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(回答先: 博愛と言うからには 投稿者 フニャコ 日時 2004 年 12 月 21 日 09:36:49)
フニャコ さん どうもです。
ホントの昼休みレスで出前の中華丼食いながら書いています。時間制限アリなので尻切れご容赦。
突然ですが私の家では犬飼っているんですが、見てると犬も夢を見てるんじゃないかと思うのです。爆睡しても歯ぎしりしたり、唸ったり吠えたりする事があるんですよ。(ろくな食い物を与えていないので具合が悪いだけ?)
で、「人間と動物と何処が違うか」というメタフィジカルな問いがありますが、道具を使うとか(マルクス的には生産手段の生産)、言葉を話すとか(ヴィトゲンシュタインは「動物は話せないのでない、話さないだけだ」とひっくり返してしまいましたが)昼休み暴言モードでいくと「動物は笑わない」つまり、笑うというのは「理性」が感情に働きかけているんじゃないかと。
受け狙いのギャグはずして「えー、このギャグは何故面白いかというとですね」と解説しても取り返しがつかないわけです。そういえば思い出しましたけど昔コンパで「一発芸」とかやりませんでしたか。「ちょんまげ」「いなり」さらに「いなりのホルマリン浸け」とか思い出しても聞くだに恐ろしい、出入り禁止の飲み屋が増えて困った...はずしたかな。
スピノザの『エチカ』ではありませんが感情を理性で制御することは出来ない、「感情はそれと反対向きのより強い感情によってしかうち消すことができない」、柄谷イタコモード(まだ死んでないって)で言えば「啓蒙で宗教を否定することはできない」という意味でフニャコさんのおっしゃることに禿同です。
例えば「新約聖書」の話しですけどイエスはその場その場で「正しい」と思うことを言ってるだけで、後からつなぎ合わせるとメチャクチャなんじゃないでしょうか。ポストモダン的に言えば結局パウロみたいなイエスと一面識も無い人間が後から出てきて「解釈権」を独占して「宗教」を作ってしまうわけです。デカルトもマルクスもフロイトも、まぁ同じと言えば皆同じ様に反復してきた。
で、ですね、笑いというのは理性が感情に働きかけることが出来る、非常に細くて不確かなものだけど回路としてはあるんじゃないか。フロイトはユーモアについて「原因はよくわからないが、われわれはこのあまり強くない快感をきわめて価値高いものとし、この快感がわれわれを解放し昂揚させるものであることを知っている」と言っています。凡庸な話ですけど、過去にもその例は沢山あるんじゃないか。非道な権力者を笑いのめす、しかしそれはあまりに無力で笑うことしかできない自分を笑うことでもあるわけです。
うーん、マジになりすぎて書けなくなってしまいました。時間切れですいません。