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何となく、ネットを徘徊していたら「面白い記事を見つけた」
切り込み隊長ブログ:ある元微妙ニートの雇用
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2008/02/post_3e8f.html
まるで、笑い話のようであるが、多分、ネタではなく、本当の経験だろう。
で、おそらく、これでも、誇張はされてはおらず、押さえた表現になっていると言う気がする。
Kは、こういった「人間のクズ」のような存在を作り出したのは「誤った人権主義」と考える。
「人間のクズ」という表現が「言い過ぎ」という感情を持たれる人はいるだろう。
Kの推理では、このニート君「手遅れの追い込み型」の上に「逃避思考」なのだろう。
と言っても、分からないだろうから、少し解説しよう。
人間は「先攻型(用事は先に済ませて、その後ゆっくりする)」という人と、「追い込み型(締め切り間際にならないとエンジンが掛からない)」という人に大別される。
まあ、先に遊ぶか、後に遊ぶかの違いであるが「追い込み型の人が自分の力量と、仕事量を計り間違えると、締め切りに間に合わない」と言う事になる。
で、その時に「人権擁護によって、大して注意されない」と「締め切りを守ろうとしない非常識人が育つ」と言う事である。
で、これが「手遅れの追い込み型」で、本気で怒られたら「逃避すればいい」と考えているようなので、「逃避思考」であるが、これは「ゲームをリセットする感覚」である。
困難には立ち向かおうとせず、現実逃避的な思考を常に持っている。
無菌室で「過保護に育てられた」結果としての人格形成上に「この人」がいるのだろう。
Kは「労働人権元年」を目指しているが「労働しないやつは労働者とは認めない」
このような「クズ」は切り捨てないと「すぐに、資本家層に付け込まれてしまう。」
公務員虐めの嵐の中、Kは「ほとんどの公務員は真面目に仕事をしている」と主張した。
事実「自殺率は公務員が高い」のである。
しかし、一部に「不心得者がいたために、国民全体にイメージとして刷り込まれた憑き物を落とすことは出来なかった。」
その経験は今後に生かす必要がある。
全てではないだろうが、基本的に「ニート」は「労働者ではなく、遊び人」なのである。
そういった意味も含めて「Kはベーシックインカムにも慎重である。」
「働かない労働者は、労働者の仲間に加えてやる必要はない」
このブログの例の人は「すでに廃人」に近い
人権主義を唱える中で「このような廃人を作り出した人が責任を取るべき」である。
きっと、このニートの親は「このニートが学生時代、先生に叩かれでもしたら、ここぞとばかり苦言を呈したに違いない。」、これは、根拠のない推理だが
Kが叩かれずに育ったら「きっととんでもないクズになったろう」から、そう思う。
あるいは、このニートの親は「苦言を呈さなかったかもしれない。」
それまでもなく、社会環境の中で「スパルタ教師は牙を抜かれてしまった」という可能性はある。
でも、このニートの親は「子供を怒って育てることはなかった」のではないか?
いずれにしても「このニート君、この先生き抜くのは、非常に難しい」
ある意味では「自己責任」を問うだけの「成長すらさせてもらえなかった被害者」である。
その責は「誤った人権主義を唱える奴らにある」のだろうと思う。