(回答先: ドイツのハイパーインフレ 投稿者 あぼーん3世 日時 2002 年 3 月 06 日 15:39:52)
1929年10月24日(暗黒の木曜日)、ニューヨーク株式市場は、突然崩壊します。
それから、アメリカは、大恐慌へと転落していきます。
このサイトでは、何度も取り上げた事件ですが、今回は、失業問題に焦点を当てたいと思います。株が大暴落した当時の失業者の数は、155万人で労働者人口の3.2%に過ぎませんでした。
デトロイトのフォードの工場では、自動車が急に売れなくなり、
12万8000人いた従業員を12月末に10万人までリストラします。
しかし、これはほんの序の口でした。1930年には、同工場の従業員は、3万7000人に激減します。
1930年、アメリカの失業者数は434万人、失業率は8.7%に跳ね上がります。
この年の秋、経営不振のりんご出荷協会は、失業者にりんごを売らせる計画を実行に移します。
失業者が、同協会からりんごを1個2.5セントで購入して、
「職を求む」との看板を掲げて、路上で5セントで販売したのです。
最初は、多くの人が珍しさと同情から購入して、良い収入になったそうです。
12月には、ニューヨークだけで、6000人の失業者のりんご売りが誕生します。
フーバー大統領は、「不況は、もう終った」と主張し続けます。
しかし、誰の目にもそれは間違いであることが、鮮明になります。
1932年、失業者数は、なんと1200万人を突破、
失業率は史上空前の24%に達します。
実に、4人に1人は、職がないのです。
仕事を失うことを恐れる人々は、現金を使わなくなります。
失業者のりんごを買う人が、街から消えてしまいます。
1932年、生活に困った退役軍人が軍人賞与の支給を求める運動を起こしますが、議会で否決されます。彼らは、キャンプに立てこもり、運動を続けます。
フーバー大統領は、退役軍人のキャンプを容赦なく、焼き払います。
アメリカ国民の恨みは、一層つのります。
◆◆各都市に、ホームレスの集落が出現します。◆◆
◆◆アメリカ人は、皮肉を込めて、この集落をフーバービルと名づけます。◆◆
◆◆ 大統領選挙は、もう直ぐです。◆◆
1932年の大統領選では、人々は「フーバーをつるせ!」と叫びます。
民主党のルーズベルトが、472対59の圧倒的大差で新大統領に当選します。
1933年3月、ルーズベルトは有名なニューディール政策を開始します。
ルーズベルトは、国民の消費意欲が刺激されないと現状を打破できないと考えます。
最初に、連邦緊急救済局(FERA)がつくられて、300万家族、1250万人に援助の手がさしのべられます。
食料などの無条件支給と、ワ−クレリーフ(仕事を行う対価としての救済)の二本立てでした。
やがて、無理をしても仕事が作り出されるようになります。
なるべく、材料費を使わず、賃金のウェイトの高いものが優先されたそうです。
二級道路、学校校舎の改修、飛行場、遊び場など、数多くの身近な事業が実施されます。
財政は多額の赤字になりますが、賃金を得た人達の消費意欲は、改善されます。
1933年夏、悪性のデフレは終了して、物価は上昇を開始します。
やがて、遅れていた重工業を改善させるため、ダムなどの波及効果の大きい大規模公共事業も開始されます。
1938年、失業者の数は、1039万人もいましたが、うち359万人は失業対策事業で収入を得ており、実質的な失業率は、12.5%まで下がります。
改善したとは言え、この失業率は、まだまだ危険な高水準です。
この時点では、ドイツ、日本の方が先に恐慌を克服したといわれています。
1939年、ナチスドイツが、ポーランドに侵攻します。
アメリカに特需が発生します。
イギリスは、アメリカに対する武器の支払いを、ドルか金で行わなければなりませんでした。
1941年、日本はハワイ真珠湾を奇襲します。
1942年2月23日、イギリスは、アメリカと基本協定を結びます。
そして、武器輸出の見返りとして、ポンドブロックの特恵関税を突き崩すことに、アメリカは、成功したのです。
自由貿易が保証され、アメリカの経済覇権が完成します。
◆◆アメリカは、全力を投入して、◆◆
◆◆軍需産業を中心に、急速に生産を増大させます。◆◆
◆◆あれほど存在した失業者が、街から消えます。◆◆
◆◆ 実は、戦争景気が、アメリカの失業率を正常な水準に戻したのです。◆◆