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(回答先: Re: 私も「豊穣の海」を読んだのですが 投稿者 如往 日時 2003 年 11 月 25 日 02:44:02)
如住さん。 こんにちわ。
そうですね。 私も特に作家論とかには興味ないわけですが。
要約すると、この人の作品をまじめに読んでいいのかっていう疑念を持ちました。
豊穣の海第四部の最後、門跡となった聡子が、訪ねてきた本多に対して、
「清顕という人は知らない」と言ってのけます。
この場面は、豊穣の海の作品世界が塵芥に帰する象徴という唯識論的解釈がされているみたいです。
しかしそれにしては変だ。 変すぎる。
聡子は清顕と船の中で至高の一夜を過ごしたのです。
覚えていないだって。
ふざけるんじゃない。
私は本を壁に向かって放り投げてしまいました。
それ以降、三島作品を読んでいません。
「豊穣の海」の冒頭に題名の由来が説明されています。
これは実は大気も水もからからの月の海なのだそうです。
なんだ。 最初から手品だったのか。
そう考えてみると、第一部の小説としては奇跡的な様式美が、
じつはネクロフィリアに見えてきたのです。
聡子の内面描写が存在しないことが象徴的です。
確かにこんな女いないよ。
第一部の様式美は形骸であり、感動した自分が馬鹿だったのです。
第二部の様式美も形骸だったのかもしれません。