カービングスキーに変わって滑り方は全く変わってしまったのでしょうか?|質問コーナー - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=SvFgQKy7mWw カービングスキー大特集
09 スキー最大の難関はパラレルの壁
1 パラレルの壁とは、どういうものか?
ビギナーは最初に両スキー板の構え方を、後を広げたハの字形(プルーク)にして滑ることから始めます。ハの字の直進をプルークファーレン、連続的に曲がるのをプルークボーゲンと呼びます。ある程度上達すると、2本のスキー板を平行に置いて、直進して滑れるようになります。ところが直進ではなく、丸く曲がりながら進む「ターン」を行おうとすると、2本の板が平行になってくれず、いやでもハの字に戻ってしまいます。これがパラレルの壁です。 2 ターンの時だけハの字になったからといって、どうしてそれが壁なのか?
ああやっても、こうやっても、100回曲がれば100回ともハの字に開いてしまい、首をかしげます。無理に板の平行を保とうとがんばると、今度は曲がれずに直進し、時には暴走、転倒して、スキー板が全く言うことを聞きません。どうすればベテランのように板を平行に保ったまま、カッコよく曲がって進めるのか、途方に暮れます。これを不思議に思う間はまだよくても、このお手上げ状態が長引くうちに絶望感に発展するのです。 3 どんな絶望感か?
先の見えないスランプに似た状態が続くので、気持ちがどんよりと暗くなり、明るく陽気なキャラクターの人もかなりメゲます。具体的には、@板が思い通りにならず曲がれずに恐い、Aうまく曲がれる人と自分の違いが何なのかわからない、Bベテランが違う世界の人間に思える、というように疑問、恐怖、疎外感が拡大します。そして、挑戦しがいのある難しさの限度を超えて、苦悩の域に入っていきます。 4 ハの字スタンスは安全な滑走法なのに、なぜ恐くなるのか?
板がハの字だと、スピードが出た時に板同士が交差しやすいからです。「初心者」の間はスピードが出ていませんが、「初級者」へと慣れていきスピードが出始めると、ターン中に何かのはずみで板の先同士が接触したり重なりやすく、すると板が瞬時に停止して体が前へ投げ出されます。もし板が平行なら、左右の間違った方に体重をかけても、少なくとも交差は起きません。ところがその平行が、努力しても全く実現しないのです。 5 その後も実現しないと、何が起きるのか?
ハの字ターンから永遠に出られない気がして、当初の興奮とおもしろさが低下している自分に気づきます。すると腰が重くなって、自分からは積極的にスキー場に行かなくなり、誘われても渋り始めます。つき合いで何とかゲレンデに行っても、板が平行に保てず足元が乱れる自分がやっぱり再現されるから、だんだん足が遠のいて、ついに休眠、あるいは撤退することになります。 6 スキーヤーにとってパラレルは、そんなにも重大なのか?
一般に「スキーができる」とは、パラレルターンで回れることを指します。「スキーをやったことがある」という次元とは、世界が全く違っています。隔絶しているといえるでしょう。だから初級者にとって、パラレルは昔からあこがれの夢です。と同時に、幻滅の原因にもなります。「スキーがこんなに楽しいなんて」と歓喜の声をあげ、道具をそろえ毎年の初雪を心待ちにし、回りの人を誘っていた幸せそうな初級者が、数年で人が変わったようにパッタリとスキーから引いてしまうのは、パラレルの壁を越えられなかったからなのです。 7 スキーは難しいスポーツだと言われるのも、その壁と関係があるのか?
俗に「スキーは難しい」と言えば、パラレルの壁を指します。誰もが必ず直面する、唯一、最大の難関です。続かない人は全員この壁でやめており、別のカ所で「行き詰まって」やめる人は、現実にはいないでしょう。 8 しかし初めてスキーをつけた時点で、難しさはすでに全開だと思うが?
確かに初スキーの日に誰もがショックなのは、板が雪に対してフラフラと非常にあいまいに接する点です。「何これ?、こんなにも、つかみどころがないの?」と、思う方に滑って行かない浮遊した挙動に面食らいます。「もしかすると自分はうまく滑れるかも」との事前の期待が打ち壊され、全員が悪戦苦闘の渦中に投げ出されます。板が思わぬ方向へ走り出して転ばされ、カッカして頭に来る人さえいます。このとらえどころのない挙動は、パラレルの壁と同じ原因で起きます。 9 そんなパラレルができた瞬間には、いったい何が起きるのか?
ある日、ある時、パラレルの壁を越えます。力まなくても、板がハの字に開かず、おもしろいように平行で連続ターンができ、「おおっ、これだ」と最高の喜びが起きます。@できる、できる、すごい。Aこれがパラレルだ。Bスキーというものがわかった。Cいくらでも長い時間滑っていたい。D一生スキーをやるぞ・・・。壁を越えずにやめた人との明暗は劇的で、パラレルの壁はこのスポーツでの身の振り方、つまり去就の分かれ目になっているのです。 10 ただ、その辺のスキー談義に耳を貸しても、パラレルは話題になっていないが?
だから、入門間もない初級者は孤独なのです。スキーの細かい技術を話題にする上級者にとって、パラレルは人が普通に歩くぐらい常識なので、歩くと足がもつれる幼児のような初級スキーヤーの立場や視点を忘れています。初級者は、板が平行かハの字かの根本的な問題に全身で衝突しているのに、上級者にへたくそとあしらわれ、煙に巻かれた気持ちになったりします。 11 パラレルができる、できないがスキーヤーの進退を決めるあの説は、どこからきたのか?
統計です。私の知る範囲で、スキーを続けている人とやめた人の全員を追跡調査し、集計してわかりました。スキーをやめる「きっかけ」はブーム下火以外に、多忙、結婚、仲間が去った、歳をとったなど様々です。ところが、同じ条件なのに細々でも続けている人は全員がパラレルスキーヤーで、きっぱりとやめた人は全員がボーゲンスキーヤーと、きれいに分かれていて驚きました。「ボーゲンでは楽しめない」「ボーゲン段階はスキー未満」という結果論になっています。 12 スキー旅行に誘った反応が、ボーゲンスキーヤーとパラレルスキーヤーで違うそうだが?
意欲が対照的です。昔から不思議だったのは、たくさん滑ってドカ雪も見慣れ、ゲレンデを知り尽くしたベテランほど、いっそう行きたがることです。ボーゲンスキーヤーは、「誰々が行くなら私も行く、行かないならやめる」などと消極的なのに対し、元レーサーや大学スキー部出身組は、出張先から急いで駆けつけたり、仕事の都合で途中の駅から合流するなど、意欲がはるかに大きいのです。 13 その法則に例外はないのか?
行きずりで1人思い出します。大山で同室になった金融会社の管理職氏は、1人で来ていて、上越や東北のスキー場巡りを続けて、毎年冬が楽しみだと言っていました。しかし翌朝ゲレンデで偶然会うと、まるで生まれて3時間滑ったレベルなので驚きました。10年後の今も同じ調子なら例外的な存在でしょう。もちろん誰でも最初はボーゲンから始めるので、続けている人ではなく、やめた人に着目する必要はありますが。 14 最初は皆パラレルができないのだから、ボーゲン段階でやめれば、誰も残らない理屈では?
「パラレルの壁を越えられなかった人はスキーをやめる」という表現は、「勝ち方程式」です。統計結果は「スキーをあきらめた人はパラレルの壁を越えていない」「断念した人にパラレルスキーヤーなし」ですが、これを裏返しにして戦略的に言い換えています。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a09.html 10 パラレルターンに届く人、届かない人、差はどこに? 1 パラレルターンができるようになるのに、一番必要なものは何か?
練習の量と質です。量と質の確保に何が必要かといえば、それは色々あって個人差も出ます。しかし結局は、練習の量と質の兼ね合いでパラレルを越えます。もちろんここでも決定的な合理的解決は、旧式のずんどうスキーをやめて、カービングスキーを使うことです。 2 パラレルの壁が高かったのは、旧式スキーも関係したのか?
最大の原因はそれです。新旧スキー両方にパラレルの壁はありますが、サイドカット半径が大きくずんどうなほど、壁は高くなります。カービングスキーは、旧式のずんどうスキーよりもよく曲がります。曲がらない悩みがパラレルの壁なので、曲がりやすい性質の板なら壁は低くなり、とてもよく曲がる板はとても低くなります。 3 初級者が悪戦苦闘したずんどう板で、ベテランはどうやって曲がったのか?
遠心力で増えた見かけの体重で、板を強く踏み押さえてたわませ、雪に接するサイドカット部分の半径を小さくしました。ずんどうな板でも、弓なりにたわませた状態でローリング(つまりエッジング=角づけ)すると、雪面に有意の円弧線で接するのです。 4 ベテランの通りにたわませれば、初級者もパラレルで曲がれそうに思えるが?
スピードがネックになります。板を十分たわませる遠心力を得るには、それなりの速度が必要なので、スピードに慣れるまでパラレルターンができない理屈になります。暴走の恐怖が楽しさを上回るこの期間に、多くがやめていきました。異口同音に「スキーは恐かった」と言い残して。 5 スピードに慣れてしまえば、即パラレルができたということか?
実はまだ足りなかったのです。スピードを出して遠心力を得ても、ずんどう板のたわみ量は知れており、曲がりながら進むには至りません。そこでベテランは、他に様々な操作をひそかに加えていました。強制的なひざの回し込みや、かかと押し出しなどです。回るはずのない板に補助動作を加えて、人為的に回したのです。 6 その補助動作を加えてやれば、誰もがパラレルができたわけか?
もちろんそうですが、現実にパラレルに届いた人と、届かずスキーをやめた人の分岐点は、技術面とは別の、もっと手前で天地の差がついたように思います。 7 パラレルの壁を越えた人と、越えられなかった人は、いったい何が違ったのか?
パラレルターンの知識を持った人は、スキーに関心を持ってスキー場に残ります。やめずに残れば、自動的に練習の量と質が得られる・・・という仕組みです。ゆれる心をなだめて楽しく過ごせるような、他人の助言が大きいのです。続けるも、やめるも、人それぞれ、という「それぞれ」の正体は、運動神経や体質や考え方ではなく、アドバイザーから得た知識と安心感です。 8 具体的にどういう知識があれば、安心感につながるのか?
@ビギナーの目標はパラレル習得である。A上達とはパラレルに近づくことである。B誰もがパラレルの壁にはじかれ長く停滞する。C壁を越えた日に世界は一変しバラ色になる・・・。停滞は空回りではなく、技術が蓄積する下積み期間だと知ることで、安心できます。 9 ふるい落とされた人は、どういう知識が足りなかったのか?
やめた人の声は、「スキーは私には無理」がほとんどで、「パラレルターンは私には無理」と言うのは聞きません。どうやら、このキーワードを知らないと危ないのです。この語を知らない知人は、何が操作のイロハなのか以前に、イロハの有無も知らずに10年を費やしました。私は「スキー参入者の目標は当面パラレルだけ」と説得しましたが、その知人は「人それぞれ楽しみ方があるはず」とリベラルな反論を試みていました。 10 人それぞれの楽しみ方は、発見できたのか?
その知人はその3年後にスキーをやめたので、別の楽しみ方はなかったのでしょう。独自の価値観を求めても、結局は雪上で曲がれず転倒し続け、つまらなくて撤退したのです。「それぞれの楽しみ」はもっと後に出てくるわけで、それまでの期間は将来を夢見て、練習して上がっていくものです。ところが知識を耳に入れないと、将来の実りを全く空想できません。まずいことに、その知人はやめた後で旧式板をスキー歴5日の人に譲っており、板が原因で敗れたことに最後まで気づきませんでした。 11 スキーの初級者が、何年も知識なしに続けてしまう原因は何か?
ひとつは、スキーが自由な世界だからです。なぜ自由かというと、対戦相手が不要だからです。テニスでも、柔道でも、相手とゲームして競うスポーツなので、敵と教師を兼ねた先輩が同行し、指導者なしの孤独なスタートはありえません。ルールとノウハウは、同時に伝授されます。ところがスキーは、敵と戦わない自己完結型のスポーツなので、ルールもノウハウも知らずに孤立しがちです。 12 生まれて初めてスキーをした感激の大小は、将来をどの程度左右するのか?
最初の感激は、長続きと直接は関係しないように感じます。一番多いのは、当初は喜んでパラレルの壁でしぼむパターンでしょう。初日に感激して生涯スキーに成功する人がいる一方で、感激しながら二度と行かない人もいます。最初の小さな感激が、長年かけてふくらむ人もいます。どの場合でも、パラレルの壁に差しかかった時に、身の振り方が分かれます。 13 人間の側に、パラレルの壁を越えられる性格、というのがありそうだが?
