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(回答先: 願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃:吉野山へ 投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 4 月 30 日 13:33:48)
すみちゃん、レス、ありがとうございます。
若夏がやって来ました。
家では、庭の桜の葉陰にサクランボが色づき、小鳥のレストランになっています。
都心に程近い住宅地の小道を歩けば、垣根に這わせたジャスミンの香りに包まれる、昼下がりです。
すみちゃんの西行の歌を受けて、同じく西行の若夏の歌(下線以下)を送ります。
> 坂を歩いて竹林院の群芳園のお庭を回る。
> (池泉回遊式の庭園。
> 池、石組、刈込、しだれ桜がすばらしい)
池泉回遊式は、日本庭園の一つの頂点と思います。
> 寺の裏に回ると、蛙の石の置物があり、
> その根元から、しょんべん、じゃなかった清水が湧きだしている。
「蛙の面に・・・」に掛けていますか?
私は、蛙とかヤモリ、好きなんです。("茹で蛙"はX、可哀想でしょ!)
> お庭好きのエイドリアンさんに捧げまーす。
自分では気づかなかったのですが、言われて見れば「庭好き」かも。
軍産複合体系のお仕事でペン・ステートに行った時も、休日には同僚達と、地元学生お勧めの植物園や山奥にドライブしました。
その山の深い渓谷は、つい最近のABCニュースによれば、人からボンレス・ハムを作った際に残った、人の部品が投げ捨てられていた場所らしいのです。
私は、山奥の土産物屋で、日本の港に何度も寄港したことがあるという元船員から、スターリング・シルバーのシーガル(に見える)のペンダントを買い求めましたが、ペンダントには "Peace Dove" と彫ってありました。
私は、ハムにならずに帰郷し、一時の平穏な日々を、ネットで遊んでいます。
*陸奥ふたたび
さて、西行は、2度目の陸奥を目指す。かつて若き日、陸奥に旅立った時より40年の歳月が経ていた。旅の目的は、相知りたる平泉の藤原秀衡の館へ赴き、東大寺大仏殿復興資金を勧進せんがためだった。西行はまず、鎌倉に向けて旅立ち、源平の戦いの勝者である源頼朝に逢っている。平泉に無事到着し、目的を果たした西行であったが、平泉でも、戦乱の余波が渦巻いていた。藤原三氏の滅亡を、西行はどこまで予測し得たのだろうか。目的を果たした西行は、文治3年(1187年)のいつごろか都に戻っていて、嵯峨の庵に暮らす身となっていた。西行は70歳となっていて、明るい境涯を写すが如く、たはぶれ歌を残している。”うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の声におどろく夏の昼臥し”老西行はあくまでもうらうらと明るい。