★阿修羅♪ > 近代史5 > 581.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
日本の料理の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/581.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 12 日 19:12:10: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 日本の料理 投稿者 中川隆 日時 2020 年 12 月 24 日 02:19:55)

日本の料理の歴史


[ゆっくり実況]縄文時代の食事
2020/11/14



〈縄文時代の人の顔の特徴〉
顔高が低く、丸顔である。
堀が深く、鼻が高い。
しかめっ面で、エラが張っている。
眼窩が四角で、やや目尻が下がる。
歯の噛み合わせが爪切りのよう。


〈ちょっとした蘊蓄〉
本州よりも北海道の人の方が縄文時代の人は虫歯が圧倒的に少ないみたいです。なぜかというと、北海道は木の実を付ける広葉樹が少なく、肉を主体とした食事を取っていたからです。
でんぷん質である木の実は糖になるので、それで縄文時代の人は虫歯になったみたいです。


【ゆっくり解説】時代を遡る!縄文時代の食事について
2021/02/28





[ゆっくり解説]アイヌの食事
2021/01/07



アイヌという言葉にはアイヌ語で「人間」という意味があります。


そのアイヌの人達にとってとても重要な植物に「おおうばゆり」があります。
取った球根を加工して団子などにして食べることが出来るので(他にも色々な食べ方が出来る)、アイヌの人達にとってずっと貴重なエネルギー源となる食べ物でした。
このようにアイヌの人達は自然にある物を食べ物にする知恵を持ちその技術に優れていたという民族でした。


ちなみに、そのアイヌの人達が最も怖がったのが疫病でも戦争でもなく、飢饉でした。
なぜなら飢饉には決まりがあり、必ず大規模で起こるからです。
大規模で起こるとみんなで助けようがないのです。
疫病なら防げますし、戦争からは逃げればいいのですが、飢饉から生じる飢えは防ぎようがありません。
その恐怖心もあり、絶対に飢えないようにするというのがアイヌの人達の信条であり生活スタイルでした。
そのような民族でしたので、怠け病というものを病的に嫌い、それが結婚の際の重要な決め手になりました(注、これはUP主の耳にかなり痛い話。なぜなら元々ニート気質の人間だから)。



【妖精じゃない】コロポックルの正体【ゆっくり解説】
2020/11/13





【ゆっくり解説】時代を遡る!弥生時代の食事について
2021/03/01





[ゆっくり解説]奈良時代の食事
2020/12/10



この時代、貴族に限らずご飯を食べれる人は誰でも器に山のようにご飯を盛っていました。
そうすれば、神聖なお米に神様の力が降りて来ると考えていたからです。
その名残りで今もご飯を「盛る」と言います。今は昔ほどご飯は盛りませんけどね。




[ゆっくり解説]平安時代の食事
2021/01/29




〈平安時代のちょっとした蘊蓄〉
 ・奈良時代より米の値段が下がった代わりに魚の値段が高騰した(大流行した天然痘の収束により働き手が増えたというのと、肉食をやめた代わりに魚の需要が増えたため)
 ・ご飯はお替わりをせず一度にモリモリ盛った
 ・ご飯には箸や匙(スプーン)を突き刺して食べていた
 ・匙(スプーン)は「かい」と呼ばれていた(貝でスプーンを作っていたため)
 ・今の日本と違ってお茶碗を持つのは礼儀に反することだった(これは今の韓国や中国と同じ)
 ・市での物販に限らず田植えも女の人がメインでやっていた
 ・正月の元旦に天皇が飲むお屠蘇(お酒)の毒見役をやる少女を薬子(くすこ)と言った(藤原薬子の名前は恐らくここから)
 ・十二単(じゅうにひとえ)のような重ね着が生まれたのはこの時代地球がミニ氷河期で寒かったため(それ故に風葬も発生した)
 ・お香が生まれたのは体臭や排泄物の臭いを消すため(これはフランスの香水と同じ)
 ・茂木先生が飼っている猫の名前はヒマワリちゃん



[ゆっくり解説]鎌倉時代の食事(鎌倉武士編)
2021/02/05




〈ちょっとした朝廷の位階の話〉
歴史の用語で「位(くらい)打ち」という言葉があります。
朝廷が対立している武家の人間をおかしくするために朝廷の官位(左大臣とか信濃守とか)をばしばしあげるというものです。
これを受けるとどうなるかというと、位階が上がった分だけ性格が崩れてしまうみたいです。
頼朝はこれを知っていてもらう際はかなり気を付けていたみたいです。
みんなも朝廷から官位を貰う時は気を付けてね!
自分も関白になる時とかは気を付けようと思います。




