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(回答先: memento moriさんの見解を支持したいと思います。 投稿者 彼岸楼 日時 2008 年 3 月 23 日 04:20:54)
私にとっては(も)、
叩くことは(たとえ有効であっても)絶対に認めない、という立場は譲ってはならないものと思います。それでも叩いてしまうことがあるから。
私事で恐縮ですが、私の妻は「子供や家族には絶対に手を上げてはならない。」という立場でした。しかし、口が立つのですよ。それで私自身、恥ずかしながら、かつて(子ではなく)妻に手を上げることがあって、妻から「こんな人は子供の養育には関与させられない」とまで思われていた節があります。彼女は私が手を上げたことについて「絶対に許せないこと」として「残ってるからね!」といまだに折に触れ言い続けております。確かに「そのとき、コミュニケーションのために叩くことが必要だったから叩いた」なんてことでは、多分、ありません、有効でもなかった。私は私で、いまだに、彼女に対して「どうしてわからんの?!」というところはあります。
それでもやっぱり、しっかり、DVでしたね。はい。
そんな親たちに、子供たちは早々に家を離れて下宿生活、寮生活しております。休みには帰ってきますから、嫌われているわけではないのでしょう。かれらには、俺たちの真似をしろ、などとはいえません、親の生き様を見て、さっさと見限って、自分たちが幸福になるためにはどこをどう変えたらよいかは自分で考えろ、としか 言えないないわけで。
脱線してしまいましたが、「子供を殴ってはいけない」は守るためにある(守り負ければ価値を失う)のじゃなくて、徹底的に守ろうとする努力の中に子供の幸福を追求する道がある、そういうものだと思います。
貴重な経験を披瀝していただき、ありがとうございました。
この頃のKさんに見られるように、どんな高尚な原則を掲げても安易に流れることはよくあることです。 一生懸命やっている人の傍らにたって(手も汚さず)「その原則は社会をだめにしている」なんて、余計なお世話以外の何物でもない。プンプン。(おまけに、論立ては雑駁だし。)