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(回答先: 齟齬? 投稿者 日 日時 2008 年 6 月 25 日 00:19:25)
そこを書かなくては手落ちである。常にそのポイントを書き忘れて、レスしていました。
貧乏な主人公のジョバンニは放課後は印刷工場で働き、文字を組んでいると「あらゆる人の一番の幸せを探そう」という文句に心引かれ、その紙切れをポケットにしまいこんだ。
その後、丘の上で意識を失い銀河鉄道に乗り込む。
この汽車は宇宙の果てまで行くのだが、途中には幾つもの停車駅があり、その都度そこから降りたり乗ったりする人々が居た。
例えばキリスト教徒が下車する駅、とかが決まっていたり、鳥追いが行ったり来たり往復していた。
ある時車掌が乗客の検札に来て、ジョバンニはポケットを探しても切符は持っていなかったが、その紙切れを見た車掌は「おお、これは何処までも行ける特別切符です。決して無くさないでください。」というようなことを言った件だ。
この言葉を言質する以上、至上の切符としても通用する。
宮沢賢治はそう表そうとしたのです。
それがどの様な思想をベースにしたものであろうが、それを問う事とその思念自体とを切り離して受け止めなければならぬルールを表現したものです。
彼が一番言いたかった事こそ、まさにここです。
余談ですが、彼岸桜さん(如往さんの時)に以前お話した、日の幼少期に繰り返し見た二つの夢の内のもうひとつが「銀河鉄道」に酷似した内容の夢なのです。
3歳頃のもうひとつ夢。
夢の中で床に着いている。夢の中で目が覚める。現実の家と同じ、物干し台から一人夜空を見上げる。満月だったが、やがて乗り物に変化した。その乗り物の窓から、様々な老若男女がこちらを見て、ある者は微笑み、ある者は手招きしていた。
乗せてと懸命に願うが降りて来てはくれない。意地悪でそうしているとは思えない人々なので不思議だった。その時ハッと気が付く。乗せてという依存で、乗ろうとする決意では無いという事を。勿論、3歳児。言葉でそう思念したのではない。理屈抜きにそう感じ取った。
その瞬間に日はその船に乗り込んでいた。皆から祝福され、船は月へと向かう。月に着くと、いつの間にか人々は船外で、月の表面に立っている。連れ立って散策を始めた。私は何処から皆が出たのか、出入り口は何処かと周囲を見回すのだが、はめ殺しの窓はあっても出入り口は無かった。また、ハッとした。出ようとする意思。その瞬間に出た。
やがて月の丘の上の神殿らしき廃墟から地球らしき星が見え、目を凝らすと我が家も、母の姿も何故か見えた。郷愁で涙しながらも、又船に。
次に辿り着いたのは巨大な渦巻き模様の星の近く。次に輪を持つ星。ここから先の記憶が無い。多分帰されたのでしょう。
この時の印象で小学生の頃頻繁に書いた星ぼしの絵。
日が高校生の頃、その謎は解けました。ボイジャーから史上初の木星のカラー映像が届けられた時です。