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(回答先: 宮沢賢治と国柱会の深い結びつき 投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 6 月 21 日 12:41:11)
ダイナモさん、こんにちは、横レスにて失礼します。
日さんには割り込みをお詫びいたします。
ところで、今回のスレは、雑談板31における影の闇氏との遣り取りの中で、『新日本の進路』(石原莞爾)に言及したことに起因する私宛レスの意味合いも含まれているのではないかと想っています。
法華経の何が宮澤賢治の琴線に触れることになったのか、今のところ私は特定できずにいますので、宮澤賢治の思想の根幹部分について解き明かすことには困難さを覚えます。また、後期のユートピア思想が王道楽土に繋がると本当に宮澤賢治が信じていたかについて論ずることも難しいと思っています。この場で法華経の教義について云々することは控えますが、個人的には政治的な衣を纏った日蓮を淵源とする妙法蓮華経信仰の系譜の中でも、とくに田中智学の教学や創価学会の教説は信じるに足る代物ではないと考えています。
さて、私が『新日本の進路』(石原莞爾)をメルクマールとして一定の評価をしているとした第一の理由は、石原莞爾が想定している「統制主義」を「連合主義」の一形態と捉えたことによります。本文の末尾の方で述べられているように、石原の「統制主義」の概念は「全体主義」とは遠いところにある模様です。けれども、「国家主義」との親和性は否定できないと思っています。また、前段に近いところで日蓮の信者であることを告白しているのですが、後段の「統制主義」との関連には全くと謂ってよいほど触れてはいません。おそらく、天皇(制)との関係性についての言及を意識的に回避したためだと推測されます。さらに、「統制主義」の要である「権威」が何なのかも不明です。
第二の理由は、「組合国家」の発想であり、その延長線上ではやはり「連合主義」に帰着するのではないかと想像したことによりますが、生活共同体と労働者協業体との一致を図ろうとする意図は十分理解ができると思います。しかしながら、日蓮宗や日本教(天皇教)が 「統制主義」乃至は「連合主義」の指導理念になることなどは論外ですが、私は「協同主義」(⇒「連合主義」)にも何らかの普遍性を伴なった理念(拠って立つ処)が必要であると思っています。これに関しては阿修羅では日氏と何度か遣り取りをしていますが、合意形成どころか全く目途が立っていないのが実情です。(日氏の叱責が耳に痛く響いて来ます。)
それはさておき、私は、チェ・ゲバラの言葉に表出している、ある種の心意気のような、革命的ロマンチシズムが好みなのですが...。
もし我々が空想家のようだと言われるならば
救い難い理想主義者だと言われるならば
できもしないことを考えていると言われるならば
何千回でも答えよう、「その通りだ」と。
−チェ・ゲバラの言葉より−
最近、少し煮詰まり気味の当方ですが、ダイナモさんもそうなのかも知れないとつい想像してしまいます。お互いに泰然とした境地を堅持したいものですね。
Auf Wiedersehen.