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(回答先: Re: 笠井潔の「テロルの現象学」についての簡単なサマリー 投稿者 ビルダーバーグ3世 日時 2004 年 4 月 26 日 13:07:18)
ビルダーバーグ3世さん。 こんにちは。
いまちょっと時間が開いたので書きます。
許可を頂き、ありがとうございます。
本格的なレスは今週後半になりますので、悪しからず(凄く忙しいので)。
今回は前置きということで。
(この「破滅に至る自己運動」を防ぐ決め手として、
笠井氏は神秘体験(エゾテリスム等)による「集合観念」で乗り越えよう、としていますが、
本人も言うように、この試みはうまくいっていません。)
笠井氏の著書において、集合観念の部分は説得力が皆無です。
笠井氏はこれ以降、エゾテリズムに「革命の契機」を求めて遍歴を続けました。
しかし、最終的に「哲学者の密室」のハイデッガー批判において、
この方向は自己批判で終わっているみたいですね。
(現代社会の最大の問題点は、キリスト教原理主義にせよ、イスラム原理主義にせよ、ヘーゲルの「観念の自己運動」を超えていない点だと思いますが、
この最大の問題は「他者の喪失」だと思われます。
自己観念の弁証法的アウフヘーベンには、他者(自己を相対化する他者)が入り込む余地がないのです。
西欧文明は総じて、他者に対して「閉じられた体系」です。)
うーん。 ここなんですよね。
「東洋文明」は違うのでしょうか?
このあたりは私は知識が乏しいので分かりません。
「他者」に対して己を開示する。
とは、どういうことなのか?
それで「やまとことば」を考えてみようということなのです。
「やまとことば」は自分をまったく異質の言語に向かって「開いて」いますよね。
ここを知りたいという興味ですね。
決して「エゾテリズム」や「神秘」への興味からではないです。
(私の場合に限ります。他の方の動機は分かりません)。
話が笠井氏から逸れましたが、昼休みのスレの意図はそういうことです。
それでは後ほどよろしくお願いします。