何となく、積極的で前向きな人が越えそうに思えます。複雑で難しい技術なので、うまいスキーヤーは聡明でしんぼう強いイメージもあります。スキーには魔法的でメカニカルな面もあり、キャラクターが文系より理工系という感じも。つまり、ややこしい話についていける人。しかし反例が多く、法則はみえません。ただ、「自分はなかなかうまくならない」などと自分から言い出す人は、自己客視に謙虚なタイプなのか、後日相当うまくなる傾向はありました。 14 逆に習得できずに終わりやすい人間のタイプはどうか?
どんなスポーツであれ、あまりに自分中心だと、習得に至らないのは道理です。また、続かない人に習い上手でないタイプが多い点は、確実にいえるでしょう。アドバイザーができない、というより自ら遠ざかるフシがあり、知識が入ってこず安心から遠いのです。「私にかまわないで」的な初級者は続きません。よけいなプライドで情報戦につまずく一面が、スキーにはあります。 15 言われた通りにできる器用な人は上達し、考え込む不器用な人はダメなのか?
どちらも上達しています。スキーは、5年、10年単位で積み上げる長丁場のスポーツです。だから上昇は一本調子ではないし、長く低迷した人は、その後に急上昇がよく起きます。長い目で見れば、器用組も不器用組も到達点は同等で、とりあえず続けたから上達したという結果論になっています。 16 スピードに強いとか、スピード好きなら、人一倍早く上達しそうだが?
以前ウェアのカタログで、F1ドライバーはスキーも達人という広告を見ました。F1レースがオフの冬期にスピード感覚を養うトレーニングの話題です。ところで私の周囲で、自動車のA級ライセンスを持つ2人が、スキーを始めました。1人は雪上を並はずれて速く走る運転の確かさが、同乗者の語りぐさです。もう1人はガードレールが少ない狭く急な、雪なしの曲折道を、深夜1人で初通行し、私の数十回の記録より10分早い15分で駆け上がりました。 17 そんなスピードマニアなら、普通の人より上達も早かったのでは?
結果は、ゲレンデで2人ともあえなく挫折。予想外でした。スキーは生身をさらす質素な道具なので、文明の利器を操作する技術と関係しないかも知れません。しかし一番の理由は、やはりパラレルの壁の特性です。スピードに強いだけでは、板は言うことを聞きません。スキーはワン・アンド・オンリーの、独立したスポーツといえそうです。かつて私自身も、スケートができるのに、全くスキーの足しにならないことを知りショボーンでした。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a10.html 11 パラレルの壁の前でゆれるスキー心
1 初めてスキーに行った人の声は、ほとんどが感激の体験談だが?
都会人が初めてスキーに行くと、たくさんの感激があります。背より高い雪と広大なゲレンデ、抜ける青空と吹雪の入れ替わりの早さ。そして滑るスピード感とテンポの速さ、予想以上の難しさと激しさ。雪の柔らかさと硬さ。そして何かが自分にもできたという、おぼろげな感触。難しさの向こうにある、達成感と快適感。街では体験できなかった爽快感。夢見た白銀の世界に参加できた喜び。スキーの最初の興奮は鮮烈です。 2 その鮮烈な感激が、パラレルの壁でどのように暗転するのか?
最初の興奮が落ち着いて慣れていくにつれ、意識は足元の操作へと向かい、板を思うように回せないターン不能が急にクローズアップされてきます。カッコいい人と同じ足の使い方が、自分にはできない不思議さに気づき、違和感が前面に出てくるのです。厳密に言えば、誰でもスキーは楽しいのですが、板が言うことを聞かない低調が続くと、楽しさを打ち消す成分が現れ、ふくらみます。しだいに気落ちして、進退を迷い始めるのです。 3 外国観光などと比べて国内スキー旅行は高額だと気づき、離れていく人もいたが?
ブームの頃のスキー旅行には、マイナス要因が山とありました。重い道具、夜間移動、過密スケジュール、車中のあわただしい着替え、リフト・食堂・トイレの混雑、高いゲレンデ物価、吹雪、日焼け、粗末な旅館の設備、最終日の風呂なしなど。とどめは、斜面の恐怖と、暴走を食い止める足の疲労でした。これらマイナスの合計を、「滑る楽しさ」ただひとつで上回らないと、誰だって割に合わないと感じ始め、損得が気になり出すのです。 4 初めて行って感激したのに、二度と行かなくなる人はどういうわけか?
私もその一人でした。初回に連続6日間滑りましたが、ゲレンデにいる間はエキサイトして、また来るぞと誓っても、いったん都市に帰れば、普通列車、新幹線、急行、普通、タクシーと乗り継いで往復する労力が目に余りました。それに引き合う快楽は、6日滑ったボーゲンで感じるわけもなく、それきり無縁になりました。しかし4年後に、また行ったのです。 5 一度引退した後に、4年たって再び行った理由は何か?
団体ツアーへの便乗参加です。男女とも仲間が多くできたこと、修学旅行で経験した3日スキーヤーが多い中、6日のキャリアはやはり強く、その後も相対的な上級者として、教える側を兼ねた点もあります。往復の労力の甲斐ができたわけです。 6 初回の6日でひとまずやめた理由は、つまらなかったからか?
表向きは、忙しいからでした。後で思えば、忙しくて行けなかったのではなく、へただから気が乗らず、非優先にしていたのです。ビギナーの誰もが起きる心境が私にも起きて、無期延期モードに入ったのです。 7 金がないという理由はなかったのか?
私はしばらくして、その理由の意味がわかりました。パラレルスキーヤーの行動は、「冬に金があれば行く」ではありません。パラレルの壁を越えた人は、スキーの優先度を上位に持ってきて、春になればスキー貯蓄を始めるのです。資金を理由に一度も行かずシーズンを丸ごと見送る人は、すでにパラレルの壁にはばまれて、スキーに迷いが出始めています。 8 わざわざ寒い所に出かけて、何がおもしろいのかという声もよく聞くが?
寒さが好きでスキーに行く人はまれで、私も含めて皆寒さは嫌いです。だからほとんどの人は普段着の流用ではなく、防寒と防水のきいた専用スキーウェアを買っています。雪の上を滑るのが、どういう時におもしろいかといえば上手に滑れる時、つまり雪がサラサラする寒い日です。足先や耳がやや痛い程度に寒い日は、レベルアップを実感しやすいのです。実際には運動しているので、けっこう温かかったりしますが。 9 アフタースキーのイベントは、行きたくなる動機として大きいのか?
最初のうちは温泉や郷土料理も魅力ですが、しかし結局は純粋に滑るだけで絶大に楽しい客だけが残り、あとは去ったのです。これはベテランがそうで、雪上のパフォーマンスがほとんど全てであって、行く行かないを付属イベントで決めません。同じ頃のテニスでも、練習後のビールが何よりの楽しみ、という人もいましたが、サーブやレシーブが上達し、関心がプレーに向かわない人は、あれから10年たってテニスをやめたケースが多いはずです。 10 スキーは社交が楽しいと、昔から言われるが?
「社交界」の社交は、誇りを持った少数の集いという面があります。一大ブームが到来して、誰もがスキーを試した後では、スキーは俗化して社交性が薄れたと思います。友人の輪ぐらいにくだけたと同時に、ただ参加するだけでは一芸にならず、腕前に自信が持てないと長続きしにくいよう変化したのです。 11 スキーがきっかけのロマンスは、初級者の目的にはならないか?
スキー場や旅館での出会い、ゴールインは実際にけっこうあり、趣味が合うだけにうまくいく確率も上がりますが、ある程度のレベルがないと、それどころでないかも知れません。バブルのブーム当初は、漫画雑誌の連載記事を単行本にした『見栄講座』など楽しい指南書が出て、影響された人もいました。しかし女性男性とも、行く前に思い描いた軽快なイメージに反して、ボテボテ転ぶ重労働に悪戦苦闘し、余裕がないのが実情でした。 12 スキーといえば、とにかくおしゃれなスポーツとして扱われるが?
様々なメディアで、おしゃれなイメージが出回って、浮かれた雰囲気があるからでしょう。ロマンティック、メルヘン、はては恋愛にからめた宣伝をひんぱんに見ました。佐賀県のスキー場が1989年晩秋のオープン直前に用意したチラシは、全裸の男女が抱擁する生々しいモノクロ写真で、風俗産業か今でいうセクハラ抵触か、「ここまでやるかあ」「スキーと違うなあ」と嫌悪すら感じたものです。 13 スキー場に行ってみれば、そんなラブリーな世界ではなかったわけか?
行ってびっくり、スキーは実は運動だった、キラキラのブランドファッションを着ても、足元の雪斜面を処理できないと、雪に投げ出され、叩きつけられるばかり。そうならない能力を得るのに近道はない、この当たり前のことが誤解から理解へ変わるにつれ、離れていった人が多いのです。 14 それにしても、スポーツの中で特に激しいスキーに、軽いイメージがある理由は何か?
まずは、粉雪やパウダースノーという語でしょう。いかにも軽そう。その次は、若者の参加が多いからでしょう。本当は中高年も多いのですが、派手なウェアが若そうに見せています。 15 スキー技術はシリアスなのに、旅行カタログが気楽なイメージなのはなぜか?
事実、パラレル以降は気楽であり、中上級レベルのフィーリングは、浮かれたカタログに近いものです。カタログはウソでないどころか、楽しさを表現し足りないぐらいで。一方、初心者に対して、「道具は重い」「壁がある」「習得は長い」「我流は敗退」など、スポーツ面のシリアスな情報は、カタログ宣伝に出しようがありません。「10日も滑ればベテラン入りだろう」と期待して失意を抱く客を、旅行会社が防ぎようがありません。 16 そんな失意の人たちは、スキーに参加した動機が不純だったのでは?
確固たる目的意識や信念に燃えて、スキーに参加する都会人はまれです。誰もが未知への好奇心や、流行に乗って何となくだったり、人数合わせのおつきあいなど、軽い動機でスタートします。最初に登山組から誘われた私も、例外ではありません。従って実態との心理ギャップは必ず起きるわけですが、ギャップを大きく増幅させた真犯人が、旧式のずんどうスキーです。労なく上達するスポーツなど存在しませんが、難易度にも限度があり、旧式スキーは非情にも難しすぎました。 17 打てないソフトボールや、入らないバレーボールと同じで、練習で解決しないのか?
方法はそれしかないので、ブームより前に始めた人は当たり前に練習時間をかけて上達しました。しかし平成バブルのブーム喧騒を追い風に参入した人は、ファッショナブルなムードに当てられすぎたケースが多く、ギャップが大きすぎて混乱をきたしました。目を覚まさせ、スポーツの原理原則、すなわち地道な練習に軟着陸させてくれる指導者が必要でしたが、指導者に恵まれなければ、わけがわからず退散するほかなかったのです。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a11.html 12 パラレルの壁の正体を分析する
1 ボーゲンとパラレルの差を、簡単に説明するとどうなるのか?
板をハの字から平行へ、これを自転車に例えます。ハの字のボーゲンは補助輪で支えた四輪の状態、平行のパラレルは補助輪なしの二輪で乗れた状態に相当します。ガラガラ走るか、スイスイ走るか、同じ自転車に乗っても、楽しさに雲泥の差があります。 2 自転車に例えるのは、何が似ているからか?
生まれて初めて自転車に触れた、その日に乗り回せた人は世に存在しません。翌日に乗れた人もいません。次の日も、その次も、笑顔はありません。同じように、生まれて初めてのスキーで、パラレルで滑り回れた人も存在しません。翌日も、次の日もそうです。どちらも、数日中にできるほど簡単ではありません。日数にして何週間かの練習が必要です。逆に一度身につけると、一生忘れない点も似ています。 3 なるほど、表面上は共通点が多いわけか?
根本的な共通点もあります。自転車に初めて乗る子どもは皆、試す前には簡単に乗れそうな気がします。ところが、いざまたがれば、足で支えないと重い自転車ごとバッタリ倒れることを知り、ショックを受けます。見かけ以上に難しくて怖いから、練習を嫌います。やがて冷静になってトライし直し、さあ足で地面をけり、行きたい方向にハンドルを回そうと腕で押し引きします。すると・・・アレレ・・・ 4 そこで何が起きるのか?
