★阿修羅♪ > 近代史5 > 458.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
日本の料理
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/458.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 12 月 24 日 02:19:55: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 世界の料理 投稿者 中川隆 日時 2020 年 12 月 22 日 23:02:04)

日本の料理

京都のおもてなしの文化とは _ わかる人にはわかる日本一ハイ・センスな京都 俵屋旅館
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/231.html

京都 懐石料理 『未在』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/250.html

修善寺温泉「あさば」
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html

湯河原温泉の「指月」は何故山を下りたのか _ あさば・蓬莱・白銀屋
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/190.html

▲△▽▼

ABITARO掲示板
http://abita2000.bbs.fc2.com/

あびたろうの憧れの旅館・ホテル
http://abitaro.com/

あびたろうの食べある記
http://puiko2000.blog27.fc2.com/

あびたろうの旅行記
http://abitaro.blog52.fc2.com/

友里征耶の行っていい店、わるい店
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1010.html

ばらと温泉と日本酒ラベル
http://yanagy.jp/index.html
http://yanagy.jp/onsen/onsen_top/onsen_top.html

酔狂老人卍さんのトップページ [食べログ]
https://tabelog.com/rvwr/00001364/

酔狂老人卍 グルメレビュー
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/427.html

妙佛・あかまた 食レポ
あかまた - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%82%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%9F

雪日記 _ 雪山グルメ・山菜
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1008.html

永田町の穴場「国会グルメガイド」
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/959.html

有名店お弁当
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1086.html

▲△▽▼

料理が美味しい温泉宿

屈斜路湖畔 三香温泉
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/258.html

北海道 銀婚湯
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/257.html

栃木 手白沢温泉
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/255.html

埼玉 比企郡 都幾川温泉 旅館とき川
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/300.html

千葉 南房総市 弁天鉱泉
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/311.html

修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html

湯河原温泉の「指月」は何故山を下りたのか _ あさば・蓬莱・白銀屋
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/190.html  

湯河原温泉 上野屋
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/980.html

山梨 正徳寺温泉 初花
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/291.html

長野 仙仁温泉 岩の湯
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/256.html

長野 沓掛温泉 満山荘
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/264.html

鳥取 岩井温泉 岩井屋 
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/298.html

島根 湯抱温泉 中村旅館
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/260.html

大分 由布院 「亀の井別荘」
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/265.html

鹿児島 妙見温泉 石原荘
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/253.html

星野リゾートにだけは泊まってはいけない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/299.html

▲△▽▼

世界的にも美食の街として知られるようになった東京 _ こんなに食の多様性に優れた都市は世界にはありません
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1034.html  

食物によし悪しなし!_ 『衣食住・・・日本文化を見直そう』 
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/550.html

世界中の飢餓に苦しむ貧困者を救ったインスタントラーメンだけど…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/999.html

ラーメンは絶対に食べてはいけない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/523.html

コンビニ弁当は食べてはいけない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/377.html

世界を席巻した回転寿司 _ どんな屑ネタでも気付かずに食べさせる魔法の技術
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/370.html

おふくろの味 「たっぷり肉ジャガ」 「ゴボウとニンジンのきんぴら」 「くずし豆腐のナメコおろし汁」 「お月見団子」
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/997.html

日本のカレーライスはインド料理ではなく純然たる日本料理
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/998.html

丸美屋食品の「のりたま」は日本人に最も愛されるふりかけ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1001.html
 
▲△▽▼

お米の食べ方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/882.html

みそ汁は沸騰させてはダメ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1182.html

放射能障害と癌は昆布ダシの味噌汁を飲んで予防しよう
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/763.html

1000円/kg 以下の安物の味噌は買ってはいけない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/336.html

マツタケが絶滅危惧種に
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1071.html

「豆腐オタク」に聞く奥深い豆腐の世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1054.html

国産大豆は食べてはいけない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/317.html

たくあん漬けというより添加物漬け…表示に埋め尽くされた成分が怖い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1080.html

漬け物はぬかずけ|ぬかずけの作り方と容器
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1078.html

冷蔵庫保管する ぬか漬け
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1066.html

▲△▽▼

飲んだ瞬間、言葉を失っていた、幻の日本酒「百光(びゃっこう)」
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/927.html

その味わいは、もはやデザート!? 「デザートSAKE 天彩(あまいろ)」
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/933.html

千葉県の名酒
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1013.html

宮内庁御用達の馬場本店の「白味醂」
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1014.html

酒粕をもっと食べよう
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/334.html

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-9024] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:08:56 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[7] 報告
青森県はなぜ早死にするのか 平均寿命最短でV9、衝撃的すぎる食生活
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/786.html

コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html

ジャンクフードを食べると超絶肥満、うつ病、癌、アトピー、花粉症になる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/337.html

猿人間のジャップには毒入り牛肉でも食わせておけ
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/516.html

トヨタの為に毒塗オレンジを食べさせられている日本人 _ 日本を農業の無い国にして良いのか?
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/518.html

ホウレンソウを食べると癌、酸欠、発達障害、アルツハイマーになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/728.html

国産大豆は食べてはいけない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/317.html

たくあん漬けというより添加物漬け…表示に埋め尽くされた成分が怖い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1080.html

市販のカレー・ルウ と レトルト・カレーは買ってはいけない、外食でカレーを食べてはいけない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/333.html

塩事業センターの食塩を使うとミネラル欠乏症になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/727.html

塩はヒマラヤ・ブラック岩塩を使おう
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/332.html

認知症と糖尿病の原因はサラダ油とパーム油だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/329.html

オリーブオイルの8割は偽物!? 騙されない為の美味しいオイルの選び方
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/331.html

補助金なしの価格では日本の農作物はアメリカや欧州より安く、日本の農業は欧米より効率的
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/528.html

2. 中川隆[-9023] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:19:44 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[8] 報告
人類は元々果実食だったし
江戸時代の都市民は白米ばかり一升飯だったけど糖尿病になんかならなかった

糖質制限論者は人類や社会の歴史を何も知らないんだ

江戸では白米ばかり一升飯

脚気を「江戸患い」と言った事から地方では玄米か麦でしょう

江戸では朝にご飯を炊いて晩は冷たい飯を食べました

京都は逆で晩に炊いて朝は茶粥にしました


銀シャリは江戸の華

江戸時代ももちろん主食はごはんですが、農民ではない江戸の町人たちはお米をどのように入手していたのでしょうか。

江戸時代は「石高」が財力や資産をあらわしていたように、お米が経済の基礎でした。その米が、江戸の町には全国から100万石も集まり、50あまりの米蔵に納められていました。今でも台東区(たいとうく)の蔵前(くらまえ)などの地名に、その名残が伺えます。そこから俸禄米(ほうろくまい)が武士たちに給料として与えられ、余った分は米問屋に売られましたが、その米問屋は搗き(つき)米屋に卸し、そこから町人へと流通していました。

搗き米屋が登場したのは承応(1652〜55)から明暦(1655〜58)にかけて。それまでは玄米もしくはそれぞれが適宜搗いて食べていたと思われますが、それ以降は三分、五分、七分などお客の好みに応じて搗いていたようです。


白米を食べるようになったのは、元禄(1688〜1703)の頃といわれています。

また、このころから1日2食から3食へと移り変わります。

白米〜銀シャリは当時、何よりのごちそう。おかずは質素でも白米を好んで食し、なんと成人男子で1日5合も食べていたようで、白米を腹一杯食べられるのが江戸っ子の自慢でした。

ところが、白米が町民に定着するにつれ「江戸わずらい」、つまり脚気(かっけ)が流行するようになります。原因はぬかの部分に多く含まれるビタミンB1の欠乏で、その部分を食べていた時代にはない病気でした。もちろん、当時は原因や対処法などは知られていなかったので、時には命を落とす人もいたようです。参勤交代などで江戸に詰めている武士や、地方からやってきた商人などにも多く発症するものの、故郷に帰ると自然と治ってしまうので「江戸の奇病」として恐れられていました。このことから逆に、江戸以外の地方では白米ではなく、ビタミンB1を含む玄米や麦飯などが食べられていたことが伺えます。

今では炊飯器で簡単にごはんが炊けますが、かつてはかまどで炊いたので、火をおこすだけでも大変な労力でした。よって、ごはんを炊くのも1日1回。

朝にごはんを炊き、朝は炊きたてのごはんを食べ、昼と夜の分はお櫃(ひつ)に入れて保存していました。夕食にはごはんが冷えてしまっているので、お茶漬けで食べることも多かったようです。ちなみに上方では昼にごはんを炊き、朝夕の冷やごはんは茶粥にしてというのがパターンだったようです。


食卓は一汁一菜が基本。

朝食ならごはん・みそ汁・漬物という献立がポピュラーで、力仕事に就く職人にはこれに納豆が加わるという程度でした。

好まれた食材は納豆、豆腐、シジミなどの貝類、イワシやサンマ、大根、青菜類。

魚はごちそうでしたが、マグロは下魚(げぎょ)とされ、特にトロの部分は嫌われて肥料として使われていたとか。今聞くと何とももったいない話ですよね。ほかにも煮売屋(にうりや)がお惣菜を売りに来るなど、冷蔵庫などなくても食材に不自由することはなかったようです。


文政(1818〜30)年間の記録によると、納豆が4文、シジミが1升で6文、水菜や小松菜などは3文か4文くらいで家族分がまかなえるくらいという相場です(ちなみに今の感覚でいえば1文は20〜30円程度)。

一方で、お米は「百相場」(ひゃくそうば)といって、毎日100文で買えるだけのお米を買うのが習慣だったようです。

お米の価格は作の豊凶(ほうきょう)で移り変わるので、100文で1升買えるときもあれば3合しか買えないときもあったようですが、いずれにせよお米がいかに高かったかがわかります。それでも江戸の庶民たちはお米に執着し、とにかくごはん〜銀シャリが大好きだったのです。
http://gogolesson.jugem.jp/?eid=33

因みに、インドの最低カーストの極貧民も白米ばかり食べているけど誰も糖尿病にはならない

3. 中川隆[-9022] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:21:43 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[9] 報告
昔から、糖尿病自体はあったみたいですね。
http://metab-kyoto-u.jp/to_patient/online/a001.html
http://shittoku11.seesaa.net/article/11140296.html
飲水病と呼ばれて、藤原道長なんかがそうだったみたいです。
貴族とか、体を動かさないで良いものを食べてる人たちに多かったようで、
穀類ばかり食べて、たくさん肉体労働してる階級にはいなかったようです。

昭和20年代に1日平均摂取量穀類500g、脂肪18gだったのが、現在はそれぞれ280g、60gで、糖尿病患者数は50倍だそうです。

低炭水化物食で2型糖尿病が増える可能性も
https://medley.life/news/item/56583782e10ef3050230980a

でも、白米ばかり食べてると今度は脚気で死にます。
野菜や肉などのおかずも食べた方が良いですyo。
http://www.asyura2.com/15/health17/msg/556.html#c23

▲△▽▼

昭和20年代に1日平均摂取量穀類500g、脂肪18gだったのが、現在はそれぞれ280g、60gで、糖尿病患者数は50倍。

ネアンデルタールみたいに肉を主食にした人種は絶滅している

植物食の現世人類だけが生き残った


2013年09月18日
【衝撃】 アメリカのデブが異次元すぎるwwwwww どうやったらここまで太れるんだよ・・・
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4537088.html

4. 中川隆[-9021] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:23:25 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[10] 報告
縄文時代の人骨から死亡年齢を推定する研究によると、15歳まで生きた人の平均寿命は、30歳〜35歳と推定されています(ノ_・。)。

ちなみに、現代の世界の狩猟採集民族14集団の人口統計では、15歳まで生きた人の平均寿命は41歳です。

縄文時代の人々とあまり変わらないですね。

狩猟採集をメインに生活すると寿命を縮めるのでしょうか・・・(^_^;)。


農耕をメインとする生活になっている江戸時代の農村の宗門人別帳から得たデータでは、15歳まで生きた人の平均寿命は59歳でした。

農耕が主食を担うようになると、保存ができるお米等の穀物により、毎日狩猟や採集に出かける必要がなくなり、体力の温存、危険の回避、餓死の減少、等が寿命を延ばしたと言えるかもしれません。
http://ameblo.jp/future3001/entry-10968864131.html

つまり、狩猟民みたいに肉と植物食を適度に組み合わせると 平均寿命は41歳

江戸時代みたいに一升飯で米ばかり食べると 平均寿命は 59歳


米ばかり食べているのが一番健康で長生きできる


糖尿病が増えたのは肉や植物油や化学調味料を大量に摂る様になった最近だけ

糖尿病患者数は、図1のようにこの50年間で約35倍と著明に増加している。
https://www.ntt-west.co.jp/osaka-hosp/community/letters/vol_26.html


昭和20年代に1日平均摂取量 穀類500g、脂肪18g

現在はそれぞれ280g、60g


炭水化物の摂取量が半分になっているのに糖尿病患者の数は35倍に増えている

従って糖尿病と炭水化物の摂取とは全く関係ない


要するに、肉や植物油を食べると ほんの僅かな糖分を摂っただけですぐに糖尿病になってしまうという事。
肉や植物油さえ摂らなければ毎日一升飯でも糖尿病にはならない

5. 中川隆[-9019] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:25:30 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[12] 報告
昔は一升飯食べても誰も糖尿病にならなかった:

一升飯のカロリーを計算して見ました

青森県の野辺地町には、二、三食分を一度に食べておく、タメゴクという食べ方があるそうです。

また、福井県の漁師さんは、漁に合わせて一升飯を食べる、 食いおき、食いおくりという、食べ方があるそうです。

戦国時代に米などを運んだ小荷駄隊に属していた人も、 連続して力仕事をした後に、一日分の食事として一升飯を食らったとの記載があるそうです。

当然ですが、一升は1合の10倍で、1合の容積は180ccで、 一升は1800ccです。また、1合の米の重さは約150gですが、 乾燥状態により多少違いがあります。さらに、米(炊飯前)カロリーは、 日本食品標準成分表によると100g当たり356kcalです。炊飯器用のカップは すり切りで1合で150gです。1合はカロリーにすると534kcalになります。

さらに、炊飯すると水分を吸って重量は2.2〜2.3倍になりますので、 一合の米を炊くと約330gのご飯になります。一升の米を炊くと重量3300gの ご飯になり、カロリーは5540 kcalになります。

肉体労働をする人や スポーツ選手などの消費カロリーを考えると納得するカロリーですが、 体重が3.3s増えることになります。
http://www.i-apple.jp/samantha/2010/12/post_2328.html


明治人はどのくらい米を食べていたのか? 2014-08-26


昔の農家の人は一升飯を食ってたみたいな話があって、一升というと1.8リットル分の米です。

肉体労働をしてない人はというと、年間一石(180L)あれば、生きていけるとされていました。いやいや1石というの180Lではなくてだなぁみたいな話もあるわけですけど、その辺りのことは興味もないので詳しいことは知らないです。

現代だと1人あたりの消費量は60キロ弱くらい、それでは明治あたりだとどのくらい食べていたのかなと気になりましたので、少々調べてました。

まずは調べやすいところから調べてみますと、日露戦争の頃の日本兵は、1日に6合の米を食べていたそうです。

飯盒というのがありますけど、あれで米を4合炊くことが出来る。1回の炊事で2回分の米を用意できる設計になっているというわけです。どこで読んだんだか忘れちゃいましたが、1日6合でも量が少なくて腹を減らしてる人がいたそうですから、食べる人はもっと食べていたんでしょう。

それでは平均的な人はどのくらい食べていたのか?

掲載されていそうな資料を探しますと、上京し働きながら学ぼうとする苦学生向けのガイドブック的な書籍がありました。新聞配達などしながら、学問を収めようとしている若者向けの書籍です。そこそこ裕福ではあるけれど、お金持ちではない、いわゆる普通の若者たちです。

で、彼らが1日に食べる米の量は、月に2円25銭1.5斗(27リットル)、1日あたり5合(900グラム)弱でした。


実験苦学案内 独立自活 徳田紫水 明治36年


『学生自活法』『自活苦学生』などといった類書でも、同じ程度の数字ですからわりあい信頼性は高いと考えることができます。

おかずが1円というのはよく分からないかもしれませんが、明治30年代半ばだと安い牛肉の切り落としほんの少しとネギを煮た鍋的なものが7銭くらい、具の少ない味噌汁が2銭くらい、漬物1ヶ月分が50銭くらいの貨幣価値です。

ついでなので大正7年だとどうかというと、健康な成人男性ならば、4合くらいとされています。


一日十銭生活 赤津政愛 大正7年


ただしこれはあまりお金がない肉体労働者の事例で、お金のある人はどうかというと、3合くらいの量でした。多少時代が違いますけど、大正4年の資料を見てみましょう。

一家の経済 一名安価生活法 長田秋生 大正4年


明治の学生がおかずに使うお金が米の半分だったのに、こちらではお米代の2倍以上をおかずに費しています。その反面、米の量は1.5斗(27リットル)から1斗(18リットル)に減っています。1日あたりだと3合くらいです。

なぜに彼らがこんなに米を食べてて太らなかったのかっていうと、おかずの量が少ないってのと、運動量が多いってのがあります。徒歩旅行で20kmくらい歩くのはわりと普通、50kmくらいだと健脚みたいな感じだったみたいですから、足腰はかなり強い。今よりもずっと歩いていたことが想像できますね。

日本人には米から栄養を取りまくり、カロリーを消費しまくるという手法で、栄養を取っていた時期があったというわけです。

そんなわけで本日は昔の日本人がどの程度の米を食べていたのかというお話でした。
http://ch.nicovideo.jp/yamasitataihei/blomaga/ar607161


日本軍兵士1日の米の定量は何グラムだったんでしょう。
いろいろ調べると、六合(900グラム)という記載があったのですが そんなに食べられるもんなんでしょうか。


1. 六合はちょっときついかもしれませんが、僕らでも登山の時は1食1合くらい平気で食べます(おかずないし)。

 ひたすら長距離を歩き、常に激しいストレスにさらされる(ストレスも空腹の元ですね)兵士にとって、「ちょっと多いな」くらいなのかもしれません。

 当時はおかずも殆どないし、昔の人はご飯をたくさん食ますから。


2.極めておおざっぱな略算ですが、

ご飯一杯(150グラム)は大体225Kcal、このうち半分は水ですから、白米一合で450Kcal。

重労働する人間が一日に必要とするカロリーを3000Kcalとして、これを全部米で取るとすると、白米7合ほど。

労働がハードで副食が貧弱なら、適切な定量と思えます。

話は飛びますが、江戸時代の「一人扶持」は一日あたり米5合ですね。

3.私は一日で5合のご飯を何も食べるものがなくレトルトカレーをかけて食べたことがあります。

結論からいうと一度に食べられる量など人それぞれでたくさんご飯を食べることになれているなら苦もなく食べられます。宮澤賢治も「一日5合の」といっています。


4.丸2月号に出ていた兵隊さんの手記によれば、1日5合4匁食べても腹7分目で、餅や菓子などを別に食べてたそうです。


5.昔は刑務所でも日に6合だったとか、吉村 昭著書にありました。

6.皆様、ありがとうございます。
1人900グラムだと1万人の部隊で1日9トンもの消費なんですね。

こりゃあ、保管も大変でしょうね。
前線では、洞窟などに隠したんでしょうか?
それにしても莫大な量で、改めて兵站の大変さを実感しました。


7.概ねみなさん答えていらっしゃるようですが蛇足で。

私の父(銚子出身ですが)いわく、昔は

「一升飯食えるようになれば一人前の大人だ」

と言われたんだそうです。実際に一升食っていたわけではないが、しかし確かに飯だけは今とは比べものにならないくらい大量に食っていたとも言っていました(おかずは漬け物くらいだったそうですけど)。


8.↑
なお「一食一升」ではなく「一日に一升」という意味です…
satoski


9.出征1日分の完全定量は、精米4合5勺(640g)、精麦1合9勺(200g)となっています。

なお、携帯口糧の場合は、精米1日分6合です。


10.実際に麦飯と「粉味噌、梅干し」の副食で(粉味噌は入手困難なので、インスタントの味噌汁で代用。)
で1週間ほど試してみて下さい。

通勤が片道7km自転車、34歳の私ですが1日5合は喰わないと目が回ります。
http://www.warbirds.jp/ansq/41/D2001303.html
糖尿病が増えたのは肉や植物油や化学調味料を大量に摂る様になった最近だけ

糖尿病患者数は、図1のようにこの50年間で約35倍と著明に増加している。
https://www.ntt-west.co.jp/osaka-hosp/community/letters/vol_26.html


昭和20年代に1日平均摂取量 穀類500g、脂肪18g

現在はそれぞれ280g、60g


炭水化物の摂取量が半分になっているのに糖尿病患者の数は35倍に増えている

従って糖尿病と炭水化物の摂取とは全く関係ない

6. 中川隆[-9018] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:26:47 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[13] 報告
弥生時代の人の平均寿命

縄文人の場合は、30才くらいと考えられています。
これは、貝塚から発掘される骨から確定できるといわれます。
しかし、弥生時代の人骨は発掘されること自体大変少なく、
弥生人の骨は土に帰ってしまうといわれます。

縄文人は、貝塚の近くに骨を埋葬しました。
カルシウム分の多い土に埋葬された骨は、土に帰らず残るといわれます。
一方、弥生時代は稲作が始まっています。
貝塚のようにカルシウム分の多い土には埋葬されなかったので、
弥生人の骨は土に帰ってしまったのです。

佐賀県の吉野ヶ里遺跡は有名ですが、発掘された人骨によると、弥生人は渡来系らしい特徴を備えているといわれます。

縄文人に比べると背が高く、平均寿命は30〜40歳ぐらい。

遺物には紐のついた毛髪もあり、髪を結っていたこともわかります。
(ここでいう30歳は、15歳以上生存した人間の寿命です。)

弥生時代は、稲作が生活の基盤となり、鉄器や青銅器の使用が始まった時代といわれます。

吉野ヶ里でも農耕によって飛躍的に人口が増加し、人々を統率する王も現れました。
一般の墓地とは別に王族を祀る巨大な墳墓がそれを物語っています。

古代は幼児期の死亡率が高く、縄文時代〜弥生時代の死亡率は50〜60%という数字も見えます。

大正末期に幼児期死亡率が、15%以上あったといわれますので、大袈裟な数字ではないかと思います。

15歳以上に達した者の平均死亡年齢の時代変遷は、人口問題研究家の小林和正氏によると、

縄文時代: 男31.1歳/女31.3歳
弥生時代: 男30.0歳/女29.2歳
古墳時代: 男30.5歳/女34.5歳
室町時代: 男35.8歳/女36.7歳
江戸時代: 男43.9歳/女40.9歳
(古人骨より推定)
1891〜98年調査:男55.7歳/女57.1歳
1965〜66年調査:男70.3歳/女75.0歳
(人口統計)

ちなみに、"平均寿命"とは、

「0歳児における平均余命(後どれくらい生きられるか)」ですが、

紀元前11世紀〜1世紀「縄文時代」の日本人の寿命は、
男女とも、14.6歳。

紀元前8世紀〜3世紀「弥生時代」
3世紀〜7世紀「古墳時代」に入っても、
「縄文時代」と、ほとんど平均寿命は変わらず、

「室町時代」(1338-1573)では
15.2歳くらいと推定されています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1325687448

7. 中川隆[-9017] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:27:25 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[14] 報告
「40年前の食事」4週間食べ続けたらどうなる? 東北大が実験 2016年10月10日

実験で再現された1975年ごろの食事。
いわゆる一汁三菜スタイルの非常にバランスが良いメニューだ(提供:東北大学)
http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/1/7/17118.html
 ユネスコの世界無形文化遺産に登録されたのを機に「日本食」への注目が国際的に高まるなか、東北大学の研究グループが今から 40年ほど前に一般家庭で食べられていた食事を 4週間食べ続けたところ、ストレスの軽減や体脂肪率の低下などの効果があることを確認した。

 日本人の平均寿命が延びた要因の一つにあげられる「日本食」。日本食に使われる特有の食品成分が影響していると考えられ、世界中で多くの研究がなされているが、これらの研究は、特定の食品成分にだけ焦点が当てられ、「日本食」全体を調べた研究はない。

 東北大学大学院の都築毅准教授らのグループはかつて、現代と過去の日本食をマウスに食べさせる実験で、1975年ごろに食べられていた食事が、肥満を抑制し糖尿病や脂肪肝、認知症を予防し、寿命を延ばすうえで、最も健康に良いことを確認。

 今回の実験では、年齢 20歳から 70歳までの BMI指数が 24〜30以下の軽度肥満者(60人)と健康な人(32人)の計92人を対象に、1975年の日本食と現代の食事を食べてもらった。

 1日3食28日間食べてもらったあとに、健康診断を行ったところ、1975年型食事を食べていたグループでは、BMIや体重が明らかに減り、悪玉コレステロールや糖尿病の指標となるヘモグロビンA1cが減少傾向を示す一方で、善玉コレステロールは増えたという。

 また健康な人 32人を現代食と 1975年型の食事を食べる2グループに分けて実験した結果、1975年型の食事を食べたグループでは、ストレスが軽減されて、運動能力が良くなることがわかった。

 実験で再現した1975年型の食事の特徴は、

▽主菜と副菜を合わせて3品以上になるよう、さまざまな食材が少しずつ使われており、

▽調理法では「煮る」「蒸す」「生」が多く、食用油を多用する「揚げる」や「炒める」は控えめだった。

▽食材では大豆や魚介や野菜、果物や海藻、きのこ、緑茶を積極的に摂取しており、

▽調味料では出汁や醤油、味噌、みりんなどの発酵系調味料が多く使われていたという。

 実験を行った都築准教授は「約40年前の日本食が健康にいいと広めることで、現代の食生活を見直す食育に役立つことが期待できる」と話している。

8. 中川隆[-9016] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:27:57 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[15] 報告
白米を食べて痩せる!? 話題の冷ご飯ダイエットを徹底解説
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161027-00000012-rnijugo-life
R25 10月27日(木)7時0分配信

外見の美しさやスタイルをキープするために、日々の食事量を制限しているママも少なくないのでは? 

特に最近では、白米を控えるダイエットが流行していますよね。

「おいしい白米を食べられないなんて!」と、嘆いている人は必見。

ご飯にたったひと工夫するだけで、カロリーが抑えられ、健康にも良いと話題になっている冷ご飯ダイエットをご紹介します!


冷やすことで難消化性でんぷんに変わる「冷ご飯ダイエット」

なぜ冷ご飯でダイエットになるの? と思いますよね。その理由は以下の通りです。


1)ご飯を冷やすと小腸や大腸に吸収されやすいでんぷんが、吸収されにくい難消化性でんぷん(レジスタントスターチ)に変わる

2)レジスタントスターチは食物繊維と似た働きを持っていて、糖質や脂質の吸収を抑えてくれる

3)レジスタントスターチは小腸で吸収されにくいため、カロリーが抑えられ、血糖値の上昇もゆるやかに

4)冷ご飯は温かいご飯に比べると固い! その分よく噛むので消費カロリーアップ

5)よく噛んで食事することで満腹中枢が刺激され、満腹感を得やすい

冷ご飯ってこんなに良いことがあるのですね。ちなみに、腸内環境を改善する効果も期待できるそう。

冷ご飯の作り方

炊飯器でご飯を炊いたら、お皿によそっておきます。

粗熱が取れたら冷蔵庫で1時間ほど冷やし、食べる30分前に冷蔵庫から出して、室温で常温にしてからいただきます。

温かくないご飯はちょっと…というママは、ひと手間加えておにぎりにしてみてはいかが? それだけで食べやすくなるはずですよ。

実はご飯以外にも 冷えるとレジスタントスターチに変化する食べ物

ご飯以外にもパスタ・うどんなどの麺類やじゃかいもなどのでんぷんも、冷やすとレジスタントスターチに変化するのだとか。

冷たいうどんや冷製パスタ、ポテトサラダなどは冷たいままおいしくいただけるのでオススメです!

