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(回答先: 幕後の沈黙 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 12 月 01 日 19:22:56)
愚民党さん、如往さん、失礼いたします。
いったん書いて投稿をやめた文があるのですが、これの部分を切り取ってここに置かせていただきます。
今後のお話のひとつの手掛かりになるかもしれないという“実用的”な判断で、身も蓋も無いのですが…よろしくお願いいたします。
……………………
Matrixは、如往さんとの間で、その内容のすりあわせをしてみていませんが、大本はJ・C・ピアスの書いたものに基づいていると
想っております。
『マジカル・チャイルド育児法―誰も知らなかった脳発達のプログラム』この中にあったかな。
『知性の進化―脳と心の潜在能力―』これもごちゃごちゃしているがそこら辺が面白かった。(もろニューエイジですね)
私の側での理解を書いてみます。(自分の新たに創った部分もあると想います)
人間が人間らしいあり方に育ってゆく過程で、進化を経た生物としての即物的な基盤に基づいて形成されている、生命と意識の
生成の規範と言うべきもので、成長の母型的手掛かりとでも言えばいいかなと思っています。あらゆる人間が生物として備え持ち、
生物性に基づいて他の近い生物にも段階性は違えども共有されている母型的手掛かりです。(あるいは母型的生成規範の智慧と
でも言えばいいのか)
人格性は無く、生命/意識の成長の手掛かりの格子(Matrix)であるが生物的プログラム性があり、生命性の原基のようなもの…。
人格性は無いにもかかわらず、その智慧の母体的性質により母神的印象を抜きがたく帯びるもの…。
こんなところでしょうか。
*
愚民党さんの“死者たちへの「呈上」”は、それ自体を言葉の“舞踏”的表現として受け止めさせて頂きました。
まさに、そうであると想います。呈上という「彼岸あるいは異界」への志向を含んだ舞台の小宇宙性を表現すると愚民党さんの表現
は仰るカオスを孕まざるを得ない。舞踏的表現として受容する事を前提とできれば、論理の足手まといな規律を無視して対話出来る
のではないかと想います。よろしくお願いいたします。