曲がれないのです。なぜかハンドルが鉛のように重くて回せません。曲がろう、曲がろうとグリップを押し引きしても、自転車がガンコに直進する不思議さと、思うように向きが変わらないイライラを体験して、改めてショックです。スキー初級者の、曲がれない体験にそっくりです。 5 どうすれば曲がれるのか?
正解は、ハンドルを腕力で曲げようとせず、曲がりたい方に体全体を少し傾けて、自転車を少し倒し込みます。バンク角をつけてやるわけです。ハンドルを力でぐいぐい回し込む積極的な行動なしで、自分の体をちょっぴりバンクさせるだけで、自然に曲がることができます。 6 そういえば乗れない頃、自転車ごと持ち上げて向きを変えた記憶もあるが?
スキーも自転車と同じで、最初は板を置き直したくなります。ところが、行きたい方に体を倒してやれば、進む向きがおもしろいように変わり、なめらかに曲がり続けます。体を右へ左へと傾ければ、スキー板は右へ左へとターンするのです。そうだと体が知るまでが、どちらも壁なのです。 7 スキーと自転車では、やっている本人の心境も似ているのか?
「スキーに何日か行って、まあまあおもしろかったけれど、こんなものかなって感じ」という感想は、まだパラレルに遠く、ハの字で滑るボーゲンスキーヤーの誰もが持ちます。これも、補助輪付きの自転車でガラガラ音をたてながら、家の周囲を回る子どもが感じる「曇ったおもしろさ」「浮かない楽しさ」にそっくりです。 8 壁を越えた時の感激も、似ているのか?
自転車の補助輪を左右とも取り外して一人で乗れた日も、スキー板を平行にして回れた日も、「おおっ、これはすごい」と心の底から感動します。つきまとっていた制約が消えて、晴れ渡った心境になり、前途が全く違って見えます。自分はすごいものを得た気になり、明日も乗りたい、滑りたいと、心奪われ夢中になります。自転車とは何か、スキーとは何か、その魅力が初めてわかるのです。 9 スキーも自転車も、当人が得たものは何なのか?
バランス感覚です。体を倒せば曲がる、そのタイミングと加減を体が覚えたのです。どちらも回る時だけでなく、実は直進時でさえ瞬間瞬間にバランスを取るために、体を左へ右へと無意識に細かく寄せて補正しています。曲芸師の綱渡りと同じことを、自転車もスキーもこっそり行っています。このバランス感覚ができれば、後は発展あるのみ。壁の向こうの別天地で、応用と発展の毎日で、毎シーズンが楽しくて仕方がない状態になります。 10 そんな鮮烈なパラレルターンが、正式にはどう説明されているのか?
全日本スキー連盟が刊行する指導書『日本スキー教程(注4)』には、かつて「複雑で微妙」と記されていました。パラレルの手前にいるスキーヤーにとって、この表現は実に言い得ていました。 11 「複雑で微妙」では、何の説明にもなっていないが?
説明しにくさが伝わってホッとします。パラレルの実現は、「ここをこうやれば、ホラ、できるだろ」という原理の発見ではありません。時間をかけてバランス感覚をゆっくり身につけるしかなく、途中の様々な練習は、実際どれ一つ完成を見ずに、たいした手応えもなく通り過ぎるものです。そこに「複雑で微妙」と釘を刺されると、不安定感やとらえどころのなさが正常なのだと安心できます。 12 自転車とスキー以外にも、体を倒すスポーツはあるのか?
オートバイ、スケート、ヨット、乗馬がすぐ思いつきますが、ランニングやウォーキングでも体をバンクさせれば円を描いて曲がって進み、バンクをゼロに戻せば直進します。生身で行えばそう難しくないのですが、間に道具が入ると遠隔操作になって、わかりにくくなります。 13 ランニングで体を傾けるのは簡単なのに、スキーではなぜ難しいのか?
練習時間の差です。ランニングは幼児期の二足歩行以来やり慣れていますが、スキーの姿勢は経験がありません。慣れないスキー板の上で、しかも下り坂でバランスを取りながら滑って行くわけで、この身に覚えのない行動の完成形であるパラレルターンには練習量、つまり時間が必要なのです。 14 体を傾けるということは、重心移動と言ってもいいのか?
同じです。ただし、自転車のコーナーリングとは違っている部分がスキーにはあります。スキーには、上るターンと下るターンの2種類があるのです。切れ上がって減速して止まろうとするターンを「山回り」と言いますが、山回りと山回りのつなぎ目に、スキーをいったん谷底へ向けて落としていく「谷回り」と呼ぶターンを加えることで、連続ターンを行います。 15 よく耳にする谷回りという語だが、それがパラレルとどう関係するのか?
谷回りに入る難しさが、パラレルの壁の正体です。初級者がゲレンデをダラダラ横切り、端っこまで行ってしまうのは、谷回りに切り替えできないで、山回りし続けるからです。ビギナーは、山回りができるまでに2時間かかり、谷回りにはその60倍の時間がかかります。 (注4) 『日本スキー教程』 (財団法人全日本スキー連盟 1986年版) http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a12.html
13 谷回りができれば、パラレルの壁は突破
1 スキーの山回りと谷回りは、どこがどう違うのか?
スキーヤーは、山回りする間は切れ上がって減速し、谷回りする間は切れ下がって加速します。足が雪を押す方向は、山回りではもちろん下方ですが、谷回りでは何と上方です。例えて言うなら、天井を上にけって床に向かってダイブするようなイメージが、谷回りなのです。上級者が当たり前のようにやる谷回りが、初級者には謎の謎でした。 2 谷回りは、なぜそれほど難しいのか?
谷回り中は加速し続け、フォールライン(最大斜度線=真下)に向いた瞬間に加速度が最大になって、恐くなる点がよく指摘されます。しかし斜度がゆるくて恐くないゲレンデでさえ、谷回りがとても難しい点は、この説を否定する材料です。まず物理的に考えると、山回り中に山側に寄せた重心を、途中で谷側に移し始めないと、山回りは終われません。直進ばかりして曲がれない自転車練習のミステリーと同じで、山回りし続けてゲレンデを横へ進むだけです。 3 谷回りの、どの部分が難しいのか?
難しいのは、谷回りの「最中」ではなく「入る瞬間」です。境目の切り替えが難しいのです。まずは山回りで滑りながら、頃合いをみて谷回りに入ろうと思っても、簡単には切り替わりません。思い切って力んでも、やっぱり切り替わりません。ついに切り替えたものの、今度は板がガバッとハの字に開いてしまいます。どうやって境目を突破するか・・・ 4 谷回り切り替えの境目を、遅れなく突破するコツは何か?
切り替える2秒前から、重心移動という行為を開始することです。曲がる前から、体を倒し始めます。 5 それでは、谷回りと重心移動の因果が堂々めぐりしないか?
谷回り開始と重心移動は、本当に鶏と卵の関係です。体を傾けないから回れない、回らないと遠心力が生じず傾けられない、だから回らず直進する、直進すれば体が傾くわけがない、よって回らない、従って傾かない、回らない、傾かない、回らない、傾かない・・・。そうするうちにゲレンデの端に来てしまって・・・。 6 その悪循環の、どこに突破口があるのか?
曲がるべき瞬間よりも2秒前に、自分から仕掛けます。谷回りが間延びしてズルズル行く、そうなる前に先手を打って、漫然と立って乗せられている自分を変化させます。どういう変化か。山回り後半に、重心を谷へ移そうと行動を開始します。板に対して、体を谷側へと移し始めます。板と体の位置関係を、わざとずらすのです。 7 よく「体を入れろ」という指示を聞くが、それとは関係があるのか?
回転の中心側に体を倒し込む動作を、「体を入れる」「内に入れる」と言い、重心移動の意味です。要するにバンク。では「境目」で必要なバンク量はどの程度か、それは自転車やオートバイと同じで、遠心力に釣り合わせながら徐々に傾けます。一気にグイッではなく、ゼロからさりげなくスムーズに体を内へ入れていき、するとどこかで両スキー板のエッジが切り替わって、谷回りになります。 8 足をねじり回して板の向きを変えようとした、あれは全く間違っていたのか?
スキーの曲がる原理はそれではありません。正解は、曲がる方へ体を少し倒し込み、体で両板を牽引する感じです。右(時計回り)へ山回りターン中なら、板の右に体があるはずで、途中でその体を板の左へ移していきます。それも、まだ右回りしているうちに。ある程度以上体が左に移ると、足を通じて板はローリングしてエッジが反対側に切り替わります。 9 切り替えに、何か秘伝はないのか?
スキー板にどんどん山回りを続けさせ、乗せられている体は途中で回転についていくのをやめます。回り続ける足だけを向こうへ行かせて、投げ出してやる形にして、体をこちらに取り残してやれば、足と体の位置関係が逆転し、重心移動はあっさり成功します。 10 足をそうやって向こうに投げ出すのは、とても難しいのだが?
姿勢が高いから、全くできないのです。何のことはない、中腰で姿勢を低くすれば簡単になります。ボーゲンスキーヤーは、全身がひとかたまりに固定した「置物の人形」がクセになり、技量が上がっても頭の位置が高いまま続けがちです。頭を低くして、両足が上体から独立して動くようにします。体を右へ傾けると板が右へ行って、途中で体の傾きを弱めると、板が帰り始める準備になります。 11 どういう感覚を得ればいいのか?
いくつかの表現を並べます。@体の周囲にスキー板をまとわりつかせる。A体を中心に足が振り子のように行き来する。B腰から下を右へ投げ出し、戻って来た勢いで左へ投げ出す。C体は前へ進み、足は左右へ蛇行する。 12 カービングスキーの利点は、どこに現れるのか?
@板が自分から曲がってくれる、A角づけ具合がよくわかる、B足場が安定する、C反応がよい、などです。B足場の安定が特に大事で、「置物の人形」の卒業が容易になります。 13 足場の安定はわかるが、角づけ具合がわかるとは、どういうことか?
「板が雪にどう接しているのか」を体感しやすい利点です。旧式スキーだと雪にかんでいるのか流れているのか、操作感があいまいでした。カービングスキーだと、板のグリップ力で雪によく食いついて、力伝達が大幅に向上するので、何が何だかわからないアバウト感は軽減します。 14 板がローリングする途中で、先端があっちこっち向いてバラけるが?
スピードでごまかします。山回りから谷回りへ切り替える境目の一瞬は、板のエッジ全部が雪に作用しないフラット状態になり、カービングスキーでも不安定です。この一瞬は、適度なスピードを出せばヒョイと容易に通過できます。なので最初は勢いに乗って、谷回りに入るようにします。自転車が低速すぎると、フラフラとバランスを崩してかえって転びやすくなるのと似ています。 15 谷回りができるようになるのに、一番必要なことは何か?
やっぱり練習の量と質です。一番はターンの回数で、盛大にハの字になってもかまわず連続ターンします。うまくいかなくても、考え込まずにターン数をかせぎます。どんどん続けて、回った数が大事。補助輪付き自転車では、立ち止まって作戦を練っても解決せず、走り回らないと補助輪を外せる日がきません。その途中がカッコ悪そうだと意識してターン数を減らすと、こたつで過ごす冬に戻ってしまうでしょう。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a13.html スキー100年目の革命Q&A 14 閉じたスタンスに恋する季節
1 近年のゲレンデでは、両足を開いた指導ばかりが目に入るが?
肩幅スタンス(通称ブライトスタンス)が基本です。左右スキー板の中心線どうしで35センチ程度離します。実はこうした開脚姿勢はかなり昔からあり、例えば70年前の写真では足を開いています。まだ旧式スキーしかない90年代のスクールでは、最初に全員を滑らせ、足を閉じようと気張った生徒に開かせてから指導が始まりました。 2 パラレルとは、両足をぴったり閉じ合わせる意味ではないのか?
板を平行にする意味です。つまりハの字でないということ。間隔は無関係。本来「板をそろえる」とは、2枚の板の向きを一致させる意味ですが、足を近づけて一体化させる姿勢がとられた過去があります。年配の人に多いことでわかるように、これは誤解釈というより、実際にそうした指導教育の嵐が吹き荒れた時代があったからです。 3 近い過去には、スタンスはどう変わったのか?
1970年代は美意識一辺倒で足を閉じ、80年代はレース人気によるシェーレン(シザース=逆ハの字)が増え始め、90年代は合理性追求で開いたパラレル、カービングスキーではもちろん普通は開きます。カービングターンで体を大きく倒すと、両足を開かないと物理的に足を雪に置けないので、自動的に肩幅スタンスやワイドスタンスしか選べません。 4 かつてのパラレルの壁の高さは、狭いスタンスとも関係があったのか?