冷ご飯ダイエットの注意点

・電子レンジで加熱するとせっかくのレジスタントスターチの効力がなくなってしまうそうなので、食べる時は室温で常温に戻すこと

・冷蔵庫で冷やしたままのご飯を食べ続けると、胃を痛める可能性があるので、できるだけ常温に戻してから食べること

・カロリーが減ったとしても、食べすぎては意味がないので、1食でお茶碗1杯程度に抑えること

・冷凍庫で急激に冷やすのはNG


以上のことを守って、楽しくおいしくダイエットしましょう!

やはりご飯抜きのダイエットってつらいと思いませんか? 

でもこの冷ご飯ダイエットなら、ご飯を食べてもOK!
3食のうち2食を冷ご飯に替えることができたら、効果がでてくるかもしれませんね。

9. 中川隆[-9014] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:32:20 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[17] 報告
ご飯はこうして「悪魔」になった〜大ブーム「糖質制限」を考える
現代社会の特殊な価値観と構造
磯野 真穂 文化人類学者 国際医療福祉大学大学院講師
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49908?utm_source=yahoonews&utm_medium=related&utm_campaign=link&utm_content=related


先日ツイッターを見ていたら、ラーメンの写真とともに「こんなの食べるなんて狂気の沙汰!」という投稿が流れてきた。糖質制限を推奨するジムに通い肉体改造に努めていることが投稿者のフィードからわかる。

1ヵ月前には、「白米は太る!」と断言するバリバリの糖質制限キャリアウーマンに出会った。彼女はどうやら「やせること=健康になること」と考えているらしい(ちなみに彼女はどこからどうみても肥満体型ではない)。

10年前に私は、過食嘔吐を繰り返す24歳の女性にインタビューをした。彼女には、「油ものはOKだがご飯ものは絶対ダメと」いう時期があり、その理由は「糖質は血糖値をすぐ上げ身体に悪く、そして太りやすいから」であった。

その時の私は気づかなかったが、彼女はいまや大ブームとなった糖質制限の先駆けだったのである。

「ご飯」とは何か──命の糖質

私の専門である文化人類学は、人間の多様な生き方を、長期にわたるフィールドワークの中で明らかにしていく学問である。

その視点から眺めると、糖質制限はかなり特異な現象であるといえる。食は人間の多様性が如実にあらわれる場所であるが、一方で主食にあたる食べ物にとりわけ大きな価値が置かれることはほぼ共通しているからだ。

たとえば文化人類学者のオードリー・リチャーズは、ローデシア1北西に居住するベンバの下記のようなやりとりを、驚きを持って記録している[1]。


私の目の前で焼いたトウモロコシを4〜5本食べたあと、かれらはこういった。
「おお、腹が減って死にそうだ。俺たちは今日一日何も食べていない。」(47)

1ザンビアとジンバブエを合わせた地域の名称

ベンバが空腹なのは、かれらが大食だからではない。かれらが空腹なのは、かれらにとっての腹を満たせる食べ物がトウモロコシではなく、「ウブワリ(ubwali)」だからである。

ウブワリとは熱い湯と雑穀を3対2の割合で溶いたペースト状の食べ物であり、これがかれらの生活を支えている。


右上のものがウブワリ(wikimedia.org)

かれらはウブワリと共に、日本語でいうおかずに当たる「ウムナニ(umunani)」も口にするが、ウブワリが食事の中心にあることには変わらない。ウブワリだけでは物足りないが、ウムナニだけでは食べた気がしないのだ。

またウブワリは、ウブワリそのものだけでなく、食事全体のことも指す。このことからもかれらにとってウブワリの重要性がわかるだろう。

ベンバにとってのウブワリは私たち日本人にとってのご飯である。「ご飯」「飯(めし)」は字句通りにとれば、炊いた米のことであるが、それは同時に食事そのものを指すし、飲みの席での役割は食事を〆ること、すなわち終わらせることだ。昭和生まれの人であれば「米を食べないと食った気がしない」というフレーズを一度は聞いたことがあるだろう。

ウブワリやご飯のように食事の核を担う糖質2と、それに味と彩りを与える少量のさまざまな料理という組み合わせは世界に広くみられる人々の食事のあり方である[2]。

もちろん気候が寒冷といった理由により、穀物をほとんどとらない民族も存在するが、相当数の人々が糖質によって命をつながれ、そしていまもつながれていることは間違いがない。

2厳密には、炭水化物は糖質のみでできているわけではない。たとえばご飯には糖質のほかに、食物繊維、ビタミン、たんぱく質、脂質なども含まれている。ここでは話をわかりやすくするため、糖質で統一している。

糖質は「悪魔」だったのか?

しかし糖質制限の流行により、糖質の地位はかつてないほど地に落ちた。

糖質制限派のメッセージは過激なほどに明快である。『炭水化物が人類を滅ぼす』『日本人だからこそ「ご飯」を食べるな』といった本のタイトルに始まり、糖質制限の第1人者である江部康二氏の著書『主食をやめると健康になる』[3]の帯のメッセージは「ご飯・パンの糖質が現代病の元凶だった!」である。

これら書籍に目を通すと、糖質を中心とした食事の怖さがこれでもかというほど並び、しかもその多くが医師という権威ある人々によるものであるため、ふつうにご飯を食べていたら病気だらけの悲しい未来しか待っていないように思えてくる。

たとえばこんな具合だ。


穀物という神は、確かに1万年前の人類を飢えから救い、腹を満たしてくれた。その意味ではまさに神そのものだった。

しかしそれは現代社会に、肥満と糖尿病、睡眠障害と抑うつ、アルツハイマー病、歯周病、アトピー性皮膚炎を含むさまざまな皮膚疾患などをもたらした。

現代人が悩む多くのものは、大量の穀物と砂糖の摂取が原因だったのだ。人類が神だと思って招き入れたのは、じつは悪魔だったのである。(『炭水化物が人類を滅ぼす』(夏目睦著)[4])

厚生労働省が1947年(昭和22年)に出した『国民栄養の現状』[5]によると、日本人の1日の栄養摂取は、全体の72%が穀類から、11%が芋類からであり、1日のカロリー摂取のかなりの部分を糖質制限ダイエットで積極的に制限される炭水化物に依存していることがわかる。

また、それより10年前の1936年(昭和12年)に発刊された『栄養読本』[6]には、日本人の栄養摂取量の85%は炭水化物であり、さらにそのほとんどが米であることが、日本人は1日3回白米を食べるという記載、労働者に至っては一日5合の米を食べるという記載からうかがえる[6]。

もっと時代をさかのぼり江戸時代にいたっても、80%の人々がその量の差はあれ1日3回白米を食べており[7]、それほど裕福ではなかっただろう農村地帯3でも、1食当たり2〜3合の米とキビの混ぜご飯を食べていたという記録が残っているという[8]。

ここから明らかなように、白米に代表される糖質は、日本人が追い求め、そして実際に日本人を生かしてきた食べ物である。しかし21世紀に入り、その糖質を悪魔と呼ぶ人が現れた。当時の人がこれを聞いたら目をぱちくりさせるに違いない。

3飛騨高山の農村地帯の例


〔PHOTO〕gettyimages

原始時代と糖質制限

糖質はなぜここまで悪者になってしまったのか?

糖質制限派の主張できわめて興味深いのが、その絶対的な根拠を原始時代に求めていくところである。

著者により多少のずれはあるものの、大枠で共通する糖質制限派の主張は次のようなものだ。


人類は700万年近くを狩猟・採集で過ごしており、その間、人類は高タンパク・高脂質の食事をとっていた。糖質が食事の中心になったのはわずか1万年前のことであり、人間の身体は糖質を大量に摂取するようにはデザインされていない。2型糖尿病、肥満、心疾患といった生活習慣病の大元は糖質過多の食事にある。

私は、糖質制限により体重が減ったとか、2型糖尿病が改善されたという人々の体験やデータ自体に疑問を持っているわけではない。糖質制限は実際にそのような効果を多くの人にもたらしてきたのだろう。

しかし注意したいのは、その事実が、原始時代の人々が糖質をほとんど食べていなかったとか、原始時代の食生活が人間にとってもっとも理想的であるといったことの証明にはならないということである。

実際、進化生物学が専門のマーリーン・ズック(Marlene Zuk)[9]は、原始時代に正当性の根拠を求める糖質制限派の主張を、「パレオ・ファンタシー」(Paleo Fantasy:原始へのあこがれ)と名付け批判的に論じている。

まずズックは、初期人類であるネアンデルタールやアウストラロピテクス・セディバの歯に穀物を採集・調理していた痕跡があることを挙げ、私たちの祖先が肉食中心だったというパレオ派の主張に疑義を唱える。

加えて、人類は時代や場所に応じて様々な食べ方をしているため、ある時代の人類が同じ食べ方をしていたという見方にはそもそも無理があるし、仮に一部の狩猟採集民が肉ばかりを食べて生きていたとしても、そのことと、かれらにとって肉食が最適かどうかは別の話しであると述べる。

さらに、「農耕が始まってから1万年余しか経過していないため、人間の身体は糖質過多の食事に適応できていない」というパレオ派がよくなす主張に対しては、「1万年は十分な時間である」と喝破する。

チベット人が標高数千メートルの高地で生活できるようになったり、乳製品を効率よく消化することのできる、進化したラクターゼ活性持続遺伝子を持つ人々が現れたりしたのはこの数千年であることからわかるように、人間の身体はもっと短いタイムスパンでも変化しうるからだ。

人類はある時期環境に完璧に適応した健康な生活を送っていたが、時代が下るほどにそこから離れていったというパレオ派の考えは、進化についての誤解であるというのがズックの主張である。

また進化生物学者の言葉を待たずとも、原始時代に回帰する糖質制限派の主張に無理があることは、素人の私たちにも予想がつきそうだ。

もし糖質を中心に食べることが、人類という種にまったくそぐわないものであれば、栄養摂取の8割強が炭水化物からであった昭和初期の人々は次々と生活習慣病を発症していただろう。

しかし生活習慣病にかかるのはかれらではなく、糖質からの栄養摂取がそこから2割近く落ち込んだわれわれなのである[10]4。この矛盾を私たちはどう説明したらいいのだろう。

4平成26年国民栄養調査によると同年の炭水化物エネルギー比率は59.0%である。

これについては第1人者の江部氏[3]が奇しくも著書の中で明快に説明している。


明治や戦前の日本人は、総摂取カロリーの7〜8割が米飯(主に白米)だったにもかかわらず、2型糖尿病がほとんどありませんでした。当時の日本人の日常生活における運動量は、現代人の10倍近かったと思います。 結論としては、運動量が現代人くらいだと、白米を一定量以上食べると、とくに女性の場合は2型糖尿病のリスクになるということです。

つまりここから言えることは次のことではないだろうか。


現代人、特に運動量のあまりない女性が白米をたくさん食べると2型糖尿病のリスクがあがる。白米を減らす、あるいは運動量を増やすとこのリスクを下げることができそうだ。

運動量が多ければよいのであれば、糖質がすべての元凶であるという糖質制限派の主張には齟齬が生じてくるといえよう。

なぜ糖質制限はブームになりえたのか?

糖質制限の根拠に原始人を持ち出すことは、2型糖尿病の人々に効果を示した食事法5を一般に広げる上でかなり有効であったといえる。

私たちの中に眠っている700万年前の原始の能力が、糖質をカットすることにより目覚め、体重は落ち、健康になり、集中力も上がるという糖質制限派の主張は魅力的だし、ロマンがある。

しかし私はこの食事法が「人間本来の食事」「人類の健康食」6といった言葉と共に、万人にとって素晴らしい食であるかのように広がってゆくことに危惧を覚えている。


5糖質制限食は2型糖尿病患者に一般的に適用される食事療法ではない。一部の施設において実施され、効果を示した食事法である。
6いずれも江部氏の『主食をやめると健康になる』[3]からの抜粋である。

日本社会は、肥満が問題になる一方で、やせすぎの若年女性の多さとそれゆえの健康被害が懸念される国でもある。

もともとそれほどご飯を食べていなかった標準体型の女性が、もっとやせたいと願って「人間本来の食事」である糖質制限を実行することは、そもそも人間本来のあり方なのだろうか? 成長期の子どもがネットで糖質制限のことを知り、それを実行することはよりよい成長を導くのだろうか?

糖質制限が2型糖尿病の人々を超えて多くの人に受け入れられたのは、「食べたいけどやせたい」という現代人特有の欲望をなんといっても満たしてくれたことにある。

そして、「食べたいけどやせたい」という欲望は、やせていることが評価される社会でなければ生まれえない。食料不足の危機がある社会では、身体に脂肪を蓄えられることがステータスになるため、食べてもやせるという、現代人をひきつける糖質制限の特徴は魅力にはならないし、そのような社会では栄養不足によるやせの方がよっぽど深刻であるからだ[11]。

たくさんの食べ物があふれ、貧しい人でも簡単に太ることができ、やせることが無条件に美しさ、カッコよさ、聡明さ、自己管理能力の高さと結びつく、人類史稀に見る社会状況にフィットすることにより糖質制限はブームになった。

しかしその事実は、生理学的な説明と、原始への憧れにより巧みに覆い隠されている。糖質制限はほんとうに「人類の健康食」なのだろうか? それは限られた時代の、限られた地域の、限られた人々にとっての健康食ということはないだろうか?

普遍化の裏側にあるものは、現代社会のきわめて特殊な価値観と構造であることに目を向けて、いまいちど糖質制限の功罪を考えてみたい。


▲△▽▼

白米を食べるとやせる!? バブル期に誕生した真逆ダイエットとは
ご飯はこうして「悪魔」になった【2】
磯野 真穂 文化人類学者 国際医療福祉大学大学院講師
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50738


3000億円規模の「糖質制限」市場

すでに2000億円から3000億円規模の市場に成長したといわれる糖質制限。コンビニで手軽に買い求められるだけでなく、外食店でも麺抜き、ご飯抜きが可能になるなど、その勢いはとどまるところがない。もはや糖質は、この食事法を厳格に実践する人々にとって、自らの健康を揺るがす「モンスター」と化したといえよう。

しかし遡ることいまから30余年前、1980年から21世紀を回るくらいの時期にかけ、糖質制限と正反対の食事法があったことを覚えている人はどのくらいいるだろう。

その食事法の名前は「鈴木式」。創始者は、鈴木その子氏である。

鈴木氏は、晩年に近くなると、その独特の風貌からメディアではキワモノ扱いされることが多かった。このため彼女の原点が在野の料理研究家であることを知る人は意外と少ないのだが、この鈴木その子氏こそ、医学と栄養学の見地および自身のレストランである「トキノ」での実践を元に、独自の食事法である「鈴木式」を作り上げた人物である。

氏が、その成果をもとに1980年に発刊した『やせたい人は食べなさい―減量常識を破る奇跡の鈴木式』[1]は、瞬く間にベストセラーとなり、その後ミリオンセラーを達成した。

私の手元にある本著は、発売から6年後の72刷版。表紙の袖には次の2つの体験談が紹介されている。


1週間でウエストが細く……
「食いしん坊で、たくさん食べるのに、なぜ太らないの?」
と、友人たちに羨ましがられる私ですが、本書を読んでその理由がわかりました。そこで、あらためて「鈴木式」を実行したら、身長164センチ、体重51キロの私が、わずか1週間で、体重が2キロ減り、ウエストが2センチ細くなりました。

6か月で20キロ減量成功
入社以来14、5年で体重が30キロも増え、99キロに肥満した私は、内臓のすべてを害して、最低6か月の入院加療を宣告された。肥満で死ぬとは信じられず、美食の楽しみをあきらめきれなかった。そんなとき鈴木先生を知り、指導を受けて、病気は治り、体重が6か月で20キロ減、ウエストも30センチ細くなった。

当時一世を風靡した鈴木式。いったいどのような食事法なのだろう?


〔PHOTO〕gettyimages

やせたいのならご飯を食べろ

鈴木式で特筆すべきは白米の扱いである。糖質制限派が「悪魔」と称することすらある白米であるが[2]、鈴木式ではその白米を1日3回食べることが必須となる。

しかもその量はハンパではなく、女性であれば1食180〜240グラム、男性であれば300グラムが推奨される。これは、糖質制限派の中でも緩やかな論を展開する医師の山田悟氏が勧める1回の白米量70グラムを優に超える量だ[3]。

これだけでもすでに驚きであるが、鈴木式はそれだけにとどまらない。やせ気味の人には饅頭やアメのような脂質が低く、糖度の高い食べ物をおやつと夜食として食べることが勧められるのだ。糖質制限ブームの最中にあっては、自らデブと病気を招いているといわれても仕方のない食事法である1。

いったいこの食事法の背景にはどんな理論があるのだろう。糖質制限と対照的な部分に着目しつつ、そのエッセンスをいくつかとりあげてみたい2。

1「生野菜を食べすぎるな」、「水分の摂り過ぎを控えよ」というように、ダイエットにいそしむ人が嬉々としてとりいれそうな手法も鈴木式は次々と否定する。
2鈴木式の紹介に関しては、初作の『やせたい人は食べなさい―減量常識を破る奇跡の鈴木式』とその続編である『新・やせたい人は食べなさい:奇跡の鈴木式・スーパーダイエット』を参考にした。


ブドウ糖はたっぷりと補給すべし

糖質制限はインシュリンの過剰分泌を抑え、血糖値の変動を緩やかにすることに力点が置かれる。一方、鈴木式は、体温を保ったり、血液を流したり、呼吸をしたりと、24時間活動し続ける身体に十分なエネルギー補給をすることに力点が置かれており、この違いが両者の袂を分かつ。

鈴木式が最も危惧するのは、やせようとして糖質を過度にカットした結果、活動するためのエネルギーが足りなくなり、筋肉や内臓といった組織を作りあげる体タンパク質がエネルギー不足を補うために分解されることである。

鈴木氏はこれを車に例える。糖質はガソリン、体タンパク質はエンジンや外枠、タイヤなどボディに当たるものであり、ガソリンが足りないからといってボディを分解してガソリンにしたのでは、車体にガタがくるだけで本末転倒であると警告する。

したがってまず私たちは、活動するためのエネルギーを十分に身体にとりいれなければならない。その点で、血中に入ってすぐにブドウ糖に変換される糖質は身体にとってもっとも効率のよいエネルギー源となる。

鈴木式がやせ気味の人に1日3回の白米に加え、2回の間食を勧めるのは、24時間活動するためのエネルギーを十分に補充することで、車でいうボディがエネルギー作りのために分解されるのを防ぐことにあるのだ。

さらに鈴木氏は「エネルギーが足りなくなれば脂肪が燃えるから問題ない」という考えを頭から否定する。24時間動き続ける脳と自律神経の主たるエネルギー源はブドウ糖であるため、脂肪で代用することはできないからだ。

ここまで書くと「脳はケトン体もエネルギーにすることを知らないのか?」という批判が糖質制限派から聞こえてきそうである。

実際、肝臓で作られるケトン体について鈴木式は一切ふれていない。このため鈴木氏は、ケトン体について知らなかったことが推測されるのだが、たとえ知っていたとしても、糖質摂取を推奨したと思われる理由がある。

それがエネルギーを作るために内臓に負荷をかけるなという鈴木式第2のポイントだ。

内臓に負荷をかけるな

糖質制限では、糖質をとらずとも肝臓で行われる糖新生によりブドウ糖が作られるため、ブドウ糖不足に陥ることはない。また肝臓で行われる糖新生にかなりのエネルギーが使われるため、それが体重減少の一因となることが解説される[5]。

しかし鈴木式ではまさにこの点が憂慮点となる。なぜなら鈴木氏は、糖新生で肝臓が使われ、その際にできた老廃物を排出するために腎臓が使われることを、肝臓や腎臓への「負担」として問題視するからだ。

糖質であれば、老廃物をためることなく素早くエネルギーを作り出すことができるのに、なぜわざわざ遠回りをし、他の臓器に負担をかけてエネルギーを作らねばならないのか?エネルギー生成は糖質摂取でまかない、肝臓や腎臓にはそれらにしかできない仕事をしてもらった方が、健康な身体作りができる、というのが鈴木式の発想である。

一方鈴木式は、糖質制限で問題とされるインシュリンの過剰分泌、血糖値の大幅な変動、食後高血糖については一切ふれていない。また鈴木式の理論をそのまま糖質制限に引き継げば、インシュリンを作り出す膵臓に過度な負担をかけるという見方ができそうであるが、この点についての言及もない。

これは1980年代に手に入る知識の限界に加え、この2つの食事法の原点が違うことにあるだろう。糖質制限が、糖尿病の治療に端を発する一方で、鈴木式の原点は、摂取カロリーをひたすら落としてやせようとした結果、健康を害し快適な生活が送れなくなった人たちの健康を取り戻すことにある。

糖質制限が血糖値の揺れに着目する一方で、鈴木式が活動のために効率的なエネルギー摂取に着目する理由は、もともとの目的の差異にあるといえるだろう。

タンパク質と脂質はまずご飯から

とはいえ、鈴木式は糖質さえあればほかの栄養素はいらないといっているわけではない。白米からでは補えない栄養素を副食で適切に補うことが強く推奨される。

この点は、糖質以外の栄養素をバランスよくとることを勧める糖質制限とかぶるのであるが、鈴木式は内臓に負担をかけない低タンパク質・低脂肪の副食を推進する点で糖質制限と異なる。

これは鈴木式が、ご飯に始まり、野菜や豆といった食べ物に含まれるたんぱく質と脂質に着目することに起因する。

たとえば鈴木氏は、1回の推奨量であるご飯240グラムには、牛乳200CCに含まれるたんぱく質と同量の12グラム強が含まれ、豆腐一丁には約10グラムの脂肪が含まれることを紹介する。

つまり意識してタンパク質や脂肪をとらずとも、ご飯中心の食事から成人に必要なたんぱく質と脂質はきちんと摂取できるため心配には至らないということなのだ。


鈴木式と糖質制限、奇妙な類似

このように食べ方のみならず理論において真っ向対立する鈴木式と糖質制限であるが実は類似点も多い。

たとえば、多くのダイエット法が一過性のものであることに対し、両の食事法はそうではない。またカロリー計算は不要と言い切る点、当時の権威に対して真っ向対立し、激しいバッシングを受けながらも成功事例を積み重ね地位を確立してゆくプロセスなども酷似する。

そして数ある類似点の中でも特筆すべき点が、双方の食事法が提示する「全体的な健康観」である。ここでいう全体的な健康観とは、生活習慣病から子どもの問題まで、人生に起こる様々な悩みや不調に効果が期待できるといったホリスティックな健康観を、両の食事法が提供していることを指す。

たとえば鈴木氏は、自らが考え出した食事法は、高血圧、腎臓病、心不全、生理不順の解消、安産の実現、さらには子どもの家庭内暴力にまで力を発揮すると述べる。

なんとそこには糖尿病の改善事例も報告されており、鈴木式を4ヵ月実行したことで食後血糖値392が正常値の140にまで下がり、さらには悩まされていた吹き出物も消えたという35歳の女性の事例が報告される[6]。

これは糖質制限にも同様にみられ、たとえば第一人者である江部康二氏の著書には、脳梗塞、脳出血、心筋梗塞、生活習慣がかかわっているとされるがんの予防効果が期待できると書かれ、事例には花粉症、尿漏れ、脂肪肝といったさまざまな不調が改善したという声が紹介される[5]。

同様に2016年に出版された『糖質制限が子どもを救う』(三島学著/江部康二監修)には、冷え症、アトピー、不登校が解消したことに始まり、糖質制限により子どもの学力がアップしたという事例までもが報告され、大人のみならず子どもへの効果が謳われる3。さらにはがんの予防のみならずがんの治療にも効果が期待できると発言する医師もいる。


3子どもへの糖質制限については、すべての推奨派が賛同しているわけではない。制限派の医師の一人である山田悟氏は子どもへの糖質制限には反対の立場をとっている。

全く正反対の食事法でありながら、その効果として期待できるものはほぼ同じであり、さらにこれが事例によって支えられているという事実を私たちはどのように受け止めるべきなのであろう。

まず科学という視点からこの食事法を捉えることは保留したい。研究の成果が蓄積されているのは圧倒的に糖質制限であるが、糖尿病の治療に効果があるという結果の蓄積はあるものの、がんの予防から子どもの不登校にまで効くというデータはそろっていない。

ただその事実をもって、糖質制限で示される様々な成功事例を否定することは避けるべきだ。私たちは何が事実か、真実かを決める際に科学的根拠を持ち出しがちであるが、疫学統計をもとにした科学的根拠は、あくまでもサンプル全体の傾向を示しているだけであり、傾向から外れたところにあるものがなぜ外れたのかを説明する力はないし、ましてはそれらを嘘あるいは偶然として片づける力はない。

そしてこれは同様に、鈴木式にも当てはまる。研究の蓄積が乏しいからといって、鈴木式の成功例は嘘や勘違いであるということはできないし、糖質制限の事例はほんとうで、鈴木式の成功事例はまがいものという結論を引き出すこともできない。私たちはどちらの成功事例にも真実があるとみるべきであるし、失敗事例においてもそこになんらかの真実があると見るべきなのだ。

つまり糖質制限も鈴木式も、やせるということにおいて力を発揮しただけでなく、やせるだけにとどまらない効果を発揮した人が数多く存在する食事法なのである。

サイエンスの限界

対照的でありながら酷似する2つの食事法から私たちが学ぶべきことなんであろう。私はそれは、人間という存在の不思議さ、わからなさに対する謙虚さではないかと考える。

同じ国の中でも数十年遡るだけで、いまとは全く正反対の食事法が発見され、そこで同じような成果を実感した人がいる。

さらに世界を見渡せば、私たちのように米を主食にしてきた民族がいる一方で、イヌイットのように肉がメインの民族もいる。ところが南半球に行くと、パプア・ニューギニア高地の人々のようにイモ類に摂取カロリーのほとんどを頼る民族がいる。そしてある食事法の推進者から見れば、確実に健康を損ねるような食べ方をしている人々が、一同早死にというような末路を辿ることなく、生活を営んできたという歴史が存在する。

またそれだけでなく、食には、生物としての命をつなぐという役割のほかに、他の人とのつながりを作るという役割がある。結婚式や、季節の行事など、私たちは特別な場面で特定のものを口にしたり、あるいは通常の食事をはるかに超える量を食べたりすることがあるが、そのような場面での食の目的は、食べ物を通じて、自分を取り巻く人々、環境とのつながりを作り出し維持することにある。

数々の健康被害をもたらすとされるアルコールが多くの民族において欠かせない飲料となっているのがそのよい例であろう。私たちが社会的な存在であり、一人では生きていけない以上、社会的紐帯を作り出すという食の役割を過小評価すべきではない。

このような形で人間の食の多様性とその社会的役割を見てゆくと、サイエンスの旗を掲げて人間の食のあるべき姿を語ることは不可能であることがわかるだろう。日本人にとってのベスト、人類にとっての健康食という形で、ある食事法が一般化され始めたとき、その食事法は「科学」ではなく、「思想」になるのだ。

その思想に伸るか反るかは自由である。

しかし一つの食事法を実践する過程で、これまで何の気なしに食べていた食べ物あるいは栄養素に対して恐怖や敵意が埋め込まれ、そのことが、社会的な存在としての私たちのあり方を狭めたり、ある特定のビジネスに誘導されたりすることにつながらないかは注意すべきである。もしそうなっていたら、そこで示される全体的な健康観は幸せの皮をかぶった囲い込みであろう。

寄って立つところを強力に与えてくれる先導者は、メンタルやフィジカルなど、何かに不安を抱える人々にとってたいへん魅力的な存在に映る。そしてその人の言葉に従うことで安心感が得られる場合も多い。しかし学問の専門性が細分化されたいま、どんなに優れた専門家であっても私たちの人生の専門家になることはできない[7]。そして食は私たちの人生の根幹にかかわる問題なのだ。

そのように考えると、私たちが食に不安を抱えた際に頼るべき専門家は、力強い言葉で私たちの代わりに選択をしてくれる専門家ではなく、私たちの多様な人生に伴走する形で専門知識を用い、その時々に応じてベストな答えを引き出すことをサポートしてくれるプロフェッショナルであるといえるだろう。

一見、弱そうな専門家がもしかしたらもっとも強いことだってあるかもしれない。

1. 鈴木その子, やせたい人は食べなさい―減量常識を破る奇跡の鈴木式. 1980, 東京: 祥伝社.
2. 夏井睦, 炭水化物が人類を滅ぼす〜糖質制限からみた生命の科学〜 2013: 光文社新書(電子書籍版).
3. 山田悟, 糖質制限の真実―日本人を救う革命的食事法ロカボのすべて. 2015: 幻冬舎.
4. 鈴木その子, 新・やせたい人は食べなさい:奇跡の鈴木式・スーパーダイエット. 1990: 祥伝社.
5. 江部康二, 主食をやめると健康になる. 2012: ダイヤモンド社(電子書籍版).
6. 鈴木その子, カロリーなんか忘れなさい<完全版>―食べて・やせる・鈴木式健康法. 2001, 東京: 祥伝社.
7. Giddens, A., モダニティと自己アイデンティティ : 後期近代における自己と社会. 2005, 西東京: ハーベスト社.

