(回答先: ドッジ・ラインと安定恐慌 投稿者 あぼーん3世 日時 2002 年 3 月 06 日 15:43:24)
1945年8月15日、日本の敗戦に伴い、アメリカ軍とソ連軍が朝鮮半島の南北に駐留し、朝鮮は、38度線を境に分割されます。
金日成率いる北朝鮮は、ソ連の支援のもとで、軍事力を増強して、南北朝鮮の武力による統一を決意します。
1950年、6月25日、10万人の北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻します(朝鮮戦争)。
南側は、戦争準備がまったく出来ていません。
韓国軍は退却を繰り返し、三日後の6月28日にはソウルが陥落します。
国連安全保障理事会は、北朝鮮の侵略に対し、武力制裁を決議します。
しかし、アメリカ中心の国連軍は敗退を続け、8月には南端のプサンに追い詰められます。
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北朝鮮が侵略を開始した6月25日は、日曜日の早朝でした。翌26日(月)の株式市場は、185万株の大商いでした。この時代の平均出来高は、約100万株です。
戦争は、買いか?売りか?
両方の説があり、誰もよく分かりません。
この日の終値は、0.81円高の92.75円で、あまり値動きはありません。
ソウルが占領され、韓国側の圧倒的な不利が伝えられると、株価は下がりだします。
日本の隣に、共産国家が誕生する可能性がでてきたのです。
1950年7月6日、株価は85.25円となり、最安値を更新します。
7月中旬、国連軍の武力制裁が決議されると、株価は出来高を増やし暴騰しだします。 7月17日の出来高は、空前の944万株、株価は109.34円で5.52円高でした。
アメリカが参戦する以上、簡単に負けるわけがありません。戦争は、長引きそうです。
日本の繊維産業、鉄鋼産業に戦争特需がもたらされます。デフレで山積みされた在庫が、戦争景気で換金できるのです。
この戦争は、買い!
市場のコンセンサスが成立します。
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1950年9月15日、マッカーサーは、ソウルの西の仁川に奇襲上陸し、北朝鮮軍の背後を突きます。
この作戦は、戦局を逆転させ、北朝鮮軍は敗走し始めます。
38度線の北に戦線は移動しますが、国連軍は追撃を止めません。
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9月15日の株価は、0.87円高の110.35円、出来高は171万株でした。
◆◆国連軍の勝利のニュースには、株価は反応しません。◆◆
◆◆ 国連軍が勝利して戦争が終るのが、◆◆
◆◆日本経済にとってマイナスと考えたのでしょうか?◆◆
北朝鮮軍は、アメリカに勝てるはずがありません。米軍は、9月末ソウルを奪回し、10月19日には、北朝鮮の首都ピョンヤンが陥落します。このまま推移したら、西側による統一朝鮮が建国されたでしょう。
しかし、ここで大事件が起こります。
1950年10月末、中国の人民義勇軍が国境を越えて参戦します。
中国は、親米国家と国境を接することに危機感を抱いたのでしょう。人海戦術の中国軍の参戦で、戦局は再び逆転します。
1951年1月初め、中国、北朝鮮連合軍は、ソウルを再び占領します。米軍も体制を建て直し、3月14日ソウルを再奪還します。
マッカーサーは、中国本土に戦争を拡大しようとします。
1951年4月11日ソ連との戦争を恐れたトルーマン大統領はマッカーサーを解任します。
その後、38度線をはさんだ膠着状態となります。両軍のにらみ合いが続き、ようやく停戦を模索する動きが活発となります。
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10月19日、ピョンヤンが陥落した日の株価は、0.19円高の107.44円で、ほとんど反応しません。そして、中国が参戦すると、株価はわずかに上がりだします。
さすがに、中国義勇軍が、ソウルに迫った12月21日には、株価は99.49円と100円を割り込みます。
米軍が体制を立て直すと、株価は値上がりします。
米軍がソウルを再奪還した頃は、株価は132.5円にまで上昇します。
戦闘は、下火になり、3月19日に戦略物資の日本からの買い付け停止が発表されます。
この発表を受けて、株価は一時的に下落します。
4月11日のマッカーサー解任の翌日の株価は、2.67円も下落して119.4円となります。
次の日も値下がりしますが、この日の株価が底でした。
株価は、戦争が終結したにもかかわらず、この後長期にわたり暴騰を続けたのです。
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朝鮮戦争で共産国家の脅威を確認してから、アメリカも日本を西側陣営として早く独立させたいと考えるようになります。
1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約が締結され、翌年4月28日発効します。
日本の戦後処理にめどがつき、独立が達成されたのです。
朝鮮戦争の休戦協定がようやく成立したのは、1953年7月27日のことでした。
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サンフランシスコ講和条約関係のニュースは、株式市場に好感をもって迎えられます。
9月8日の株価は145.83円でした。5ヶ月前のマッカーサー解任の時と比べると、22%も上昇します。
1952年は、戦争特需がなくなったにもかかわらず、株価が暴騰した年です。
資金不足とデフレの強烈な記憶から、株価は不当な安値に放置されていました。
当時の株式の平均利回りは、11%を超えていました。
この年、ゆがんだ株価の見直しが行われたのでしょう。
1951年末の166.06円から、1952年末には362.64円になります。
何と、たった一年で2.18倍の値上がりです。
日本経済が、この戦争を契機に復興したのは、間違いありません。
◆◆さて、この歴史の再現(デフレ後の暴騰)が何時来るか?◆◆
◆◆ ネットの有名評論家の方は、今が買いどきという人が多いようです。◆◆
◆◆ しかし、私は、まだ一年以上先だと思っていますが・・・◆◆