結果はそうです。かつてゲレンデでよく見た光景ですが、初級者が山回りの後半にうつむいて下を見ながら足を閉じようとして、ズルズルとターンを長引かせていました。この努力には弊害があり、3つの理由で上達が遅れます。@倒れない苦心に夢中で運動がおろそかになる、Aターンが途切れて連続動作が身につかない、Bターンの回数が減って練習不足になる。 5 パラレルのできない初級者は、なぜあれほど閉脚にあこがれたのか?
実際に、閉脚に恋したのは必ずボーゲンスキーヤーで、できないからあこがれたのです。実は初級だった当初の私も、リフトの上から人のスキー板の間隔ばかり見ていた頃があります。そこにしか目がいかないのです。力んで足を閉じてみせる中級者が、やたら魅力的に見えました。 6 なぜ自然体の上級者より、無理な動作の中級者に魅了されるのか?
スキーを全身運動として見る目がなかったので、ひざの動きや腰の向きを説明されてもチンプンカンプンで、代わりに見てすぐわかる両足間隔に目が吸い寄せられたのです。80年代になれば一部の上級者は広い競技スタンスを始めましたが、両足をカカシのように一本にした中級者の方が、未熟な私の目にうまそうに見えたのです。 7 かえって完成度の高い上級者が、素人目にうまく見えないわけか?
派手なトンガリがないと地味に映ります。例えば舞台芸。カラ傘にボールや箱、ヤカンを乗せてクルクル回す芸人がいます。師匠がラジオ番組で述べたのは、幼少から訓練した実力どおりに巧みに回すと、客は自分にもできそうだと感じて、拍手が少ないそうです。傘が暴れてよろけたり、一度は物を床に落とすなど、失敗の演出をわざと加えれば、難易度が客に伝わって大かっさいが起きるそうです。 8 なるほど、だからスキー歴3日の人には、千日よりも15日の人が上手に見えるのか?
そこまで差が開けば、視界に入る時間のせいです。千日のベテランは、スイスイ飛んでいくので、ビギナーの視界に入るのは一瞬で、全く印象に残りません。15日スキーヤーならビギナーの付近で視界に入る時間が増え、ビギナーが降りられない斜面もひとまず降りて見せるので、達人に見えるのです。 9 全くの初心者の目に、他のスキーヤーはどう映るのか?
私の初心の頃を思い返すと、指導者の試技がどうであっても、こちら側にうまいへたの指標がなく、目に映った次の瞬間に記憶から消えました。他のベテランたちが、あの人は特別うまいぞと言うのを聞いて、耳情報で納得しただけです。同じ理由で、初級者にプロスキーのビデオを見せても、国会中継を見る中学生のようにたいくつしたりもします。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a14.html 15 内スキーの処理のミステリー
1 2本のスキー板が交差して転ぶ、あの問題がまだ残っているが?
7日目あたりの初級者が、入門当初のあわただしい状態から落ち着いて冷静になるにつれ、「内スキーの処理」の難しさに気づき悩み始めます。これは、外スキーはうまく回っていくのに、なぜか内スキーが同調せずに直進し続け、左右スキーの前部がガッチンコする現象です。「内スキーをどうすれば、パラレルターンになるか」という謎は、初級者の質問で常に3本の指に入る多さでした。 2 内スキーは、谷回りとはどういう関係なのか?
@パラレルの壁の高さ、A谷回りに入る難しさ、B内スキー処理の謎、この3つは同じ現象です。 3 旧式時代の内スキー処理のカラクリを、ここでスッキリ解明して欲しいが?
上級者は内スキーを持ち上げてターンした、それだけのことです。旧式スキーの常識では、体重をかけるのは外スキー一本で、内スキーを雪に作用させません。何をするかといえば、内スキーは浮かせ気味に、吊り下げるようにして運びます。完全には持ち上げずに雪に触れた状態で、荷重割合を外足9、内足1にしました。 4 たったそれだけのことが、なぜ初級者に解けない謎だったのか?
まずビギナーは、まさか板を持ち上げているとは思いません。そう思わない理由は、自分が片足を持ち上げるのが非常に難しかったからです。自転車で補助輪をつけて練習し始めた子どもには、片手運転が永遠にできない気がするのと似ています。それでも初級段階になれば、片足を持ち上げることができるようになります。 5 しかし指導者たちは、「板を持ち上げるな」と口をそろえて注意したが?
程度の問題で、指導者たちもターンのたびに板を持ち上げました。「内スキーは何もしなくても自然についてくる」と言いながら、外スキーを突っ張った脚力で、巧妙に内スキーを浮かせていたのです。この言行不一致がまた、初級者を悩ませました。ただ公式指導書『日本スキー教程』には、この事実に正しく触れたくだりがあり、矛盾は現場指導者の裁量で起きていたことがわかります。「少し持ち上げる」が正解なのに、「持ち上げるな」と言う奇妙な指導が続きました。 6 昔はなぜ、外足荷重が絶対条件だったのか?
スキー板の形状がずんどうだったからです。板が自分から曲がろうとしないので、両足に体重をかけると各板がどこへ向かうか予測不能でした。外スキーに集中して体重をあずけ、舵取り機能を一本化してまかせる以外になかったのです。あるテレビ科学番組は、計測器をつけた実験で「外足荷重なら、うまく回れる」と結論しましたが、その裏には「内足荷重だと転ぶ」という困った真実が隠れており、内足に体重を分散させた初心者の転倒シーンも流しました。 7 左右の板が交差して転倒するのは、中級者でも時々起きていたが?
旧式スキーだと、上級者も時には板同士踏んでしまい、高速で動作がクイックなだけに、あっという間に転倒しました。それを防ぐ「交差止め」と呼ぶ、こぶし大のプラスチック器具を、前部に取り付けた板を見た人もいるはずです。カービングスキーは、往年の交差止め製品を消滅させました。 8 逆にカービングスキーでは、片足荷重をやってはまずいのか?
全くかまいません。片足でも両足でも自由自在に曲がれます。振り返りますが、旧式スキーで必須の外足荷重は、両足荷重だと回ることがまず不可能だから、仕方なしに内スキーを持ち上げたのです。カービングスキーでその制約からついに解放され、自然体の両足荷重が基本となりました。 9 カービングスキーでも、両足が同調しない人が多いようだが?
柔らかい雪で高速で体を倒すと、外スキーが過剰に回ってハの字ぎみになります。一方、スキー学校の教師が集まって練習しているのを見ると、先開きの逆ハの字で外スキーだけで回る「なんちゃってカービングターン」が目立ちます。これは旧式スキーのコツの名残で、習熟したベテランはカービングターン移行時にこの構えが出やすくなります。しばらくは、内スキーを持ち上げるクセも残るでしょう。 10 広いスタンスでひざだけが近づいて、X脚になるケースもあるが?
X脚の一因はスピード不足です。低速だと体の傾きが中途半場で安定しないので、内足が転倒防止のつっかい棒として立ったままになるわけです。スピード不足のまま内スキーを同調させるには、内ひざを意図的に内倒させて、外ひざに近づけない必要があります。 11 回転内側に足を傾けるのは、外足はできても内足は難しいが?
外足と内足の同時内傾は見た目どおり難しく、日常生活にない立ち方なので、各自で姿勢を新たにこしらえる必要があります。カービングスキーで両足荷重は容易でも、「こんな感じか」という内足角度の発見には少し時間がかかります。初挑戦では無理で、緩めの斜面で両足の同調加減を繰り返し実験します。 12 内足の角度を維持するコツが、どうもわかりにくいが?
例えば右ターン(時計回り)の時、左足は軽く曲げて親指側で突っ張り、右板も小指側を雪に押しつけています。この時、右方面を指し示すかのように右ひざを十分引き離します。右スキー(つまり内スキー)で体を引っ張るぐらい、強調して雪に作用させてテスト滑走します。 13 内足を内倒しすぎて、内スキーの小指側が利いて股さき状態にならないか?
旧式スキーでは、両方の外エッジ、つまり両小指側に乗ると、股が開き続けて「あれあれ」と焦りながらコケました。ところがカービングスキーだと、両足が広がりかけたとたんに、両方の内エッジが利いて自動復帰します。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a15.html スキー100年目の革命Q&A 16 雪を押さえるって、どういう意味?
1 よく、板を踏んで雪を押さえろと言うが、具体的に何をするのか?
ひざを屈伸して、板を上下に押し引きします。スキー操作の極意のひとつに、加重と抜重があります。静かに立っているのではなく、板を雪に押しつける時間と、その反動で浮き上がりぎみの時間を、3秒とか1秒の間隔でリズミカルに繰り返します。伸び上がる最中が板を押しつけた加重となり、上がりきった時に浮きぎみの抜重となるのが基本です。 2 板を押す目的は何か?
ひとつは押した板の反発でフワリと浮いて、エッジの食いつきをゆるめることで、ゆるんだすきに板を切り返します。もうひとつはターンのリズムをつくるメトロノームです。3秒間隔で抜重した場合、3秒ごとにターンの左右を替えることになります。さらに、エッジを反対側に切り替える時、一瞬起きるフラット状態で足場があいまいになるので、切り替え直後にぐいとエッジを押しつけ食い込ませます。これで谷回りで加速が始まっても、外へふくらんで流れるのを防げます。 3 板を押すと、体重が増えたりするのか?
雪が受ける荷重は増えます。総重量60キログラムの人が、遠心力で1.5倍の90キロ荷重となってターンする間、足の裏でさらに踏んでも、90キロを超えるのはありえなく思えます。しかし踏みつけて足を伸ばす最中には、荷重は100キロ、120キロと増えます。そして足を縮める時に、40キロにでも下がり、フワリと浮きそうになります。時には0キロやマイナスとなって、雪から離れて飛び上がります。 4 どういうタイミングで、板を押せばいいのか?
谷回りに切り替えて一息した次の瞬間から押します。このタイミングはカービングスキーで滑る時の目立った特徴で、旧式スキーとは少し違う動きです。そうして板が谷回りで回り込んでいき、真下を通過して、山回りに転じていく間中、意識して足で押し続けます。 5 初級者は、そこが甘くて暴走するのか?
確かに暴走の多くは、「板を押して引いて、押して引いて」のリズムが、何かの理由で途切れた次の瞬間に起きます。ゆくてに雪塊やうねりが見えた時とか。初級者は概して動作が眠く、リズムにメリハリがないので、谷回りの前後に浮き乱れがちです。わざと気張ってリズムをつければうまくいくでしょう。上下動は、激しくおおげさにやれば理解しやすい技術のひとつです。 6 ボーゲンでも、そうした押し引きは必要なのか?
やはり必要です。上級者のボーゲンを見ると、ギューン、ギューンと明快なリズムで回ります。初級者はあの回り込むエネルギー源は、回旋させる筋力だと誤解しますが、板を押しつけてたわませるから小さく回り込むのです。小さく回るには、3秒押して切り替え、3秒押して切り替え、とテンポを早くし、10秒など長引かないようにします。 7 昔よくあった伸身や屈伸の大きな動作は、カービングスキーにも必要なのか?
実はカービングスキーに慣れると、体全体の伸縮はごく小さくして、足だけの伸縮で十分足ります。旧式スキーでは、山回り後半にたわんだ板の弾力で強く伸び上がり、板が一瞬浮くぐらいにして、エッジの食いつきをゆるめて谷回りへ切り替えました。音まで出しながら、飛び跳ねていたのです。 8 旧式スキーで上下動を盛大に行った理由は、板がはずまないからか?
弾力の引き出しにくさが理由でした。理由はもうひとつあり、もし雪面にべったり接触させて待つに徹し、サイドカットどおりにターンすると、ひどい大回りで暴走するからです。板をはね上げて浮かせた次の1秒程度は、レースカーのドリフト走行のごとく、わざとテールスライドさせて板の向きを強引に変え、中回りや小回りを力ずくで成り立たせたわけです。 9 そのねじり回しの秘技も、初級者の目に謎だったわけか?
これが昔の小回りの謎です。板が浮くぐらい伸び上がって、ひざひねりや、かかと押し出しで板を回し込む。これを上級者がさりげなく行うのを見て、初級者も真似ました。しかし初級者は雪に食い込んだ板を、そのままねじり回したので、よろけて転倒しました。 10 カービングスキーでは、ひざひねりや、かかと押し出しも、必要ないのか?
