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こんばんは。
最近、みなさんの投稿の数がちょっぴり減っているように見えるのが「俺がネタばっかりやってるからみんな呆れて投稿しなくなったのかも」なんて考えて
一人勝手になんだか申し訳ない気分のフニャコです。
みなさん「暮れだから忙しくて投稿しない」のであってほしいです。
さて、コイズミ政権を見ていますと創価学会に依存しているというのは阿修羅♪を見ずとも明らかで、陰謀でもなんでもないものです。バレバレです。
韓流ブームも「やらせくさい」というのは、私の同年代では共通認識でありますし、胡散臭いものがどんどん出てきております。
この韓流ブームも創価、統一協会周辺からだという話もあり、その手の宗教団体の暗躍といいますか、なんだかそんなものが目に付きます。
海の向こうのアメリカでも福音派が大きな力を持っています。これも阿修羅♪を見ずとも明らかです。
宗教によってきな臭くなってきている今日この頃です。
一方で、今朝出勤ギリギリの折TVをふと見ましたら「ゴスペルを歌い、神を意識する事で薬物依存から立ち直った人たち」が映っておりました。
薬物依存からの脱却の難しさは言わずもがなでありまして、やはり信仰は良悪は別としてものすごいパワーを持っているのだなと、そう再認識した次第です。
信仰の向き方次第で、人を生かし人を殺すわけです。
最近の傾向において、宗教は人を生かすどころか殺す作用を発揮しているようであります。
或いは単なる集金マシーンであり、集票マシーンであります。
このような傾向をみて、多くの人々は宗教を毛嫌いするか、義憤にかられるか、本質を見据えつつも、口をつぐみます。
きっと、妄信している人間の目を覚ますのが非常に困難であるからでしょう。その通りだと思います。
思うのです。「妄信している人の目を覚ます」というと「無宗教にさせる」というのが一般的ではないですか?
しかし「妄信→無宗教」という流れが一般的であるのは現代の日本くらいで、歴史的には「改宗」が一般的でしょう。
彼らは「何かを信じていたい」「信じることで自らを確認したい」わけで、いきなり「信仰なんか!」といわれたらそりゃ拒絶するに違いありません。
ですからむしろ、「こっちの信仰のほうがいいよ」と改宗を勧めたほうが自然ではありますまいか?
しかし、どこの宗派でもちょっとした問題(金や権威に走りがちだとか)はあるものです。
そこで
「なら問題が出ないような信仰を作っちゃえばいいじゃん」
と思うわけです。
異教に寛容で、独善になれず、なかなか金に絡みづらい信仰を新しく作っちゃえばいいじゃないですか。
その上で、多くの信者を獲得して優しい信仰を広め、信仰によって生み出される悲しみを、信仰によって弱体化させればいいのではないでしょうか。
どの宗教だって、最初に作ったやつがいるんだから、今作っちゃったっていいじゃないですか。
気の長い話ですが、宗教対立の様相を呈している悲しみには、平和を叫ぶだけでは解決が難しそうでありますから、こういう変化球もやってみる価値はある
のではないかなどと愚考しています。
しかし、一人の人間が信仰の土台を作ると、やはりこれまでの宗教と同じ結果を招くのではないかと思います。
それでは意味がありません。
そこで、「オープンソース宗教」を提案します。
上に挙げた条件を満たす信仰を、公開の場で提案し思案し時に議論して作り上げ、広めるというのはいかがでしょう。
できるだけ無害な宗教を作り出し、これを広め、カルト的なものを駆逐する事が、ひょっとしたら出来るかもしれないとぼんやり思っています。
今回、私は割りと真剣です。
しかし、心のどこかで「この考えは危険かもしれない」と思っています。何故危険なのか理由は自分でもわかりませんが、ぼんやりとそう思っている部分も
あります。心のどこかで自分に警告を発しているようです。
これからゆっくりと、この下に私の「新しい信仰」を思いつき次第自己レスしていきますので、ご興味のある方はお付き合いいただきたいと、そう思って
います。
(今宵は眠いので「言い出すだけ」にしておきます。明日から思考過程をレスしていってお目汚しをします。「やめろ」「うせろ」などのご意見があれば)
(即刻取りやめますので、遠慮なくお申し付けくださればと思います。)
ではごめんなさい。