[ゆっくり解説]鎌倉時代の食事(僧院・庶民編)
2021/02/10



この時代から昆布で出汁を取るのが一般化します。
それは植物性の昆布が出汁として優れていたというだけでなく、昆布は縁起の良い言葉になる(よろこんぶ)のでそれが武士層に受けたというのもあります。
嘘のような話ですが、これは本当の話です(室町時代の昆布売りは「こんぶ、こんぶ、よろこんぶ」と言って売っていたらしい)。


それは鰹節などもそうで、「勝男武士」という言葉に通じることから(特に武士層に)好かれた食品でもありました。


ちなみに、昆布も鰹節も文献上は奈良時代からあり(ということは飛鳥時代からあった可能性もあるということです)、昆布などは焼いた物をしゃぶるように食べていたみたいです。


あと、実は貴族の食事では冷めた物がほとんどだったのに対して、武士や庶民の家はかまどが家の中にあったので、それで温かい物を食べるようになりました。
鉄製の鍋などが普及したのも影響して出汁や味噌と味付けして煮込む料理が増えたとのこと。



[ゆっくり解説]兵糧丸の話
2020/12/03




〈兵糧丸に使われるそれぞれの食材の効能〉


蕎麦粉:消化吸収が早いから体力を回復しやすい。脳細胞を活性化させる。下痢止め。胃の調子を整える。


人参:朝鮮人参かも。元気&疲労回復。リラックス効果。


小麦粉:全粒粉だと、血管を強くする、知能力の向上、精力強化などの効果。


山芋:元気回復。食欲増進。胃の病気を治す。


はこべら:止血作用。鎮痛作用。歯槽膿漏の予防。


はと麦:傷の回復。免疫力を高める。イボを取る!


もち米:体力強化&疲労回復。闘争本能を高める。


梅干し:唾液の分泌を促す。胃の調子を整える。


氷砂糖:エネルギー補給。疲労回復。


大豆:行動力を高める。記憶力向上。


鰹節:消化の良いスタミナ強化食。


鰻:夏バテ予防。疲労回復。免疫機能向上。


麻の実:栄養豊富なスーパーフード。病気予防。免疫強化。




【実在】ヤバイ村の風習、解死人【ゆっくり歴史解説】
2021/04/01



ゆっくり日本の闇
戦国時代、実在の村で「解死人」という理不尽な風習が行われていた。
なぜ、そのような風習が行われていたのか? 時代背景も絡めて解説します。


■目次
00:21​ 解死人とは?
00:59​ 当時の時代背景(戦国時代・惣村)
01:46​ 暗黙のルール
02:55​ 解死人の実例
04:53​ 伝承される「身代わり」文化(御伽草子:物くさ太郎)
05:44​ 考察+まとめ



[ゆっくり実況]信長の好物
2020/09/29



あ、ちなみに、日本人で初めてパン、バナナ、ワイン(珍陀酒、読みは「ちんたしゅ」)を口にしたのが信長ではないかと言われています。




[ゆっくり解説]食から見る中国大返し
2021/02/23



山崎の合戦で秀吉と激突することになる明智光秀は、人のことを身分でまずは見てしまうという欠点はありましたが(というかこの時代の武家貴族はほとんどそう)、律儀で真面目な性格をした人間でした。


そんな明智光秀にはこのようなエピソードがあります。
婚約することになった光秀は直前で奥さんが替えられていることに気付きます。
理由を聞いてみると天然痘にかかってしまって容姿が崩れてしまったから替えることにしたとのこと。


言われた光秀はこのように返します。
「私を侮ってもらっては困ります。そのようなこと気にしませんから、どうぞ元の方に戻して下さい」
結局それで奥さんの煕子(ひろこ)と結ばれることになります。
その2人の夫婦仲はとても良かったそうです。


このように真面目というだけでなく、ストレスを緩和する手段をろくに持たなかったがために(お酒を飲んだり女遊びしたりしなかった)、信長に対する恨みばかりが溜まっていって1982年にそれが暴発した結果、本能寺の変へと結び付くのです。
動画のおまけの方で言っているように、明智光秀は元々他者に対する誠意のある人間なので人を裏切るような人間ではありません。
恐らく本能寺の変前後では完全なノイローゼ状態だったのだと思います。