10. 中川隆[-9013] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:33:27 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[18] 報告
ご飯、うどん・・・ 炭水化物減らすダイエット 60代後半で老化顕著に 
糖質制限ご用心 2018年03月15日

 糖質制限ダイエットは老後にしわ寄せも──。ご飯やうどんなどの炭水化物を減らした食事を長期間続けると、高齢になってから老化が早く進み、寿命も短くなるとの研究を東北大学大学院がまとめた。糖質制限は「内臓脂肪を効率的に減らす」と話題になっているが、マウスを使った試験では人間の年齢で60代後半からの老化が顕著だった。研究内容は名古屋市で15日から始まる日本農芸化学会で、17日に発表する。(立石寧彦)

東北大大学院が報告

 同大学院農学研究科のグループは、食事の量を減らさず炭水化物の量を制限し、その分をタンパク質や脂質で補う「糖質制限食」について、摂取と老化の影響を分析。マウスに日本人の一般的な食事に相当する餌を与えた場合と、糖質制限食を与えた場合を比較した。ビタミンやミネラルは同じ量を与えた。

 一般的な食事を与えたマウスは多くが平均寿命よりも長生きしたが、糖質制限食では平均寿命まで生きられなかった個体が多かった。死んだ個体は平均寿命より20〜25%ほど短命だった。また、糖質制限の個体は見た目も同齢の一般食の個体と比べて背骨の曲がりや脱毛などがひどく、老化の進度が30%速かった。

 同科の都築毅准教授によると、現時点で詳しいメカニズムははっきりしていないが、「糖質制限食の個体は、血液中に多く存在するとがんや糖尿病の発症が早くなる可能性が高まる物質が多くなっていた」と、食事による違いを指摘する。

 さらに、若い時期は影響が目立たないために健康そうに見えるが、加齢が進んで人間の年齢換算で60代後半になると、外見的な老化が進行し、皮膚の状態の悪さがはっきりしてくるという。

 同グループは「長期の糖質制限はマウスの皮膚や見た目の老化を促進し、寿命を短くする」と結論付けた。都築准教授は「極端な食事スタイルは健康維持に有益ではないと発信し、誤った食生活を見直すきっかけにしてほしい」と期待する。

「同時に運動」 効果的 全農が提唱

 そもそも、炭水化物は太る原因なのか──。糖質制限が話題となる一方で、米飯を中心とした健康づくり活動も活発だ。

 JA全農は、スポーツクラブを運営するルネサンスと「おにぎりダイエットプログラム」を共同開発。おにぎり中心の食事とトレーニングを組み合わせて、無理なく体重を減らせるため「米はダイエットの敵ではない」として、2016年から成果を広めている。

 プログラムでは、年代や性別などから1日の消費カロリーを計算し、食べるおにぎりの個数を決定。筋力トレーニングやランニングと組み合わせた結果、16年の調査では1カ月で7割が500グラム以上減量。17年は1カ月で7割が腹囲を1センチ以上減らせた。

 おにぎりはパンや麺類などの他の炭水化物と違い、コレステロールを含まないため、同量ならばご飯の方がカロリーは低いという。東京・大手町のJAビルでJA全中が運営する「ミノーレ」では、炊き立てのご飯を入れて提供する弁当が人気だ。売り上げは09年のオープン当時の1日250個から、550個と倍以上に増えている。大盛りを頼む人も多いという。
https://www.agrinews.co.jp/p43551.html


マウス同様、類人猿も人類も元々植物食なので糖質制限は合わないのですね。

11. 中川隆[-9012] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:34:15 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[19] 報告
日本を作った「イネ」。そのすごい力とは?
2018年07月05日 稲垣栄洋(植物学者)
https://shuchi.php.co.jp/the21/detail/5343?

日本の人口密度を支えた「イネ」のパワー


「人類の歴史は、植物の歴史でもある」……。植物学者の稲垣栄洋氏はそう指摘する。確かに人類は植物を栽培することによって農耕を始め、技術を高め、文明を生み出した。そして、そこから生まれた富を争って戦争が始まった。また、イネ、コムギ、コショウ、トウガラシといった植物は、人々の食生活や文化をも変えてきた。

では、植物から見ると歴史はどのように見えるのだろうか。中でも日本人にとって極めて身近な「コメ」について、

稲垣氏の著書『世界史を大きく動かした植物』
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%82%92%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%8F%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E6%A4%8D%E7%89%A9-%E7%A8%B2%E5%9E%A3-%E6%A0%84%E6%B4%8B/dp/456984085X


を元に解き明かしていただいた。


イネはコムギの数倍の生産性を誇る

イネはもとをたどれば東南アジアを原産とする外来の植物である。しかし、今ではコメは日本人の主食であり、神事や季節行事とも深く結びついている。日本の文化や日本人のアイデンティティの礎は稲作にあると言われるほど、日本では重要な作物となっているのだ。

どうしてイネは日本人にとってこれほどまでに重要な存在となったのだろうか。

イネは東南アジアなどでも盛んに作られているが、数ある作物のうちの一つでしかない。食べ物の豊富な熱帯地域では、イネの重要性はそれほど高くないのである。

日本列島は東南アジアから広まったイネの栽培の北限にあたる。

イネはムギなどの他の作物に比べて極めて生産性の高い作物である。イネは1粒の種もみから700〜1000粒のコメがとれる。これは他の作物と比べて驚異的な生産力である。

15世紀のヨーロッパでは、コムギの種子をまいた量に対して、収穫できた量はわずか3〜5倍だった。これに対して17世紀の江戸時代の日本では、種子の量に対して20〜30倍もの収量があり、イネは極めて生産効率が良い作物だったのである。現在でもイネは110〜140倍もの収量があるのに対して、コムギは20倍前後の収量しかない。


「コメと味噌汁」は栄養学的に優れている

さらにコメは栄養価に優れている。炭水化物だけでなく、良質のタンパク質を多く含む。

さらにはミネラルやビタミンも豊富で栄養バランスも優れている。そのため、とにかくコメさえ食べていれば良かった。

唯一足りない栄養素は、アミノ酸のリジンである。ところが、そのリジンを豊富に含んでいるのがダイズである。そのため、コメとダイズを組み合わせることで完全栄養食になる。ご飯と味噌汁という日本食の組み合わせは、栄養学的にも理にかなったものなのだ。

かくしてコメは日本人の主食として位置づけられたのである。

一方、パンやパスタの原料となるコムギは、それだけで栄養バランスを満たすことはできない。コムギだけではタンパク質が不足するので、どうしても肉類などを食べる必要がある。そのため、コムギは主食ではなく、多くの食材の一つとして位置づけられているのである。


稲作に適した日本列島

さらに日本列島はイネの栽培を行うのに恵まれた条件が揃っている。

イネを栽培するには大量の水を必要とするが、幸いなことに日本は雨が多い。

日本の降水量は年平均で1700ミリであるが、これは世界の平均降水量の2倍以上である。日本にも水不足がないわけではないが、世界には乾燥地帯や砂漠地帯が多い中で、水資源に恵まれた国なのである。

日本は、モンスーンアジアという気候帯に位置している。モンスーンというのは季節風のことである。アジアの南のインドから東南アジア、中国南部から日本にかけては、モンスーンの影響を受けて雨が多く降る。この地域をモンスーンアジアと呼んでいるのである。

5月頃にアジア大陸が温められて低気圧が発生すると、インド洋の上空の高気圧から大陸に向かって風が吹き付ける。これがモンスーンである。モンスーンは、大陸のヒマラヤ山脈にぶつかると東に進路を変えていく。この湿ったモンスーンが雨を降らせていくのである。

そのため、アジア各地はこの時期に雨季となる。そして、日本列島では梅雨になるのである。

こうして作られた高温多湿な夏の気候は、イネの栽培に適しているのである。

それだけではない。冬になれば、大陸から北西の風が吹き付ける。大陸から吹いてきた風は、日本列島の山脈にぶつかって雲となり、日本海側に大量の雪を降らせる。大雪は、植物の生育に適しているとは言えないが、春になれば雪解け水が川となり、潤沢な水で大地を潤す。

こうして、日本は世界でも稀な水の豊かな国土を有しているのである。


「田んぼを作る」のは簡単ではない

もっとも、雨が多ければイネを栽培できるというほど単純なものではない。イネを栽培するためには、水をためる田んぼを作らなければならないのだ。ところが、これが簡単ではなかった。

日本の地形は山が急峻であることで特徴づけられる。山に降った雨は一気に平野へ流れ込み、増水してあちらこちらで水害を起こす。そのため、日本の平野部は人の住めないような湿地帯が広がっていたのである。そうかと言って高台に住んでいれば、雨水は一気に流れ去ってしまうから、田んぼに使う水を確保できない。雨が多くても、実際に田んぼを拓き、イネを栽培することは簡単ではなかったのである。

田んぼを作るには、山から流れる川の水を引き込んで、田んぼの隅々にまで行き渡らせることが必要である。こうして、大きな川から小さな川を引き、小さな川から田んぼに水を行き渡らせて、田んぼに水をためることによって、山に降った雨は一気に海に流れ込むことなく、地面を潤しながらゆっくりと流れるようになったのだ。

「何もない」景色に隠された途方もない努力

途方もない労力と時間を掛けて、人々は川の氾濫原を田んぼに変えていった。日本の国土にとって、田んぼを作る歴史は、激しい水の流れをコントロールすることに他ならなかったのである。

「田んぼはダムの役割がある」と言われるが、それは単に水をためているからではなく、急な河川の流れをなだらかにして、ゆっくりと流れながら大地を潤し、地下水を涵養することから、そう言われているのである。

戦国時代の日本では、同じ島国のイギリスと比べて、すでに6倍もの人口を擁していた。その人口を支えたのが、「田んぼ」というシステムと、「イネ」という作物だったのである。

ただ、私たち日本人にとって田んぼという風景は当たり前すぎて、田んぼしかないところは「何もない」と表現されてしまう。そして、田んぼが埋め立てられてコンビニでもできれば、「何もなかったところに店ができた」と言われてしまう。

しかし、そこに田んぼがあるということは、血のにじむような先人たちの努力があったということなのである。

12. 中川隆[-9008] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:38:37 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[23] 報告
洋風の食事は脳の活動を阻害する=研究者
テック&サイエンス 2020年02月20日

1日の摂取量として糖分や脂肪の多い「洋風」の食事は、制御の利かない食欲を招き、そのことが脳の海馬の領域の破壊につながると研究者は指摘する。研究結果が『Royal Society Open Science』誌で発表された。

糖分と脂肪の割合が高い食事が脳に与える影響を明らかにするため、オーストラリアのシドニーにあるマッコーリー大学の専門家は、英国と米国の研究者らと共同で研究を行なった。

実験には20歳から30歳までの110人が協力した。彼らは若くて健康で、肥満傾向になく、慢性疾患を患っておらず、ある程度健康的な食事を摂っていた。実験参加者らはランダムに2つのグループに分けられた。1つのグループは管理下に置かれ、日常生活と同じ材料での食事を摂り続けた。もう1つのグループは、1週間の間、ファーストフードやベルギーワッフルといった菓子など、「洋食」を摂り続けた。

実験の初日と最終日には、食前と食後に参加者には単語の記憶テストが行なわれた。また、何種類かの食べ物の味見をしながら、高糖度の食べ物の内からどれを食べたいと思うかの評価が行なわれた。研究者らはその際、ニューロイメージング法を使用し、実験参加者の脳内でどのようなプロセスが生じるか観察を行なった。

実験では、わずか1週間で「洋食」を摂っていたグループの実験参加者に、記憶テストの結果が悪化する傾向が示された。

しかし、それ以上に研究者らを驚かせたのは、これらの参加者が朝食後、満腹だったにも関わらず、とても喜んで菓子やファーストフードをたいらげたということだった。脂肪や炭水化物が多い食事は、通常の満腹感を得ることを困難にし、慢性的な過食と肥満、それに起因する疾病を発症させるポジティブフィードバックを生じさせる。
https://jp.sputniknews.com/science/202002207120843/

13. 中川隆[-9006] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:39:53 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[25] 報告
コメは肥満予防の鍵か=日本の研究チーム 2019年05月03日

日本の研究チームが、米を多く摂取する地域では肥満率が顕著に低いとの結論を出した。サイト「EurekAlert」に研究内容が掲載された。


136カ国で調査したところ、1人あたり1日150グラムの米を消費する国では肥満度が低く、1日平均14グラムの国では肥満度が高かった。

同志社女子大学の今井智子教授は「米を主食として食べる国では肥満者の割合が低いことが示唆されている。そのため、米をベースにした日本食やアジア料理は肥満を予防する助けになるかもしれない。世界的に肥満度が上がっているため、西欧諸国でも肥満対策のためより多くの米を食べることが推奨されるべきだ」と述べた。

14. 中川隆[-9003] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:44:44 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[28] 報告
乳がん患者はパン食好き

調査してみたところ、朝はパン食の人が乳がん患者の大多数を占めていたということが判明したそうです。

パンそのものは癌(がん)の原因ではないのですが、パンと一緒に摂るマーガリン、バター、マヨネーズ、ケチャップ、ソースなどの高脂質の調味料などが乳がんの罹患率を大きく上昇させる要因になっているそうです。

和食だと、ほとんどこうした食材を使いませんね。

食の欧米化は、日本人の体格向上などに大いに貢献しましたが、この辺で和食回帰が必要なのではないでしょうか?

かつて和食には、高塩分、良質な動物性たんぱく質の不足などの欠点がありましたが、今では劇的に改善されていますね。

パンは手軽さが特に時間の無い朝にはありがたいですが、健康のことを考えると、ご飯食の方がよさそうですね。

大腸がんについても、高脂質の食事が大きな促進要因になっていることがわかっていますね。

補足少し話は逸れますが、現在日本で販売されている大半のパン、クッキー、菓子パン、ケーキ等には、心筋梗塞を誘発するトランス脂肪酸を豊富に含んだマーガリンやショートニングが使われています。

アメリカではこうした加工油脂のトランス脂肪酸の含有量規制が厳格に行われていますが、日本では規制は行われていません。

外国産ではバターが使われていることが多いですね。
フランスパンにはこうした油脂類は使われていないようです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12110419837

要するに、炭水化物はいくら食べても癌にならないけど、マーガリンや牛乳や添加物で乳癌になる。

糖質を栄養源とする解糖系云々という話はすべて間違い


肉を焼くと発癌物質ができる

赤肉による大腸がんリスク上昇のメカニズムは、動物性脂肪の消化における二次胆汁酸、ヘム鉄による酸化作用、内因性ニトロソ化合物の腸内における生成、調理の過程で生成される焦げた部分に含まれるヘテロサイクリックアミン(発がん物質)等の作用が指摘されてきました。

これらの作用は、牛・豚肉といった赤肉に限らず、肉類全体の摂取を通してももたらされる共通のものとして捉えることができます。

肉類全体の摂取量と結腸がんリスク上昇の関連が見られる以上は、牛肉や豚肉も含めて食べ過ぎないようにする必要があると考えられます。
http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/2869.html

・ヘテロサイクリックアミン

ヘテロサイクリックアミン(英: Heterocyclic amine、略称: HCA) あるいは複素環アミン(ふくそかんアミン)又は複素環式アミン(ふくそかんしきアミン)は、少くとも一つの複素環(少なくとも2つの異なる元素を含む環)を含み、かつ化合物が少なくとも一つのアミン(窒素を含む)官能基を有している化学物質である。多くの場合、窒素原子はアミノ基や複素環(例: ピリジン)に含まれるが、どちらにも属さない化合物も存在する(例: ジレウトン)。HCAの生物学的機能は、ビタミンから発がん性物質まで様々である。発がん性HCAは肉を高温で調理することによって生成する。

発がん性物質としてのHCAは食品中のアミノ酸とクレアチンが高温環境下において反応することで、新たに生成する。特に、魚や肉類のこげた部分や煙の中に多く含まれる。日本で最初に同定され、現在20種類ほどが報告されており、国際がん研究機関 (IARC) や米国国家毒性プログラム (NTP) では発がん性が認められている。ヒト体内ではP450やトランスフェラーゼにより、代謝活性化された後、フレームシフト変異をおこしやすいことが知られている。
http://kusuri-jouhou.com/creature1/fuhai.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%86%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%B3

15. 中川隆[-9002] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:45:42 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[29] 報告
昔の人は玄米なんか絶対に食べなかった。 植物はアクを抜かないと危険だと知っていたからです:


玄米(種もの)には発芽毒がある

玄米やひえ、あわ、きび、大豆などの雑穀をはじめ、あらゆる植物の種子には、その子孫を守るため動物に食べすぎられないように身を守るメカニズムや、土の上に落ちても腐ることなく、やがて発芽に適した季節になると芽を出すことが出来るように、栄養成分を貯蔵して決して外に出さないというメカニズムが働いています。その因子が「アブシジン酸」や「フィチン酸」です。

アブシジン酸【abscisic acid(ABA)】はテルペノイドの構造をもつ植物ホルモンであり、発芽抑制因子として働き、植物の発芽を調節しています。このABAは人体に対して毒作用がありますので、玄米など種ものを食べる時、これを“無毒化”して食べる正しい知識がないと危険です。

フィチン酸は、特に種子のなかにおいては、フィチン(フィチン酸とミネラルの混合塩で水不溶性)の形をとり、強いキレート作用で、リンをはじめとして多くの金属イオン(カルシウム、マグネシウムなどのミネラル)と強く結合しています。つまり、玄米の中にあるミネラルは、フィチンのキレート作用のために吸収を阻害されてしまうのです。
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/168.html

16. 中川隆[-9000] koaQ7Jey 2020年12月24日 03:48:30 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[31] 報告
がんの原因@「食の欧米化」

◆ 肉食が腸癌増加の原因か

1950年代〜食の欧米化(肉食、乳製品)が進むに連れて、日本人の腸がんが増加しています。

上のデータは、欧米人が腸がんにかかりやすいことを示しており、食の欧米化が腸がん増加をもたらしたといえるのではないでしょうか?

このことは、国立がんセンターも述べています。


肉を多く食べる日本人は大腸がんになるリスクが高いことが、約8万人を対象にした約10年におよぶ国立がん研究センターの追跡調査でわかった。

 岩手や長野、茨城、沖縄など9県在住の45〜74歳の男女約8万人を対象に、1995年から2006年まで追跡調査した。このうち大腸がんになった1145人(結腸がん788人、直腸がん357人)について肉類の摂取量との関連を調べたところ、摂取量と結腸がんに関係がみられた。

 男性は、肉類全体の摂取量が最も多いグループ(1日当たり約100グラム以上)のリスクが、最も少ないグループ(同約35グラム未満)の1・44倍だった。女性でも、赤肉(牛と豚肉)の摂取量最大のグループ(同約80グラム以上)が、最少グループ(同約25グラム未満)の1・48倍に上った。


◆ 牛乳の摂取が前立腺がん発症をもたらす

加えて、こんなデータもあります。
http://homepage2.nifty.com/smark/MILKbyok.htm


牛乳の消費量と、前立腺がんの発生率も相関関係があるというのです。
日本人の前立腺がんの早期化・増加は、牛乳の消費量増加が原因となっているのではないでしょうか?

以上から、「食の欧米化(肉食・乳製品)」はがんの原因だといえます。
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2012/10/1204.html

17. 中川隆[-8988] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:07:00 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[43] 報告
米はガン細胞の増殖を抑制する

日本酒はガン細胞の増殖を抑制することを実験で確認

医学博士 滝澤行雄 秋田大学名誉教授
国立水俣病総合研究センター所長

 私は長年、疫学の研究に携わってきました。疫学という学問は、人間の集団を対象
にして、環境や地域の特性、生活習慣などが、健康に与える影響を調べ、疾病の予防
手段を考える研究分野です。
 東北の秋田といえば、全国的にみても日本酒の消費量が多い地域です。
 疫学の調査を通してわかったことは、秋田をはじめ、日本酒の消費量が全国平均よ
りも多い地域では、消費量の少ない地域に比べて、肝硬変や肝臓ガンによる死亡率が
低いことです。
 では、なぜ日本酒の消費地では、肝硬変や肝臓ガンによる死亡率が低いのでしょうか。
この疑問に答えるため、私たちは日本酒のガン細胞に及ぼす影響を、ヒトのガン細胞
を用いて調べました。
 最初に、火入れ処理(製造過程の日本酒を65度前後に加熱して殺菌すること)を
する前の純米酒100ミリリットルを濃縮ろ過し、2.5ミリリットルの資料を作りました。
 次にヒトの膀胱ガン、前立腺ガン、子宮頚ガンの培養細胞をプレートに取り出し、
5段階の濃度に調整した試料に24時間培養して、細胞の変化を観察しました。
 その結果、64倍に薄めた日本酒の調整試料は、ガン細胞の90%以上が凝縮あるいは
壊死していました。
 さらに128倍にも薄めた調整試料では、約半分のガン細胞が凝縮、または壊死すると
いう結果が出ました。
 この研究では、ウイスキーやブランデーでも同様実験を行って比較しましたが、日本
酒のようなガンの抑制効果は殆ど認められませんでした。
 次いで日本酒のどの成分が、ガン細胞の増殖抑制を示したのかを調べたところ、日本
酒に含まれるアミノ酸、糖類といった低分子量の成分(分子量約1万)に、ガン細胞の
萎縮・壊死に効果があることがわかりました。


 醸造酒である日本酒には、アミノ酸や糖類をはじめ、100種類以上の微量栄養素が含
まれています。一方、ウイスキー、ブランデー、焼酎などの蒸留酒では、蒸留という製
造工程でこうした有効成分の大半が失われ、わずか四、五種類の栄養素しか残りません。

 この栄養分の多寡が、ガン細胞を死滅させる効果の違いに関わっているものと推測
されます。またビールやワインなども醸造酒ですが、日本酒ほど成分の種類が豊富では
ありません。

 この実験では純米酒を使用しましたが、日本酒なら、本醸造酒や吟醸酒でも、純米酒
とほとんど変わらない効果が得られるものと思います。

 なお、一般にアル添酒や三増酒と呼ばれる、醸造アルコールを添加している普通酒で
は、ガン細胞の抑制効果は低くなっています。
http://www.organic-mikishi.jp/homepage0/1_10jyuttoku/0007.htm


日本酒は日本人の3大死因の一つである癌に対して抑制効果があるといわれています。
国立癌センターの調査では、毎日、日本酒を飲む人は飲まない人に比べてあらゆる癌に対して患う危険性が少ないと報告しています。

また日本酒やその副産物である酒粕には癌細胞を直接的に殺す作用であるナチュラルキラー活性を増強する効果や、癌患者の激やせの原因であり、癌細胞から分泌されるトキソホルモン-Lという脂肪分解物質の脂肪分解作用を抑制する働きも確認されており、癌患者の激やせを防ぎ、癌治療に耐えうる体力を養う効果があると報告されています。

以上のように日本酒には癌を防ぐ多くの物質が含まれていることが明らかにされつつあります。

よって日本酒を飲むことで少なからず癌予防に効果があることは本当のようです。
http://www.nakanoshuzou.jp/sake/sake01.html


日本酒が、がん培養細胞の増殖を抑える
酒はその国の文化の所産です。また医学的にみても、適量の飲酒は胃液の分泌を促して食欲を刺激し、さらに善玉コレステロール(HDL、高密度リボ蛋白)を増やして心筋梗塞や冠状動脈疾患を予防してくれます。最近の研究では、老化や痴呆の防止にも効果があることがわかってきています。

 そればかりか、がんの抑制にも効果があるという驚くべきデータも得られたのです。

 世界にさまざまな酒がある中で、とりわけ日本酒は、アルコールのほか有機酸、糖分、アミノ酸、ビタミンなど100種類以上の微量成分が含まれています。疫学的研究やがん細胞の増殖抑制実験で、これら日本酒の成分ががんの死亡率やがん発生のリスクを軽減するという研究の成果が相次いでいます。ここでは日本酒の発がん予防効果を中心にお話ししたいと思います。

 日本人の飲酒率は近年、急激に上昇していますが、肝硬変、肝がんの死亡率は世界のうちでむしろ低率国群に属しています。

 ただ、同じ国内でも、日本酒の消費量が多い東日本地域のほうが、西日本に比べて肝硬変や肝がんによる死亡率が低いのです。厚生省の資料によると、戦後の1969年〜1983年までの約15年間における「肝硬変・肝がんの性別・都道府県別標準化死亡比」は、両疾患とも性別に関わりなく「西日本に高く、東日本に低い」という地域差をはっきりと示しています。この地域差は肝がんよりも肝硬変で大きく、男性の中高年齢層ではいっそう明確になっているのです。

 日本の肝硬変の主な要因は肝炎ウイルスとされ、欧米とは対照的にアルコールに起因するのは10%程度といわれています。その上、ウイルスの地域分布に東西間の差はとくに見られていません。

