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(回答先: 私も「豊穣の海」を読んだのですが 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 11 月 24 日 14:54:37)
すみちゃんさん、今晩は。
私は三島由紀夫の崇拝者でもなく研究者でもないことをお断わりして、作家論については他の方にお任せしたいと思います。
サムライさん宛に横レスしたのは、憂国忌も近くなりおそらく三島の「檄」に触発されての投稿ではないかと感じ、当時が懐かしく思い出されてのことでした。
「檄」は三島が書いた悪文の最たるものと酷評されました。覚束ない古い記憶で心許ないのですが、珍しく授業に出席しての帰宅途中、たしか地下鉄丸の内線の車内で市ヶ谷の事件を知り、急ぎ下車し店頭のテレビのニュース報道に見入りました。バルコニー上に向けて発せられる自衛隊員の罵声に掻き消された三島の演説は、何を語りかけているのか全く理解できませんでした。
「檄」は後に手にすることになるのですが、三島にしてはレトリックの冴えの欠片も無い、しかも誰宛の文なのかも全く不明というのが第一印象でした。或る人は死に臨んで一切の虚飾を取り払うのは一種覚悟の顕われだと評しましたが、宛先不明の文は絶望感の独り善がりな表出の何物でもないと私には映りました。
>恐るべき日本語使いではあります。小林秀雄氏が対談で「才能の魔」と読んだとおりてす。しかし作品にあまり中身(内発的なもの)が感じられなかったのですが。
それほど文学的素養のない人でも、三島作品に傑出したレトリックの才を感受するのにさほど時間を要さないと想われます。しかしまた、誰に向けて書かれたものか疑念を懐くのもそれから間もなくして起こり得ることのように思量されます。
私のように凡庸な存在は自己の当為に関して先ず拠り処を求めようとするのですが、三島のような駿才は自身の溢れる才知の奔流が往きつく先を唯ひたすら追い求め続けたのではないでしょうか。しかもそれが未だ当人でさえ不見当で真空なるものの場合には、他者が内発の中心部(信仰)を穿つのは至難の業と言えるかも知れません。
三島は何かの対談の中で「結末を想い描くことができれば、創作は難しいことではなく、あとはそこまで一気に突っ走るだけだ。」と、そんなふうに語っていました。「豊穣の海」の第三部、第四部の文脈は自身の身体で繋ぐ他には道がなかった、否、疾駆していくときすでに身体性さえも空虚であったと、今私はそのように受け留めています。
すみちゃんさんへの少なからぬ共感と僅かばかりの補足を試みたものです。
また、お会いしましょう。