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(回答先: Kさんに問いたい 誰がしつけるのですか? あなたにはしつけられたくはないです。 投稿者 memento mori 日時 2008 年 3 月 23 日 00:14:11)
memento moriさん、こんにちは、初めまして。
個人的に思うところがあって、私は考察者k氏にはレスしないと決めております。それでも、今回のmemento moriさんの投稿には少なからず触発されるものがあり、唐突ではありますが、横レスをしたような次第です。
>しりを叩かれて、がきのヒステリー状態が強制的に停止させられて、その後の説教を聞くことができる状態になったのだと思う。ちょうど、心室細動に対する電気ショックのようなものだろうと。説教が、子供心にも理があると感じられ、叱っている人間の心情に共感できれば、恐怖心なくとも行動はあらたまる。もちろん一度叱られてその後に二度と同じことでしかられない人間、など、ごくごくできのよい人間で、たいていの場合、何度も何度も同じことで叱られ叱られして育っていくものだ。
>躾とは、この大変な手間を、まず第一に親が惜しまずに子供に注ぎ込むこと。ついで教師でしょうか。
おそらく、数々の意味不明な物言いは単に考察者k氏が子供を育てた経験のないことに起因しているのではないかと想っています。しかしそれはさておき、私は少なくとも子供の体力や精神力の状態が正確に把握できない以上は、殴打や強迫的な言語的圧力を子供に加えることには断固反対です。memento moriさんが強調されてもいますように、 “躾”とは、基本的に親が担い、子供の反復練習に粘り強くつき合うことによって身についていくものだと考えています。
>>K>ひっぱたかなければ、分からないやつは「ひっぱたくしかない」と言う事を「理解される」べきでしょう。
>>K>「憎しみのある暴力」と「愛情のある愛のムチ」は「叩かれた者」が判断できるでしょう。
>ひっぱたくことが必要なことはもちろんあります。ひっぱたいた後の、理を説く、情に触れる、ことのほうが大変なんです。どんどんやってごらんになればよろしいでしょう。
私の最初の子供は男子でしたが、満三歳になった時のことを今でも鮮明に憶えています。トイレを教えることはその時期にしなければならない“躾”であると想い込んでいた気の早い他の親達と同じように、男の子だから余計に早くできるようにと厳しい態度で臨みました。或る時、教えなかった息子を想いの外きつく叱ったのですが、たった今履き替えたばかりのパンツから滝のようにオシッコが流れ出ました。恐怖に慄き震えながら小便を漏らしている我が子の相貌が眼に焼きついたまま離れることがありません。親から殴られたり、叱られたりしたことのなかった自分が何故そんなことをしたのか、自身の愚かさと人間性に潜む言い表すことができない無情さや暴力性に驚愕するばかりでしたし、今こうしてキーボードに向かいながらも、そのときと同じように涙を堪えることができずにいます。
Auf Wiedersehen.