 ここで、私たちは、最近10年間の肝硬変による標準化死亡比を都道府県別・酒類別に詳細に観察してみました。その結果、日本酒の消費量と肝硬変は、男女とも危険率1%の有意の負相関を示したのです。つまり日本酒を飲んでいる人は、肝硬変による死亡の危険がきわめて少なくなるという数値です。肝がんでもほぼ同様でした。

 これを踏まえて、さらにわれわれは日本酒の成分の生物活性についても実験を行いました。実験では、日本酒から得られた成分そのままの抽出試料と、濃縮試料の2種を用い、5段階の濃度に調整。それを膀胱がん、前立腺がん、子宮頚がんそれぞれの培養細胞プレートで24時間培養して細胞の変化を観察したところ、いずれの試料もがん細胞の増殖を抑制する細胞毒性作用が見られました。とくに64倍まで薄めた濃縮試料では、がん細胞の90%以上が凝縮または壊死していたのです。

 ウイスキー、ブランデーから得られた試料でも同様の実験を行いましたが、どちらも日本酒にあるようながんの増殖抑制効果はほとんど認められませんでした。
 また、日本酒に人工アルコールを加えると、その活性は3分の1ほどに低下しました。このことからも日本酒中の微量成分に量・反応の効果があることがわかります。

 さらに、日本酒のどの成分ががん細胞の増殖抑制を示したかを調べたのですが、日本酒に含まれるアミノ酸、糖類といった低分子量の成分にがん細胞の萎縮・壊死を示す効果があることも判明しました。

 こうしたいわば試験管中の実験結果が人体にはたして適用できるのかこれについてはすでに日本におけるがん研究の第一人者であった国立ガン研究所の故・平山雄先生が重要な研究結果を1978年に発表しています。

 これは、全国から選ばれた健康な成人26万5118人について、さまざまながんの危険因子を16年間にわたり継続観察した息の長い調査です。

 これによると「毎日喫煙・飲酒・肉食をし、しかも毎日緑黄色野菜をとらない。」グループががんの最高危険度を示しました。しかし、興味深いのは、「喫煙・飲酒・肉食を毎日せず、緑黄色野菜を毎日とる。」という節制型のグループはがん危険度は最低ですが、この群に「毎日飲酒する。」を加えても、その発がんリスクにほとんど差がなかったことです。

 さらに平山先生はこの集団調査結果から、「毎日飲酒する。」群が、非飲酒群に比べて胃がんや腸がんのリスクが低いことも明らかにし、われわれの実験の成果を支持しています。また、日本が進めるがん戦略10ヵ年計画の一環として、文部省の「がんレポート班」研究があります。現在継続中ですが、これまでの40歳以上の12万5760人を対象にしたがん死亡調査で、1987年から92年までの5年間における全死亡者2377人中、がんによる者は760人で、全がん、胃がん、肺がんおよび肝がん・肝内胆管がんすべてにおいて、毎日飲酒者のほうが非飲酒者に比べて、男女とも低いことが、中間報告ではあるものの、明白になっています。

 以上、述べたように日本酒は、心筋梗塞や肝硬変、肝がん、消化器系がんなどを予防する効果がある飲み物だということが分かりました。

 しかも、おかずと共に楽しみながら飲む”晩酌〃という日本酒ならではの飲み方は、健康効果と結びつく素晴らしい習慣。適正飲酒を守れば、大脳皮質を刺激してストレスを解消、心の緊張をほぐし、明日の仕事の能率を保証し、精神に活力を与えてくれるまさに”百薬の長〃といえるのではないでしょうか。
http://www.mercatoclub.com/mimiyori_kenkou.htm

一方、日本酒以外の酒を毎日飲むと必ず癌になる:
【悲報】アルコールはたとえ適量であっても癌の原因となる!!米がん研究所

公開日時:2013年02月19日

お酒の飲みすぎが体に悪いのは重々承知している。しかしたとえ適量といえど、酒は癌の原因となり生命を脅かす存在であることがわかった。

米国では死亡する人の3.5%、約30人に1人がアルコールのせいで癌になり亡くなっているらしい。

少量のアルコールは心臓病や糖尿病のリスクを減らしてくれて、生活を豊かにするともいわれている。しかし「お酒はたしなむ程度で決して深酒はしない」という人でも侮るなかれ、癌になるリスクは十分にあるらしい。

米国の2009年の死亡データによると 18,178人〜21,284人がアルコールが原因で癌になり死亡したとみられる。

うち48〜60%は1日に3杯以上の飲酒癖のあるヘビードリンカーだったが、1日の摂取量が1.5杯という、いわゆる適量とされる量の人でも30%という高い割合で癌で死亡している。

「お酒に適量も安全な量もない!」

と調査を指揮した米国立がん研究所のデイビッド・ネルソン医師は断言する。

癌の原因は遺伝子、たばこ、肥満というのが有名だが、“癌になりたくなければ酒を減らせ”というのも鉄則らしい。
http://irorio.jp/sousuke/20130219/47343/

18. 中川隆[-8987] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:08:27 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[44] 報告
日本古来の料理の原点は、縄文時代の食文化といえそうです。

歴史の教科書では、採取生産の縄文時代は食うや食わずの貧しい時代で、稲作が伝播した弥生時代は貯蔵と計画生産が可能となった豊かで安定した時代、と紹介されます。

しかし、実際の縄文時代は、現代よりも温暖で海産物も豊富だったこともあり、さらに保存食も活用し、その食生活は味付けや調理も行われた豊かで多彩なものだったようです。

そんな縄文人にしてみれば、渡来人による稲作の伝播は、専門技術が必要で時に採集以上の重労働を伴い、また私有や格差、納税といった現象ももたらす、ありがた迷惑な存在だったのかもしれません。

以下、引用です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

縄文人の主食は、種実類(しゅじつるい)と根菜類を中心とした植物であることが、今日では定説になっている。

その多くにはエネルギー源となるデンプンが豊かに詰まっている。しかも身近にあって量も多く、老若男女を問わず効率よく採集でき、また貯蔵がきく木の実を地中の竪穴に貯える事は全国的に普及しているが、低温多湿で粒のままの保存であるから、長期に大量に保存しうるものではなかった。

冬期でも寒冷地以外は、短期間がせいぜいである。

長期には住居の屋根裏にトチ・クルミ・ドングリなどが乾燥保存された。

長野県富士見町藤内遺跡(とうない)の九号住居址から、竪穴住居の炉上の吊り棚に貯えられたとみられる多量の栗が出土した。火棚で各種食料の乾燥と燻状貯蔵が日常的に行われていた証である。デンプンを粉にしたり、それをクッキーに加工して保存もしていた。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=290341


諏訪地方縄文時代 民俗学的研究

縄文時代の中期を中心に  和田峠(旧中山道)

 急峻な山道でした。
 何万年という長期にわたって黒曜石を採取し続けたのです。


縄文時代の漁法
 
 八ヶ岳西麓には数え切れないほどの湧水・沢と川が入り組み、諏訪の中筋を流れる上川と宮川の2大流域の源流となって諏訪湖に流れる。現在その源流が、観光開発と道路修繕により、復旧不能な状態で放置されたまま自然資源を喪失している。かつて岩魚などの魚影の濃い場所であった。山の猟に劣らず川の漁も重要な生業で、八ヶ岳西南麓の釜無川水系と宮川水系には、ヤマメ・イワナ・ハヤ・カジカ・サケ・マス・コイ・フナ・ウナギ・ドウジョウなどが棲んでいた。昭和初頭頃まで釜無川にはサケが遡上していた。ウナギは戦前までは周辺の中小河川で獲れた。1万年を超える年月があっても魚類の習性には変わりがないはずで、漁法の殆どが縄文時代に多種多様に工夫され今日に伝わったと思える。

 下流に石を並べて、魚の逃げ場を塞ぎ、上流から追って、その力強い躍動感に驚嘆しながら、岩魚のエラに指を衝き入れ手づかみで岸辺に掬い上げることもしていた。白樺湖ができる前の池の平では、中央を音無川の清流が蛇行して、岩魚・山女(やまめ)・鰍(かじか)などがたくさん棲息していて、地元の川干漁の絶好の場所であった。

 ムラなどで一挙に多量の川魚を獲るため、毒を流すこともした。クルミの葉を沢の岩場で、石でよく叩き潰すと赤茶色の汁が出る。これを流すとカジカが弱って岸辺に流れ寄る。ヤマイモ科のオニドコロの根茎を足で揉み出し、そのトコロ汁を流すと弱ってマス・アユ・ハヤ・ヤマメ・カジカなどが岸に寄ってくる。山椒の木の皮を焼くか乾かして砕き粉を作る。木灰を混ぜて川に流せばよくきいた。山椒の粉と木灰を等量に入れた木綿袋を水に入れて揉むと、濃い茶色の汁が沢に流れ、イワナが弱って白い腹をみせて浮き上がる。自然から採取した材料だけに毒性が弱く、一時的に神経麻痺を起こすが、ある程度時間がたつと魚は蘇生した。できるだけ水量の少ない渇水期を狙い、しかも小さな沢で行わないと効き目がなかった。

 初め川で暴れ、川魚が石や岩場の下に逃げ込む様にし、川の表面に顔を出している石に大きな石を力一杯ぶつける。衝撃で失神して浮いたところで捕まえる。また追い込んだ魚をヤスやモリで刺突もした。現代同様多様な漁法を駆使していた。というよりも1万年を優に超える縄文時代に、日本の文化の骨格となる諸技術とそれを可能にする諸道具が既に整えられていた。主に朝鮮半島を主流とす水田稲作が、西北九州から圧倒的勢いで伝播し得たのも、縄文時代に、生産性を念頭に置き栽培種を意図的に育成し活用する緻密な、農耕に近い文化が涵養されていたからである。長野県茅野市富士見町の井戸尻遺跡群出土の農具の種類は豊富で、打ち鍬・片刃の引き鍬・小鋤・草掻(くさかき)・手鍬(てぐわ)・草取鎌・刈取り用の磨製石包丁・石鎌・中型の手斧などの出土例から既に農耕が始まっていたと考えた方が正解のようだ。

 日本列島の発掘実績から見ると、漁労は川から始まり海に進出した。旧石器時代の遺跡からは、釣針は未だ出土しておらず釣漁や網漁も確認されていない。石槍を転用したヤスやモリによる刺突漁が主であったようだ。海の漁は縄文時代になってからで、釣針・ヤス・モリなどの漁労具の改良も進んでいた。特にシカの骨がそれを可能にした。シカの中手骨や中足骨が真っ直ぐで長いので縦に裂いて作った。

 長野県南佐久郡北相木村の栃原岩陰遺跡(とちばらいわかげ)は、12体の縄文時代早期の人骨が出土した事で有名であるが、八ヶ岳から流れ出た相木川泥流が堆積した崖を、相木川が長年月に亘る流力で削りとった岩陰に縄文早期の小規模な遺跡を3つ残した。そこでシカなどの足の長管骨を裂いて作った釣針が出土した。しかもサケ・マス類の脊椎骨までも伴出した。日本海の信濃川から千曲川を遡り、さらに遡上を続け、群馬県の県境、長野県の相木村にまで達していた。
 
 石槍を漁労用に展開したのがヤスで、早期には登場し、前期には鹿角製で逆鉤(あぐ)を付けたものも作られた。ヤスは東海・関東・東北地方の後・晩期に盛んに製作される。ヤスは槍先を木や竹の柄に装着して、浅水の魚をターゲットとするが、モリは槍先に穴・溝・くびれ・突起・肩などを備えて紐をつけ、投げて突き手が繰り寄せる。回遊するマグロなど大型の魚や海生哺乳類を獲物にする。北日本沿岸部では縄文中期まで石槍が多かったが、後期以降骨角製のヤスやモリが主流となる。宮城県石巻市の沼津貝塚では、多種の骨角製のモリや釣針が出土している。それら漁具と共伴した魚骨には、マグロ・スズキ・ニシン・クロダイ・マダイ・サバ・ヒラメなどがあった。

 縄文時代の漁労は、旧石器時代既に神津島・恩馳島から黒曜石材を船で運ぶぐらいであるから、外洋にまで進出していたと見るべきだ。しかも今より岸近くまで魚が回遊していたのは確かで、魚影も濃かったであろう。外洋魚としては、マグロ・カツオ・ブリ・サバ・・アジ・イワシ・サメなどがあり、岩礁地帯ではマダイ・イシダイ・ブダイ・カンダイ・カワハギなど、砂浜の延長にある浅瀬にはハモ・ヒラメ・アナゴ・ホウボウ、内湾に入るとクロダイ・スズキ・コチ・ボラ・フグ類となる。以外にフグ類の骨の遺存が多い。毒を除去し美味しい身を食する文化と技術が広く伝播していた。外洋性回遊魚のイワシ類や内湾を回遊するクロダイ・スズキなどは鹹水と淡水が混じる汽水域でも棲息する。湖水ではフナ・コイ・ギギ・ナマズ・ウナギなど、汽水域では、ウナギ・マハゼ・サヨリなど懸命にとらえていた。東北地方の寒流域でサケ・マス・ニシンなどが主体となる。サケは秋、産卵のために産まれた川を遡上(母川回帰;ぼせんかいき)し、産卵場には冬でも結氷しないような河床から湧水が出ている砂利地帯が選ばれる。産卵・受精後、力尽きたサケは母川で生涯を閉じる。サケの稚魚は、春3月から5月にかけて海に下る。

 縄文時代には、種々の気候変化があり1万年を超える文化を、端的には論評できないが、概ね暖流が現在より北上していた。東北地方晩期の亀ヶ岡文化はサケの遡上に生業の多くを依存していた。サケの捕獲は母川回帰が始まる夏からじょじょに行われ、秋にピークを迎える。堅果類の採集が秋である。冬期は通常、狩猟しかないので活発に行われるが、不確実な成果で安定した食料源にはなりえなかった。

サケや堅果類は、食料が枯渇する冬期にも、貯蔵が可能で、旧石器時代のように動物類の移動を追うことなく、特定の場所で継続的に食料を確保できる。また保存処理後の貯蔵は必然的に定住化を前提とする。さらに生産性の高い栽培種を長期間選別し、集落の内外で育てるとなれば、長期間に亘る働き掛けと、最低限度のマンパワーが必要となり、それが縄文前期以降の大集落の形成に繋がった。かつてアイヌは、サケは当座の食用以外すべて保存食に加工した。腹を割いて内臓を取り除き、戸外の物干し棚にかけて乾燥させる。屋内の囲炉裏の上に吊り下げ、燻製にする。あるいは雪の中に埋めて凍らせる。乾燥サケを食べる際は水に浸して戻し、魚油を加えて旨味を足しながら煮込んだ。凍ったサケは小刀で切り分け、ヤナギの串に刺して火にあぶり、少量の塩で味をつけて食べた。サケの骨は軟骨なので、十分焼くか煮れば、余すところなく食べられる。

北日本の縄文中期以降、サケと木の実の保存食に定住生活が保障され極盛期を迎え、高い文化を育てた。長野県千曲市の屋代遺跡群でも、採取された縄文時代の土から、千曲川を遡上したサケの骨の破片が、約570個見つかった。

 最高に恵まれた湧水地と沢、その下流域の音無川が、上川に流れ込む辺りでは、アカウオ・ヤマメ・ハヤ・アカヅなどが漁獲の対象であった。その漁労用具の骨角製のモリ・ヤス・釣針は、強度の酸性土壌下であるから、検出は不能であるが、諏訪湖底の曽根遺跡ではモリ・ヤス用の石刃・細石器が発見されている。

 釣針には、かえしの無い無逆鉤釣針、内側と外側にそれぞれ逆鉤が付いた内逆鉤釣針と外逆鉤釣針、針を左右錨形に合わせる錨形釣針、特殊なものでは仙台湾を中心に考案された軸逆鉤釣針と両逆鉤釣針など機能的に工夫が凝らされている。かえしの無い釣針は縄文早期から、内逆鉤釣針と外逆鉤釣針は前期から、軸逆鉤釣針と錨形釣針は中期から、両逆鉤釣針は後期からの出土例となる。釣針の出土が増加するのが仙台湾周辺では中期後半以降、関東地方では後期初頭から、西日本では後期中頃からとなる。

 両端が尖った針状の直鉤釣針(ちょつこう)が縄文早期から登場している。せいぜい5cmで中央に溝が掘られ、他の釣針の多くと同様、鹿角製である。幕末に鉄製になりまで近世では竹製であったが、主にウナギ用釣針であった。

 「ヤナ」・「ヤブ」・「ウケ」などは、現代でも、行われている漁法で、「ヤナ」は、河川の半分を堰き止めて、流れる流域に竹・木で簀(ス)の子を作り、そこに跳ね上がる魚を掴み獲りした。「ヤブ」は、ソダ・ヨシ等を束ねて湖や川に沈め、魚が棲家にしたところで、引き上げる。「ウケ」は、細い枝・裂いた竹・笹を蔓や縄で筒状に編み流に向け沈め、魚が入ると出られぬようにした。

諏訪地方の「ウケ」の対象は、ドジョウ・ウナギ・フナ・コイ・ハヤなどである。こうした漁法は、極めて有効で、縄文人の編み物技術からみても可能である。植物用材のためなかなか出土しないが、「ウケ」は、弥生時代期のものが出土している。「エリ」は河川や湖に、よしずや竹垣を魚道に張り立てて、魚を誘導して捕らえる定置網漁である。岩手県嵙内遺跡(しなだいいせき)では、杭が発見された。魚網錘(ぎょもうすい)とか釣り針の錘(おもり)の石錘・土錘は、諏訪湖周辺を中心に諏訪各地で出土している。釣り針は骨・角・牙製がほとんどであるが諏訪の平では未発見である。

 縄文時代早期前半、沿岸部では既に網漁が行われていて、鰯(いわし)等の小魚の骨が数多く検出されている。当時シナ布(しなふ)は織られていた。フジの皮やコウゾ、麻などで織った藤布(ふじふ)、楮布(こうぞふ)、麻布(まふ)などと共に、シナ布はわが国における古代織物(原糸織物)の一つである。布物で既に身にまとっていた。編み物の技術で魚網を作り小魚を獲る漁法、即ち追い込み漁や掬(すく)い上げ漁法・刺し網漁法などが時代経過と共に行われていた。北海道石狩市花川の紅葉山49号遺跡の縄文時代中期(約4,000年前)の河川跡から、魚をすくう際に使ったタモ網が出土している。

当時の木製の漁労施設と器などの生活用具も共伴している。漁労施設は10ヵ所も検出され、その内の8ヵ所は杭などの伐採時期や民俗例からみて、サケ漁に使用されるエリとみられている。幅5〜10mの花川の発寒川に設置してあった。川の中に4.50cm間隔で、直径5cm前後、長さ150cm前後の杭を川底に打ち込み、サケの遡上をさえぎり、定置網で一網打尽にする。杭はヤチダモやヤナギで作られ、杭だけでは魚が逃げてしまうので杭と杭の間には、柴によって埋められていたものと考えられている。

 刺し網漁は、魚が遊泳する所に網を渡し、網目に絡まった魚を獲る方法で、網の中でも構造上、最も作りやすいといわれている。現在の諏訪湖でよく見掛けるのは、四つ手漁と投網漁である。

 諏訪湖の特殊漁法に“やつか”がある。湖底に20cm前後の石を1,000個程度沈めて、石の塚を築きあげる。魚はそこで冬ごもりをする。その周囲を筌(ウケ)のある立板と簀(ス)で囲む。これを“屋塚”という。氷が張ると“3つだめ法”といって、“屋塚”の場所から3方向にそれぞれ陸に目標を設定して記帳しておく。頃合いを見て、塚石を順次、次の“屋塚”予定地に積み上げながら、魚が筌に逃げると筌ごと掬い上げる。筌に入らなければ網で掬いあげた。エビは簀に付いたものをとりあげた。
 
 諏訪湖の特殊漁法のもう1つが“たけたか”漁で、いわゆる刺し網で、諏訪湖では網をジクザクに張り、2m位の深さで沈子を錘として、網目の大きいのが“たけたか”で細かいのが“きよめ”という。“たけたか”漁はコイ・フナ・ナマズで、“きよめ”は、ワカサギ・フナ・ハヤ・ムロが対象であった。
 
 諏訪湖では、昭和10年頃まで、コイ・フナ・ドジョウ・ナマズのほか、きれいな水に生息するカワヤツメ・イワナ・ヤマメ・カワムシが漁獲され、エビ類や特にマシジミなどの2枚貝が目立っていた。 縄文時代は約1万年間もあるので年代が進むにつれ漁法・漁具は大きく進化して、 漁具の発展は刺突漁具・釣漁具・網漁具の順で発展していったとされている。次第に大掛かりになり 捕獲した魚の一部は、冬の食糧源として燻製にして保存したと考えられる。「ヤナ」などの施設を設け、漁獲も多ければ特定の場所の確保が利権となり定住を促進した。尖石では、未発見であるが、燻製炉としての連穴遺構が各地で出土している。


縄文時代の漁猟具

  魚影濃い沼・川を育む山林は、クマ・シカ・イノシシ・キツネ・タヌキなどで、昼間でも常に獣の気配がするほどになっている。平坦な岩場に獣の糞があふれかえり、山葡萄の実のなる頃には、山に分け入るシカの糞が至る所で盛り上がり散乱している。地元に住んでいても怖気て深く入れない。ウサギは、昭和の末頃に皮膚病のような伝染病により、一時的に絶滅状態になり、最近は復活しつつあるようだ。車山高原に30年近く住んでいるが、未だ野兎を見る機会が少ない。

  肉食は現代でも最高のご馳走で、栄養価も食べ応えもある。八ヶ岳西南麓で発見される石器の中心は、黒曜石製石鏃である。石鏃とは「矢の根石」とも呼ばれ、矢の先につけて用いる狩猟用小型石器のことである。世界中の新石器時代以後の遺跡にみられ、日本でも弓自体の出土例は縄文後晩期に集中するが、石鏃は縄文時代草創期、隆起線紋土器段階で既に普及しているから初頭から使われていたようだ。発掘された石鏃は、既に定形化していた。しかも瞬く間に日本列島に伝播し、縄文時代を特徴づける代表的石器になっている。時代や地域により多様な形態のものがあるが、その殆どは押圧剥離による両面加工で作られている。極めて根気のいる困難な作業で、消耗品であるのに、余りに精巧なものが多いので、特定の集団が専門的に製作していたか、この時代の男の必要不可欠の製作技術として伝承されていたとも考えられる。

 長さ約5cm重さは約5gまでのものが通常石鏃と呼ばれている。長さは2〜3cmのものも多いが、1cm未満のものや6cmを超える大型のものもある。これらは獲物の種類により大きさを区分したのだろうか。石鏃は、基部の形状によってその装着方法が異なっていた。凹基式、平基式、凸基式は矢柄の先端を割って石鏃をはさみ、有茎式は茎部を矢柄に挿し込んだとみられている。石鏃と矢柄の固定には、アスファルトや、膠・漆・木のヤニなどの樹脂が膠着材として使われた。
 
 自然に湧き出ていた石油のアスファルトが、石鏃を弓矢に装着する際の接着剤として使われているが、信州には石油の産出地がない。隣県の新潟では、柏崎・長岡がその産出地で、黒曜石製石鏃との交換ルートがあったかもしれない。ただ通常、降雨多湿列島の日本では、手近に漆の木がたくさん茂っている。それで我慢したかもしれない。

 縄文時代の狩猟の画期となったのが弓矢猟である。危険な野生動物に接近しなくとも補殺できるようになった。さらに鳥類も獲物の対象となった。弓の多くは丸木弓で、桜の樹皮を巻いた桜樺巻弓(さくらかばまきゆみ)、細い糸を巻いた糸巻弓、黒や赤の漆を塗った漆塗弓などがある。素材は西日本では、カシ・ユズリハ・カマツカなど、東日本ではイヌガヤ・カヤ・マユミなごが主流である。八ヶ岳西南麓では弾力性に富むカヤやイチイが適する。弓弦(ゆみづる)はアサやカラムシの繊維を撚り合わせ、強度を増すため松脂や漆が塗られたと想像される。大きさは150〜160p前後の長弓が多かった。射程距離は、民族例や実験例から30〜40mくらいと想定される。矢柄はできるだけ回収した。ワシ・タカ・ヤマドリの羽は簡単には入手できないし、気に入った矢柄は簡単にはできない。栓状鏃という木や骨で先端が丸い鏃が使われるのも、鳥を気絶させて捕らえ、きれいな羽を得るためであった。

 ウサギ・タヌキ・キツネ・テンなどの中小獣類は、大勢が勢子となり追い立て囲んだところで弓で射った。シカはイヌに追わせると、急斜面や崖を飛び下り、臭いを消すため川筋に逃れる。「タツマ」と呼ばれる射手が隠れて待つ場所で、待ち構え頸部を射る。巨大な縄文イノシシを殺傷するには、より至近距離に追い込まないとむりで、狩猟犬の追捕が不可欠だ。また皮と皮下脂肪が厚く、そこだけ皮が薄い頸動脈に的中しない限り、矢で射っても直ち致命傷とはならず、弱まるまで犬による追尾が必要であった。

 現在、車山に居住する漁師は、シカの補殺には猟銃は邪魔と言う。猟犬4匹がいれば、追捕し四方を囲むためナイフで仕留められる。猟犬は教えなくとも、獲物の四方を固め、正面の猟犬は威嚇するだけで、背後に廻った猟犬が尻や後足に食らい付き動きを止め、飼い主の登場を待つ。猟犬特有の本能的リスク回避である。猟師も猟犬が獲物に食らい付いた際には、猟銃を発射しないという。その衝撃で猟犬の牙を欠く恐れがあるからで、他の猟師の猟犬でも、目前で死闘が行われていれば猟銃の使用は控えるという。

 イノシシはシカの肉より脂がのって美味い。骨髄も同様なのであろう。全身の骨角が遺存する例は、ごく稀で、補殺されれば四肢・頭・顎・背骨は、髄液を飲むため解体され尽くされている。ラムラックやTボーンステーキのように肉片が付いたままよく焼き、付着する肉を食べながら、骨を割り骨髄を啜る光景が想像できる。

 イヌの骨の出土は、日本各地の縄文貝塚から学術報告されている。いずれも丁寧に埋葬されている。縄文早期前半の愛媛県上浮穴(かみうけな)郡美川村の上黒岩岩陰遺跡では、人と同様に手厚く埋葬されていた。岩陰の奥部を墓域とし、10体以上の人骨が埋葬されていた。その人骨より居住地区近くに2体の犬の埋葬骨も発見され、今から約8,000年前、我々の先祖が既に日本犬を飼っていたことがわかった。山形県東置賜郡高畠町屋代の日向洞窟(ひなたどうくつ)では、イヌの骨が縄文草創期の隆起線文土器片・爪形文土器片や石槍・石斧などと伴出し、イヌの活用を前提にした弓矢猟の出現が想定されている。他にはクマ・シカ・キツネ・カモ・ヤマドリなど多数の骨も出土した。

