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一頃、宮沢賢治ブームがあった。1996年、宮沢賢治生誕100年をめぐりブームはしばらく続いた。
その1年前、地下鉄サリン事件が起きていた。
私は宮沢賢治とオウム真理教はその思想がよく似ていると思う。推測でしかないがオウム信者には宮沢賢治ファンが多いのではないか。
雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク 決シテ怒ラズ イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ ...。
よく知られた詩だ。これを読むと、オウム真理教の出家信者の考え方との類似性があるように思わずにはいられない。オウム真理教の最盛期、信者は国内だけで1万人以上いた。その多くは社会経験の少ない若者たちである。社会の中での居場所を求めていた一群の若者たちにとって、オウム真理教は理想的な居場所に思えたのだろう。
宮沢賢治は自分を省みず、他人のために尽くすことの重要性を説いた。自分を無にして他人のために尽くすのだ。一見仏教によく似ており、宮沢賢治自身、法華経の極めて熱心な信者だった。彼の思想・作品は彼が信仰していた法華経が原点にある。
法華経の信仰が原点にあるとはいえ、宮沢賢治の場合は、その信仰を非人間的な次元にまで遷移させ、究極の理想主義の果てまで超えてしまった。そこは仏教とは無縁の無機的な世界である。オウム真理教が唱えた解脱を求めての実践と、究極の理想の果てまで超えてしまった宮沢賢治の思考と活動は、相通ずるものがある。
時代の社会・経済的条件がオウム真理教の隆盛と宮沢賢治ブームをもたらした。
私は、オウム真理教に入信した若者たちには不憫さと共感を覚える。しかし、宮沢賢治に共感することはない。宮沢賢治が「国民的作家」とまで祭り上げられることに、時代の現実を見ようとせず、現実から遊離した空虚な世界に閉じこもろうとする無視できな数の人々の危険な空気を感じる。
宮沢賢治から全体主義まであと一歩だ。