(回答先: スターリン・ショック 投稿者 あぼーん3世 日時 2002 年 3 月 06 日 15:45:56)
昔は、「リスク資産である株式の利回りは、定期預金より高いのが当然」、とみなされていました。技術革新が進み、経済成長が長期にわたって続くと、株式の値上がりが継続するようになります。
1958年頃、株式の先高期待から、配当利回りが預金金利より低くなります。
この現象は、利回り革命と言われています。
1960年には、東証修正株価は、1000円をこします。
そして、投資信託が、急成長を開始します。
特に,1961年1月から売りだされた公社債投信は、人気がありました。
日興證券静岡支店長が生み出した、投資信託のキャッチコピーは、流行語になります。
「銀行よ、さようなら。証券よ、こんにちは。」
銀行の預金を解約して、証券会社の投資信託を購入する人が増加します。
1961年、株式投信と公社債投信の合計残高は、1兆円を突破します。
投資信託の膨大な資金が株式市場に流れ込み、株価は1961年7月、1829.74円にまで達します。
「池の中を鯨が泳いでいる」
という表現が、当時の状況をよく表しています。
当時、「投資信託の元本が保証されていない」と知っていた人は、37%に過ぎませんでした。
また安全と思われていた公社債投信にも、問題がありました。
公社債の流通市場が、未成熟だったのです。
投資信託会社は、親会社の証券会社から独立していました。公社債投信の解約に対しては、親会社が、損を覚悟で公社債を買い取るしか道はなかったのです。
株価が下がり始めると、いったいどうなるか?
◆◆7月、日銀が金融引締めを実施します。◆◆
◆◆流れが逆転します。◆◆
◆◆ それから4年後、証券業界は、戦後最大の危機を迎えることになるのです。◆◆