 縄文時代の遺跡から出土する陸上動物骨の骨の95%がシカ・イノシシでクマなどは少ない。その中型獣に対して、長さが2pにも満たない石鏃では、直ちに致命傷を与えられない。猟犬の追尾する能力に毒矢の使用が加わらなければ難しい。アイヌ民族が使っていたトリカブトの矢毒は、縄文人に遠距離からの攻撃を可能にした。イノシシ・クマなどの獲物からの反撃を回避するためにも有効であった。矢毒で狩猟した獲物は、矢毒が刺さった部分を少し大きめに取り除き、他部は加熱すれば食べられた。矢毒を付けた仕掛け弓を獣道に多数仕掛けることで猟獲を格段に向上させた。矢毒の使用は狩猟民の狩猟技術に一大革命をもたらした。その命中精度の高さと狩猟技術の向上と、それを一層、効果的にしたのが縄文早期初頭からの猟犬と矢毒の使用であった。石槍の出土例は平野部では少なくなる。あっても殆どが漁労用であった。石槍が山間部に残るのはクマ猟には有効であったからだ。弓矢とイヌを活用する集団猟により、集落内の結び付きは一層強固なものになったであろう。

 石鏃が刺さった骨に増殖がみられる検出例から、致命傷を負っていないとして矢毒の使用を否定する説もあるが、それだけでは根拠が薄い。

 北海道の陸上狩猟動物はエゾジカが主でキタキツネは少ない。イノシシの骨は僅かな出土例しかなく、本州からの交易品として運ばれようだ。大島の下高洞遺跡(しもたかぼら)では、段ボール箱で70個、点数では数千点にもなるイノシシの骨が出土した。利島・新島・三宅島にも運ばれていた。伊豆七島には食料となる中・大型の動物はいないはずであったが、200kmも離れた八丈島でも大量に出土している。それが骨付き肉で運ばれたか、生きたまま持ち込まれ、長期に飼育され太らせてから食料にしたかは定かではない。縄文人はイヌを飼育しているから、その可能性はあるが、牛馬類は縄文時代の出土例がない。

 ただ、儀式用としてイノシシの飼育が行われた可能性は高い。縄文前期後葉になると土器の縁にイノシシの獣面が現れる。中期には甲府盆地東辺や関東の遺跡から取っ手などにイノシシを造形した土器が現れる。長野県大町市八坂の中原遺跡で出土した縄文中期・約4,800年前の深鉢土器片は、鼻を突き出したイノシシの顔を象った取っ手であった。関東地方でも、中期の貝塚から、頭骨を欠くイノシシの幼獣を特別に埋葬する例がいくつかみられる。山梨県北杜市大泉町の金生遺跡では、縄文晩期、八ケ岳を背景にし巨大な配石を「祭壇」として構え、その前で祈りをささげた。この遺跡から大量のイノシシの下顎が出土した。それは径140p、深さ70pほどの竪穴に焼土と共に、焼かれた状態で118頭分が集積されていた。そのうち114頭が生後1歳未満の幼獣だったという。祭礼に供される贄としてささげられたようだ。

食用としてはもとより、贄として、幼獣が一時的に飼養されたことは確かのようだ。後晩期には、東北地方でイノシシばかりかブタを象った土偶が登場する。ヨーロッパ、西アジア、中国などでは、それぞれが独自に土着するイノシシを順化させ家畜化した。家畜化の年代は、おおよそ中国南部で10,000年前、西アジアで8,000年前頃とかなり遡る。ヨーロッパの養豚も古く、イギリス諸島で約6,000年前の骨が出土している。日本列島の縄文後晩期に登場するブタは、日本列島のイノシシを飼育し順化させたブタらしきものであったのか。弥生時代に養豚が水田稲作文化と同時期、大陸から伝来したというが、それは縄文時代から飼養されてきたイノシシだったのか。

 イノシシの巣は窪地に青萱や落ち葉などを牙で食い切り径1.5m前後、高さ50〜60p程に敷き、枯枝などで屋根のある産床(うぶどこ)を作り、通常4月〜6月頃に年1回、平均7〜8頭ほど出産する。育つのは半数位のようだ。妊娠期間は約4ヵ月、雄は単独で行動するが雌はひと腹の子と共に暮らし、定住性が高い。一週間くらい経てば幼獣は親のあとをついて歩く。縄文人はその習性を当然知り、その場所を探して捕獲したようだ。

 伊豆七島へイノシシを運んだ舟は太い大木を長く輪切にし、中を抉り抜いた丸木舟である。西日本ではクスノキやスギ、関東ではムクノキ・カヤ・クリ・ケヤキなどが材料で、北海道ではカツラが多い。丸木舟は焼石で焦がしながら石斧で抉り、多くは全長5〜7p、幅は60p位である。縄文前期の出土例が一番古いが、神津島・恩馳島の黒曜石が本州で広く分布していることから旧石器時代からあったとみられる。

 千葉県千葉市花見川区朝日ケ丘町の落合遺跡から、泥炭層から2,000年以上前のハスの実1粒が発掘され、大賀一郎博士によりその実が発芽・開花させられた。その花見川下流の湿地帯に豊富な草炭層が形成され、そこから昭和22(1947)年、長さ6.2m、幅42pある1隻の丸木舟と6本の櫂が出土した。翌年にも長さ5.9m×幅44pと長さ3.5m×幅52pの2艘、昭和26年にも別の断片が、計4艘分掘り出された。縄文時代の落合集落は川辺に突き出した緑と水辺に恵まれた台地に立地し、川漁や内海漁には絶好の基地となり常時10軒ていどの集落があったとみられる。

 京都府舞鶴市千歳の浦入遺跡(うらにゅう)は、約5,300年前の縄文前期の丸木舟の船体半ばから船尾にかけの部分、約4.6mが約50cmの深さで砂層に埋まっていた。丸木舟の全長は約8m、幅1m、舟の縁の厚さ5cmと推定される。材料は直径2m前後のスギ材を半割りしたもので、造られた時の焦げ目が遺存している事から、焼いた石を表面に置いて木材を焦がしながら、磨製石斧で抉ったものだという。その周辺からは、桟橋の杭の跡、錨とみられる大石なども発見され、当時の船着場と考えられいる。遺跡は日本海に面した舞鶴湾の外海との湾口にあたり、外洋漁業の基地だったようだ。一方、日本海側では、縄文時代、「海の道」を通じて広く交易していたことがわかっている。滋賀県近江八幡市の元水茎遺跡(もとすいけい)出土の丸木舟は琵琶湖での漁労を対象にしていた。その上、琵琶湖の内湖(ないこ)間の交易舟としても活躍していた。

 縄文時代の丸木舟は、50数例見つかっているが、素材の性質上、当然、縄文後晩期に属する丸木舟がもっとも多いが、前期に属する丸木舟も長崎県多良見町の伊木力遺跡(いきりき)や福井県若狭町の鳥浜貝塚などで数艘の出土例ある。丸木舟の舟底は丸底のため、横流れや転覆しやすい。それでも穏やかな水面の湖・内海・磯廻りなどに限定されず、浦入遺跡の幅1mの丸木舟や、南太平洋ポリネシアの原住民が、古来より用いていたカタマランのように、2艘を並べ、木を何本か渡し綱で縛る双胴舟方式(そうどうしゅう)などで外海に漕ぎ出たようだ。両手で支える木の櫂で直接漕いでいたようだ。舷側に支点を置く装備の舟が出土していないので、オール形式ではなかったようだ。

 本州・四国・九州の山間部ではニホンカモシカとツキノワグマも多い。ニホンザルも食べていた。平野部ではイノシシ・ニホンジカが殆どで、タヌキ・キツネ・アナグマ・ノウサギなどの小型動物は少ない。肉が不味いせいもある。ただ毛皮を得る目的もあったであろう。青森県の三内丸山遺跡では、シカ・イノシシが少なく、7割がウサギ・ムササビなどの小型動物であった。ガンやカモが主であるが、アビ・アホウドリ・ウ・カイツブリ・ハクチョウなど野鳥をとらえ食料としていた。その出土比率は他の縄文時代の遺跡と比較すると高い。恐らくシカ・イノシが激減し、ウサギ・ムササビでは主要な動物性タンパク源となりえず、野鳥やマダイ・コチ・ブリ・ヒラメなどの海産資源に多くを依存していたようだ。縄文時代、イヌは飢饉など余程の場合以外は食べない。埋葬されるのが通常であった。

 縄文早期前半にはイワシが漁されているので、漁網があったと断定できる。タモ網程度かもしれないが、石錘・土錘が多量に出土すれば漁網を伴うのが明らかである。北海道渡島半島の縄文早期の遺跡から多量の礫石錘が出土している。函館市の函館空港遺跡でも礫石錘が出土しているので漁網を使っているのは明らかだ。関東地方の縄文中期の貝塚からは大量の土器片錘が発掘されている。

縄文時代の植物性食料

 春、八島湿原に行く。一面、ヤマドリゼンマイとヤマウドの群生である。車山高原はワラビが豊富だ。林に分け入れば、タラの芽、マユミ・カエデ・サクラ・シラカバなどの若葉など見るもの総てが食料である。草原では、行者ニンニク・ヤマフキ・コゴミ・ツリガネニンジン・ギボウシ・アマドコロなど、灰汁(あく)抜きをしなくても、煮れば柔らかく食べられる。

下流河川から獲れるサワガニ・カタツムリ・イシガイ・オグラシジミ・オオタニシ・カワタニシなどは副食かおやつであったろうか。奇跡的にも富山県小矢部市の桜町遺跡では縄文中期の層からコゴミとヒョウタンが発見された。この遺跡は、谷の中にあったこともあり、地下水位が高く、その水にまもられていたために、通常の遺跡では残らないような建築加工材など多種な木製品や編み物類、動物や植物などの有機質遺物が、非常に良好な状態で出土した。山形県東置賜郡高畠町深沼の縄文前期の押出遺跡(おんだし)は泥炭地で湿地であったため、ここでも木製品や漆製品、編物、食料類などの遺物が多く発見された。クッキー状に焼きあげた炭化食物も52個ときのこが出土した。
 
 夏は、スグリ・ヤマグワの実が豊富に採れる。味はよくても腹持ちが悪い。しかし調理用添加材と考えると用途が広がる。山採は雪国でなければ、一年中採れる。芽・葉・花弁・地下茎・地上茎・根など、植物の利用部分は様々にある。ヤマイモ・ユリ根・シイの実など、アク抜きは不要だ。カヤの実もギンナンのように殻付きのまま炒って食べられる。ただ野生植物には、通常、自衛のためもありアクは付きものである。カタクリ・コシアブラ・ギボウシ・アマドコロ・コゴミ・シオデ・ツリガネニンジン・マユミの実などは茹でるだけで食べられる。タラの芽・ウド・セリ・ツクシ・タンポポ・フキ・ヨモギ・ニリンソウ・フキノトウなどは茹でて水に晒せばよい。アクが極めて強いアザミ・ゼンマイ・ワラビなどは、木炭の灰汁を使ってアク抜きをする。

 諏訪の地域は、夏になると夕顔の実が店頭に出回る。優に40cmを超えるものも多く、且つ太いので食べ応えはある。一般的には茹でて食べる。癖がなく、秋口まで収穫できる。夕顔は平安時代初期に中国から輸入され、殆どが干瓢として食されている。縄文人も当然、ヒョウタンなどのウリ科の植物を、住居周辺で栽培していたと考えるのが自然である。

 秋にはドングリ類だけでなく、山ブドウ・アケビ・ヤマモモ・ヤマボウシ・カジの木・マタタビ・ザクロなどがある。植物の実は、野鳥たちに種を運んでもらい種の保存を計るから、大部分の植物の実はうまいのが通常だ。ただマムシソウの実は食べると、嘔吐・腹痛、触れただけで皮膚炎を起こす人もいる。マユミの薄い桃色の実をコゲラなどが食べに通うが種自体は猛毒である。ウバユリの根も美味しい。福井県三方町の鳥浜貝塚は、三方湖に注ぐはす川とその支流の高瀬川の合流点付近にある。その縄文前期の層から丸木舟・櫂・石斧の柄や簡単に1本の木で作る丸木弓・鉢・椀など、各種の多量の木製品が出土し、その仕掛中の加工材も豊富で、この時代の木工技術を知ることができる貴重な史料となった。木製の櫛には朱や黒の漆が塗られ、すでに漆技術の普及していたことがわかる。伴出したのが栽培種のクリ・ドングリ・クルミ・ヒョウタン・リョクトウ・エゴマ・ウリ・シソ・ヒエ・ゴボウ・アサ・アブラナ類・カジノキ・ヤマグワなどで、縄文時代人が営む農耕の原初的な重要資料となっている。

 ドングリなどの堅果類の多くは、アク抜きが必要で、粒のまま煮て水にさらしてアクを抜く。そして通常、石皿や石棒で製粉し、粥状にするか、団子状にして食べたと推測される。青森・岩手・山形・福島・茨城・新潟・長野・岐阜などの遺跡では、ドングリを加工し、クッキーやハンバーグを製作していた。

 冬期の山採は、冬鳥が雪国や豪雪の山岳地帯にまで群集する光景が、鮮やかに語り掛けてくれる。ヤマボウシや山ブドウの実が瞬く間に啄ばまれ、その後大量のツルウメモドキやズミの実が補い、ナナカマドの実は、余り好みでないようで、あたかも已む無く最後に野鳥が啄ばむ様子だ。青森・岩手・山形・福島・茨城・新潟・長野・岐阜県の遺跡からクッキー状、もしくはパン状の炭化物が頻繁に出土している。山形県の押出遺跡の縄文前期、約5,500年前のクッキー状炭化物には、クリ・クルミなどの木の実に、ニホンジカ・イノシシなど獣肉と野鳥の肉などと、イノシシの骨髄と血液と野鳥の卵などが加えられ、塩で味が整えられていた。また野生酵母を加えて発酵させてもいた。タンパク質が主材料のハンバーグもあった。クッキーの栄養価は高く、タンパク質・ミネラル・ビタミンが豊富で、栄養学的には完全食に近く保存食としても優れ、狩や交易の旅には携帯食として重宝にされていただろう。押出遺跡のクッキーには、スタンプによる文様が押されていた。旅先の夫に対する思いが込められているのだろうか。

 諏訪市湖南の諏訪大社の神山・守屋山山麓に荒神山遺跡がある。縄文時代前期から平安時代までの遺物が出土している。この遺跡が全国的に有名になったのは、住居址内の石囲炉の炭化食品を灰像法による走査電子顕微鏡で鑑定した結果、「エゴマの種実」と判明したからである。その後原村の2つの遺跡、大石遺跡、前尾根遺跡の炭化物からも同一結果が出た。福井県三方町の5,500年前の鳥浜遺跡からも出土している。このことから縄文早期には、既に存在していたと推定されている。

 「エゴマ」は、インド高地から中国雲南省の高地が原産地で、当時の日本には野生化しているレモンエゴマがあったが、栽培種はシソ科の油脂性植物の「エゴマ」である。中でも常に種実の大きい方が選別され続けられ食用として栽培されていった。またエゴマは薬用のほか、油脂用・漆器用の工芸作物でもあった。しかも病虫害に強く、湿気を好むため乾燥しない土地が適地で栽培は容易、今でも全国の高冷地で作られている。 収穫は9月下旬から10月下旬で、その後5〜10日間乾燥させてから、敷物の上で、敲いて脱穀する。土器の水槽に少しずつ入れて、泥と砂を落とす。「エゴマ」は、水に浮かぶので笊ですくう。 米をとぐように4、5回洗い、表皮の汚れを落として、3、4日乾燥させて保存する。

 「エゴマ」油の採取が一般的に普及するのは平安時代の初期、山城国で始まった。調理はゴマとよく似ていて炒るなど簡単だ。葉は「エゴマ」特有の臭みがあるとして日本では、野菜として利用されてこなかった。朝鮮ではむしろそれが好まれ、香りのよい種類をよく使う。近年、日本でも韓国料理の普及で、その香りが食欲をそそるとして調理されるようになった。

  ヒエ・アワ・各種ムギを管理栽培する縄文人像が見えてきた。その後、各地の縄文遺跡から「エゴマ」のみならず、ヒョウタン・リョクトウなどの栽培種が発見されて、今後、より主食となりうる栽培植物の発見の可能性が高くなった。

 岡山県岡山市津島の津島江道遺跡(つしまえどういせき)では、縄文晩期中葉の水田が発見された。近隣の岡山市北区の津島遺跡は、弥生時代初頭から大規模に稲作を行っていた大集落である。北九州では縄文晩期後半には、本格的な水田稲作が始まっている。本州でも岡山県南部の総社市の南溝手遺跡で、縄文後期後葉、約3,500年前の籾の圧痕が残る土器が発見され、ほぼ同時期の籾痕土器は、倉敷市福田貝塚などからも出土している。同県美甘村の姫笹原遺跡では、縄文中期中葉、約4,500年前の土器の胎土中からイネのプラント・オパールが多数検出された。

ススキをはじめ、イネ、ムギ、キビ、トウモロコシなどのイネ科植物は土壌から吸い上げた水分の中の珪酸という物質を、機動細胞という細胞に蓄積する性質がある。機動細胞に溜まった珪酸は細胞内で一つに固まり、植物珪酸体ととして蓄積される。その植物が枯れてもガラス質の植物珪酸体は土壌に残る。それがプラント・オパールである。縄文時代の稲作が縄文中期に遡る事になる。これが本格的な水田稲作が、弥生時代初期に西日本に急速に広がる素地となった。縄文時代のアワ・ヒエ・シコクビエ・イネなどの焼畑栽培や原始的な農耕がなされていて、長野県諏訪郡富士見町の井戸尻遺跡群のように多種の農耕具が既に揃い、農耕的生活が営まれていたからであると言われている。

 ヒョウタンはアフリカ・熱帯アジア原産のウリ科の植物で、その乾燥した種子の保存能力もあって、かなり早くから全世界に広まっていた。海水にさらされると高い発芽率が利点となり、海流に乗って広く伝播したとみられる。縄文早期には、既に日本にも生育していて、8,000年前頃の福井県の鳥浜貝塚や滋賀県の粟津湖底遺跡からは、縄文前期・中期の果皮、種子が出土している。

 灰汁がないので、ただ煮れば食べられる。後世、実を乾かし水筒や、酒の貯蔵用に利用している。海外でも土器文化前に保存・携帯用容器として使用した例が多いようだ。  

 リョクトウ(緑豆)の原産地はインド辺りで、古来よりインドでは、重要な食糧源で、煮たり、炒ったりして食べていた。現代でも、アジアのリョクトウ栽培の70%を占めている。若莢(わかさや)は軟らかいので、まるごと調理する。種子は3〜4gと小粒で、早生種を選べば、高緯度、高冷地でも栽培は可能で、インドでは、標高2,000mの高地でも作付けされている。沖縄では、旧暦の5月5日に作る甘菓子に入れて食べる。大きくて味もよい小豆が出回ると、豆の需要としては衰退する。現代では、むしろ中国・アメリカ同様、「豆もやし」として大いに食べられている。また中国春雨の原料でもある。

 縄文時代の実りの秋 は、茸の季節でもある。古来より、林間における柴・下草刈りは、燃料・住居用材を得るための重要な作業である。後世には食料栽培の肥料を得るため、絶対不可欠な刈り採り作業となる。従って、手入れは行き届き、茸は大量に採集できたであろう。縄文人はあらゆる野生植物を口に含み、毒性の有無を確認した。ドクゼリなどの有毒山採、ドクウツギなどの有毒果実、カキシメジなどの有毒茸も経験で学んできた。林間によく見かけるマムシソウは、地下茎や種子に有毒成分があり、口にすると喉が焼けつくような刺激痛があり、しばしば痙攣・目眩を生じさせる。秋に実るカラフルなトウモロコシ状の種子は、舐めただけで舌が2〜3日変色するほどの強い作用がある。生で根茎を食すると、唇に浮腫が出来、涎が大量に流出する。それらの知識が共有されるまで、多くの犠牲者がでたであろう。

 落葉樹林内の樹陰でよく見かけるオオウバユリの鱗茎(りんけい)からは、良質のでんぷんが含まれている。花をつけるものが「雄花」、花がないものが「雌花」で、花をつけると鱗茎は萎むので、採取するのは「雌花」だけだ。北海道では、アイヌにより「トゥレプ」の名で呼ばれ、アイヌ民族が用いる植物性食料の中では穀類以上に重要視している。掘り集めるのは6月下旬から7月上旬ぐらいまでの間が良く、早すぎるとデンプンが少なく、遅すぎると色が黄ばんで硬くなる。掘り出したまま、熊笹に包んで、石皿に載せ蒸し煮にすると甘味が増し、熊笹の香りが調味料代わりとなる。アイヌ民族が主食としたのは、冬でも食いつなげる保存性にあった。オオウバユリの鱗茎を、まず細かく刻んで乾燥させ、これを臼でついて、でんぷんの粘りが出てきたものを、ドーナツ状に成形した。穴にヒモを通して、住居内で乾燥して保存食糧とした。突き固めた鱗茎を水にさらして、底に沈殿する白い上質のでんぷんを団子にして保存した。炉で焼いて食べた。

ムラの周辺では、石斧を使って栗とオニグルミを、何代にも亘って盛んに移植する。今では、林のようになっている。やがて実が大きく、美味しい木のみを育て、その種が実生で生え広がるように管理栽培をした。間引かれたクリは、ムラの建造物などの用材とされた。その外周はコナラ・ミズナラの林がほとんどである。長く厳しい冬に備えて、ドングリを拾い集める。トチの大きな実も有効である。山ブドウ・ヤマボウシ・アケビの実は甘く、そのまま生食でる。ツノハシバミの実は、テトラッポットの形をした毛の密集した苞の中に1個入っているだけだ。栗のような実をしているが、生食するとナッツの味がし、脂肪分が豊富であった。  

 グミの実も渋みと酸味の中にかすかな甘味がある。日本原産の野生の山芋・ジネンジョの実・ムカゴは炒るだけで美味しい、茸と炒めたら最高だ。採ったら目印を残す。秋の山菜を採り尽くして、季節は終わるが、自分だけの秘密の場所で、目印頼りにジネンジョ掘る。成分はデンプンが主で、たんぱく質・ミネラル・カリウムも含まれている。漢方では、乾燥したヤマイモを「山薬」と呼び、古来より滋養強壮、健胃、整腸、消炎などの薬として重用している。縄文人も1万年の歴史の中で、口伝として共有していたかもしれない。

 一般的にドングリは渋みが非常に強く、そのまま食用とするには適しない。灰汁抜きの方法としては、流水に数日さらす方法と、煮沸による方法がある。特に煮沸の場合、木灰汁を用いることもある。流水による方法は、主に西日本から広がる照葉樹林帯の地域でなされいる。煮沸方法は、東北地方や信州に広がる落葉広葉樹林帯で行われる灰汁抜き方である。渋みの少ない種では、殻煎りで、灰汁抜きができる。 北上山地の山村では、ミズナラのドングリの皮を剥き果実を粉砕して、湯、木灰汁などを用いて灰汁抜きした「シタミ粉」と呼ばれるものを作った。シタミ粉は通常湯で戻し、粥状にして食べた。熊本では、カシ類のイチイガシのドングリから採取したデンプンで、「イチゴンニャク」や「カシノキドーフ」、あるいはシイの実を用いた「シイゴンニャク」といった葛餅状の保存食が作られた。
 
 トチの木の種子は大きく栗のようで食べ応えがある。その灰汁抜きは大変で、木灰でアルカリ中和をして除去する。トチの実は、赤褐色でつやがあり、でんぷんが主成分でカリウム・タンパク質も多く含まれている。9月になると、実は3つに割れて、赤褐色の光沢のある種子が山野にたくさん落ちる。その実は、古代から広い地域で、普通「トチ餅」にして食べられていた。縄文時代には、餅米はないので、アワ・ヒエ・ムギ・ソバの利用が普通で、現代にも残る粟が入っている「粟餅」が、主であったと推測されている。

 クリ・クルミ・トチなどの堅果類とヤマイモ・ウバユリなどの塊根(かいこん)が、主原料となり縄文集落を支えてきた。三内丸山遺跡では、巨大な建造物などが、クリの大木を利用していることから、近くに選抜された優良なクリ林が育成されながらも、その食料資源を他に転用出来るほど繁茂していたようだ。三内丸山の集落ではシカ・イノシシなどが過剰な補殺で激減し、ムササビ・ノウサギのほか、カモなどや鳥類を捕食し続けた。いずれにしろ動物性タンパク質としては不足気味で、寧ろ、マダイ・コチ・ブリ・ヒラメなどで補っていたようだ。

 三内丸山遺跡では、長い年月にわたる集落の営みで、周囲の森林が、広く木材や燃料として伐採され、その集落周辺の半径10km以内のシカ・イノシシは獲り尽くされていたようだ。三内丸山は、今から約5,500年前〜4,000年前の縄文中期を中心とした集落である。当然、当時の縄文集落は狩猟資源の枯渇を恐れ、「獲り控え」を念頭に、シカ・イノシシの補殺はオスの老獣を主なターゲトとしていた。それは出土例の比較分析からも明らかである。一方、自然環境を破壊しながらも、三内丸山人は自然環境に働き掛けていた。それがクリやクルミ主体の二次林の育成であった。近年、遺跡の泥炭性堆積物を分析したところ、イヌビエのプラント・オパールが多量に含まれていた。

 イヌビエはヒエに似ているが、食用にならないことから名付けられた。しかも畑や水田、都会の道端や空き地などいたるところに生える1年草である。そのイヌビエが食料にされていた。

 ヒエはイヌビエを日本列島で栽培型改良したものだと言われている。アワやキビと違って、外来の穀物ではない。イヌビエの種子は縄文早期の遺跡から出土し始め、時代の経過に伴い次第に粒が大きくなり円みを帯びる傾向がある。野生種のイヌビエを縄文人が、食料として馴化する過程で、栽培ヒエが誕生したという考え方が有力になってる。  イヌビエは縄文人の身近に広く豊富に広がっていた。当然、それを食料とする必然があった。そこに穀物の改良栽培の手法が育ち、それを応用活用すると、急速にヒエという穀物が日本列島固有の栽培作物として成長していった。三内丸山遺跡で麦類の種子が出土したと新聞などで報じられたことがあるが、それは野生のササ類の実であったらしい。これまで注目されなかったが、イヌビエなどと共ににササの実も結構採取されていた。クマザサは、やせた稲穂のような「ササの実」をつける。これを飛騨では「野麦」と呼び、往時の人々には、この実を粉にしてダンゴを作り飢えをしのいだという。

 三内丸山遺跡ではキイチゴ・ヤマゴボウ・ヤマグワ・サルナシ・ヤマノイモなどとニワトコの種子が大量に出土した。遺跡からは、土器に大量に詰められたニワトコの果実が発見されており、酒を醸造したのではないかと推測されている。この泥炭層には、発酵する果実に集まるミツバチのサナギも大量に包含されていた。発酵酒が作られていたようだ。

 ヤマゴボウの若葉は、灰汁を抜けば食用になるという。根は多量の硝酸カリを含み有毒とされている。誤食すると脈拍が弱くなったり、血圧が異常に降下し、心臓麻痺を起こすという。若葉にしても、多食するとジンマシンや吐き気・下痢などを起こすそうだ。山牛蒡の味噌漬けなどが、観光地の土産として販売されている。その本体は、ヤマゴボウではなく、モリアザミなどの根だから安全という。