これも少しで足ります。旧式スキーでのひざひねりは、回るのが遅くて待ちきれないので、板をわざと回し込む補助操作でした。かかと押し出しも、早く板の向きを変えてブレーキをかける補助操作でした。これらは旧式スキー特有の欠陥のカバーなので、カービングスキーでは少なくてすみます。 11 姿勢の高い低いはどうするのか?
低くします。初級者は動きのない人形状態をやめて、軽くしゃがんで低くなると良くなります。重心が下がって転倒しにくいのと、足元にふところができて腰から下が動けるようになります。また、雪の凸凹やうねりでショックアブソーバーが利きます。問題はどこまで低くするかで、しゃがみこんで、雪にはいつくばっている気がするぐらい、思い切って低くします。 12 上級向けの本には、姿勢を高くせよと書いてあるが?
上級者の高い姿勢は、初級者の低い姿勢よりは低いのです。初級者が腰高になる理由は心理的な錯覚もありますが、入門当時の腰高姿勢に慣れて固まったせいもあります。試せばオヤと思いますが、頭を10センチ下げるだけで、筋肉の使われ方が違って新鮮さも感じます。ボーゲン段階から低姿勢に慣れておけば、カービングターンを試す日も早まるでしょう。 13 カービングスキーで滑る時、なぜ姿勢を昔より低くするのか?
体を大きく倒して、身を乗り出す姿勢になるカービングターンでは、スキー板は体から遠くへ離れます。頭を高さ1.5メートルに保ったまま45度のバンクをつけるのは不可能なので、20センチ程度下げ、1.3メートルに身を低くします。この時、腰の位置を後ろにやらず、かかとの上方に常に腰があるようにします。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a16.html 17 壁を越える日は何日目か
1 パラレルの壁を越える日は、スキーを始めて何日目なのか?
私の場合、細かく記録しており、32日目の夕方でした。カービングスキーのない時代です。靴は自前の初級用で、板は旅館で借りた国産レンタルの非常に古く傷んだ185センチ、サイドカット半径は50メートル程度と推測できます。 2 その瞬間に、何を感じたのか?
「これはすごい」。別世界へ飛んだ気分です。ついにスキーヤーの仲間入りだ、スキーを語れるぞ、と自信がわいて。やがて、壁の向こうとこちらで、スキーヤーの心境が全く違う点に強い関心を持ちました。パラレルの前と後が連続していない気がしたのです。同じ「スキーは楽しい」でも、壁の手前で言うのと、壁の向こうへ抜けて言うのでは、「楽しい」の意味があまりに違い、「スキー全体の見え方」の次元が違うのです。 3 その直前に、どういう練習をしていたのか?
2泊3日のバスツアー旅行で、1人でぐるぐるスキー場内を回っていました。3日目の夕方に集合時刻も近づき、一番ゆるい斜面に戻ればパウダーの圧雪だったので、しばらく時間をつぶそうと滑り降りたとたん、2本の板が1本になったかのように平行のまま、ギューンギューンと連続ターンができ、「おおっ」と思ったのです。「これだ」と。32日間、一度もなかった感触が初めてありました。 4 仮にその日の前日でスキーをやめていたら、どうなっていたか?
2泊3日旅行の最終日が32日目だから、29日で投げ出していた可能性もわずかにありました。仮にそうなら、単に寒くて平坦な、春を待つだけの冬にとどまったでしょう。実際、壁越えして初めてわかったのは、それまでのターンはナンチャッテだったことです。以降は何度やってもパラレルになるので、分岐点を完全に越えたと知りました。 5 カービングスキーを使えば、32日は何日に短縮するのか?
25日程度と想像します。確たる裏づけはありませんが、旧式スキーの半分の16日までは短縮しないと思います。半分以上かかってしまう根拠は、雪という異物への慣れや、雪面が傾斜している向きの判断などに慣れる時間は一定で、どんなスキー板を使ってもそこは短縮しないからです。 6 カービングスキーでも25日かかるなら、旧式スキーを15日でやめた人は同じ結果なのでは?
15日目の心境に差があります。カービングスキーだと途中の気持ちが明るいので、15日でやめず16日以降があるのです。壁越えがまだでも、日々の達成感や期待感がプラス方向にふくらんでいるので、15日で投げ出す可能性はずっと低いと考えられます。悲観的に過ごす15日間と、楽観的に過ごす15日間の違いが、その後に出ます。 7 旧式スキーの頃でも、もっと短時間で上手になった人の話を聞いたが?
その場合の「上手」は、意味が違うのかも知れません。わずか4、5日でうまいうまいと賞賛された初心者を何度か見ました。私も賞賛したこともあります。しかし、「1週間でピアノがマスターできる本」の次元です。パラレルの壁はもっと先にあり、結局は「にわか上手」のぬか喜びが、翌シーズンの落ち込みを目立たせ、自信喪失でスキー放棄が早まった例も見ました。 8 何かの本で、5、6日で自然にパラレルになる話を読んだことがあるが?
私も8日目に起きましたが、あくまで一時的です。17度ほどの中斜面で板をガッ、ガッと押して伸び上がると、程よいスピードで、肩幅スタンスの連続パラレル状態になりました。写真が残っており、雑で不格好ながら確かに板は平行で、体重も前にかかっています。しかし時と場所で起きた一時ハプニングに近く、翌年から沈みました。スキーらしい姿に洗練していく途上で、姿勢も操作も変化し続け、まぜ返しになったのです。壁越えの安全圏は、まだ先です。 9 パラレルの壁を越えやすい時間帯があるそうだが?
夕方です。晴天のスキー場の雪質変化は、午前中バリバリ凍って、昼頃ゆるんでボソボソ重いシャーベット、夕方サラサラに変わるパターンが典型です。スキー初級者は朝に重労働に直面し、段々と調子が出てきます。ラッキータイムは15時以降で、山に日が落ちても早く帰らず、スローペースで繰り返し滑ることです。人が減って閑散としたゆるい斜面で、一日の成果が出ます。 10 しかし最近、夕方にアイスバーンに変わるゲレンデが多い気がするが?
そうでした。困った問題です。低温の日に、中、急斜面が絶好のサラサラ雪なのに、緩斜面に降りるとなぜかツヤツヤ光るアイスキャンデー状のバーンで、ビギナーや初級者たちがガガーと音を立て、悪戦苦闘している不思議な光景が目につきます。決まって客の多いゲレンデです。これは大勢のスノーボーダーが、「木の葉落とし」でアイロンをかけるように平らに踏み固めた雪が、日没後の氷点下でプラスチック状に凍ったのです。 11 初級の練習に向くのは、どういうゲレンデか?
@斜度がゆるい、A幅が広い、B一枚バーン、C雪質が軽い、というあたりです。狭かったり複雑な形状、鍋底、馬の背、クネクネ斜面では、どちらに傾いているのかわからず、立っては転んでアリ地獄状態です。また凍ってガーガー横ズレするアイスバーンは、倒れないよう体がこわばって、上達を自覚できません。 12 すいたスキー場がいいと、よく聞くが?
人が少ないゲレンデは気が散らず、リフト待ちのロスも減って有利です。ただしある種のロングコースには欠点もあります。森を切り開いた道状のコースですが、長い緩斜面の途中に中斜面がポツポツ混じって足止めされ、そこへ来ると進めません。気持ちが集中せず、リフト回数も激減します。同じ斜度が続く「たいくつコース」が、初期の練習に適します。 13 スキーを話のタネにしようと、とりあえず1日だけ試す人もいるが?
無意味です。理由はスキーが特殊技能だからで、32日かけて壁の向こうの「スキーの世界」に行かないと、正体はつかめません。同類に、自転車や水泳があります。初めて自転車にまたがった日に「走行体験」はできず、自転車のおもしろさを語れません。カナヅチの人が1日だけ水につかっても「泳ぐ体験」はなく、水泳の楽しさを語れません。1日かじって終われば、そのスポーツの何もつかめません。 14 そうしたタイプのスポーツは、他にどういうものがあるのか?
サーフィン、スケート、一輪車、竹馬など、「できる、できない」がはっきり分かれた特殊技能タイプです。例えばサーフィンでは最初はぐらぐらして立てません。立たないと波に乗れないので、立てる日まではサーフィンの何たるかはわかりません。やり方の説明を受けても初心者には真似できず、一定の訓練時間を要します。立てないうちにやめては、「元サーファー」になれません。 15 テニスやゴルフは、壁のないスポーツといえるのか?
テニスにはトップスピンやドライブサーブが入らない壁、ゴルフにはクラブがヒットしない壁もあります。しかしどちらかと言えば、「できる、できない」型より「うまい、へた」型です。「うまい、へた」型の代表格はボウリングやビリヤードで、ビギナーとベテランの点差がいくら開いても「できない人」はおらず、ビギナーは同じ世界を体験できます。ボウリングの感覚でスキーに1日きり参加し、特殊技能の特性に面食らった人は多いのです。 16 特殊技能型スポーツには、何か共通の特徴はあるのか?
主にバランス感覚のスポーツです。ビギナーは倒れてしまうので、立てるまで基礎訓練が必要です。基礎訓練の期間中は、そのスポーツを堪能(たんのう)できません。途中でやめたら、できない人のままです。逆に一度身につければ、一生忘れません。 17 スポーツの中でも、スキーは根本的に他と性格が違うらしいが?
スキーは他人と戦わない点が異色です。大半のスポーツは、敵と戦って勝ち負けや成績を競うゲームです。オリンピックの本質は「戦争の置き換え」と言われますが、スポーツのほとんどが闘争本能を発揮する場です。スキーにもタイムや美を争う競技の世界がありますが、通常のレジャースキーでは誰とも戦いません。 18 誰とも戦わないスキーに、何か勝ち負けはないのか?
うまく滑れたら勝ち、転べば負け、の自己評価です。あるいは毎年続けば勝ち、続かないと負け。スキーは登山に似て、1人で雪山を相手にした探検のようなものです。自然が相手なので、手加減も不正もなく、自分の技量で自立するほかありません。行く人数が大勢でも1人でも、「人対雪」の戦いに勝たないと続きません。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a17.html 18 マジックナンバー20日、スキー撤退の危機
1 スキーがうまい人は、なぜうまいのか?
日数を重ねているからです。上達の秘訣とは、日数を重ねる秘訣のことであり、途中の挫折を防ぐ工夫の意味です。その工夫を何日間続ければいいかといえば、旧式スキーで32日、カービングスキーで推定25日です。パラレルの壁を越えるXデーが来れば全く新しい世界を知って軌道に乗り、時には日数を減らす工夫が必要なぐらい熱中します。 2 かなりの人は、新しい世界に行けずに終わっているが?
Xデーが来るより先に、絶望感が大きくふくらんでしまいました。先行する希望を絶望が追いかけており、希望が逃げ切れば32日に達してパラレルスキーヤーに届き、絶望に追いつかれると32日未満で撤退です。絶望感がふくらまないよう、成果をあせらず時間を味方につけます。希望の灯が消えないうちに壁越えを果たせば、楽園に行けるわけです。 3 しかし、いくら練習しても上達せずじまいの悲話にも、切実なものがあるが?
知人にもいますが、本人がそう感じるだけで、日数を数えれば実は練習不足です。一冬に4日ぐらいで、わずか数年後に尊敬されるベテランになるわけはなく、もっと日数をかけないと初歩的なこともできません。例えば柔道に入門して20日で黒帯は取れないように、免許皆伝どころか一通りのことが20日で身につくスポーツさえ、ちょっと思い浮かびません。 4 パラレルの壁を越えずに終わった人は、何がいけなかったのか?
アドバイザーがつかなかった原因をさらに分析すると、困ったことですが偶然の選別が大きいと思います。「運」というやつが、日数の増減を決めているのです。ただ、壁越えの日を待てない最大の原因は、その日が何日目なのか、時間の目安を知らされない情報不足も大きいのです。旧式スキーでの一例として、パラレルの壁は32日で越えます。なのに、投げ出した人は20日目だったりします。そこでやめては何にもなりません。 5 20日でパラレルは無理なのか?
100パーセント無理です。スキーの歴史で、20日でパラレルの「壁を越えた」人は皆無と思います。特にカービングスキーがない時代の20日といえば、100人が100人とも曲がればハの字に開く段階で、思うように滑れない低迷に首をかしげて過ごす浪人の心境です。ある時私は知人から宣言を聞きました。「もうスキーをあきらめた。今まで20日続けたがうまくなれない。これ以上は自分には無理だ」と、今後スキーを捨てて一生やらないと言い出しました。 6 その人は、もう少し続ければ世界が一変すると、予想できなかったのか?