ちなみに、そのように光秀はストイックだったので旗下の諸将達も遠慮して露骨に女遊びが出来ず、それがためにストレスが溜まり諸軍団の中で明智軍団は喧嘩がとても多かったと言われています。


やはりストレスを吐き出す手段は何かしら必要ですね。



続きは


ゆっくり歴史グルメ - YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCVR0Sy9yMAopS8aQHqabovA/videos
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-5243] koaQ7Jey 2021年5月02日 10:46:22 : HARXuMhTrK : aGhscUlOMUNHV1U=[24] 報告
【ゆっくり解説】立ち食い蕎麦が人体に危険かもしれない理由について 激安そばの闇と歴史
2021/01/07





ぱっと食事を済ますことができる立食い蕎麦。忙しい時にピッタリですし、美味しくてお腹もいっぱい、体も温まって良いことづくめ!
でも安さにはそれなりの理由があるようなのです。今回は「安い立食い蕎麦が危険な理由」についてまとめました。


0:00​ 「安い蕎麦は危険!?」
0:39​ 日本蕎麦のルーツ・歴史
3:19​ 蕎麦の凄い栄養価について
8:00​ 立食い蕎麦が危険と言われる理由
11:29​ 安全な日本の蕎麦たち「高い」には理由がある!
2. 2021年5月07日 12:26:39 : Bvla3p8SXs : OC95WlFSRFFxS2c=[10] 報告
[ゆっくり解説]江戸時代の食事
2021/05/07





〈補足的ウンチク〉
 ・スシの語源は酸っぱさから来る「酸し」
 ・寿司という言葉が生まれたのは江戸時代
 ・江戸前と言うと大概スシのことを差すけど、元々は鰻に使われていた言葉
 ・江戸時代今より安く鰻を提供できたのは埋め立てた湿地や隅田川に大量の鰻がいたため(江戸は湿地帯を埋め立てて出来た都市)
 ・元々のぶっかけ蕎麦は冷たい汁をかけていた冷がけ
 ・高価な魚を使い衣に卵を混ぜた天ぷらを「金ぷら」と呼んだ
 ・江戸時代には野菜の天ぷらはなかった


〈1800年代の江戸の物価〉
 ・握りずし(一貫):160円
 ・うなぎの蒲焼き:4000円
 ・そば:320円
 ・天ぷら(一串):80円
 ・串だんご:80円
 ・スズメ:320円
 ・キジ:6000円
 ・ツル:16万円
 ・鯛:24万円
 ・きゅうり(10本):320円
 ・だいこん:160円
 ・塩(1.5キロ):300円
 ・味噌(1キロ):700円
 ・黒砂糖(600g):670円
 ・白砂糖(600g):1340円
 ・銚子産醤油(1.8L):1200円
 ・下り醤油(1.8L):2000円
3. 2021年5月07日 12:28:04 : Bvla3p8SXs : OC95WlFSRFFxS2c=[11] 報告
[ゆっくり解説]江戸の年越しそば
2020/12/31





江戸時代の一杯のかけそばは今で言うと、大体200〜300円くらいの値段だったみたいです。
4. 2021年5月07日 12:29:11 : Bvla3p8SXs : OC95WlFSRFFxS2c=[12] 報告
[ゆっくり解説]曲亭馬琴の食べごと
2021/02/13





曲亭(滝沢)馬琴のお師匠さん(正確には恩人?)は山東京伝です。
また、馬琴作品の挿絵を書いていたのは何とあの葛飾北斎です。
それだけでなく式亭三馬とライバルだったりと、この人は何だか持つべきものを持っていたような気がしますね。
この点、いくら小説を書いても誰からも相手にされない自分とは違いますね。

あと、食べごとは漢字に直すと「食べ事」、つまり食事という意味です。
5. 2021年5月07日 12:31:15 : Bvla3p8SXs : OC95WlFSRFFxS2c=[13] 報告
[ゆっくり解説]室町時代の食事
2021/04/15