縄文時代の特異な食料

 日本列島は北東から南西に細長く、最北端の北海道稚内から、居住する最南端の島が琉球諸島の石垣島や西表島で、その距離3千kmに達する。その列島南端の東シナ海を起点とする暖流黒潮が北上する。一方、千島列島に沿い南流する冷たい親潮が、北海道から本州三陸海岸に南下する。そのため暖流対馬海流の末端域となる宗谷岬から知床岬のオホーツク海より、根室半島から襟裳岬までの道東海岸の海水温が、日本列島の海域では最寒冷の値を示す。

 その道東海岸地域の縄文前期当時の貝塚や最上部の海成沖積層から、現在の北海道には生息していないが、本州各地の内湾で通常みられるハマグリ・シオフキ・ウネナシトマヤガイなどの貝殻が出土した。北海道西岸と道南海岸までと北限があるアカガイ・アカニシ・カガミガイなども同様で、これら貝類は現在、道東海岸では生息できず、より海水温の高い陸奥湾以南の内湾が北限となっている。

 縄文早期末から前期には、暖流系貝類が北海道の全域に分布していた。それにより縄文早期末葉から前期中葉にかけて、縄文海進が最盛期となり北海道の沿岸の海水温が、最高で23℃、最低が8℃以上であったと推定されている。それ以降の黒潮暖流の後退により、縄文中期後葉から後期以降までに、その殆どが消滅する。

 縄文早期後半の約7,500年前、北海道西岸沿いに北上する対馬海流が、石狩低地まで暖流系貝類を運び込み、約7,200から7,000年前頃、対馬海流は更に北上し宗谷海峡を抜けてオホーツク海に入る宗谷暖流となり知床岬辺りまで暖流系貝類の生息域を広げた。更に宗谷暖流は一気に南東下して知床岬から根室湾を通過し根室半島に至る。やがて太平洋側に出ると当時沖合を流れていた親潮寒流により道東海岸沿いに押しやられ厚岸・釧路・白糠パシクル沼そして襟裳岬へと南下した。約7,000〜5,000年前頃、北海道東海岸に宗谷暖流が流れると、温暖な海岸環境を形成し暖流系貝類を生息させた。一方、対馬海流の支流は津軽海峡を抜け津軽暖流となり道南海岸から襟裳岬にまで達し、さらにその分流は下北半島の東岸から三陸海岸北部に達した。日本列島でも地球規模の温暖化により、縄文草創期から前期にかけて急激な海面上昇と温暖化が進行し、北海道海岸部全域に暖流系貝類を分布させた。

 縄文中期以降、対馬海流は津軽海峡を抜けて、津軽暖流となり太平洋側に出て、道南海岸に達し、一方は本州東岸沿いに南下して三陸海岸の北部にまで及んでいる。対馬海流の本流は日本海を北上し北海道西岸沿いからカラフト西岸に達している。その一部が宗谷海峡からオホーツク海に出て宗谷暖流となって知床岬へ東南下し、そこから廻り込み国後島(くなしりとう)と羅臼付近にまで至っている。対する親潮寒流は千島列島沿いに南下し、根室半島から襟裳岬にかけての道東海岸に流れ、、現在に至っては、本州三陸海岸をさらに南下し東関東の鹿島灘にまで達している。

 縄文時代の発掘貝塚は、今では全国で3千ヵ所を超えているだろう。日本列島のどこの海辺にも当り前のように貝塚が遺存するような事はなく、多出するエリア・限定的なエリア・無出土のエリアがモザイク状に展開している。最も多いのが関東地方で、日本列島全域の6割を超える出土実績がある。その中でも東京湾から奥東京湾沿岸が第一で、それに匹敵するぐらい濃密なのが、現在の霞ヶ浦の西浦・北浦から牛久沼、手賀沼、印旛沼などを包含する広大な内海を形成していた古鬼怒湾(こきぬわん)の沿岸部である。続いて多いのが福島県および茨城県を流れる久慈川と栃木県那須高原を源流にして鹿島灘に流出する那珂川の両流域である。東北地方では、6県合わせても全体の2割弱であるが、特に仙台湾から北上川下流域が突出している。次いで南部三陸海岸・八戸から小川原湖周辺・いわき周辺と太平洋側に片寄る。北海道では内浦湾と奥尻海峡沿岸部に多い。東海方面では遠州灘沿岸と伊勢湾の知多半島から渥美半島にかけて集中している。中国地方では安芸灘から播磨灘の沿岸部に片寄っている。九州では国東半島と関門海峡に突き出た企救半島(きくはんとう)や有明海沿岸部が突出している。

 太平洋側に貝塚遺跡が多出するのは、日本海側よりも貝の生息条件に優れ、それを採取するにも容易な地形的条件を備えていたためである。日本海側にもハマグリは生息している。ただ潮干狩りスポットと呼ばれる場所が極めて少ない。海岸から急に深くなる地形と満潮・干潮の差が太平洋側程大きくなく、遠浅の浜であっても干潮時に干潟が広く露出することが無いからである。

 埼玉県秩父市の橋立岩陰遺跡や高知県佐川町の不動ヵ岩屋洞窟などの縄文草創期や早期の山間部の洞窟遺跡から、海産の貝がしばしば出土する。長野県北相木村栃原岩陰遺跡でも、ハマグリ・ハイガイ・アワビ・タラガイなど発見されている。食料にしては、その量が少ない上に海辺と余りに遠く離れていることもあり、貝殻が装飾品として愛用され、土器に文様を描く用具としても重宝されていたようだ。

 海洋には魚類以外の海生哺乳類が生息している。捕獲には多くの危険が伴うが、一度獲得すれば収量があり、ムラの人々に長期間、広く行きわたる大食料源となった。イルカとクジラは全国で出土しているが、全体として日本の北辺ほど海生哺乳類の種類が増える。日本列島の南端の南西諸島には、大隅諸島・トカラ列島・奄美群島・沖縄諸島・宮古列島・八重山列島・尖閣諸島と少し離れて大東諸島などがあるが、ジュゴンが目立つ。本州と九州ではイルカ、北海道全域ではアシカ・オットセイがいる。北海道の寒流域ではトドとアザラシも加わる。これらは弓矢・石槍・大型銛などで補殺される。獰猛なシャチや巨大なクジラは海岸に漂着したものを捕えたと思われる。

 貝塚や海生哺乳類に縁遠い山国・長野県下の洞窟遺跡から多くの動物遺存体が検出される。南佐久郡北相木村の栃原岩陰遺跡では、縄文早期の押型文土器の時期、イノシシ・ニホンジカ・ネズミ類が最も多く、サル・ウサギ・オオカミ・アナグマ・タヌキと鳥類、ヘビ・カエル・魚・貝類などがあり、人類の獰猛さが認識される。この洞窟から約8千年前、天井から落ちた岩に押し潰された子供二人の骨が発見されている。火山活動や地殻変動も今日と同様多かったようだ。地震により家が倒壊し圧死することは、それほど多くはなかっただろうが、溶岩流・火砕流・土石流や山の大崩落により埋没することは、少なくなかったはずだ。

 上田市真田町長菅平十ノ原の唐沢岩陰遺跡では、クマが一番多いのが特異で、次いでイノシシとニホンジカとなるが、他にカモシカ・カワウソ・アナグマ・タヌキ・ノウサギ・サル類が検出された。茅野市北山の栃窪岩陰遺跡でウサギ・オオカミ・イヌ・タヌキ・クマ・シカ・カモシカ・サルなど、多数の骨が検出されている。鳥類の中趾骨(ちゅうしこつ)もあったが、種類は特定できなかった。イシガイ・オグラシジミ・オオタニシ・カワタニシ等の陸水産の貝と、海水のハイガイ(灰貝)・サルボウガイ(猿頬貝)の二枚貝も混じっていた。ハイガイ・サルボウガイは、おそらく貝殻状痕文の施文具として中部高原の当地まで流通して来たようだ。ヒキガエルの骨片も検出されいる。

 日本人が生業の主な対象としていたのは、イノシシとシカであった。それら動物たちが通う獣道や、その習性を熟知し、それを補殺する手法に優れ、そのための好適地を押さええた集落が縄文時代に先ず繁栄した。深い山に入り込んだ沢と谷、その出口に突き出した扇状地の扇頂、獣たちが下方の沼沢や河川に集まる光景を、日常的に見張られる場所こそ縄文人にとって絶好の集落適地であった。

 縄文人の主食は、種実類(しゅじつるい)と根菜類を中心とした植物であることが、今日では定説になっている。その多くにはエネルギー源となるデンプンが豊かに詰まっている。しかも身近にあって量も多く、老若男女を問わず効率よく採集でき、また貯蔵がきく木の実を地中の竪穴に貯える事は全国的に普及しているが、低温多湿で粒のままの保存であるから、長期に大量に保存しうるものではなかった。冬期でも寒冷地以外は、短期間がせいぜいである。長期には住居の屋根裏にトチ・クルミ・ドングリなどが乾燥保存された。長野県富士見町藤内遺跡(とうない)の九号住居址から、竪穴住居の炉上の吊り棚に貯えられたとみられる多量の栗が出土した。火棚で各種食料の乾燥と燻状貯蔵が日常的に行われていた証である。デンプンを粉にしたり、それをクッキーに加工して保存もしていた。

 日本の製塩は縄文人が発明した。製塩土器は関東地方の古鬼怒沿岸に縄文後期末に登場する。土器で海水を煮詰めるため、より煮沸効果が高い、底が薄く小さな深鉢形の製塩専用の土器が作られている。器面に文様などは施さず内側は水もれを防ぐために丁寧に磨かれている。土器に塩の入った状態で流通した。塩を取り出すときは、土器をわって取り出すため、発掘調査で出土する土器は壊れた状態で見つかる。やがて製塩土器は、宮城県東松島市の鳴瀬町里浜貝塚などから岩手・青森と北上する。備讃瀬戸沿岸部から大阪南部・和歌山に広がるのは、弥生時代の前期後半から中期に掛けてである。

 古来、人々は動物の髄や血などから塩分を自然に摂取していた。縄文時代の塩は食料の保存に使用された。カキやマキガイのむき身を海水で煮込み、水分を蒸発させてから天日干しをして大量の干し貝を作ってきた。身に塩分が濃縮され、そのままでは食用に適さないが、スープや煮込み料理などの固形出汁として極めて優れている。千葉県沿岸部の集落全体で塩分を濃縮した干し貝を生産し、内陸部との交易品としていた。ワラビ・ヤマウドなどの塩漬け保存も長野県の諏訪地方では古くから行われ今日至っている。塩味に乏しい獣肉やドングリ・クッキーと一緒に食すれば縄文時代の豊かな食文化が広がる。

 縄文時代には、既に現在まで継承されている食材の保存方法が確立されていたようだ。魚を頭まで腹開き、あるいは背開きにし、内臓を取り除いて海水で洗浄し、そのまま一晩漬けるか、半日ほど風に当てながら日干しにする。火で炙り火干にする方法などもある。イワシ・アジ・イカナゴ・エビ・アワビ・ナマコなど小形魚であれば煮てから干す煮干しと、それらを蒸してから干す蒸し干し、海水で魚を煮る塩煮、魚から抽出した魚油に漬け込むなどして保存した。煮たり焼いたり蒸したりするが、縄文時代を通して基本的には乾燥保存であった。当然、干し肉や燻製肉があり、製塩が普及すれば塩漬けも登場する。縄文時代の民族は、現在に至るまで、あらゆる生活場面で原初的存在であり続けた。

 以上が縄文人の定番となる食材で、他にも現代人同様、種々雑多なものが食べられていた。タコには骨が無く遺存しないが、イカ同様美味しい食料である。千葉県市川市堀之内の堀之内貝塚は、縄文後期前半から貝塚文化衰退期の縄文時代晩期にかけて営まれた遺跡で、今から約4,000〜2,000年前にあたる。アサリ・ハマグリ・イボキサゴ・クロダイ・スズキ・エビ類・イノシシ・ニホンジカなどを捕食していた。ここからイカの甲羅がたくさん出土した。甲羅が遺存しないコウイカ・コブイカなども食べていただろう。千葉県館山市浜田の鉈切洞窟(なたぎりどうけつ)では、アワビやサザエなどの貝類68種が出土するが、ガザミ(ワタリガニ)は、一般的な食用蟹で、晩春から初冬まで、冬以外はほぼ季節を問わず漁獲されていた。ズワイガニなどに比べるても味に遜色なく、殻もわりと薄くて食べやすい。鉈切洞窟人は体重200kg、甲長1.2mを超えるアカウミガメを、その卵を含めて食料としていた。アオウミガメは卵も含め食用になり、ウミガメの中でも、もっとも美味とされ、特に腹甲の裏に付いた腹肉(カリピー)が珍重された。味は鶏肉と遜色なく、どちらかといえば珍味の類という。

 サワガニは長野県の栃原岩陰遺跡で多い。スッポンも滋賀県大津市石山寺の石山貝塚から、縄文早期の7,000〜8,000年前のサル・イノシシ・シカなどの獣骨やコイ・フナなどの魚骨と共伴した。

 他にもバフンウニ・ムラサキウニなども食されている。現在の日本ではヘビを食べる習慣は廃れたが、近年までは、日本でもマムシやシマヘビなどをよく食べていた。江戸時代まで、偏向した仏教教義により、表向き獣肉を忌避していた世情、庶民はガマカエルの筋肉が発達した脚を食べ応えがあり、しかも極めて味覚でもあり頻繁に食べていた。ヘビやガマカエルなどは、庶民の間では貴重なタンパク源のひとつとして重宝されていた。

 日本列島のサルの主要な食料源は、意外にも昆虫を捕食することにあった。同様、人類学史研究において、イモムシ・ウジ・トンボ・セミなどの虫類が、人類の好物であったと考えられている。長野県の伊那市などの天竜川の清流域に住むクロカワムシ・カワゲラなどの水生昆虫の幼虫を餌にする昆虫を総称してザザミシと呼ぶ。伊那地方では、ザザミシ・イナゴ・ハチノコ・カイコなどを食べていた。現代でも主に佃煮や揚げ物などにして稀に食している。恐らく近世以前、下手物食いなどの表現が、庶民レベルではありえなかった風俗の名残であった。

縄文時代のトチの実料理

 トチの実は、渋味が強く、灰汁を抜くのが大変だ。それでも縄文時代から今日まで採集され続けられてきた。

 木の実の殆どが隔年毎の豊凶に左右されるが、トチの実は安定的に採集できた。その灰汁抜きに、木の灰を使うが、ワラビのように単純な作業では食しえない。そんな面倒な事までしても、日本では古代から主要な食料としていた。なぜ餅にトチの実を入れたのであろうか。それは味もさる事ながら、餅が冷めても硬くならないからである。これは、冷蔵庫・電子レンジ・保存剤がない時代、かけがえのない当座の食べ物であった。それで、これほど迄にも灰汁の強いトチの実を、苦労して加工保存する事が全国的に広まった。

 トチの木は、東北地方や北海道南部に多いが、四国・九州にも自生する。縄文時代の生業は、旧石器時代の狩猟・漁労をより進化させ、加えて土器の創造により灰汁抜き技術を向上させ、植物採集を生業の主要基盤にまで高め、長期間の定住生活を可能にした。トチやドングリなどの堅果類が安定的な食料資源として急浮上した。その成果により長期の定住生活が保障され、縄文時代の1万年を超える長年月、それを支える文字通りの原動力となった。最近、開発された古人骨の炭素・窒素同位体分析によれば、千葉県船橋市古作の古作貝塚人(こさく)は、蛋白質の約30%、カロリーの約80%を堅果類に依存していた。これは他の貝塚人にも、ほぼ当てはまる結果であった。

 三内丸山遺跡で先述したように、千年を超え、永続的にしろ、断続的にしろ、定住すれば、住居の建材・薪材・その他の道具材などの用材として、周囲の落葉広葉樹林帯や照葉樹林帯の濃密にして深い森林は伐採され消尽された。東日本に限れば、多くのブナ・ミズナラなどの極相林は伐採され、その後地にクリ・クルミ・トチなどを植生する人為的な二次林が形成された。それにより直射日光を好む陽性植物の最たるヤマウド・ワラビ・ゼンマイ・フキ・クズ・ヤマイモ・ギボウシ・アマドコロ・ツリガネニンジンなどを繁茂させた。その自然界の現象が、縄文人の知識として伝承された。自然に積極的に働き掛ける事こそ、多くの付加価値を伴う生産性の向上に繋がり、同時に管理栽培の有用性を知らされ、縄文前期からリョクトウ・ヒョウタン・エゴマが積極的に栽培され、縄文晩期にはソバ・コメなどが栽培植物として浮上してきた。

トチ餅の作り方

 1 集めたトチの実は、天日で乾かす。トチの実は、拾ってから1年間かけて十分に乾燥させて保存し、トチ餅にして食べたい時に、その必要量だけ取り出して調理するのが原則である。

 2  トチの実を水にさらし、灰汁を抜く作業は、信州では2月から行う。どういうわけか、水が冷たい時期でないとうまくアクが抜けない。その理由は現代でも分っていない。ただ水に漬ければ、アクを抜くのと同時に、厚くて堅い皮を柔らかく剥くことができる。

 3  トチの実を沸騰させない程度、90度℃位に保ちながら火にかけ、5分間ほど炊き皮を軟らかくして、皮をむく。熱い状態で、1つづつ皮を剥くのがが大変な作業となる。カシの木を2枚合わせたもので押し割る。この道具の名前を「トチオシ」とか「クジリ」と呼んぶ。当然地方各地で呼称は異なり、その方法も変わる。

 4 むいたトチの実を網に入れ、川水に5日から1週間程さらす。

 5 トチの実とたっぷりの水を土器に入れて2〜3時間煮る。

 6 水9カップに、木灰を15カップほど入れてこね、この中に5の熱いトチの実を混ぜ込み、3日間落ち着かせる。

 7 取り出したトチの実を川につけ、灰を洗い流す。

 8 米と混ぜて蒸す場合の割合は、昔はトチの実1に対し、もち米1であったが、今では1対2が多いようだ。縄文時代、粟との比率は、各住居の伝承で様々である。

 9 石皿に載せ餅状につく。そのための石棒であった。

10 石皿にトチの粟餅を敷き、そこに蒸した胡桃・栗の餡を入れる。炉で焼く。トチの実のほろ苦さと香りが食味をそそる。


 灰汁抜き後のドングリ・トチの実はすりつぶして団子状で調理した。まず木の実を、すりつぶし、団子状に練ったものを石皿にのせて焼き、できれば練る際に、鹿の骨髄液を入れた。塩味が加わり、栄養価も高くなり、格好の保存食にもなった。その「縄文クッキー」が発見された遺跡も多い。

縄文時代の「落し穴」遺構

 槍・弓矢・鉄砲と狩猟具は進化したが、狩猟の相手の習性は変わっていないようだ。従って縄文時代以降、狩の方法も変わっていない。猟に最適なのは、冬期である。雪に残された獣や山鳥の足跡で動きがつかめる。ヤマドリ・キジ・キジバトなどは、山の中腹・谷筋・沢沿いを飛び交い木の実と新芽をついばむ。そこにキビやアワを撒き、ススキ・カヤを束ねて隠れ蓑にしてじっと待機し弓矢で射る。

 通常、犬を使用する。先ずは犬を伴ない、ヤマドリが好んで生息して所へ連れて行く。犬はヤマドリの臭いを嗅ぎ分け主に教えてくれる。ヤマドリは 犬に射すくめられて、飛び立てない。準備が整い次第、犬をけしかけると、ヤマドリは慌てて、ゴトゴトと言う羽音を響かせ飛び立つ。すかさず弓矢で撃ち落す。

 紅葉の時期、諏訪湖に渡来するガン・カモが、宮川から釜無川へと飛来する。カモはドジョウを餌にして、川魚同様に釣り上げた。縄文早期以降の遺跡である長野県茅野市北山の柏原の北端・音無川右岸の栃窪岩陰遺跡の出土例によれば、殆どがシカで次いでイノシシになる。それ以外に、ニホンザル・タヌキ・ノウサギ・オオカミ・クマの骨が順であった。他にはキツネ・テン・イタチ・アナグマ・カワウソ・リス・ムササビ・ネズミ類・モグラ類が検出された。南佐久郡の北相木川のほとりにある栃原岩陰遺跡では、5m以上になる縄文早期の堆積層から大量の200km超の獣骨が出土した。圧倒的に多いのがシカで、イノシシ・ニホンザル・ノウサギ・カモシカ・ツキノワグマなどが検出された。鳥類はキジ・ヤマドリが主で、ハシボソガラス・オオコノハズク・オシドリ・カルガモ・キジバトがあり、イヌの犬歯も出土した。夏の季節、霧ケ峰・八ヶ岳を駆け巡るのは、涼しく最適で、アナグマ・シカ・イノシシ・キツネ・タヌキ・ウサギ・イタチなど、あらゆる技術と知恵を使って捕獲に努めたのであろう。 シカの捕獲には、勢子と犬の協力が必要だ。イヌに追われ急斜面や崖を下るシカは、臭いを消すため川筋に逃れる。そこで待ち構えて頸部を射る。一方、イノシシは外皮が厚く、皮下脂肪にも覆われている。皮が一番薄い頸動脈を射なければ補殺できない。そこで罠猟が工夫された。

 宮坂氏が始めて「落し穴」遺構を発掘した経緯は、昭和40年前後から日本全土で観光開発が一段と促進され、東洋観光事業(株)が、茅野市城の平に(そこはピラタス・ロープウエイと蓼科湖の間の雑木林)スポーツグランドを設営するため、表土を約1.5m削ると、火山灰地の赤土層のところどころに黒土の面が現れた。宮坂氏はその連絡を受けて、同年10月17・18の両日、黒土を排除し、結果小竪穴23ヵ所を発見した。そこには、棒の先端で掘った痕跡が見られた。

 竪穴は長径のもので最大1.8m、短径では最小0.7m、深さは地表から1.6mの長楕円形で、その穴の側壁・底面に5から2個の小孔があった。宮坂氏は、陥穽の中の小孔は、棒の先を尖らしてそこに差込み、鹿・猪が落ちた勢いで刺し貫く工夫とみた。
 
 宮坂氏は、この猪・鹿の陥穽(かんせい)遺構を23基発掘した。この三方を山に囲まれた小盆地から、集団による追い込み狩猟が行われたと考えた。考古学上、初めて「落とし穴遺構」として認識したうえでの検証であった。この発見が、「池のくるみ」から流れ、上川に注ぐ源流、桧沢川沿いのジャコパラ遺跡の陥穽遺構発掘の参考となり、その後、八ヶ岳西南麓では12ケ所の遺跡で、43基の陥穽遺構発掘の成果に繋がった。

 落とし穴遺構は、山間部でも特に人里離れた場所に設けられた。関東地方では縄文早期と前期、東北地方では中期から晩期、北海道では中期から後期に多い。それを遡り長野県諏訪市の霧ヶ峰ジャコッパラや茅野市城ノ平、静岡県の箱根と愛鷹山麓などの落し穴遺構の発見により、旧石器時代の重要な罠猟の一環と知られている。環状石器ブロック内に集落を築き居住する数家族が一集団となって、ナイフ形石器を槍の穂先に装着し動物を落とし穴に追い込む「集団による追い込み狩猟」が行われていた。赤城山麓の群馬県伊勢崎市下触町の下触牛伏遺跡の発掘などにより、大きな環状石器ブロック群内で同時に100人を超える多くの人々が集落をなし、生活を共にするムラ社会が形成されいた事が分かった。その目的がナウマンゾウ・オオツノシカなどの大型動物の「集団による追い込み狩猟」であったようだ。

 通常、落とし穴に逆茂木を立てて傷を負わせ、更に穴幅を狭くし、一度落ちれば嵌り抜け出せないようにしている。獣道を調査し、それぞれに落とし穴を設けたり、それを多数並べて、そこに犬を使い追い込む猟がなされていた。柵などを備え動物を落とし穴に誘導するなどもした。また、落とし穴が分布する周辺から、拳大の石が多数出土している。落とし穴にとらわれた獣に投擲をあびせて殺したようだ。

縄文時代の鳥の捕獲方法

 諏訪湖周辺には、原始・古代からの遺跡が多数、しかも重層的に分布している。ところが貝塚とまでいえるものが殆どない。下諏訪町の高木殿村遺跡では縄文中期の中頃の竪穴住居の脇に貝塚があった。藤森栄一は『縄文の世界』(講談社)で「大きさは2m×3m、1個のイケシンジュガイの貝殻をのぞくと、他はすべてオオタニシであった」と記す。

 長野県岡谷市川岸三沢の熊野神社境内遺跡は、諏訪湖から約1km下った扇状地の扇央付近にあり、標高は約770m、天竜川との距離200m余り、その比高20m足らずにある。その貝塚から加曾利B式土器が共伴しており、縄文後期中葉という時期が推定される。その発掘当時の一葉の写真に、土に埋もれ累々と重なるオオタニシの貝殻とその上に横たわる鹿と思われる大きな獣骨が写されてあった。

 遠浅の海岸近くの入江や浜に貝塚が最も多いが、それ以外の地域でも福井県若狭町の三方湖の鳥浜貝塚、淡水湖の琵琶湖最南端にある粟津湖底遺跡の貝塚などが特徴的であり、むしろ各種、重要な遺物の出土で有名になっている。藤森栄一は、諏訪地方に貝塚がまれなのは、シジミの好む砂地やタニシが棲む泥土が発達していなかったからという。

 素直に解すれば、八ヶ岳西南麓・諏訪湖盆地方を潤してきた狩猟・漁労・植物採集などで、十分に生業を全うする事ができたからである。特にドングリ・クルミ類の炭水化物は、極めて栄養分に富む優れたエネルギー源となった。その熱量の割に消化器への負担が軽く、生命を長く保てる効能もあった。穀物一般の炭水化物は、妊婦が過剰に摂取しても胎児に悪影響を及ぼすタンパク質が少なく、むしろ妊娠中の栄養源として極めて優良で、結果的にその出生率を向上させた。灰汁抜きしたドングリなどを粉状にし離乳食とすれば、乳幼児の健康維持に貢献し、また疾病率と死亡率を抑え、ために妊婦の負担が軽くなり、女性の受胎能力を高め、結果、出生数を増やした。より健康的な栄養源として縄文人の余命をも延ばした。

 冬期が長く、しかも厳しい八ヶ岳山麓では、鹿・猪・狸・兎・狐もそれに耐えている。この時期狩るほうも、狩られるほうも耐え忍ぶ事が多く動きは鈍いくせに、両者共、食料が不足しているため活動範囲が広く痕跡が濃密となり、獲物の足跡は雪上にくっきり残り、その種別も明らになる。
 
 通年の重要なたんぱく質源として野鳥がいる。鳥には渡り鳥と留鳥がいる。また地形により山岳から内陸部の原野に雉が、湖沼周辺には雁・鶴・白鳥などの鴨類などが、海岸部ではウミガモ類が、岩礁地帯ではヒメウ・ウミガラス・ミズナギドリなどがいる。身近な狩猟対象でありながら、縄文時代の遺跡からは出土例が少ない。当然、各種捕獲方法を工夫し補殺していたが、骨が細く柔らかいため食べ尽くされていたようだ。