パラレルという語さえ知らない状態で、予想しようがありません。20日目の撤退の中途半端さ、無意味さは、「32日でパラレルに届く」という答を知ってしまえば笑い話でも、何も知らない渦中の人には深刻です。 7 その20日スキーヤーは習ったことがあるのか?
特にないと聞きました。多くの撤退組がそうであるように、彼もまた我流でがんばり、行き詰まった1人です。習わなかった理由は、器用な自分への過信もあったのでしょう。しかし習わない者にとってのパラレルの壁は、運動神経の良さや小器用な素質を打ち砕き、引退を迫るほど厳しかったことになります。 8 確かに他のスポーツでも、たった20日では技術理解に至らないものだが?
スキーに限って、「たった20日の短さ」とは感じず、「20日もの長さ」と感じ、途方もない時間を費やして、精魂尽き果てたかに嘆く、その理由は2つあると思います。やる前に簡単そうに見えたものの、そう簡単でなかった見込み違いがひとつ。もうひとつは、スキーは遠い旅先で行うからです。 9 スキー旅行は雪国の旅情もあって、楽しいものだが?
シーズンに一度ならよくても、何度も往復すれば、しんどくなってきます。飛行機、列車、自動車を使うアプローチの時間だけでなく、荷物が多くて重いとか、帰れば洗濯物がたくさん出るなどで、おっくうになります。ここで「目標はパラレルターン」だと知らない人は、負担をモロに受けて悲観し、パラレルにたどり着く以前にギブアップし、投げ出してしまうわけです。 10 32日という答えを聞いて、20日で投げ出した当人は、またスキーに戻ったのか?
32日のキーナンバーが壁だと私が突き止めたのは、残念ながらその人が96−97シーズンを最後に「スキー絶交」を宣言した後です。もし本人が最初から数字を知らされていれば、少なくとも32日間は続けたでしょう。しかし、やめた後で数字を知っても、今さら復帰して不足分の12日を滑り足そうとは思わないでしょう。 11 一般に、スキーをやめた人は、20日より早いのか遅いのか?
周囲を見回せば、もっと早くやめています。普通の初級レンタルスキーヤーは、7日前後であきらめの境地が顔をのぞかせました。実はその20日スキーヤーは、当初スキーに惚れ込んで私を誘うほど熱をあげ、撤退組の中でも一番長続きしました。私が自分の道具を持ったのが50日目なのに対し、10日未満でそろえた積極派でした。 12 北国でない都市部のスキーヤーは、32日までそんなに長く感じるものなのか?
パラレルまで32日という壁は、スキーへ行く日数が一ケタ少ない客にとっての苦難です。300日、500日と滑る雪国から見れば、32日は駆け出し期間の、そのまた入り口にすぎず、都会人が10日や20日で絶望に打ちひしがれる様子は、奇異かも知れません。それはともかく、都会人にとっての勝負は、32日滑走をいかに早く済ませ、サッサと壁を越えるかに絞り込まれるのです。 13 学校でスキーが必須科目なら、練習量も確保できそうだが?
雪国の小中学校では、冬の体育の授業は全部スキーです。1日の練習時間は短いものの、小学校だけで200時限という計算です。中学、高校では、遊びで友だちとスキーに行く時間も増えます。大学のスキー部では一シーズンに30〜60日です。 14 大勢で盛大にパーティーでもやって、その勢いに乗って回数を増やせないか?
お祭りスキーは回をかせぐには逆効果です。私たちはブーム後半の1992年に、団体スキー旅行でバスを借り切ったことがあります。女性たちが菓子や飲み物を山のように買い、ワイワイ楽しい1泊2日でした。企画した私は、なかなか行く機会のなかった女性たちから感謝され、雰囲気は上々でした。しかし盛り上がりの中、私はひとつの心配をしました。 15 楽しい行事の最中に、何が心配だったのか?
大げさすぎて、一過性に終わる心配です。1回のスキー旅行が思い出に残るぐらいに、目立ったスペシャルイベントである間は、特殊技能は身につきません。平凡行事に引きずり下ろさないと、パラレルまで年月がかかりすぎるのです。何となく行って帰る、翌週また行って帰る、次の週、さらに次の週と、日常的に繰り返すことで、「スキーしたことあります」から「スキーできます」に発展するのです。 16 かかりすぎる年月を、数字で説明すればどうなるのか?
32日でパラレルの壁を越えるとします。1泊2日のお祭りスキー旅行が年に1回きりならば、パラレルに16年かかる計算です。25歳で始めれば41歳、50歳で始めれば66歳、16年後にスキーがわかるのでは気が長すぎます。補助輪つきの自転車で走る期間だと思えば、非現実的で誰も続かないでしょう。実際には、行かない年もあって、パラレルまで20年以上かかるはずです。 17 20年間ハの字を続けるなんて、ちょっと想像もつかないが?
当然スキー人生は成り立たず、もっと早くやめます。つまり年に1回のみ1泊2日のペースでは、「スキーとは何ぞや」を知ることなく撤退が約束されるのです。実際、先の貸し切りバスの19人でも、学生時代にインストラクターのバイトで住み込み経験のあった1人だけが8年後の今も続け、パラレルに至らない17人はスキーをやめています。「とても楽しかった、来年も行きましょう」と盛り上がったのは、直後の打ち上げパーティの夜限りでした。 18 スキーを特別イベントから平凡行事に変えるには、どうすればいいのか?
一冬の日数をとにかく増やし、珍しさから卒業します。初回以降は集中的に通い、一気に駆け抜けます。間をおくと低迷や倦怠が起きて、考え込んで関心が薄まり、さらに間があきやすいのです。何年も行かないと体が忘れて腕も落ち、復帰しても時間ロスが出るので、行きたくない悪循環にはまります。いかに早く累積32日に届くかが勝負です。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a18.html 19 日数を増やすという、わかりきった問題 1 スキーへ行く日数を増やすには、どうすればいいのか?
「この冬は8日滑る」と、先に数字を決めます。6日でも4日でもいいから、数字の枠組みを自分に強制し、後は実行するだけです。 2 具体的にこの冬8日だとか、6日だとかは、何を基準に決めるのか?
32日という数字を、一冬に滑る平均日数で割り算すれば、何年後にパラレル達成の記念日が来るのか、大ざっぱに予測できます。「自分はスキーできます」と4年後に胸を張るなら、1冬に8日行く必要があるし、7年が目標なら5日程度行くというわけです。 3 日数にかまわず、ひたすらがんばるよう心がければ、とりあえず何とかならないか?
そうして皆さん、足が遠のくのです。例えば自動車学校の練習で、履修時間を考えず、ひたすらハンドルにぎってペダルを踏む無計画な自習にすれば、免許が取得できない生徒が増えるでしょう。クランクが何日目かを知らなければ、難しい局面で不安にかられ、第三段階の前に焦って悩むことでしょう。 4 自動車学校のようなカリキュラムがあれば、スキーヤーは安心できそうか?
それは確実です。「32日練習すれば、板を平行にしてカッコ良く滑れる」と、最初に全員が言い聞かされたとしましょう。すると20日目の人がまだハの字であっても、「オレはスキーに向かない体質だ」と嘆いて放り出すなど起きるわけがないし、40日でまだの人も「自分は回り道して遅れた」ぐらいに思うだけです。 5 自分の気持ちに忠実に従えば挫折して、数字に頼れば続くわけか?
結果はそうなっています。スポーツに必要な理論武装のひとつは、日数スケジュールです。人が何かを習得する時、習得後の大きな楽しみを担保とし、今の小さな楽しみに加算し、苦心を打ち消して行動します。そもそも初級段階では、習得後に得るものがどの程度か、分量に見当がつきません。ならば日数の数字を目安に行動すれば、挫折も防げるというものです。 6 スキーでは、自動車学校のようなシステムはないのか?
レジャースキーでは全く聞きません。それを具体的な数字で表せないかと考えた結果が、かつて私の作成した人類初のスキー習得日数ガイドとグラフです。ところで、自動車学校にいくぶん似ているのは大学のスキー部で、他に雪国では児童〜学生向けの練習キャンプがあります。普通の社会人なら、仲間をつくって中で教え合い、時々スクールでプロからヒントをもらうのが現実的です。 7 こんなに滑ったのに上達しないと悩む、それを自分で解決できないか?
1日行くたびに、日記をつけます。何年何月何日、どこへ行って、天気がどうで、雪質がどうで、自分が何をし、何ができたかを簡単に記録します。旅館で騒いだ話や割り勘の計算などは書かなくていいから、自分のスキー技術に起きた変化を記録に残すのです。「こんなに滑ったのにダメな自分」が錯覚だと知り、日数相応に進歩していることが理解できます。 8 なるほど毎回の日記をつければ、達成度が確実につかめるわけか?
科学の基本は数を数えることです。数えて記録すれば、20日は20日にすぎません。10日の2倍であり、40日の半分です。繰り返しますが、20日でベテランになれて、周囲から尊敬されるスポーツは存在しません。「いったい、いつになればまともに滑れるのか」と、20日をまるで永遠のようにため息をつき、人生の大半を費やし、果てしなき挑戦を終えたかのように、真っ白に燃え尽きて、後には灰だけで燃えかすも残らない、そんな事態は日記をつければ避けられます。 9 そうして日数を増やす効果はわかっても、出発する準備がまたおっくうだが?
初級者が明日行こうぜと突然誘われて、ヒマなのに渋ってしまう主因は、パラレルの壁の敬遠に違いありません。しかし、道具が家の中に隠れていることを思えば、考えてしまうでしょう。 10 いきなり行こうと言われても、急には動きようがないが?
それでもスキーは突然行くものです。ある年、旅行会社のバスツアーを予約しました。出発は30時間後の明日夜ですが、予約は提携社全体で私一人でした。ちょうど雪不足で、中止もありうると念を押されました。ところが出発時には、9割の乗車です。大半の人は、出発10時間以内の当日昼に予約して駆けつけたわけです。理由は出発20時間前に大雪情報が入ったからです。暖冬が続くと、突然の決行が当たり前になります。 11 いつ積雪があってもいい対策はあるのか?
冬の足音が聞こえれば、あちこちにしまい込んである道具を集め、持って行く物を大きなカゴに入れておきます。段ボール箱もよし。車の場合はカゴごとのせ、バスならカバンへと抜粋します。旅慣れた人が、旅行カバン一式を常時スタンバイにする方式です。用品を前もって一カ所に集めておけば、スキー場は身近になります。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a19.html 20 社会人はなぜスキーが上達しないのか
1 社会人のビギナーは、普通はパラレルにこだわっていないが?
だから普通は挫折するのかも知れません。普段の生活にない動作は、何となく身につきはしません。さっそうと滑るスキーヤーの多くは、雪国出身か大学スキー部出身ですが、合宿では寝ても覚めても「目指せパラレル」の合い言葉が飛び交います。スキー得意芸能人や皇室のスキーファンも、ある時期パラレルの壁に執着しているのです。 2 いつの時代も、学生は習得に熱心なようだが?
学生にとってスキーの旅費は非常に大きいので、モノにしようと熱心なのが出発点の違いです。ゲレンデから旅館に戻った夜、先輩は後輩から技術の質問攻めにあい、スキーのノウハウ話で持ちきりです。ゲレンデで起きたこと、感じたことを討論し、スキーの難題を全員で共有して理解が進みます。決まって聞く言葉は、「帰るまでに何かをつかみたい」で、皆が真剣。体育会系でない遊びグループでも、似たものです。 3 学生と比べて、社会人はどう違うのか?
社会人は昼のゲレンデを我流で流し、夜は仕事や社内の話題に流れ、ゲーム類に興じて過ごすなど、旅行がスキーにフォーカスしにくいのが特徴です。興味深いのは、社会人もパラレルレベルとなれば、他のスキー場の体験談などで話がはずむのに対し、ボーゲンレベルの社会人はスキー以外の世間話が好きという傾向です。スキー体験が少ないから当然かも知れませんが、アフター時間にスキーから離れたがるようです。 4 社会人でも、旅費の高さを気にする人は多いと思うが?
熱意の個人差は当然ありますが、社会人は総じて熱意がぬるい感じです。1日目が終わった夜に、コース状況や技術的な疑問点を調べるなど、2日目に備えることがあるのに、惰性的な日程消化で何となく旅行が終わります。学生が自分の技量に向き合おうとするのに対し、気持ちがスキーに向かっていない感じです。 5 学生の方が、上昇志向が強いのはなぜか?
