオロギーやサイエンスとして発現する精神の資質は、
日本へ来るとテクノロジーのうちに埋め込まれる。
私がこれまで「あたま」と「からだ」の比喩で語っているのも、
実は、このような精神の在り方を含意しています。
さらに付け加えると、言挙げの言は「こと」であり、
「こと」とは抽象を意味します。抽象はハイテクを通じて
「もの」(具象)の中へ封じ込められます。
それはちょうど、勾玉の「たま」、魂の「たま」の状態ではないか
と思います。球体のなかに精神が織り込まれているのです。
通貨にまで「円」という字を用いる日本人の「まるみ」は、
どうもこの辺の精神のありように由来している気がしませんか?
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以下、補足の意味で直レスします。
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いわゆる近代的科学技術や経済体系を「テクネー」と考え、
もっと身体的、個体的な生活に密着した「技術」を「アール」というように二面から
見ていくと、わりとうまく整理できないかと思うのです。
物質を操作し、規定する技術を「テクネー」と考え、
ハートを高め、規定する技術を「アール」と考える。
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見事な概念整理ですが、私の希望はできれば「技術」を球体的に捉えたい
という気がします。
「アール」という「こと」は「テクネー」という「もの」に包まれている、
というイメージです。
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我々を本質的に規定する「技術」媒体は、
いろいろありますが
「ことば」「おかね」でしょうか?
最も本質的なものは「ことば」だと思う。
「ことば」から、人間関係、社会習俗が生まれる。
次に「おかね」
そして、ここでは、「ことば」と「おかね」とについて、
同一水準でお話しすることにしましょう。
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異存ありません。
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もう「ことば」について前振りは終わりましたね。
(前振りでは、まっくすさんの考えと異なる視点を強調するように書きました。
これで読者には、ものごとの両面が見え易いと思う。
今後もときどきやるつもりです。)
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OKです。
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表題も、否定的側面が主流のときは「ディアスポーラ」
肯定的側面が主流のときは「ロマンティック」とすれば良いのではないかと思います。
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そうなのかぁ。「ディアスポーラ」は否定的側面なんですね。
私はあんまりこだわりません。ここら辺はお任せします。
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大陸の高度な物質文明(「テクネー」と見る)を移植するためには、
漢字の全面的導入が必要だという判断でしょう。
これに対して、万葉集において噴出した「やまとことば」の「アール」は、
やはり別種の高度文明の存在を想定せざるを得ない。
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同意します。
独自の「高度文明の存在」証明を見つけ出したいっすね。
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「時代を追って低下した」という判断は、
指標として「やまとことば」を駆使するアールが時代を追って下がったのではないか
という疑念を表したものです。
ここでいう「徳性」は相対的なものではなく、
あくまでアールとして認識できる客観的なものと思いたい。
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「アールとして認識できる客観的なもの」、重要ですね。
独りよがりはまずい。
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たぶん、今でも我々の生き方とか基本的人間関係とかは、やまとことばで
規定されています。
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異議ありません。万葉集の和歌、地名、神名なんかを手がかりに、
この辺を探検すると悪くないと思います。
(いま、ちょっとネタを考えています。)
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その奥義が最も分かりやすいのは「ホツマツタヱ」なのでしょう。
私はこれを昭和63年の発売時に買って読み、とても驚きました。
次は万葉集?
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ええ、「ホツマツタヱ」は大いに使いましょう。
インターネット上に翻訳が存在するので利用できます。
参考サイト:
http://www.hotsuma.gr.jp/index.html
http://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/index.html
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津田氏は、古事記の編年や天皇の名前等を文献批判から、
「8代が架空」という結論を導き出しただけでの人はなかったでしょうか?
それは文献史学上は正しいのでしょう。
これは弾圧する方が悪い、と思うよ。
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ちょっと批判の文脈が違います。
私が「津田左右吉史観」で言いたかったのは、文献学が実証科学の衣を
まとうことで、古代史への視点や思考をそうとう金縛りにしてきた
(いまでもしている)アカデミックな閉鎖性、その精神的弊害のことです。
それこそ「ホツマツタヱ」も際物扱いで終わってしまう。
健全じゃありません。
(でも、もういいや。すみちゃんはそういう人じゃないんで、これおしまい。)