「公家化した武家政権は必ず駄目になる」

室町時代の室町とは地名です。
花の御所という邸宅を「室町」という場所に置いていたので後世「室町幕府」という名前が付けられました。

また、地方に中央の文化が根付いたのには応仁の乱(1467年)が影響しています。

戦場になった山背(のちに山城、今の京都)から逃げるために都にいた貴族が地方の有力者を頼ったことがきっかけで地方にも都の文化が根付くことになります。

つまり応仁の乱は悪いことだけではなく、中央の文化を日本各地に花粉のようにばら撒く効果もあったということです。

あと、禁裏の女房言葉のところで味噌のところを「ばむし」と言っていますが「むし」の間違いです。
大豆を蒸して作るから「むし(蒸し)」のようです。
6. 中川隆[-4976] koaQ7Jey 2021年5月07日 12:32:23 : Bvla3p8SXs : OC95WlFSRFFxS2c=[14] 報告
[ゆっくり解説]安土・桃山時代の食事
2021/04/22





室町時代は大酒を飲む風習が出来た時代でした。
それは当然安土・桃山時代にも引き継がれました。
鶯飲み、十度飲み、十種飲みなどのようにお酒を競技としてまたは何かの遊びのように飲むことが流行していました。

信長や秀吉は自分達が下戸ということもありそれを何度も窘めるのですが、効き目はあまりありませんでした。

そのような戦国武将の中にあって特に酒毒で命を縮めたのが毛利元就で有名な毛利一族で、プレッシャーから逃げる形で酒漬けになった結果(この一族は元々プレッシャーに弱い)、皆20代、30代で鬼籍に入っていました(鬼籍に入る=死んだということ)。

それもあって元就は他の誰よりも酒を警戒し、そのこともあり70歳以上生きて死ぬという長命を得ることが出来ました。
実は孫の輝元も長生きしているのですが、それは「あまり酒を飲むな」という元就の忠告を守ったからでした。
7. 2021年5月10日 10:10:06 : pbgFbSLkqY : Ykk5Z3l4cGMxUVk=[11] 報告
【ゆっくり解説】江戸時代の食事について 歴史と日本食のルーツ
2021/05/09




今回は、江戸時代の食事についてゆっくり解説したいきます!

目次
0:00​ 冒頭トーク
0:45​ 江戸時代ってどんな時代?
3:26​ 江戸時代の食文化について
13:31​ 江戸時代の食事は栄養不足?それとも健康的?
8. 2021年5月20日 20:31:17 : CRvOLi4Tn2 : RU8zRi8vbTJzMmc=[26] 報告
【ゆっくり解説】日本食の歴史について 縄文、弥生、鎌倉、江戸のグルメ事情
2021/05/20





目次
0:00 日本食のあれこれ
0:46 縄文時代、弥生時代
3:55 古墳時代〜平安時代
8:55 鎌倉時代〜安土・桃山時代
13:31 江戸時代〜明治時代
9. 2021年5月23日 20:14:30 : 2zvcZ0D0vM : OHlVbXJRRG5QOW8=[37] 報告
【ゆっくり解説】日本人がラーメン・寿司離れ!?密かに変化している日本人の食生活について
2021/05/23




10. 2021年8月11日 07:08:22 : Byxbbc4XKU : WE51OVA5THEuZlU=[1] 報告
[ゆっくり解説]『石城日記』から見る江戸時代の武士の食事
2021/08/10






他にも石城さんはこんな物も食べていたみたいですよ。
ここでご紹介するのは1861年の夏の食事です。

7月1日
朝:茄子の煮付け
昼:そうめん、からし菜の種をすった物(?)
夕:なまり節(カツオを煮たり蒸したりした料理)、茄子、ささき(これは恐らくささげ?)の煮付け

7月3日
夜:茶碗蒸し、なまずの煮付け、玉子焼き

7月4日
時間帯不明:しじみ汁、煮豆腐

8月2日
時間帯不明:うどん

8月5日
夜:油揚げ

以上、夏も全く食に執着のない石城さんでした。


〈関連動画〉

石城日記第一弾(江戸時代の食事 下級武士編)
https://youtu.be/6OaCCtgyZXU

石城日記第二弾(江戸時代の食事 下級武士編 弐)
https://youtu.be/MHcOL1lDjGY

江戸時代の食事(4大名物編)
https://youtu.be/MPAwCYbcJ0k

江戸時代の食事(庶民編)
https://youtu.be/jPWRUkF32rA

江戸時代の食事(吉原遊郭編)
https://youtu.be/iZfVsBidriI

江戸の年越しそば
https://youtu.be/jFj9GcIeaW8

曲亭馬琴の食べごと
https://youtu.be/RxcW68Q218k

天明の飢饉と大飢餓
https://youtu.be/eRsJZzGp5PU

昭和(戦前・戦中・戦後復興期)の食事
https://youtu.be/90XwCm7hSgw
11. 中川隆[-9153] koaQ7Jey 2024年9月11日 07:34:06 : NVGJS3tnAU : NUF2bDdrRjg3SVU=[3] 報告
<■58行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
「音楽&オーディオ」の小部屋
人生の最終的な勝利者とは
2024年09月11日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b6af2f770594a47e4170817b0a6ea806