人生経験が少なく、世界が狭いせいもあるでしょう。概して学生のうちは他人の高い技量に素直にあこがれ、自分もそうなりたいと夢中になる謙虚さがあります。社会人になると、本業との折り合い意識があるのか、スポーツの現場に今いるのに真剣にならないようにみえます。「へたで結構」と早く投げて、貴重な時間をさいて来ている割に、関心がスキーに集中しないのです。 6 学生は行く回数からして違うのでは?
平日でも行ける学生の方が、練習量を増やせるのは当然です。そもそもスキーが上手な人は、プロを除けば日曜や連休が休めて、仕事に忙殺されたり残業を家に持ち帰ることの少ない職業など、要するにヒマがある人に違いありません。しかし時間がある人でも、「気が向けば行く」が裏目に出て、休日を活用せずにフイにしています。行けるチャンスもあったのに、のがしています。 7 行きたい日に行く、この当たり前の行動の何がまずいのか?
「行きたくなくなる日」が、初級者の全員に必ず訪れるからです。もし気の向くままに行動すれば、自動的に行くのをやめてしまいます。テンションが途切れ、パラレルに届かず撤退。この難問を、頭脳で越える策が必要です。スキーは上達したから続いた、続いたから上達したという具合に、動機と腕前が好循環します。おそらく他のスポーツも同様でしょうが。早いうちに日数をかせぎ壁を早く越えないと、万年浪人になります。 8 気が進まないのに行く秘策があれば、それこそ教えて欲しいが?
簡単です。私は晩秋にカレンダーを見て行く日を決めておき、その日が来ればとにかく行きました。 9 気が乗らないのに行って、向こうで後悔しないか?
結果は逆です。終日ゲレンデで過ごせば、帰る夕方には、来て本当に良かったと思うものです。吹雪や雨に見舞われてさえ、しみじみ良かったと感じ、帰り道で得した気分になります。楽しいから行くのではなく、行くから楽しいのです。 10 カレンダーに従うような特訓めいたことを、いつまで続ければいいのか?
のべ32日、つまりパラレルの壁を越える日までです。その後は気持ちも価値観も、スキー優先に変わってしまい、行くなと言われても行くかも知れません。子どもが自転車に乗れるようになると一変し、寝ても覚めても自転車べったりになるようなものです。 11 最初のうちは、スキー旅行を何日もまとめて取ればいいのはなぜか?
旧式スキー時代に、ビギナーの初回は連続3日以上が理想だと知りました。その根拠ですが、大勢で行った初日の夜、予想外の難しさにショックで泣きそうな顔がいくつもあります。それが3日目の夜に、やっと笑顔に変わるのが常でした。経験のある初級者でも、3日目にスキーの手応えが戻ったとの声が一番多く、2日で帰っては不完全燃焼だとわかりました。今となってはカービングスキーなので、1日で昔の3日分の成果は出せると思いますが、入門初期の密度を高めることは大事です。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a20.html 21 楽しい仲間と楽しく続ける
1 仲間がいれば上達が早いと、よく言われるが?
誘い合えば出不精が解消するし、競争意識も生まれ、上達しやすいのは確かです。何といっても、自分だけ休むと差をつけられるので、サボりの抑止力になります。ふざけたような話ですが、けっこう利きます。 2 仲間に囲まれて、逆に何かデメリットはないのか?
仲間全員がパラレルの壁を越えていない場合、1人がやめてしまうと、引きずられて自分もやめてしまう心理連鎖のマイナス面があります。誰かが弱気になってスキーに背を向けると、道連れでバタバタと撤退して全滅しやすいのです。技術面のリーダーが1人いれば有利です。 3 社会人は仲間ができにくい点でも、不利になりそうだが?
スキーは試合しないスポーツなので、1人でも楽しめる代わりに、孤立しやすい面があります。結果的に社会人スキーヤーは、情報不足で空回りするケースが多いのも事実です。1人で活動するには、情報収集が重要です。 4 1人でゲレンデに行って帰って、いいことはあるのか?
1人だと、練習時間が増える利点があります。大勢で行くと、ひとつ行動を起こすにも時間がかかります。皆でリフトに乗っても、最後の1人がなかなか上がってこないで延々待たされたり、はぐれた一群が勝手に遠いゲレンデに足を伸ばしていたなど、特にまとまった練習時間が必要なパラレル前スキーヤーには、タイムロスが気になりました。 5 1人で行ける旅行会社のツアーもあるのか?
減りましたが、探せばあります。一時期、私はバスツアーの一人参加を続けたことがあります。他に一人参加者が何人もいたので、1日目を滑った夜は旅館で相部屋です。乗ったバスも異なり互いに名前も知らないまま、他スキー場のおもしろ話や本業のエピソードなど、いつも興味深い話題を出し合いました。次の夕食では人数もふくれて盛り上がり、かえって2人連れ客の方がしんみり静まっていたぐらいです。 6 1人で来る人は、どうして1人なのか?
多いのは仲間と日程が合わないケースです。男1人女2人で、男が私と相部屋のケースもありました。その3人が別の部屋の何人かと仲間だったりもします。いつの間にか大所帯に混じって、帰りの夕食は私の知る店に行くのが常でした。しかしスキー場のリニューアルに合わせ、古い和室型の旅館がツインルームのホテルに建て替えられ、一人参加の追加金が高額になるなど、宿泊事情も世知辛くなっているようです。 7 大学のスキークラブでは、部員は必ずパラレルに届くのか?
もちろん幽霊部員でなければ・・・。大ブーム時代に大学でスキー部が林立し、テニス部と並び人気がありました。新入生はまずパラレルの練習に明け暮れますが、一冬に40日前後も合宿するので、壁越えに必要な練習の「量と質」を1シーズンでクリアし、1年生のうちにパラレルに届き、2年生になれば教える側に回ります。 8 教え方はどんなふうか?
たいてい本格的です。技術教習を無料で行うコミュニティなので、先輩は後輩に徹底的に教え込み、合宿に参加する限り万年ボーゲンなどありません。軟派目当てで入った学生も、パラレルの壁は越えないとモテません。ワイワイ騒ぎながら基礎を習得する大学スキー部は、社会人にはうらやましい世界かも知れません。 9 競技スキー部は、ちょっと敬遠したいが?
部によって雰囲気も色々あります。私が毎年集める社会人スキー旅行に参加した競技出身の1人が、「スキーがこんなに楽しいなんて初めて知った」と言いました。子どもの時から始め、大学では競技スキー部に籍を置きシーズン最高60日も滑り、実業団レースにも出ているのですが、その後にレジャースキーに参加したこの感想は、スキースポーツの真実の一面でしょう。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a21.html 22 スキーはなぜ生涯スポーツか
1 スキーが代表的な生涯スポーツなのはなぜか?
歳をとっても楽しめるからです。中学や高校の部活動によくあるスポーツは、60歳、いや40歳でも続けていない場合がほとんどです。一人の生涯の中で、「見るスポーツ」ではない「するスポーツ」は、青春の思い出として過去形になりがちです。ところがスキーは年齢に関係なく続けやすく、現在進行形を保ちやすいのです。 2 高齢でも、引退せずに続くのはなぜか?
スキーの特徴として、@特殊技能である、A技法が多様、B体力勝負でない、C単独行動が可能、などが目立ちます。@Aは若者より中年に分がある一面であり、BCは高齢者を閉め出さない有利な条件です。 3 恐がってやめる若者も多い激しいスポーツなのに、高齢でもできるのが不思議だが?
他人と戦わないからです。もし勝ち負けを競うゲームスポーツだと、強敵相手にオーバーワークとなり、限界を感じるでしょう。かといって弱い相手を選んだら、スポーツマンシップに触れます。互角あるいは手加減する相手がいないと不都合です。その点スキーは自己完結するので、対人的な限界が存在しません。自分のペースでできるので、登山や山歩きに近いかも知れません。 4 生涯スポーツという割には、テニスやゴルフに比べて若い人が多いが?
スキーウェアのデザインのせいもあります。近づいて話せば年輩者も多く、単に雰囲気が若い世界だといえます。どうしても気持ちが若返るのは、ボールでなく自分が飛ぶからでしょう。当然、体の動きは強く、速いものになります。それでも限界が来にくいのは、年齢による体力低下や緩慢動作を、斜面の選択でやわらげ、年季で得た省力化で解決するからです。アイスバーン急斜面のラインコブを、孫を連れてポンポンと旧式スキーで降りる高齢者を見ましたが、さすがに雪国育ちでしょうが。 5 若い時に始めた人が歳をとると、スキーの腕はどう変化するのか?
体力を技術力に置き換えていきます。例えば私はスキーに入門したボーゲン時代に、垂直跳びは80センチでした。ところが中年になって試すと、何回勢いよく跳び上がっても35センチ前後で、なのにスキーでは素早いジャンプ小回りも楽勝で、青年時に比べて圧勝でした。いずれは、ゆるい斜面をのんびり滑る方に関心が移るのでしょう。91年に大山でいっしょになった70代の人は、中ノ原の3連ゲレンデのうち、旅館街に近い一番下ばかりを3日間滑っていました。 6 上限は、何歳まで滑れるのか?
冒険スキーの三浦雄一郎氏の父である敬三氏は、97才の現役プロスキーヤーです。メーカー・アドバイザーと山岳写真家だと聞きました。やはり一定の健康管理は欠かさないようです。先達いわく、動くから動ける、つまり余暇の余技ではなく、スキーを前提にした人生設計だそうです。 7 その昔、スキーは30才までに覚えろと言われたが、今もそうか?
人間30才で思想が固まり、心の柔軟性も固まる説がありますが、スキーでも年長者は習うのが苦手です。転ぶスポーツなので、体の柔軟性をいう説もあります。しかし最大のネックは見栄です。経験ある年長者を団体ツアーに誘うと、「自分はヘタだしなあ」と遠慮します。技量が外観にビジュアルに出るので、姿を見られたくないようです。退職するまでの問題でしょうが。 8 高齢で始めた場合、継続しにくくないのか?
進歩がゆっくりでも許せる人は続きます。93年に大山で同室になった人は、夕方暗くなっても旅館に帰らず、リフト終了の17時半まで滑っていました。定年退職した60歳と聞きましたが、1カ月前に始めたばかりで、いくら転んでも平気。ああも童心に返れるのは、やはり好奇心だと思いました。ただ取っ付きで成功しても、パラレルの壁は必ず来るので、その後カービングスキーを入手し軌道に乗れたかは気になります。 9 カービングスキーは、高齢者にとっても簡単なのか?
簡単で転倒も少なくなります。省力スキーなので、生涯スキーが身近になりました。旧式スキー時代にも「スキーに年齢なし」と一応は言われましたが、ブレーキに強い筋力を要し、すっぽ抜けて転倒しやすく、体力があり余る若者さえビビって退散する始末でした。雪国限定に近かった生涯スポーツが、カービングスキーで都会人にも平易になり、板は今後もさらに改良されていくでしょう。 10 カービングスキーに変われば、生涯スキーの何が一番変わるのか?
到達点が上がります。スキー技術はいくらでも上があるので、簡単になった分だけ、皆が上を目指します。おもしろいことに、カービングスキーだと、ゲレンデが広く感じられます。旧式スキーはゲレンデ端の雪深い部分が苦手なので、皆が中央付近に集まっていました。ところがカービングスキーなら荒い雪でも滑って遊べるので、コース細部にも目がいくようになり、スキー場の実質面積が広がった形です。 11 長くスキーを続けた人が、一番楽しかったのはいつ頃なのか?
誰もが、今が一番と言うでしょう。しかし、初級時代を振り返ると夢のようです。不安と期待が交じる中、手探り冒険の成果は、ベテランの境地よりかえって大きかった気がします。子どもが自転車に乗れた日、世界がパッと広がって、明日は町内をあちこち回ろう、来週は友達といっしょに隣町に足を伸ばそうとワクワクする、あの初恋的な心境はパラレル直後だけです。壁にはばまれていた低迷期は、壁を越えて美化されるのかも知れません。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a22.html 23 子どものスキーが教える大人の敗因
1 子どもはスキーがうまくなるのが早いと言われるが、本当なのか?
多くの子どもたちを観察していると、むしろ遅く見えます。子どもは日単位のステップアップが大人より小さく、なかなか変化が見えません。うまい子ども一人に注目すると、必ず時間をかけて練習してきているし、指導者が念入りに教習した点にも注意がいります。放任主義であっという間にうまくなるケースは、実際にはありません。 2 しかし子どもの頃から始めた人は、明らかにうまさが違うが?