 仙台平野北部は、縄文時代でもガン・カモ類の飛来ルートであった。この地方の貝塚遺跡から鳥類の骨が多量に出土している。その種類が多く豊富であるため生業の中核であったといえる。ウミガモ類は漁網にかかる場合が多く、他の鳥類は、林間に霞網を掛け捕獲していたようだ。鳥の卵は、たんぱく質・カルシウム・鉄分など、ビタミンCを除くほぼ全部の栄養素が含まれている。その殻が残らないため考古学的に論評されていないが、当然、積極的に採集していたと考えられる。

 鳥を捕獲する方法として、鳥餅(とりもち)を使う方法・網を使う方法・弓矢を使う方法などがある。網を使うと言えば、魚網と併用したか、それ用に独特の工夫をしたか定かではない。ただ網が無ければ獲りにくい小型の魚が貝塚からしばしば発見されている。多量に出土する縄文期の土錘・石錘は通常、網の錘と考えられる。その魚網の技術を、鳥の捕獲用に改良し転用していたようだ。

 網の素材はシナの木の樹皮を原料にしたのであろうか?聖高原で有名な東筑摩郡麻績村(おみむら)は、茅野市の尖石集落から見れば和田峠を越えた北側になる。その地名が「麻を紡ぐ」に因むとなれば、麻糸かもしれない。布の製作には、糸を拠る工程後に布にする加工が伴う。

 動物の腱や植物の繊維は、撚りをかけて糸にしなければ丈夫にならない。土器片や粘土製円板の中心に穴をあけた有孔円板が、繊維に撚りをかける紡錘車ではないかとみられている。諏訪郡富士見町では、井戸尻遺跡と大花北遺跡から、縄文後期に属する算盤玉の形をした紡錘車が出土している。秋田県南秋田郡五城目町上樋口の中山遺跡から出土した縄文晩期に属する布の糸は、0.5mm〜1mmと極めて細い。

 細い糸から編まれる縄類は、繊維を撚り合わせて太くし実用化するもので、細い方から紐・縄・綱と呼ばれる。縄文早期の土器の底から網代圧痕があられることから、網代は杉・檜・ヒバ・椎などの樹皮、笹類、ネマガりダケの竹類、スゲ・ガマなどの植物の茎、ブドウ・アケビ・マタタビ・フジなどの蔓を使って編まれていようだ。網代の名の由来は、川の瀬に魚を捕るため竹や木を編んで網の代りに立てられた漁法から名付けられたという。

 縦糸と横糸をからめたのが編布(あみぬの)であり、縦糸と横糸を交差させたのが織布(おりぬの)である。山形県東置賜郡高畠町の縄文前期後半の押出遺跡から出土した手網・北海道小樽市の忍路土場遺跡(おしょろどば)のたも網の枠や、青森県の三内丸山遺跡からは、縦横の糸を1本ずつ交差させて織っていく典型的な平織の布片が発見された。

   犬を使う「キジ突き網猟」がある。猟場は木立が閑散としている草原や、河川敷が好都合のようだ。長い柄の広幅が大きい手網を担ぎ猟犬と猟場に出掛ける。優れた猟犬は認定が速く、しかも素早い。ターゲットにされた雉は、逃げる間を失い、雑木のそばの草藪に射すけまれて動けなくなる。猟犬は目視せず、3m先の臭いをポイントしているので、互いにこの状態でどちらも動かない。猟犬の習性として、飼い主の指示が無ければ直接襲わない。その訓練は猟師がするのでなく、猟犬たる母親と仲間の猟犬が実地で教えるという。この状態で網手は、ターゲットに静かにゆっくり近づきながら、雉を目視する位置まで近付き、雉の頭の向きを確認すると、じわりじわり近寄り何時飛び立たれても良い構えをしながら雉の頭方向から一気に被せようとすると、犬も興奮し跳び込み、雉は頭方向から網の中に入り暴れまわる。

 今でもよく使われる「無双網(むそうあみ)」の方法を使えば、比較的簡単に鳥を捕獲できるようだ。地面に伏せておくか、地面より1m位高さに網を張り、鳥がおとりや撒き餌に誘われて地面に降りたったとき、離れたところから綱を操作することにより、鳥にかぶせて捕獲する。

 朝になると巣から餌場に飛び立ち、夕方になると餌場から巣へ帰ってくる鳥には、決まった飛行ルートがある。その一定の場所に網を張る方法の他に、両サイドに木の棒を取り付けて、上空を鳥が横切ろうとする時にタイミングを合わせて放り上げ、網で絡め獲る。古代から、竹竿に少し細工をして飛ぶ鳥をたたき落とすという捕獲法もあったようだ。

 鳥餅は、野鳥等を捕獲するには、熟達すれば極めて有用で、現在では禁止されている。野鳥がとまる枝につけ、足などにくっつき飛べなくする粘着性の物を使う。鳥餅の材料は、ヤマグルマ(山車)・モチの木から採取する。

 これらの木の樹皮を使い、樹皮を剥いで外皮を取り水につけて腐らせ、ついて砕いて水で洗うと赤褐色をしたゴム状のモチが残る。これを野鳥の止り木や、木の先につけて、鳥が来そうな所へ置いておく。  

 キジ笛を使用する方法も現在では、狩猟鳥獣を必要以上におびき寄せることになり、鳥獣の多獲につながることから禁止されている。キジ笛の利用は意外に効果的だそうだ。キジや山鳩は通常、人影を見ても直ぐ飛び立たず、ヒョコヒョコと跳ねて逃げていく場合が多い。一度、キジ笛で引寄せれば、弓矢や投げ網などの餌食になりやすいという。
 
 上川の川面には、マガモ・コサギ・カワウ・カイツブリなどの水鳥が多く、見るからに弓矢で狙いやすそうにみえる。霧ケ峰には、カッコウ・ウグイス・キツツツキ・キジ・アトリ・カシラなど種類は豊富である。その周辺の山々を歩いて気付くことは、霧ケ峰山中の野鳥達は、間近に近づくまで逃げない。なぜか何度も近くに飛び寄ってくる。野鳥達も知っている。今では、人類は自分たちにとって無害であることを!


”エゴマの灯”

 旧石器時代から火は使用している。しかし肝心な火起こしを立証できる道具が出土していなかった。北海道小樽市の忍路土場遺跡(おしょろどば)と滋賀県大津市の滋賀里遺跡で、それぞれ縄文後期と晩期の火鑚杵(ひきりぎね)とおもえる木の棒と火鑚臼として使われていた板が発見された。板に穴を開けてその上に棒の先がはまるほどのくぼみを作る。くぼみに棒の先を差し入れ、高速で回転させる回転摩擦式発火法である。1万年を超える文化であれば、両手で回す錐揉み式(きりもみ) ・紐を使う紐錐式(ひもぎり) ・小型弓を使う弓錐式(ゆみぎり) など多様な技術が活用されていただろう。

 その火口(ほぐち)には、日本古来からガマの穂が使われていた。車山・霧ヶ峰・八島ヶ原高原などでは、葉場山火口(はばやまぼくち)の葉裏にはえている白い綿毛を乾かしたものを、火打ち石から火を起こし移し取っていた。その火種は、それぞれの住居家内で食事の度ごとに、火を起こす余裕がないから、家内の炉に埋められ、炭状に焼け木杭(やけぼっくい)を保存していた。

 福井県の鳥浜貝塚からは、縄文前期の地層から「エゴマ」と大麻(おおあさ)の種実が出土した。同時に、生活財としての縄や綱も検出された。

 韓国では大麻の幹に潰した「エゴマ」の種子を塗布し、これを乾かしたものの先端に点火し、「灯」として使っていた。鳥浜貝塚から出土した「エゴマ」は種子を食用とし、また搾った油を「灯」に利用していた。

 エゴマはゴマのように食べられていた。またその実から油がとれるので、江戸時代まで瓦灯用の明かりとして使われいた。縄文時代、既に釣手土器がランプとして使われていた。一方、魚油の臭う明かりも、漁村では当り前であったが、次第に江戸期末期以降に徐々に衰退した。

 古代、日常生活のための明かりは、炉の明かりで済ましていた。ただ緊急時の明かり、神事を行うための明かり、神にささげる明かりの火種は、魚油・獣脂・松脂などの樹脂と「エゴマ」であった。

 エゴマには、もう一つ大切な使われ方があった。それは漆器を作る時に、なくてはならないウルシを溶く油であった。縄文前期には、既に漆塗の技法があり、エゴマの油もウルシ塗りのときに使われていたと考えられる。

 縄文人は、その生活環境に合わせ創意工夫を加え、自らの暮らしを豊かにしょうと、あらゆる局面で努力している。それは、青森の三内丸山遺跡、そして鳥浜貝塚の遺跡などを通して知ることができる。

 そこに麻が遺存することは、身にまとうものとして、「アカソ」の繊維とともに使われていたことと、更に「エゴマ」と同時に出土していることから、この「エゴマ」が麻とともに明かりを灯すのに使われていたと推測できる。

 中世末期に非乾性油の菜種油が普及するまでは日本で植物油と言えばエゴマ油であり、瓦灯の灯火にもこれが主に用いられていた。しかし、菜種油が普及する江戸末期には、ほとんどが菜種油を使うようになった。行燈(あんどん)は、油皿に灯芯を入れて灯した。油壺に継ぎ足し用の油を入れていた。次第にエゴマ油の利用が減少し、乾性油としての特種性を生かして油紙・合羽・番傘などの塗料用など用途が限られていった。現代でも、依然として、自然に優しい塗料の代表として、無毒無害な木部用の仕上塗料・オイルフィニッシュとして根強い支持がある。韓国では、エゴマの葉は、ナムルなどの家庭料理には欠かせない食材で、日本よりも幅広く使用されいる。

 藤森栄一は、井戸尻遺跡群の釣手土器を「神の火を灯すランプである」と評した。残念ながら灯火の燃料まで分析していなかった。
http://rarememory.justhpbs.jp/suwajyou6/suwa.htm#

19. 中川隆[-8985] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:09:33 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[46] 報告
食事を変えれば腸内細菌の種類はたった一日で変化する
 
有名な話だが、パンダには竹や草などに含まれる食物繊維(=セルロース)を分解できる酵素の遺伝子を持っていないことが分かっている。本来、肉食動物の腸を持つパンダが、どうして竹や笹だけを食べて生きられるのかというと、それは「腸内細菌」がセルロースを分解し、タンパク源やエネルギーをつくりだしているからだ。

それでは、当初肉食であった動物が、草食に移ることなど可能なのだろうか?
食生活と腸内細菌に関する記事があったので紹介する:


病気や免疫に関わる腸内細菌の種類は食事内容により一日でガラリと変化する:米研究


腸内細菌についてはIRORIOでも数多く紹介してきた。肉体や精神の健康は、腸内細菌と密接な関わりがあり、果てにはわれわれの思考にまで影響を及ぼすことが明らかになっている。以前、

「腸内細菌は両親から受け継がれ、生涯変わることはない」
http://irorio.jp/kondotatsuya/20130707/67934/

という研究結果をお伝えしたが、今回の実験はそれに疑問を投げかける結果となっている。

なんと肉食から菜食へ、菜食から肉食へと食事内容を変えるだけで、腸内細菌の種類は大幅に変化した。それも変化は一日という早さで起こることが確認されたのだ。

「変化は細菌の種類だけではなく、それらの活動に伴う遺伝子の発現にも変化がみられた。腸内微生物はわれわれの食事内容に大きく反応するのかもしれない。そして以前考えられていたよりもこの反応は短い時間のうちに起こる」

と、説明するのは米デューク大学ゲノムサイエンス研究所のローレンス・デーヴィッド。何兆という腸内細菌が人間の体内に住みついており、それらは消化、免疫、体重変化にも大きく関わっていることが明らかになっているが、今回の結果は
「人の健康を語るにおいて何を意味するかはまだわからない」そうだ。

実験は、21歳から33歳までの男性の被験者6人と女性の被験者4人を対象に行われた。最初の4日間は普通に食事をしてもらい、次に5日間ずつ完全肉食か完全菜食だけをしてもらい、それぞれ腸内細菌を採取した。

肉食の内容は
「朝:卵にベーコン、昼:リブやブリスケット、晩:サラミ、生ハム、チーズ、おやつには豚の皮を揚げたもの」、

菜食の内容は
「朝:グラノラ、シリアル、昼:米に玉ねぎ、トマト、ズッキーニ、にんにく、グリーンピース、レンズ豆などを調理したもの、夜:昼と似たようなメニュー、おやつにはバナナとマンゴー」だった。

結果は、肉食をした場合、22種類の細菌の増殖に拍車をかけ、菜食をした場合は3種類の細菌が増殖した。

驚くべきことは、腸内細菌の種類が一日という早さでシフトしたことだ。

これが健康にどう影響するのかは定かではないが、肉食では肝臓が脂肪を分解するのに胆汁酸を分泌するので、それに強い細菌が増殖するのは説明がつくという。逆に菜食により増殖した細菌は食物繊維を分解するのに特化したものだと考えられている。

研究者らは、高脂肪食と関連している潰瘍性大腸炎とクローン病が、腸内細菌の迅速なシフトにより説明がつくかもしれないとコメント。実際にマウスの研究では、胆汁酸の環境で増殖するBilophilaという細菌が炎症性腸疾患の原因となることが確認されている。しかし、これを断定するにはさらなる研究が必要とのこと。研究結果は『Nature』で発表されている。
============================


腸内細菌の種類が食事によって日々変化するとすれば、パンダの食生活が変わったのは、笹を食べたことによって腸内細菌の変化したからではないだろうか。人間も腸内細菌をコントロールすれば、食生活・食文化が変わっていくかもしれない。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=291278

20. 中川隆[-8981] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:15:35 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[50] 報告
昔はアトピーもうつ病も癌も無かった


チベットでのアトピー調査報告

チベットや中国でアトピー性皮膚炎の患者が少ないわけは?
市立吹田市民病院皮膚科 幸野 健 

 英国のウィリアムズらによる世界56か国の調査によれば、日本はアトピー性皮膚炎が最も高い群に属し、中国は最も少ない群に属するとされています。中国の南京は名古屋と気候差が少なく、室内ダニ数もほぼ等しいとされているものの、昨年の我々の調査では、南京の大学生にアトピー性皮膚炎を1名見出しただけでした。日本人と中国人は遺伝的に似ているはずなのに、一体、何が違っているのでしょうか?一体、中国の何が良くて、日本の何が悪いのか?一方、英国、豪州に移住した中国人ではアトピー性皮膚炎が爆発的に増加することも報告されています。これは一体、何を示しているのでしょうか?アレルギーに関し、黄色人種間での相違を検討し、危険因子の追求を続けている南京医科大学国際鼻アレルギーセンター(主任:三好彰教授)の調査団に加えて頂き、昨年、チベット自治区におけるアトピー性皮膚炎の実態調査を行いました。

 調査地はチベット自治区ラサ市近郊堆龍徳慶県。人口約1500人、海抜3640m、最高気温27℃、最低気温-18℃、年平均7℃の地です。対象は小1、小4、中1の計228名。ちなみに当地の進学率は95-98%とのことで、チベットでは最も近代化した所です。


 チベットの子供たちは、人なつっこく、衣服はやや汚れているものの、比較的きれいで日本製古着が目立ちました。乾燥・寒冷、紫外線による頬部の発赤はかなりの児童に見受けられたものの、全員ほぼきれいな皮膚をしていました。

そして、今回の調査では日本皮膚科学会診断基準を満たすアトピー性皮膚炎児童は認められませんでした。

乾皮症は38%に認めましたが、強いかゆみを訴える者や、かき傷のある者はいませんでした。さらに、とびひ1名、いぼ2名、水イボ2名と、日本での検診に比べ、皮膚疾患が非常に少なかったのは驚きでした。


 入浴は平均月1回、洗髪は週1回弱(ただし石鹸はほとんど用いず)、清拭は平均毎日ということでしたが、悪臭のある児童、いわゆる「垢付き病」の児童は認めませんでした。耳鼻科検診でも明確な鼻炎症状を持つものはいませんでした。

 また、スクラッチ・テスト(皮内反応)も実施しました。これまで我々が定点調査を行って来た、北海道、日光と比較すると、年齢と共に陽性者が増加する傾向は同様でしたが、チベットでは、小1、小4、中1ともに陽性率が著しく低いことが認められました。

21. 中川隆[-8980] koaQ7Jey 2020年12月24日 04:16:32 : aGnHCluepw : QUpEcE1zWnhLNEk=[51] 報告
癌の原因ぐらい昔からわかっていた  

人類の宿敵“がん”を撲滅するため、世界各国はいま対策に追われている。有害化学物質の使用を禁じ、排気ガスを規制、身のまわりからもタバコや食品添加物を排除しようとやっきになっている。ところが、既に70年前にそれを実行し、国をあげて熱烈にがん撲滅に取り組んでいた国がある。ナチス・ドイツだ。

 驚くべきことに当時のドイツでは、既にがんの原因として放射性物質、タール煤煙、アスベスト、アニリン染料などを突き止めていた。タバコが肺がんの主因であることを世界で初めて証明したのも、ドイツの疫学者たちだ。

 世界有数の合成染料生産国だったため、アニリン染料による膀胱がんが多発し、タールやアスベスト、ラジウムを扱う職場でもがんが増えていたので、既にがんは職業病だとの認識もあった。

 世界に先駆けて国立の「がん研究・がん撲滅中央委員会」ができたのはナチス政権樹立の前だが、国の重要な産業を脅かすがんは、「健康は義務である」を国家スローガンにし、優秀なゲルマン民族の繁栄を願ったナチス政府にとっても「国家最大の敵」だった。従って、ナチス政府のがん撲滅運動は徹底しており、1930年代には早くも各地で集団検診を実施して、早期発見の大キャンペーンを行っている。特に優秀な子孫を産むべき女性の検診には力を入れ、がんの精密検診を受ける女性は年間何十万人にも上った。

 また肺がんの原因とみなされたタバコについては、世界で類をみないタバコ撲滅運動を展開し、反アルコール、食生活改善の運動も国が音頭をとった。ナチス党員のパン屋は全粒パンを焼くことを義務づけられたし、バターに使われていた食用色素“ジメチルアミノアゾベンゼン”の使用も禁止された。

 ナチスの指導者たち自身の健康志向も強かった。ヒトラーの菜食主義は有名だが、親衛隊長官ヒムラー、副総統ヘスもベジタリアンで、当時のドイツでは菜食主義は一大流行だった。チャーチルやスターリンは愛煙家だったが、ヒトラーはアルコールもタバコもたしなまず、愛人エファー・ブラウンがタバコを吸うのを許さなかったといわれる。
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/kenkou/plus/364750


まあ、こういう事ですから:

YAHOO癌掲示板

化学物質 2004/ 9/16 18:55メッセージ: 285 / 336
 
投稿者: etc53_jp (男性/栃木県)

父は胃ガンと膵臓ガンを患っていました。
臆病な父は手術が怖く他の治療法を探していました。そんなとき出会ったのが食事療法でした。

可能は限り無農薬・濡添加のものを食し、野菜や肉なども必ずアク抜きをして食べ、水も浄水器を使い塩素を除去して使いました。

一年後、膵臓ガン−消滅・胃ガン−米粒大にまで縮小。

二年後、胃ガン−消滅、現在六八才ですがすこぶる元気

再発しないよう今までと同じ食生活を続けています。

病院から処方された抗ガン剤等の薬は一切使いませんでした。

以上のことから、体験的ではありますがガンの大きな原因の一つが化学物質と考えています。

_______


ガン細胞増殖は治癒反応の表れ

体内の毒素を一カ所に集め、そこから排毒しようとして腫瘍が形成される

「ガン細胞は味方だった!」医療界に衝撃
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/228.html

22. 中川隆[-8556] koaQ7Jey 2021年1月06日 01:56:24 : BlPirF74G2 : TVZFcWFqMFVsL1E=[13] 報告
【ch桜・別館】東西のお雑煮比較と岡崎の八丁味噌[R2/12/26]
2021/01/05




23. 中川隆[-8185] koaQ7Jey 2021年1月18日 11:11:25 : pj8AqNHlPE : ZUtoYXYySXJvVnM=[15] 報告
かつおだし(だし汁)の取り方/作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1242.html

お米の食べ方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/882.html

みそ汁は沸騰させてはダメ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1182.html

たくあん漬けというより添加物漬け…表示に埋め尽くされた成分が怖い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1080.html

沢庵・漬物の塩抜きの方法
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1044.html

梅干しの塩抜きの方法
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1042.html

冷蔵庫保管する ぬか漬け
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1066.html

漬け物はぬかずけ|ぬかずけの作り方と容器
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1078.html

お好み焼きの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1241.html  


▲△▽▼


正しい紅茶の入れ方、正しい蒸留酒の飲み方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/347.html

正しいコーヒーの入れ方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/857.html

ホットミルクの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1223.html

オリーブオイル・マヨネーズの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1021.html

卵サンドの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1020.html

ホットケーキの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1243.html

ナポリピザの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1244.html

お薦めダイエット法
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/354.html

24. 中川隆[-8179] koaQ7Jey 2021年1月18日 16:47:15 : pj8AqNHlPE : ZUtoYXYySXJvVnM=[24] 報告
フレンチトーストの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1245.html
25. 中川隆[-8176] koaQ7Jey 2021年1月18日 19:35:26 : pj8AqNHlPE : ZUtoYXYySXJvVnM=[28] 報告
肉じゃがの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1246.html
26. 中川隆[-8173] koaQ7Jey 2021年1月18日 19:58:38 : pj8AqNHlPE : ZUtoYXYySXJvVnM=[31] 報告
フライパン1つで揚げない『酢豚』の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1247.html
27. 2021年1月18日 20:07:41 : pj8AqNHlPE : ZUtoYXYySXJvVnM=[34] 報告
豚の角煮の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1248.html
28. 中川隆[-8167] koaQ7Jey 2021年1月18日 20:26:51 : pj8AqNHlPE : ZUtoYXYySXJvVnM=[38] 報告
テリヤキチキンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1249.html
29. 中川隆[-8159] koaQ7Jey 2021年1月18日 23:34:11 : pj8AqNHlPE : ZUtoYXYySXJvVnM=[48] 報告
ひき肉とジャガイモのオムレツの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1250.html
30. 中川隆[-8156] koaQ7Jey 2021年1月19日 00:03:22 : pj8AqNHlPE : ZUtoYXYySXJvVnM=[52] 報告
簡単!便利!じゃがいもの皮むき
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1251.html
31. 中川隆[-8148] koaQ7Jey 2021年1月19日 00:47:03 : pj8AqNHlPE : ZUtoYXYySXJvVnM=[60] 報告
昔ながらの味!カレー粉で作るカレーライスの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1252.html
32. 中川隆[-8141] koaQ7Jey 2021年1月19日 01:05:06 : pj8AqNHlPE : ZUtoYXYySXJvVnM=[67] 報告
豚のしょうが焼きの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1253.html
33. 中川隆[-8136] koaQ7Jey 2021年1月19日 01:26:53 : pj8AqNHlPE : ZUtoYXYySXJvVnM=[72] 報告
豚バラとキャベツのとろとろ炒め煮の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1254.html
34. 2021年1月19日 01:41:37 : pj8AqNHlPE : ZUtoYXYySXJvVnM=[75] 報告
ビーフシチューの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1255.html

[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)
35. 中川隆[-8123] koaQ7Jey 2021年1月19日 12:50:46 : cWliJiYr4o : Sy5qS3d1clo2aWM=[10] 報告
カスタードプリンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1263.html

チーズフォンデュの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1257.html

ハンバーグの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1264.html

茶碗蒸しの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1262.html

油で揚げない、でも揚げたような食感のトンカツの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1261.html

かつ丼の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1260.html

牛丼の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1259.html

玉子丼の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1258.html

市販のスーパーの焼きそばを美味しく作る方法
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1256.html

36. 中川隆[-8151] koaQ7Jey 2021年1月19日 15:56:59 : cWliJiYr4o : Sy5qS3d1clo2aWM=[24] 報告
おでんの出汁の取り方・下処理方法や煮方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1266.html
37. 2021年1月19日 16:23:25 : cWliJiYr4o : Sy5qS3d1clo2aWM=[27] 報告
フライパンで!サクサク天ぷら
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1269.html

油大さじ3だけ!揚げずにカリカリジューシー唐揚げ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1268.html

揚げないメンチカツ、オーブンで一発!もう油で揚げません
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1267.html

油で揚げない、でも揚げたような食感のトンカツの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1261.html

38. 2021年1月19日 16:58:27 : cWliJiYr4o : Sy5qS3d1clo2aWM=[34] 報告
ナポリタンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1270.html


[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)
39. 2021年1月19日 17:32:46 : cWliJiYr4o : Sy5qS3d1clo2aWM=[38] 報告

最高の塩むすびの握り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1271.html


出汁茶漬けの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1272.html

40. 中川隆[-8142] koaQ7Jey 2021年1月19日 18:03:14 : cWliJiYr4o : Sy5qS3d1clo2aWM=[34] 報告
手巻き寿司の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1273.html
41. 2021年1月19日 18:23:19 : cWliJiYr4o : Sy5qS3d1clo2aWM=[37] 報告
炒飯の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1274.html
42. 2021年1月19日 18:38:03 : cWliJiYr4o : Sy5qS3d1clo2aWM=[42] 報告
ポテトサラダの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1275.html
43. 中川隆[-8130] koaQ7Jey 2021年1月19日 19:20:06 : cWliJiYr4o : Sy5qS3d1clo2aWM=[48] 報告
牛乳からクリームを作る方法
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1276.html

[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)
44. 2021年1月20日 01:30:06 : cWliJiYr4o : Sy5qS3d1clo2aWM=[60] 報告
じゃがバターの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1277.html
45. 中川隆[-8107] koaQ7Jey 2021年1月20日 09:43:18 : BdKYWa4FDg : bUt0LjBpNkVpMW8=[7] 報告
フライパン一つで華やかに作れるローストビーフの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1279.html

本場ドイツ仕込み絶品ジャーマンポテトのつくり方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1280.html

焼肉屋の秘伝のタレ作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1281.html

焼き鳥のタレの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1282.html

46. 2021年1月20日 10:25:26 : BdKYWa4FDg : bUt0LjBpNkVpMW8=[12] 報告
冷凍コーンから作る!濃厚コーンスープの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1283.html

[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)
47. 2021年1月20日 11:11:46 : BdKYWa4FDg : bUt0LjBpNkVpMW8=[22] 報告
石狩鍋の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1285.html
48. 中川隆[-8090] koaQ7Jey 2021年1月20日 11:56:47 : BdKYWa4FDg : bUt0LjBpNkVpMW8=[28] 報告
炊飯器で失敗しない生米パンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1286.html

[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)
49. 2021年1月20日 14:09:31 : BdKYWa4FDg : bUt0LjBpNkVpMW8=[59] 報告
豚汁の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1287.html


肉うどんの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1288.html

50. 2021年1月20日 15:21:27 : BdKYWa4FDg : bUt0LjBpNkVpMW8=[68] 報告
鮭のムニエルの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1291.html

マカロニグラタンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1292.html



[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

51. 中川隆[-8044] koaQ7Jey 2021年1月20日 17:49:22 : BdKYWa4FDg : bUt0LjBpNkVpMW8=[88] 報告
じゃがいもポタージュの作り方の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1295.html

じゃがいもの冷製ポタージュ ビシソワーズの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1294.html

オニオングラタンスープの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1293.html

冷凍コーンから作る!濃厚コーンスープの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1283.html

