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(回答先: お笑い真理教 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 12 月 21 日 12:42:02)
バルタン星人さんこんにちは。
中華丼に関して言わせていただければ、鶉の卵だけは死守するフニャコです。
私から鶉の卵を持って行こうという存在に対しては、それが例え神仏であろうとも抵抗します。
レスをありがとうございます。「宗教になってしまっているもの」のテキストは冷静に考えると結構な割合が暴言みたいなものですから
「オープンソース宗教」に関しては暴言めいた発言がふさわしいと思います。(いや、ほんとに)
私も今ピーナツバターパンを食べながら書いています。忘年会続きの今月は三食がこのような献立になる予定です。
>スピノザの『エチカ』ではありませんが感情を理性で制御することは出来ない、
>「感情はそれと反対向きのより強い感情によってしかうち消すことができない」、
>柄谷イタコモード(まだ死んでないって)で言えば「啓蒙で宗教を否定することはできない」
>という意味でフニャコさんのおっしゃることに禿同です。
心強いフォローをありがとうございます。
お釈迦さんもやはり「自分の言った事は『その時のその人に合わせた説法』であるから文字に残すな」と言っていたと聞きます。
基本的に「解釈権」を独占できないような形にすれば良さそうですね。(ただ『●●派』みたいに各派閥に分かれる可能性がありますが)
基本的に笑いに繋いでいくのは良い路線だと思います。
下のほうに謝寅さんの転載で大本の事が書かれていますが、出口王仁三郎は面白い人だったらしいですね。
説法が凄く面白かったとか。笑いはポイントでしょうね。今東光みたいなのもいいかもしれません。
ええと、今考えておりますのはこの「ゆるい信仰」に“ご本尊”が必要か否かということです。
“神”を意識させずに「怪力乱神を語らず」で何とかならないかなと思っていたのですが「占いが受け入れられるのは何故か」と考えると
“神”もいたほうが良いのかなと思わざるを得ません。
基本的に我々は言葉でのやり取りで毎日を過ごしていますが、そこには程度の差こそあれある程度の齟齬があります。
しかも「いつも正直に物を言っている人間」ばかりではなく、言葉の裏に複数の意味を含んでいる場合も多々あります。
我々生きている人間はいつも、対話の相手の言葉の裏を探りながらコミュニケーションをし、それによるストレスに毎日晒されています。
この「相手は本音をずばり言っているわけではない」という可能性は一生ついてまわりますし、これによって精神にダメージを受ける事も
よくあることです。
これに疲れた人間が「ずばり言う存在」だとか「絶対正しい存在」「本質をずばり言い放つ存在」を欲しているのではないかと思います。
故に占い師やコンサルタントなどに頼りたがるのだろうと思います。
占い師やコンサルタントなど「これはこうだ!」と言い切る人々も、はずす事がしばしばあるにもかかわらず、不安な人々は喜んでお金を
払うものです。
また、ちょっと前に投稿した私のバカ投稿
思考停止とはなんと気持ちの良い事なのでしょうか。
http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/261.html
にも私の思う神の根源を書きました。
リンクで飛んでいただくのも面倒くさいと思うので、かいつまんで申しますと
「これまでの神(主に一神教の)って親の残像なんじゃないの?」
ということです。
結局、生活上よく遭遇する「曖昧さ」から逃げたい為に“神”を発明したんじゃないかな、と思っています。
「これが正しい!」と示してもらいたいんだろうなと、そう思っています。
なので「ずばり断定的に『これが正しい!』と言うけれど強制力が無い(罰が当らない)ご本尊」くらいは必要かなとそう思っています。
さてオマチカネ。「いなりのホルマリン漬け」ですが。
>昔コンパで「一発芸」とかやりませんでしたか。
>「ちょんまげ」「いなり」さらに「いなりのホルマリン浸け」とか思い出しても聞くだに恐ろしい、出入り禁止の飲み屋が増えて困った
・・・やりますねバルタン星人さん。“Grandmaster of 陰部”ですね。
私はと言いますと、割と上品なものでそのようなネタをやった記憶はございません。
ただ深酒をした折、一度だけ酔いが覚めてから友人に
「お前、夕べ『ウイグル砲』やってたよ。なんだよあれ。」
と言われた事がありまして、どうやら落花生の殻を使った『ちょんまげ』に近い事のようです。
どう『ウイグル砲』なのかはご想像にお任せします。
・・・どうしてもネタになってしまいます。
ごめんなさい。