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(回答先: 恐怖で躾をするのは問題でしょうが、では、どうやって躾けます? 投稿者 考察者K 日時 2008 年 3 月 22 日 21:15:19)
Kさん 横レス失礼いたします。
このころのKさんの論の勧め方は非常に短絡的で乱暴な印象を受ける。ある種の効果を狙ってあえてそうなさるのか?
{しりをたたく 体育会系のしつけ、恐怖心}vs{腐った人権論 ニート 人間のくず}
という、事象のくくり と 対立のさせ方 が妥当ではありません。このような「強引なくくりかた」はデマゴーグの一手法です。
K>恐怖で躾をするのは問題でしょうが、では、どうやって躾けます?
しりをたたかれるのが恐怖なのですか? 私の自己体験としては、面を張られたり尻をたたかれたときひどくショックだった覚えはあるが、その「恐怖感」によって後の行動が規制されてはいなかったような気がする。しつけには、ほかの要素が必要です。
しりを叩かれて、がきのヒステリー状態が強制的に停止させられて、その後の説教を聞くことができる状態になったのだと思う。ちょうど、心室細動に対する電気ショックのようなものだろうと。説教が、子供心にも理があると感じられ、叱っている人間の心情に共感できれば、恐怖心なくとも行動はあらたまる。もちろん一度叱られてその後に二度と同じことでしかられない人間、など、ごくごくできのよい人間で、たいていの場合、何度も何度も同じことで叱られ叱られして育っていくものだ。
躾とは、この大変な手間を、まず第一に親が惜しまずに子供に注ぎ込むこと。ついで教師でしょうか。
出来上がってしまったニート?には、個々に、とことん付き合って教育しなおすしか救いはない。かつて親や先輩が私にしてくれたように、私は自分の子や、そうですね、同僚後輩の一部にはよろこんでやらせていただきますよ。ショックを与えるにしても、もう年相応に物理的打撃ではないでしょうが。
K>訳の分からん「人権主義」が大きな癌となり、歪みを生んでいるのではないでしょうか?
いいえ、違います。
教育やしつけは、今も昔も同じように、手のかかるスキルも必要な困難な事業であるのに、それを認められない親が多い。「どうしてこんなに手がかかるのだろう、うまい方法で手抜きができないものか」と嘆いている。
躾がうまくいかなかった例がご自分のお目に触るからといって、乱暴にレッテル張りして、自分の外に原因(「一般的な原因たる悪者」「癌」)を設定しようとする。
「そうだ、私が失敗したのは「誤った人権論」の所為だったんだ。」
ご自分に落ち度がないことを証明したいのですか?
これですね。
K> その責は「誤った人権主義を唱える奴らにある」のだろうと思う。
やめてくださいな。
躾ができない親はいろんな言い訳をするかもしれませんが、所詮は言い訳で、人権主義を唱えようが、それが誤っていようが正しかろうが、無意味なことに変わりはありません。あなたが「誤った人権主義が原因」と規定するのも、また同じレベルに思われます。
K>それで、逆恨みするやつは「自己責任」の下に「破滅する」事になっても仕方ありません。
逆恨みしようがしまいが、
彼らは自己責任の下にそれなりの生活を送るのです。
ですから、あなたがことさらに言い立てる必要など、ない。
手を貸してくれる気がないのなら、余計なお世話。
K>ひっぱたかなければ、分からないやつは「ひっぱたくしかない」と言う事を「理解される」べきでしょう。
K>「憎しみのある暴力」と「愛情のある愛のムチ」は「叩かれた者」が判断できるでしょう。
ひっぱたくことが必要なことはもちろんあります。ひっぱたいた後の、理を説く、情に触れる、ことのほうが大変なんです。どんどんやってごらんになればよろしいでしょう。