チーズフォンデュの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1257.html

[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

52. 中川隆[-8040] koaQ7Jey 2021年1月20日 18:14:17 : BdKYWa4FDg : bUt0LjBpNkVpMW8=[92] 報告
和風ステーキにピッタリの玉ねぎしょうゆソースの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1296.html

焼肉屋の秘伝のタレ作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1281.html

焼き鳥のタレの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1282.html

53. 中川隆[-8034] koaQ7Jey 2021年1月20日 18:55:56 : BdKYWa4FDg : bUt0LjBpNkVpMW8=[101] 報告
オリーブオイル マヨネーズの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1021.html

フレンチドレッシングの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1297.html

和風ドレッシングの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1298.html

[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

54. 中川隆[-8009] koaQ7Jey 2021年1月21日 00:12:41 : BdKYWa4FDg : bUt0LjBpNkVpMW8=[134] 報告
ポテトサラダの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1275.html

じゃがいものガレットの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1303.html

マッシュポテトの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1301.html

本場ドイツ仕込み絶品ジャーマンポテトのつくり方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1280.html

牛肉を赤ワインでじっくり煮込む!ブッフブルギニョンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1308.html

「牛肉のステーキ、ベアルネーズソース」の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1307.html

「牛ステーキのサラダ仕立て」の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1306.html

「ビーフカツレツ」の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1309.html

鶏肉の赤ワイン煮「コックオーヴァン」の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1304.html

ポトフの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1302.html

ブイヤベースの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1300.html

鮭の ムニエルの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1291.html



[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

55. 中川隆[-8002] koaQ7Jey 2021年1月21日 01:02:06 : BdKYWa4FDg : bUt0LjBpNkVpMW8=[142] 報告
牛乳からクリームを作る方法
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1276.html

サワークリームの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1310.html

クレームブリュレの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1311.html

カスタードプリンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1263.html

ホットケーキの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1243.html

ミルクレープの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1312.html

じゃがいものガレットの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1303.html

フレンチトーストの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1245.html




[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

56. 中川隆[-7956] koaQ7Jey 2021年1月21日 23:01:11 : FFyjixcZEl : dms1QVQ2TU1PRVU=[29] 報告

みそ汁は沸騰させてはダメ _ だし からつくる定番みそ汁
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1182.html#c2

豚汁の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1287.html

3日半でできる簡単な手作り「たくあん」の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1316.html

白菜の浅漬けの作り方(簡単な一夜漬けのレシピ)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1315.html


57. 中川隆[-7926] koaQ7Jey 2021年1月22日 20:34:30 : S5sBIuDAsc : WW9BTlIvaG5aUVk=[32] 報告

かつおだし(だし汁)の取り方/作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1242.html

吸い物出汁の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1323.html

シイタケと昆布の合わせだしの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1320.html

いりこ(煮干し)だしの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1321.html

みそ汁は沸騰させてはダメ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1182.html

豚汁の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1287.html

めんつゆの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1322.html

肉うどんの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1288.html

おでんの出汁の取り方・下処理方法や煮方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1266.html

すき焼き 割り下の簡単な作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1319.html

照り焼きソースの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1318.html

和風ステーキにピッタリの玉ねぎしょうゆソースの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1296.html

焼肉屋の秘伝のタレ作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1281.html

焼き鳥のタレの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1282.html

和風ドレッシングの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1298.html

58. 2021年1月22日 21:14:12 : S5sBIuDAsc : WW9BTlIvaG5aUVk=[37] 報告

人気の豆腐レシピ10選
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1326.html

豆腐サイコロステーキの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1327.html

肉豆腐の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1325.html

豆腐のガーリックステーキの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1324.html

59. 中川隆[-7915] koaQ7Jey 2021年1月22日 22:43:43 : S5sBIuDAsc : WW9BTlIvaG5aUVk=[44] 報告
ぬかみその作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1329.html

酒粕を使った粕床! 絶品粕漬けで野菜をごちそうに!
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1328.html

3日半でできる簡単な手作り「たくあん」の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1316.html

白菜の浅漬けの作り方(簡単な一夜漬けのレシピ)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1315.html

沢庵・漬物の塩抜きの方法
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1044.html

梅干しの塩抜きの方法
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1042.html

60. 中川隆[-7909] koaQ7Jey 2021年1月22日 23:29:15 : S5sBIuDAsc : WW9BTlIvaG5aUVk=[50] 報告
市販のルーも生クリームも使わないクリームシチューの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1330.html

ポトフの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1302.html

じゃがいもポタージュの作り方の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1295.html

じゃがいもの冷製ポタージュ ビシソワーズの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1294.html

オニオングラタンスープの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1293.html

冷凍コーンから作る!濃厚コーンスープの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1283.html

チーズフォンデュの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1257.html

ビーフシチューの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1255.html

牛肉を赤ワインでじっくり煮込む!ブッフブルギニョンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1308.html

ナポリタンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1270.html

トマトを使ってミートソースを作ろう
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1331.html

フレッシュトマトのミートソースペンネの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1332.html

マカロニグラタンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1292.html

ハンバーグの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1264.html

昔ながらの味!カレー粉で作るカレーライスの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1252.html

ひき肉とジャガイモのオムレツの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1250.html

[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)

61. 中川隆[-7885] koaQ7Jey 2021年1月23日 17:14:19 : C262U7JCBk : TFpjbTFDOE1tbGs=[25] 報告
田楽味噌の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1333.html

豆腐の味噌田楽の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1338.html

大根の味噌田楽の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1337.html

里芋の味噌田楽の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1336.html

米ナスの田楽の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1335.html

こんにゃくの味噌田楽の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1334.html

市販のスーパーの焼きそばを美味しく作る方法
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1256.html

炒飯の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1274.html

焼き焼売(シュウマイ)の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1290.html

焼き餃子の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1289.html

麻婆豆腐の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1339.html

フライパン1つで揚げない『酢豚』の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1247.html

回鍋肉(ホイコーロー)の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1340.html

塩煎肉の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1344.html

豚肉の甜面醤炒め(家庭版の京醤肉絲)の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1343.html

四川料理の「ど」定番 宮保鶏丁 鶏肉とカシューナッツの唐辛子炒めの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1342.html

キュウリと鶏肉の中華味噌炒め 醤爆鶏丁の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1341.html


62. 2021年1月24日 21:30:13 : kqBY7beTjw : V3J5dllMME5LdEk=[53] 報告
手焼きせんべい の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1439.html

あんこ(こしあん)の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1438.html

京都名物 生八つ橋の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1437.html

赤福・みたらし団子の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1436.html

63. 2021年1月24日 21:54:08 : kqBY7beTjw : V3J5dllMME5LdEk=[59] 報告
練羊羹(ねりようかん)の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1441.html

ういろうの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1440.html

64. 中川隆[-7784] koaQ7Jey 2021年1月25日 15:38:48 : 2ydmNr8Rvw : SDJnQ0RJbmZzTkk=[10] 報告
お米の食べ方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/882.html

最高の塩むすびの握り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1271.html

出汁茶漬けの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1272.html

手巻き寿司の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1273.html

お雑煮の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1442.html

▲△▽▼

みそ汁は沸騰させてはダメ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1182.html

豚汁の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1287.html

肉うどんの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1288.html

石狩鍋の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1285.html

▲△▽▼

茶碗蒸しの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1262.html

玉子丼の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1258.html

牛丼の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1259.html

かつ丼の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1260.html

炒飯の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1274.html

お好み焼きの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1241.html

市販のスーパーの焼きそばを美味しく作る方法
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1256.html

フライパンで!サクサク天ぷら
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1269.html

▲△▽▼

簡単!便利!じゃがいもの皮むき
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1251.html

じゃがバターの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1277.html

肉じゃがの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1246.html

魚のグリルで焼きとうもろこしの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1284.html

65. 中川隆[-7778] koaQ7Jey 2021年1月25日 15:41:50 : 2ydmNr8Rvw : SDJnQ0RJbmZzTkk=[16] 報告

筑前煮の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1443.html

照りトロなす丼の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1451.html

テリヤキチキンの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1249.html

手羽元と大根の煮物
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1448.html

電子レンジとオーブントースターで簡単に出来る大根料理の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1450.html

ブリ大根の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1446.html

豚バラ大根の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1445.html

豚バラとキャベツのとろとろ炒め煮の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1254.html

豚のしょうが焼きの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1253.html

豚の角煮の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1248.html

フライパン1つで揚げない『酢豚』の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1247.html

かぼちゃのそぼろ煮の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1449.html

里芋の煮物の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1444.html

こんにゃくの甘辛煮の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1447.html

66. 中川隆[-7831] koaQ7Jey 2021年1月30日 06:24:33 : WsTabVtPIQ : ZW1xLlovZzh6WWM=[6] 報告
お好み焼きの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1241.html

大阪B級グルメキャベツ焼き≠フ作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1513.html

67. 2021年2月03日 22:25:06 : HOrFCQMYeE : QzVQOWd1WExGdnM=[19] 報告
きんぴらごぼうの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1518.html
68. 中川隆[-7729] koaQ7Jey 2021年2月04日 13:21:58 : K6muIrSMR2 : TlUudzl6bDUwWlk=[18] 報告
なめこの下ごしらえ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1520.html

月見団子の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1519.html

69. 2021年2月09日 09:33:06 : nj2wZVzJqY : NVZrUnB3QWFMNkE=[10] 報告
そぼろの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1528.html
70. 中川隆[-7312] koaQ7Jey 2021年2月16日 21:39:37 : 2Rqleo9YRc : OFhWL1kxNk5ZblU=[14] 報告
「250円弁当」や「300円詰め放題」も…コロナ禍で“激安弁当”が続々
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1131.html
71. 中川隆[-7187] koaQ7Jey 2021年2月22日 18:20:41 : oq5zUFActo : QWNSMU5Pa0tNLms=[35] 報告
ペペロンチーノの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1539.html

[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)
72. 中川隆[-7170] koaQ7Jey 2021年2月23日 13:04:46 : jtcHP8qHmU : L0g5MGFXMUNLeDI=[17] 報告
ボロネーゼの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1541.html

[スレ主【中川隆】による初期非表示理由]:この投稿に対するコメントとしては場違い。別の投稿にコメントしてください。(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)
73. 中川隆[-7165] koaQ7Jey 2021年2月23日 13:53:48 : jtcHP8qHmU : L0g5MGFXMUNLeDI=[24] 報告
えのきの黄金焼きの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1542.html
74. 中川隆[-7129] koaQ7Jey 2021年2月24日 16:19:46 : 3BWliQ7C8Q : WDhLcGlVWlZ3Wnc=[20] 報告
漬け えのきの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1544.html
75. 中川隆[-6861] koaQ7Jey 2021年3月07日 11:31:43 : DXEy2Mr6T6 : QmJaNVc2U0tTbWs=[16] 報告
「白米好きの日本人」を襲ったヤバい病気の正体 大正期には1年で「約3万人」もの命が奪われた
新 晴正 2021/03/07


白米ばかり食べる日本人を襲った「ある病気」の正体とは? 作家の新晴正氏による『謎と疑問にズバリ答える! 日本史の新視点』より一部抜粋・再構成してお届けする。

米を主食にする国々の中でも、日本人ほど品種や炊き方にこだわる人々も少ないと言われている。わたしたちが普段食べるうるち米だけでも、のべ440品種以上が登録(平成29年度)されているというから驚く。

 最近は健康面を考えて白米に玄米や雑穀を混ぜて炊く家庭も増えているが、やはり食べておいしいのは白米だけで炊いたご飯、すなわち白ご飯だ。炊きたての白ご飯に味噌汁とぬか漬けの一品でもあればあとは何もいらない、という人も少なくない。

かつては「ごちそう」だった白ご飯
 そんな日本人になじみ深い白ご飯だが、一体いつごろから食べられているのか調べてみると、意外なことがわかった。実は一部の大都市圏を除き、常食するようになったのは明治時代に入ってからなのだ。

 たとえば江戸時代、江戸に住む人たちに限っては長屋暮らしの八っつあん熊さんたちでも日に3度、白ご飯を食べていたが、一歩江戸の郊外に出ると、米農家であっても作った米の大半が年貢として取られてしまうため、白ご飯を食べることができたのは祭礼の日などに限られた。まさに「ハレ」の日のご馳走だったのである。

 したがって大方の日本人は白米を常食するようになってまだ百数十年しかたっていないのだ。本稿ではそんな白米食の歴史と、なぜ江戸っ子だけが白ご飯を食べることができたのか、そしてそれによって生まれた「江戸患い」と呼ばれた白米食の弊害についても語ってみたい。

 玄米を精米して食べるようになったのは奈良時代のことらしい。精米によってビタミンという栄養を含んだ胚芽部分やぬか層を捨ててしまうことになるのだが、もちろんそんな知識は当時の人たちにはない。胚芽やぬか層が残っていると、たんに食べたときに味や食感、消化も悪くなるからそうしただけのことである。

 しかし、この精米作業はなにぶん重労働なので、庶民は玄米を軽く精米したものを蒸して食べる「強飯(こわいい)」を長く常食してきた。白米は貴族など一部の特権階級に限られていたらしい。

 室町時代に入ると農業技術の進歩や新田開発もあって、全国的に米の生産量が増大する。しかし、庶民が日常的に白米を食べるまでにはまだ至っていない。それが少しずつ改善してきたのは江戸時代になり、世の中が安定して米の生産量が一段と増大するようになってからである。

 中国から足踏み式精米が伝わり、精米作業が大幅に省力化されたことも大きかった。それまでは餅をつくように臼と杵で精米していたのだが、これは大変な重労働であった。

 その点、シーソー式の足踏み精米なら労力は半減するうえ従来より大量の玄米を短時間で精米できた。さらに江戸も中期になると、水車を動力にして精米する技術が広がり、精米がより簡単に、より大量にできるようになったのである。こうして精米された白米は、大消費地である江戸にどんどん流れ込んだ。

白米ばかり食べる人を悩ます「江戸患い」とは?
 江戸っ子は元来が見栄っ張りである。おかずを削ってでも白ご飯を食べることを好んだ。水道で産湯をつかったことと、日に三度白ご飯を食べられることが、何よりの自慢だったという。

 これは江戸が急造都市で肉体労働者が多かったことと無縁ではないだろう。日々、肉体労働に汗を流すと、どうしても塩気の多いおかずが欲しくなり、そうしたおかずには分づき米で炊いたご飯よりも断然白米で炊いたご飯のほうが相性は良かった。

 もう一つ、江戸っ子に白ご飯が好まれた理由に、当時の食習慣が関係していた。当時の家庭はどこでも炊飯は朝一回きりで、昼も夜も朝炊いた残りを食べた。そうなると玄米に近い分づき米だと、夜ともなればご飯がプーンと不快なにおいを放つようになる。夏場なら尚更だ。それが嫌で極力白米を選んだわけである。

 ところが、大好きな白米を買うと、それほど稼ぎがあるわけではないので、おかずを買うまでの余裕はない。そこで自然、ご飯だけをたくさん食べることになる。

 その結果、ビタミン不足が原因で中枢神経が侵されて足元がふらついたり倦怠感や心不全、いらいらなど様々な脚気症状を招いてしまった。この病気は参勤交代で江戸に暮らす勤番侍に多かったことから「江戸患い」とも呼ばれた。

 日本史上、「脚気」が原因で亡くなったと思われる有名人は少なくない。徳川将軍家などは3代家光、5代綱吉、13代家定、14代家茂とまさにオンパレードである。

 なかでも14代家茂の場合は特にかわいそうだった。家茂は20歳かそこらで長州征討のさなかに病死するのだが、相思相愛だった夫人の皇女和宮もその後32歳の若さで亡くなっている。夫婦そろって脚気が原因とみられている。

脚気は「贅沢病」だった?
 近年の研究では、豊臣秀吉も脚気で亡くなったとする説が有力視されている。晩年の秀吉が悩まされていた、下痢や失禁、精神錯乱などはまさにビタミン不足によるものだという。してみると、秀吉が晩年になって甥の秀次に切腹を命じたり、朝鮮出兵を言い出したりしたことも、脚気のせいだったと考えると、少しは同情したくなるのだが、これは筆者だけだろうか。

 この脚気は、いったん患うと数日で亡くなることも珍しくなかった。飽きやすく何をしても長続きしない人のことを嘲って「三日坊主」というたとえがあるが、この言葉は本来、脚気を患ってたった3日で亡くなってしまい、坊主(僧侶)を手配しなければならなくなった、という意味だとも言われている。真偽は定かでないが、それほど江戸の人々にとっては怖い病気だったということである。

 脚気が江戸患いとも言われ、勤番侍に罹患する者が多かった。これは、国元では滅多に食べられない白ご飯が江戸ではいくらでも食べられることに感激し、在府中に白ご飯ばかり食べ続けたからである。

 したがって、国元に戻っていつもどおりの玄米に近い分づき米に雑穀や大根などを混ぜて炊いたご飯(「かてめし」という)を食べていると、いつのまにか体調不良がケロッと治ってしまった。このことから「贅沢病」と言われたりもしたという。

 こうしたことを江戸時代の人々は体験的に知っていたのである。とりわけ江戸っ子たちにぬか漬けやそばが好まれたが、ぬかは精米時に玄米から取り除いたものだし、そばも現代ではビタミンをたっぷり含んでいることがわかっている。こうした食べ物から、精米で捨ててしまったビタミンを無意識のうちに補っていたわけである。

 この脚気という厄介な病気は、江戸時代が終わって、明治、大正時代になっても日本人を悩ませ続けた。特に明治から大正時代にかけては江戸時代よりもはるかに多くの患者を出し続けたとみられており、肺結核と並んで二大国民病とも言われた。

 脚気による死亡者数がピークとなった大正12年にはなんと2万6796人もの人々が1年間に亡くなっていた。

 明治・大正期に脚気が蔓延した大きな理由は、「軍隊」にあった。明治の世となり、政府は西欧列強に追いつくため「富国強兵」と「殖産興業」をスローガンに掲げたことはご存じのとおり。

 特に富国強兵策として明治6年に「徴兵令」を公布し、全国の農村から若者を集めた。その際政府は、若者たちに対し軍隊に入れば1日6合の白米を食べさせると約束したのである。

 この条件は当時の農村の若者たちにとっては実に魅力的だった。御一新を迎えるまでは年貢年貢で締め付けられ、ほとんど白ご飯を食べられなかっただけに、それが毎日腹いっぱい食べられるとあって農家の次三男坊は喜んで軍隊に飛び込んだ。そして、白ご飯を食べまくった。このことが脚気患者を著しく増やす原因となった。

 日清戦争(明治27年)では約20万の兵を動員したが、その2割までが脚気患者だった。これは公式に認定された数字で実数はもっと多いとみられている。しかも、患者の大半は陸軍の兵であった。海軍のほうはビタミンの存在にこそ気づかたよいていなかったものの、偏った栄養摂取が脚気の原因であると考え、早くから兵食改革に乗り出していた。そのことが功を奏したのである。

 一方の陸軍は、脚気は伝染病の一種で空気感染によって起こるという東大医学部が唱えた説を頑なに支持していて、その後も兵らに与える食事に対しなんら対策を講じなかった。

脚気を食い止めなかった森鷗外の失敗
 その結果は10年後の日露戦争でもはっきり表れた。戦病死者3万7200余人のうち、脚気による死者は実に約75パーセントに当たる2万7800人を数えた(『医海時報』明治41年10月)。

 この数字から逆算すれば脚気にかかった陸軍兵士の総数は30万人を超えていたとみられている。一方の海軍はこの日露戦争での脚気の罹患者は87人で、亡くなったのは3人にとどまっている。

 ここにきてさすがの陸軍も兵食改革に着手するかに思われたが、世の中全体が戦勝ムードに浮かれていたこともあり、改革どころか陸軍幹部の責任も一切問われなかった。その責任を負うべき中心的人物に、当時は陸軍省医務局の幹部だった森鷗外(のちの文豪)がいたことは記憶にとどめておきたい。

 その後、明治43年になり、農芸化学の鈴木梅太郎博士が、ぬかの中からビタミンを抽出することに成功する。しかし、鈴木博士は医学者ではなかったため医学界からは何年も黙殺された。これも脚気患者を増やす一因となった。

 日本人の永い永い脚気との戦いにようやく終止符が打たれたのは大正時代も末期になってからであった。
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E7%99%BD%E7%B1%B3%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA-%E3%82%92%E8%A5%B2%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%A4%E3%83%90%E3%81%84%E7%97%85%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%9C%9F%E3%81%AB%E3%81%AF1%E5%B9%B4%E3%81%A7-%E7%B4%843%E4%B8%87%E4%BA%BA-%E3%82%82%E3%81%AE%E5%91%BD%E3%81%8C%E5%A5%AA%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F/ar-BB1ejC8c?ocid=msedgntp

76. 中川隆[-6642] koaQ7Jey 2021年3月11日 09:58:33 : tMihqEAZ8k : OWp0eGdKVXNEQ3M=[22] 報告
ケチャップの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1568.html

トマト缶を使ってはいけない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1265.html
 

▲△▽▼
▲△▽▼


オリーブオイル マヨネーズの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1021.html

フレンチドレッシングの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1297.html

イタリアン ドレッシングの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1566.html

和風ドレッシングの作り方
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1298.html


▲△▽▼


オリーブ油とゴマ油以外の油は使ってはいけない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/320.html

オリーブオイルの8割は偽物!? 騙されない為の美味しいオイルの選び方
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/331.html  

77. 2021年3月15日 16:58:31 : ww05IaOXmY : czZLc3BxQU1mVkk=[13] 報告
【ゆっくり解説】時代を遡る!鎌倉時代の食事について


78. 中川隆[-6303] koaQ7Jey 2021年3月27日 10:51:05 : bzxszX9qUI : SmlwSVF5LncyM3c=[17] 報告
安すぎるもやし業界の危機と闇
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1143.html
79. 中川隆[-5948] koaQ7Jey 2021年4月06日 22:53:31 : 26VxKRsvNw : TVo4YkhhMWF4Ty4=[14] 報告
健康食品「梅干し」のすごすぎる効能11選!
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1050.html

重曹水が健康に効果あり?!
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/335.html

酒粕をもっと食べよう
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/334.html

80. 中川隆[-5260] koaQ7Jey 2021年5月01日 20:45:12 : 1neU4Ilef6 : amZMcTRvSjJaQzY=[1] 報告
【ゆっくり解説】旅館のご飯は廃棄前提!?旅館でご飯がモリモリ出てくる理由について
2021/05/01




81. 中川隆[-5244] koaQ7Jey 2021年5月02日 10:44:21 : HARXuMhTrK : aGhscUlOMUNHV1U=[23] 報告
【ゆっくり解説】立ち食い蕎麦が人体に危険かもしれない理由について 激安そばの闇と歴史
2021/01/07





ぱっと食事を済ますことができる立食い蕎麦。忙しい時にピッタリですし、美味しくてお腹もいっぱい、体も温まって良いことづくめ!
でも安さにはそれなりの理由があるようなのです。今回は「安い立食い蕎麦が危険な理由」についてまとめました。


0:00​ 「安い蕎麦は危険!?」
0:39​ 日本蕎麦のルーツ・歴史
3:19​ 蕎麦の凄い栄養価について
8:00​ 立食い蕎麦が危険と言われる理由
11:29​ 安全な日本の蕎麦たち「高い」には理由がある!
82. 2021年5月04日 08:02:36 : 6g3hl1MK3s : ZGxQcUswWnJzNVk=[24] 報告
【ゆっくり解説】コスパ最強!三大牛丼チェーンの朝定食を比較してみたら...
2021/05/03



83. 2021年7月07日 11:22:43 : u0jjRsQOGc : ZzhBdE8xRzhPaU0=[7] 報告
【ゆっくり解説】雑穀米を食べるとどうなるか? 本当は怖いヤバイ成分に入っていた件について




目次
0:00 雑穀米食べてみた
0:42 雑穀米とは?
6:16 雑穀米は危険なの?健康被害とは?
9:24 雑穀米の正しい選び方、食べ方
84. 中川隆[-14418] koaQ7Jey 2021年12月27日 13:39:43 : sQ4nchTR6w : Sm9SOWtQeVFwM2c=[4] 報告
三杯酢の作り方
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1408.html
85. 2023年10月05日 10:35:27 : wyzUItjFJY : QjF1LjQwcWp1MUU=[5] 報告
<■67行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
家族で来日した外国人が人生初の鉄板焼きに大感激
https://www.youtube.com/watch?v=tKZNaXq-ZJc
今回の鉄板焼きの店
https://tabelog.com/tokyo/A1306/A130602/13242679/


人生初の寿司に大感激!日本食に感動した外国人が言葉が出ない
https://www.youtube.com/watch?v=4_R0ri5jVXU


初カツ丼に外国人が大感動!今まで食べなくて後悔【海外の反応】日本しか住めない理由 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uoLBAW4mQxI


人生初の高級鮨に衝撃『回転寿司しか知らない。日本を選んでよかった』海外の反応
2022/12/01
https://www.youtube.com/watch?v=a55Vxfv07Y0
本日のお店 鮨 みのはら
https://www.instagram.com/sushi.minohara.akasaka/

東欧美人が人生初の江戸前鮨に大感激!外国人が日本から離れられない
https://www.youtube.com/watch?v=QOuRRbA02m0
今回の鮨屋 來経 さんのインスタ
https://www.instagram.com/kagurazaka.kifu/
鮨屋 來経
https://tabelog.com/tokyo/A1309/A130905/13251382/

正月に京料理、ロシア人が初めて食す!限定獺祭、日本酒【外国人の反応】Reactions to Kyoto dishes
https://www.youtube.com/watch?v=S1L-UW0LcuY


ユッケ?初の和牛焼肉に外国人美女が感動【海外の反応】ロシア美女がかわいい
https://www.youtube.com/watch?v=NG5J9HUivWI&t=0s


高級魚にボーノ連発!イタリア人がビックリ【最高の刺身と魚しゃぶしゃぶに最後まで感動】海外の反応
https://www.youtube.com/watch?v=AoSfGRqeHfA
ゆうき丸 ←今回の店
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13054597/

フランスで食べたことない天ぷら、うどんに感動!カルチャーショック
https://www.youtube.com/watch?v=B-Sy0PTAEEM


人生初の高級寿司に驚愕!ロシア人が感動【海外の反応】日本しか住めない理由
https://www.youtube.com/watch?v=G4pSpFil_2A
鮨一(今回の店)
https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13249135/


肉の天国?ドイツ人が和牛の鉄板焼きに感動!外国人の反応
https://www.youtube.com/watch?v=N1zGUJgeeRs


衝撃の美味しさに絶句の外国人美女【愛媛のミシュラン店の鮨に感動】
https://www.youtube.com/watch?v=YBX2t4HGcTk

今回のお店
https://tabelog.com/tokyo/A1312/A131201/13256513/


モルドバ人が銀座の天ぷらを絶賛【海外の反応】外国人が日本にしか住めない理由
https://www.youtube.com/watch?v=9XYxoRFLNks&t=0s


フランス人が人生初の和牛に大感動!日本は天国…海外の反応
https://www.youtube.com/watch?v=sCXBfcdcObg

新宿 鉄板焼き YOKOTA
https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13267873/

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史5掲示板 次へ  前へ


  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史5掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
近代史5掲示板  
次へ