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(回答先: 言葉は脳に刺激を与えるのです。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 3 月 23 日 21:59:14)
こうした、文章の対話においても「相手の意見を、読んでいるのか、良く分からない」ような意見が飛び出す。
価値観判断基準が違う人間同士の対話です。
同じ言葉でも「相手に届く」と言うものではありませんし、対話で「相手が納得する」などと言う根拠は希薄としか判断できません。
しかも、これは「対話が成立」した場合です。
圧倒的多数のケースでは「対話は拒否される」のです。
相手のいないところで「どれほど、しつこく、説得しても無駄」でしょう。
で、無理に対話をさせるには「強制力」という方法論が必要になるでしょう。
拒否の相手の「自由意志」を尊重していたのでは「ほぼ絶対に更生させられない」とも言えます。(ドラマなどでは奇跡のように改善する物語もありますが、現実は甘くない)
「憑き物落としの呪い士」と自称する「言霊使い」のKですから、言葉には「かなりの自信を持っています。」
最近では、Kの屁理屈を恐れて、議論してくるものも見あたりません。
そのKですら「言葉は無力だ」と思うのです。
無論、ギリギリまで対話の努力はするべきでしょう。
Kの考えでは、対話というのは波長です。
「理屈」も大切ですが、波長さえ合えば「妙に納得する」ものです。
しかし、波長が合わなければ「100回対話を繰り返したって駄目」です。
「屁理屈よりも、魂の叫びだよ」なんて言う人もいますが、波長が合わなければ
魂の叫びも「しらじらしい綺麗事」にしか聞こえないでしょう。
そもそも、ワヤクチャさんは「君が代不起立」という「式典妨害強攻策」に賛成の立場でしょう。
対話で全てが解決するというのなら「矛盾」ですよね。
よく考えることです。