(回答先: いざなぎ景気と3C時代 投稿者 あぼーん3世 日時 2002 年 3 月 06 日 15:49:11)
この事件が起きるまで、ドルは金とリンクし、また1ドルは360円に固定されていました。1971年8月15日、ニクソン大統領は、世界に高まるドル不安に対処するため、金とドルとの交換を停止するとともに、一律10%の輸入課徴金を設定します。
声明発表後、西側各国は的確な反応を示し、自国の為替相場を、変動相場制に直ぐに移行させます。日本は、愚かにも移行が遅れ、8月26日変動相場制になります。(このため、多くの富が不当に海外に流失したと言われます。)
円相場は、高騰を続けます。混乱を収拾するため同年12月、アメリカのスミソニアン博物館における先進10か国蔵相会議が開催されます。会議ではドルの切下げ、円とマルクの切上げが行われ、1ドル308円と決定されました。(その後1973年2月完全な変動相場制に戻ります。)
この事件によって、輸出産業は、大打撃を受けます。特に、造船業界は、輸出船の建造契約がドル建であったため、約2400億円の為替差損をこうむります。
また、競争力が弱体化したエレクトロニクス産業は、この年初めてマイナス成長になります。円高騰が輸出産業に深刻な影響をもたらすこと(今日では常識ですが)が明らかになった、最初の事件だと思います。
この事件をニクソン・ショック(または、ドル・ショック)といいます。
一方、アメリカは、金とのリンクが外れただけで、機軸通貨の地位が揺らぎませんでした。世界は、完全にドル本位制になったのです。
◆◆つまり、いくら赤字でもドルの垂れ流しができるようになったのです。◆◆
◆◆アメリカが今日金融面で強大化した、最大の要因に挙げられるでしょう。◆◆