作家の「井上 靖」氏、「司馬遼太郎」氏、「松本清張」氏のお歴々の「鼎(てい)談」とくれば見逃す手はない。

どなたも「故人」なので、過去の「鼎談」や「対談」を寄り集めて発行した本である。

興味深く読ませてもらったが、長年の疑問が一点だけようやく氷解したので、それに絞って記録しておこう。

その疑問とはこうである。

「血で血を洗うほどの凄まじい戦国時代の猛将たちが、なぜあれほど静穏極まる茶の湯に没頭したのか」

な〜に、取るに足りない「ささやかな疑問」だが(笑)、これに関して以下の通り引用してみよう。

井上「大体において戦国の武将はみんな字がうまいですね。家康や秀吉に限らず戦国の歴史に名を出している連中は、だいたい立派な字を書いてますね」

松本「やっぱり教養の一つでしょうね。だから各国の禅僧を手元に置いたりして、信玄なんか五山文学をささえて、それから山口の大内ね、幸い応仁の乱で禅僧たちは京都で食えないから、地方大名に保護を求めて行った。」

井上「それからお茶ですね。茶道具というものをそれぞれ大切にしているけれども面白いことですね。僕など凡人は乱世になったら、そんな余裕はないな、まず勝たなければならないと思うんだけれども。」

司馬「そういう意味で言えば文化というか、そういうものへの憧れは我々の想像以上に強かったようです。」

井上「強いですね。今の時代は茶がなくとも生きられますけれども、あの頃は生きられなかったと思います。ほんとにあの頃は茶というものが、彼らの持っていた死生観の中に生きていたと思います。それほど凄まじい時代だったでしょう」

司馬「それを非常に殺風景に解釈すると、茶や茶室というものは非常に利用価値があった。たとえば松本清張先生と私が話をするときは松本先生が上段の間に座って、室町時代の作法だと私のような若輩ははるか下へ座って、顔を上げちゃいけないんです。

ですから将軍が「これからお前と協力して信濃国を盗ろうと思うがお前はこうしろ」とディテールを話そうとしても、数十歩を隔ててですから、できない。それは室町の小笠原流ですね。

それで対面の式が終わったあとで、茶室へ行こうというので行くと、松本清張将軍は亭主に過ぎない。それから私は客に過ぎないでしょう。そうすると、亭主と客というだけの無階級の場で、一尺隔ててのことですから、非常にディテールを話すことができる。

つまり、お茶というものが政治工作にどれだけ大きな役割を果たしたか、想像を絶するほどですね」

とまあ、以上の通りで「茶の湯」にそういう役割があったなんてまったく「目からうろこ」で、猛将たちが茶の湯に勤しんだのも風流どころではなくて「生き残る」ためだった!

「茶席での内密の話」を知り過ぎた「利休」が権力を持っていくのとは裏腹に危険視されて秀吉から切腹を命じられたのもわかるような気がしてくる。

それにしても戦国時代の「茶席」の意義は現代における「ゴルフ」に通じるような気がしてならない。

大事な商談をはじめ組織での重要なポイントや人事などが公式の場を離れて私的なゴルフのときの身近な会話を通じて決められていく・・。

したがってゴルフをしない人は出世競争から自然と脱落・・。

というわけで「音楽&オーディオ」に割く時間を「ゴルフ」に充てていたらもっと偉くなれたかもしれない・・、「後悔先に立たず」だけど、今となっては組織でどんなに偉くなって退職を迎えようとも、その後の人生においては大差ない気がする。

「人生の最終的な勝利者」とは、健康で長生きして趣味を存分に楽しんで(人生を)謳歌した人間だよね〜、ま、人それぞれだけどね(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b6af2f770594a47e4170817b0a6ea806

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史5掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史5掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
近代史5掲示板  
次へ