★阿修羅♪ > 雑談専用32 > 223.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Re: 「銀河鉄道の夜」は現世とあの世の往還の物語 宗教がテーマの傑作 投稿者 彼岸楼 日時 2008 年 6 月 25 日 20:50:15)
そうすることが知的営為行為であると信じているのですか?
では身分の違いで結婚に反対するような親や、身形や国籍、肌の色で人を差別するのと同じです。
人そのものをその背景や外形と結び付けようとするのは、人を色眼鏡で見ることです。
レッテルを貼ることです。
それとは違うと言ってもシンプルにいえば同じです。
先の複数レスでくどく言った言葉がスルーされていますが、何故にそれには反論せず、宗教とのカテゴライズに拘るのでしょう。
表現された思想はその表現された範囲でまずは受け止めるべきです。
そして、言質した言葉を裏付けるのは背景ではなく、行為です。
物語の中で「あらゆる人の一番の幸せを探そう」という言葉はジョバンニが生み出した文言ではありません。
その背景など無関係にその言葉そのものを気に入ってポケットに突っ込んだだけ。
言質したとも云える。だから切符で表されました。
つまり行為が言葉を裏切る時、其れは=切符の紛失となる事の暗喩です。
言葉として賢治は表明したのです。
極論すれば言葉は嘘でも構わない、本心が邪まなものであろうとも。差別はしない。
其れはいずれ行為によって明らかにされるのです。
その言葉を受け入れたなら、背景の詮索は無用。
切符を見せたら、それが誰であろうと、乗車させる(受け止める)義務があります。
それがルールです。
ロマンのようなものですが、一期一会で初めて出会う者にも平気で己の命を預けてしまえる男を目差しています。その代り、言質する言葉は厳しいのです。
切符を見せたのに、次には背景を調べると言う。ルール違反です。