当初の上達はノロノロでも、その後の習得の深さは段違いです。ネイティブ言語のように、体の芯に刷り込まれる感じで、途中で大人を逆転します。高校でちょっと覚えのある程度の人でも、大学に入って比べれば日数の割りに流ちょうに感じます。ただ多くのケースでは、始めるのが早ければ練習日数と時間数も多いので、今現在うまい原因として練習の絶対量も関係あるはずで、条件をそろえないと比較の意味がありません。 3 子どもはパラレルの壁を、大人より少ない日数で越えるのか?
逆に日数が多くかかっています。なかなか上達しない低迷期が、大人よりかなり長いのです。児童は全身の筋力バランスが完成しておらず、中腰などで脚部にタメをつくれません。極端な後傾姿勢で足をいっぱいに伸ばして踏ん張るのに精一杯で、32日滑ってもパラレルは無理です。入門しばらくは、大人の方が上達テンポは早いといえます。 4 子どもの方が着実にうまくなるように感じるのは、なぜなのか?
子どもが大人よりも上手になるのに有利なメカニズムがあるのは確かで、それはジュニア・スクールなどに入ると、スキー場に行くことがノルマとなるからです。勝手にキャンセルできません。途中でつまらなくなっても、自分から脱退もできず、従属的にスキー教習を続けます。わがままを言って上達の道から外れる方が、むしろ難しいという弱い立場が幸いします。 5 大人は立場が強い分、上達の道から外れやすいわけか?
大人はいつでも、自分の意志でやめられます。自由に、気ままに、イヤになれば即刻放棄すればいい。他にやることがいくらもあって、スキーに何の義理もありません。去るのは本人の勝手。止める者はいません。その結果、大人はパラレルの壁で低迷期に入ると、ボルテージ低下にまかせて渋り始め、素直に日数を減らします。壁を避ける道を探す行動力があるだけに、早々と引退したり別のスポーツに転向するケースが多くなります。 6 自由な立場だから、続かず撤退するとは、あまり聞かない話だが?
実はあちこちに見られる現象です。例えば、ピアノやバイオリンなどの楽器がその典型です。スキーに限らずあらゆる特殊技能は、感情に忠実に行動すれば、ベーシックな土台づくりの途中で投げ出して、身につきません。子どもが続きやすいともいえるし、大人が脱落しやすいともいえます。 7 子どもは大人ほど苦労せず、難なく上達しているようにも見えるが?
子どもに接して話を聞けば、やはり苦労しています。様々な低迷で苦心する点は大人と変わらないし、うまくいかない時の困惑も大人と同スケールです。子どもにないのは、それを言葉巧みに伝える表現と発言力だけです。少しずつ積み上げる順路は何歳でも同じで、覚えられずにやめていく子も案外います。ただし親が見込みなしと判断しないと、やめさせてもらえないので、結果的にかなりの割合の子どもが日数をかせいでパラレルスキーヤーになり、後のゲレンデのヒーロー、ヒロインに育つのです。 8 当の子どもにしてみれば、スキーは楽しいのだろうか?
子どものテンションは、しぐさに現れます。何人かの子どもがスキーで成長する過程を見ていますが、パラレルやクローチング・カービングターンを覚えると急に笑顔が増えて熱中します。リフトを降りて滑り始めるまでのテンポが上がり、親が止めないと夕方遅くまで残って続けたりします。逆に低迷中の子どもは、リフト回数が減って、道草を食ったり、落ちているゴミに気が回るなど、スキーへ集中しなくなります。 9 中には、やめたいと思っている子どももいるのではないか?
子どもも大人と同じで、全員が一度はそうなります。しかし立場が弱いからやめられず、渋々続けるうちに時間が味方してパラレルの壁を越えるのです。壁を越えれば、やめたくなった理由が消えるので、がぜん熱中します。時々ゲレンデで3、4歳の幼児が滑っていますが、ある女性がオフィスで私に、「そういうのって、スキーをやらされて、かわいそう」と言いました。パラレルの壁でやめた当人の視点ですが、壁の悩みを聞いてあげて脱退を許した親は、特技をのがした子に後で悔やまれたりするから難しいのです。これもピアノなんかと同じ。 10 大人なら、パラレルの壁を越える強制力として何があるのか?
大学スキー部、職場クラブ、スキー友達など、昔から言われる「仲間がいること」が、スキーを続けて楽しい域に届くための、ノルマや後押しなど、いい意味での拘束になっていると思います。仲間がいないなら、家庭が最後の砦でしょう。 11 どういう家庭なら、楽しいスキー一家になるのか?
両親と子どもが全員で滑る家庭は、幸せの理想です。家族全員に共通の生涯スポーツは、一般家庭にない強い基盤になるでしょう。非行が起きにくい副産物もあります。ただ夫にスキー歴があって、妻の体験は修学旅行だけという都会家族では、再チャレンジした妻が今さら突き当たるパラレルの壁でやっぱり断念してしまい、夫と子どもだけが続ける「内助の功」も多かったようです。寒さや日焼けなど他の理由をしのいで、パラレルの壁はここにもついて回るのです。 12 練習時間が減って置いて行かれた妻は、どうすればいいのか?
パラレルの壁で低調が続き、家事もあることだしやめようかと迷いますが、そこだけは無理して続けた方が未来は明るいかも知れません。アウトドアスポーツには男中心のイメージがあり、おかあさんだけ外れては亭主も子どもも話題が共有できず、つまらないでしょう。それでなくても、一家の遊ぶ者と遊ばない者の間で、最初はあった互いの尊重が壊れ、いつしか冷戦になる話をよく聞きます。ママさんスキーヤーの継続を前提とし、協力し合う家族が安泰だと感じます。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a23.html 24 スキーの魅力の正体は何か
1 スキーは、「誰もが楽しめるスポーツ」と言われてきたが?
そのワンフレーズだけだと、誤解をまねきそうです。スキー滑走は楽器の演奏に似ており、れっきとした特殊技能です。正確に言い直すなら、「誰でもできるようになれ、できれば誰もが楽しい」という二段階です。楽器のように一握りの才人に限らず、スポーツが得意でない人でもおもしろい体験ができ、他人の目も楽しませるというものです。境目にあるパラレルの壁も、才能や素質ではなく、日数で越えます。 2 「それぞれのレベルに応じた楽しさがある」とも言われるが?
レベルが高くなるほど、楽しくなります。雪の上でどれだけ自在に動き回れるか、その自由度が増えるほど楽しさが拡大します。例えば斜面に右向きに立つ状態で、その場で素早く左向きに変えられるかなど、ちょっとした行動の自由度が増えただけでも、スキーの楽しさは拡大していきます。 3 スキーの魅力は、やはりスピードなのか?
スピードは最初に出会う魅力ですが、実は脇役です。単にスピードが目当てなら、まっすぐ進めばいいのに、直滑降ばかりやる人はめったに見ません。スキーを全くしない人は「山を滑るだけで何がおもしろいのか」と疑問を持ちますが、全くその通りで、下に滑るだけではおもしろくありません。右へ左へと曲がって滑る、つまりスキーの魅力の主役はターンです。 4 ターンのどこが、そんなにいいのか?
ターンの不思議な快感を分析するなら、長いスキー板が遠心力でたわみ、弾力が体に及ぼす浮遊感があげられます。ギュイーンとなめらかに谷回りする加速時に鮮明です。谷回りの時間が長くなるカービングスキーでは、これが旧式スキーより大幅に強調されます。大きく、小さく、ゆっくり、素早くと、あっちこっちへ曲がりながら降りて行く、それをいかに自由自在にできるかがスキーの味わいになります。日常の中に、これと似た味はありません。 5 谷回りということはパラレルターンであり、ならばボーゲンスキーヤーに快感はないのか?
ほとんどありません。ボーゲンスキーヤーが、パラレルができた日に特別な浮遊感に目覚め、別世界の扉を開いた心境でスキーに惚れ込むのは、差があまりに大きいからです。プルークボーゲンは、板をスリップさせたブレーキ操作なので、キューンと走り抜ける爽快感がありません。板を押してビヨーンとたわませた浮遊感もなく、遠心力もあまり感じません。補助輪つきの自転車では、S字カーブをスイスイ走り抜ける爽快感がないようなものです。 6 それが、パラレルスキーヤーとボーゲンスキーヤーの意欲の差なのか?
もちろんターン以外にも差はあります。パラレルスキーヤーは「雪の上で自由」、ボーゲンスキーヤーは「不自由」です。どこへ移動する時も、自由と不自由の差は見かけ以上です。例えば、ゲレンデの一番端に来て180度向きを変える時、パラレルスキーヤーは一瞬でくるりと回し込みます。この小粋な瞬間芸が、パラレルスキーヤーへのあこがれを増幅します。 7 ボーゲンスキーヤーがスキー場行きをためらう理由は、そのあたりか?
やはり雪上の不安があります。パラレルでスイスイ滑れる人に比べると、足元に常に不安定感がつきまとい、それが転びそうな危うい予感、びくびくし続ける恐怖感になり、慢性的な不快感として垂れ込めています。誘われると、「行きたいなー」と「ヤダナー」がぶつかり、心がはずまないのです。 8 上達するにつれて、より強く行きたくなるのはなぜか?
悪条件下でも、爽快感が得られるからです。例えば中国地方ではゲレンデのコンディション、つまり雪の量と質が文句なしに優良なのは、土日にして一冬に6日、しかも1日のうち2時間限りというように少ないものです。しかしスキーヤーが上達するにつれ、雪の量と質が悪くて初級者が手こずるひどいコンディションでも難なく滑れて、吹雪でも雨でも、いつ行っても安定して楽しめる保証がつくのです。 9 スキー中毒は、いつ頃起きるのか?
80日を超える頃になれば、雪の上でかなり自在に動けるようになり、めったなことでは転ばなくなります。恐怖もかなり薄れ、スリルと安心のバランスが取れます。しかしできないワザもまだまだ多いレベル。この時期になると、暇をつくり出してでも行こうという気になります。 10 やがてスキーに飽きて、生涯スポーツから外れる人もいたが?
スキーに飽きたと言う人は、実は上級者ではなく初級者です。たいていはボーゲンから先へ進む段階で、我流に行き詰まったマンネリ状態です。飽きたというのは言い方であって、目標が見えない低迷が続いて、関心がゆっくりと落ちた状態です。 11 飽きたと言う人に必要なのは何か?
飽きたケースは技量上昇曲線が人一倍ゆるく、滑走日数が少なすぎて成果がなく、万年浪人の状態です。習って再出発して密度を上げ、正道に乗せてパラレルの壁を越えるしか解決はありません。どうやって密度を上げるのか、ここでもカービングスキーで収穫が激増するはずです。すでに少し滑れる人がカービングスキーに替えると、1時間以内にもう成果が出るでしょう。 12 パラレルの壁を越えると、上達が加速度的に伸びるのはなぜか?
行く日数が増える以外にも、1日に滑る距離とターンの回数が一気に増えるからです。また雪質変化、斜度パターンなど、体験内容も拡大し、知らないうちに訓練が広範になっています。ゲレンデで同じ時間を過ごしても、行動の量も質も増えます。上達すればするほど、立ち止まって考え込んだり転倒しているロスタイムが減るので、上達が上達を加速します。 13 その反対の理由で、ビギナーは上達が遅いのか?
初級者はそうですが、実は全くのビギナーだけは別で、進歩は急激です。確かにビギナーの初日は、リフト回数が終日1、2回に終わり、ターン数もわずかに終わります。このスキー場はゆるいからと、ビギナーに1日券を買わせても、必ず元が取れず無駄になります。ところが3日もすれば、1日券で得する程度に滑れます。滑走距離の短さを考えれば、実はビギナーは少ない練習量で、驚くほどメキメキ腕が上がっているともいえます。 14 カービングスキーが簡単なら、パラレルの壁越えの感激は小さくならないか?
たぶん昔より小さくなります。さっぱり曲がらない旧式スキーに比べ、早い段階から曲がれて、ボテボテ転倒しにくいカービングスキーでは、達成感が早くから得られ壁がかなり低くなります。そして小回りの壁や、不整地の壁、新雪の壁なども早め早めに現れます。日が浅い割にさりげなくうまい人が増えるなど、カービングスキーによるハイレベル化とハイテンポ化が確実に起きるでしょう。 http://www1.bbiq.jp/egapemoh01-21/ski100-2000/q-a/q-a24.html
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